SCENE:1‐1 10時32分 汐生町 学校 校舎裏
左手、校舎。
右手、プール。
頭上、空。
足下、地面。
上下左右、見慣れたいつもの風景だ。
しかし、正面は違う。何度も見直し、
やっぱりいる。他クラスの男子生徒。
興奮と不安がない交ぜになった目で、真っ直ぐに自分を見据えている。
「それでっ!」
「ひゃあっ……!」
「お返事はっ!」
「ひっ……!」
「オッケーですかっ?」
「ぅっ……!」
迫り来る男子生徒の圧に押され、思わず少女は後ずさる。半泣きであるが、もちろん相手は気づかない。
亜麻色の長い髪を頭の両脇で二つに結わき、大きな茶色い目に小さな鼻、すらりと長い手足に釣り合った高身長――その少女から発される、輝くような美しさしか、彼の目には映っていない。
「サユリさん!」
「はっ、はい!」
「どうか! 僕と! 僕と! お付き合いを!」
壁は背後に迫っていた。少女は覚悟を決め、目を閉じる。
大きく息を吸って、友人から教わった魔法の呪文を思い出す。
本当はあまり気が進まないけれど、使うしかない。
ありったけの力を振り絞り、彼女は叫んだ。
「近寄らないでっ! あなた、生理的に、無理だからっ!」
「泣かせちゃった……」
自身も泣きそうな声でさりゅはつぶやく。
「断れたんだから良しとしなさい」
さりゅの前の席に座る少女が、凛と響く声で続ける。
「ああいう輩は、ガツンと言ってやるまで気づかないのよ。気づかないから、この猛暑日に、暑苦しい自己主張をしてくるんじゃないの。まったく、目も当てられないわね」
「それでも、あの呪文はキツすぎるよ……言っているわたしも泣けてきた」
〝近寄らないでっ! あなた、生理的に、無理だからっ!〟……この言葉は、男の子を追い払う魔法の呪文だ。もう一人の少女――
あまりにも断りづらい告白をされたとき、最終手段として言い放つ。
この呪文には発言者の精神力を削ぐ力もあるようだ。発動後、必ずさりゅは自己嫌悪に身悶えする。
優しさゆえに断れないし、優しさゆえに断ると尾を引く。
ユークも告白された経験はある。彼女もなかなかの器量良しだ。
セミロングの白い髪、長い睫毛の下に見える青色の瞳、涼やかな色彩と相まって、
彼女の皮膜は光に弱い。
外に出るときは紫外線防止のローブを羽織らなくてはならない。
失礼な話だが、身体的な
転入当初、ユークはたびたび校舎裏に呼び出された。そして、数多の男子生徒から「守ってあげたい」とか「放っておけない」と言った類の告白を受けた。
そこで「守ってあげたいというのは、具体的な防衛策があってのことですか?」と尋ねたら困惑された。
質問が上手く伝わっていないと思い、
「どんな武器が扱えるのですか?」とか
「交渉役を引き受けたことはありますか?」とか
「軍事システムを三分程度クラッシュできますか?」とか
「敵に捕まったとき、秘密保持のために死ねますか?」などと追究したら逃げられた。
そんなことが三回ほど続いてからは、さりゅに教えた呪文を十倍ほどキツくした言い方で断ることに決めている。
今では校舎裏に呼び出されることは愚か、彼女の姿を見ただけで逃げ出す男子もいるくらいだ。
「だいたい、あなたも曖昧な態度でいるから、勘違いされるんじゃないの」
「わたし、断るの、苦手で……」
「知ってる。だから学級委員も、掃除係も、文化祭の実行委員も、手芸部の部長も、グループ班の班長も、みーんな引き受けることになっちゃったのよね」
「だって、みんながやれって言うんだもん~……」
しくしく泣き出すさりゅを見て、ユークは溜息を吐く。貧乏くじを引き続けながらよくここまで生きて来れたわねと感心するが、それは周囲の助力あってのことだろう。
そう、例えば……
「おい、ユーク!」
教室に大きな声が響き渡る。
どかどかと周囲を蹴散らすような歩き方で、教室に入ってきたのは金髪の少年。
ふわふわした前髪をカチューシャらしきものでまとめあげ、剃りこんだ眉毛を見せつけている。
本人曰く、「敵に舐められないため」の身だしなみだとかなんとか……着崩した制服と、いかついネックレスが目立つ、学校一の問題児。
「
彼の鋭い視線をもろともせず、ユークはぴしゃりと告げる。
すると、陸太は気まずげに目を逸らした。
「そう、そうなんだけどさあ。その……ちょーっとばかり、気になることがあってさあ……」
「何かしら?」
「あー、えーっと……今日の天気とかぁ?」
目をそらしたまま、頰をかく。これは陸太が嘘を吐くときの癖。本題は別のところにあるのだろうが、ユークは
「今日から一週間は晴れ。降水確率は10パーセント。平均気温は二十七度。これで満足かしら?」
「えっ、えと……じゃあ八日後の天気は?」
「そんな先のことまで知らないわ」
「あ、うん。オレも知らない」
「だから聞きに来たんでしょ?」
「そう、そうだった」
気まずそうに笑いながら、頭を掻く。ユークと話をしているのに、視線はさりゅに釘付けだ。
気になっているのは、天気じゃなくてさりゅの方。
隣のクラスの陸太の席からは、校舎裏が見下ろせる。
大方、さりゅが告白されているところを目撃したのだろう。そして、その結果を探りに来たに違いない。
陸太の本心はお見通しだが、あえてユークは調子を合わせる。
どこか既視感を覚える学校生活の中で、陸太を弄ぶのは彼女の楽しみの一つだった。
「さりゅがなんで泣いているのか知りたい?」
「べ、別に! さりゅのことなんて興味ねーし! オレが気になるのは天気のことだし!」
「あ、そう。明日も晴れて良かったわね。さようなら」
「ちょっ、ちょっと待てよ! なんでさりゅが泣いてるのか教えてくれたって良いじゃねぇかよ!」
「そんなに知りたい?」
「は、話したきゃ話せば……」
「別に話したい気分じゃないのよねぇ」
「……っ」
陸太は涙を溜めて、小さな体を震わせる。
強さと可愛さをあわせ持つ陸太は、「狂犬チワワ」の異名で、不良たちから恐れられている。
チワワの頭をナデナデしながら、ユークは言った。
「さりゅはね、男の子をフったことに罪悪感を抱いているのよ」
「罪悪感?」
「そうよ。今までに何十人もの男の子を切り捨ててきたのよ。彼女の手は、返り血で真っ赤。そろそろ、情にほだされて、押し切られちゃうんじゃないかしら?」
クスクス笑いながら、少年を見る。ユークにとっては遊びの延長に過ぎなかったが、陸太は多大なショックを受けているようだった。
悲しみに暮れる肩先に、金髪のたてがみまでもがしゅんとしおれる。
まるで雨に降られた子犬みたいだ。
さすがのユークも、自身が放った言葉の重みを顧みずにいられない。
不慣れなフォローの言葉を考えているうちに、授業開始のチャイムが鳴った。
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