第5話 「欲しがる人たち」
陽光が通りを照らす春の日だった。この日はニコもトムも休みである。というより、ラジオ局に入局してから、まだ日も浅い。今日が初めての休暇となった。
今の時間、アパートでトムはコーヒーを作っている。ニコ(ニコラス)は先日買ったばかりの拳銃の手入れをしているところだ。セキュリティという名のリボルバーで、三五七マグナム弾を五発装填できる。この銃のいいところは、特殊な工具は一切使わずに、分解、掃除ができる点にある。シルバーステンレスでできた銃本体がキラキラと輝いている。
多くの人が勘違いしているのだが、銃は精密機械であり、定期的なメンテナンスを怠るとすぐ使えなくなる。最悪、暴発という惨事も招かねない。元軍人のニコは目をつぶってでもメンテナンスをできる自信がある。スイングアウトさせた蓮根型の弾倉を外し、ハンマーとグリップとトリガーを外す。銃身にブラシを差し込み、掃除をして、弾倉も同様にきれいに掃除する。マグナム弾の強烈な反動を和らげるラバーグリップが劣化していないか確かめて、ハンマーも同様に確かめる。最期にトリガーのスプリングが緩んでいないか確かめて、それらが終わるとさっきとは逆の手順で分解した部品を元に戻して、最後に一発も装填されていないことを二回確かめた後、ハンマーが下りた状態のダブルアクションから引き金を引き、カチンという音を聞き、次にハンマーを起こした状態のシングルアクションの状態から引き金を引く。
再びカチンという音が響き、満足したニコは銃とクリーニングキットを鍵付きのケースに戻した。ニコがリボルバーを使っているのは両足義足の身では、片手撃ちができる銃が必要だからだ。
リボルバーは重いスプリングだが、ダブルアクション、つまり、ハンマーが起きていない状態でも指に力を込めれば発砲できる。オートマチック拳銃の場合、利き手の反対の添え手で一度スライドを引いて、初弾を薬室に装填しなければならない。立った状態では、右手で杖をついているニコには片手で全ての動作ができるリボルバーしか使える銃がないのだ。
このセキュリティは大型の弾丸を撃てるにも関わらず、小型のjフレームと呼ばれる手のひらにスッポリと収まるサイズのため、かさばらず非常に使いやすい。銃身の長さも2,25インチと短いため、銃の長さによって、発砲が遅れるという事態もない。整備のしやすさと片手だけでも速攻で発砲できる速射性…。ニコに合った銃だった。
この銃を買い求めた銃砲店の店主は、障がいのあるニコに、撃てるのか?という表情をしたが、店頭の中古拳銃で片手撃ちを披露すると、五発撃ったところで称賛の表情に変わった。結局、ただでさえ、ロストワックス方式をとっており、安い銃が二割引きで手に入れられたのだ。
ただし、トムはいい顔をしなかった。
銃は人を殺す道具であり、警察官と軍人以外の人間が持つべきものではないというのがトムの意見だった。ただし、軍隊生活の長かったニコにとって銃は体の一部であり、持っていないと落ち着かないのも事実だった。
それに法に反しているわけではない。非常な労苦の末、ニコは銃の携帯許可証を手に入れている。携帯できる銃には制限があるが、セキュリティは数少ない「持てる」銃だ。リボルバー拳銃一丁を持つことには、さして強い制約のある国ではない。
オートマチック拳銃なら、装弾数の多さゆえに購入が禁止されているものもある。そうした銃は犯罪に悪用されると甚大な被害を及ぼすためだ。
コンコンと扉をノックする音が響き、トムが入ってきた。
「あー!また銃の手入れをしたね!」
開口一番これだ。やれやれと思いながら、ニコも応じる。
「別に悪いことをしているわけじゃない。法律にも反していないし。」
「モラルの問題。いい加減そんな物騒なものからは卒業しなよ。」
「別にいいだろう。誰に迷惑をかけているわけでもないし。」
ふう、とトムはため息をついた。トムの気持ちもわからないでもない。自分はもはや軍人ではない。こんなものを持ち歩かずともいいのだ。だが昔の習慣というのは恐ろしい。自分はどうやら戦いの中でないと生きられない性分なのかもしれない。呆れられても仕方がないなと自嘲した。
「ともかく銃の手入れよりもやることがあるよ。」
「おや、何かな?」
「車の調達。前にも話しただろう。」
「ああ、その話か…。」
実はトムが四輪駆動車を購入することを提案していることが最近多くなったのだ。正確には引っ越してから、そういう話を夕食の席でするようになったのだが。
身体障がい者のニコはただでさえ、かさばる義足や杖、車いすなどを積み込める車が必要になる。ラジオ局に入局してから長距離を走れる車が必要になり、社用車ではとてもじゃないがスペースが足りず、どこかで四輪駆動車を手に入れる必要があった。大型車ならニコの身体の事情にも合うためだ。
「言いたいことはわかるが、一文無しの私たちに値の張る大型車は無理だ。」
「だから誰かから譲ってもらうんだよ。」
「そんな気前のいい人なんていないだろう。まさか大金持ちの知り合いがいるなんて言うんじゃないだろうな。」
「ところがいるんだよね。カーマニアの富豪の知り合いが。」
ニコは驚いた。毎度のことだが、トムのコネには舌を巻く。
「ともかく行ってみよう。すぐに出かける準備をしてくれ。」
「断られるのがオチだと思うがな。」
「当たって砕けろ、さ。やってみて損はない。」
結局、私はトムと一緒に彼の知り合いの富豪の豪邸に向かうことにした。
昼頃にニコとトムの二人はタクシーでローズウッド・ヴィレッジへ向かった。ニコ達が暮らす街の郊外にあるお屋敷街だ。この地域に住んでいる人々は、ほとんどが富裕層で豪邸住まいである。政財界で活躍する人物も多数輩出した土地柄であり、庶民の二人は明らかに場違いだった。
「あの一番大きな屋敷に向かってください。」
トムはタクシーの運転手にそう言い、ニコは驚くことになった。
「まさか、スプリングフィールド家の人間と知り合いだったのか!」
スプリングフィールド家はこの国の建国期から存在する由緒正しき名家である。多数の企業を傘下に収め、政界とも深い繋がりがある本物のセレブだ。そんな人間の家系と知り合いだったとは、ニコはにわかに信じがたかった。
「昔、当主のお世話をしたことがあってね。彼は幼少期に乗馬中、落馬したことが原因で体の体幹に歪みが出ていた。それに気づいた私が激痛で苦しんでいた彼の矯正を担当したことで無事に治った。それ以来、私に恩義を感じているのさ。」
「それで多少のわがままは聞いてくれると踏んでいるのか。」
「大金持ちは自分を助けてくれた人にはそれなりのお礼をするのさ。大型車一台欲しいなんていう願いも叶えてくれる。」
「そうだろうか。お金持ちはケチだと決まっているのが相場だが。」
そうこう問答をする内にスプリングフィールド邸にまもなく到着する所まで来た。だが、豪邸の門が見え始めたところでタクシーの運転手が素っ頓狂な声を上げた。
「なんだ?ありゃあ?」
見てみると大勢の群衆が群がるように門に殺到していた。屋敷の使用人たちが総出で、立ち入れないように押しとどめているところだった。
「何かあったな。運転手さん。ここでいい。降ろしてくれ。」
料金を払い、義足を付けたニコと領収書を受け取ったトムがタクシーから降りて、屋敷の門へ向かう。すると群衆が叫ぶ声が聞こえてきた。
「相続権はないんだろう?なら譲ってくれていいじゃないか!」
「金なら払う!一台でもいいから売ってくれ!」
「名車は価値の分かる人間が持つべきだ!俺こそがふさわしい!」
どういう事情か知らないが、この屋敷の財産が目当てのようだ。しかも車がらみらしい。
「まずいな。これじゃ入れない。」
「裏に回ろう。」
屋敷の裏手はほとんど人がいなかった。一人、執事らしき人間が立っているだけだ。ニコとトムに気づいたらしく、顔を向けた。
「トムさん?トムさんじゃないですか!いやあお久しぶりです!」
「どうも、メリー。どうやら表の様子を見る限り、大変な事態らしいね。」
「お恥ずかしながらそうです…。でもトムさんが元気でよかった。亡くなられたユアン様も喜んでおられるでしょう。」
「亡くなった?ユアン…。いや、ユアンさんが?」
「ええ、先日…。」
私たちはメリーという執事に案内され、裏口から屋敷に入った。表からは相変わらず喧騒の声が聞こえてくるが、屋敷に入るとそれも収まった。屋敷の中は贅を尽くした空間だった。玄関だけで自分たちのアパートの寝室の広さだけあり、至る所に絵画が飾られ、日が当たらないように工夫もされている。だからと言って、屋敷の中は暗くなく、むしろ春の草原に立ち入ったような様子でもある。草色の絨毯が敷かれ、私たちの年収でも買えなさそうな調度品や家具が至る所に並んでいる。水晶から切り出したと思われる彫像が置かれているところを見たときには、地震が発生したらどうするのだろうとどうでもいいことを思った。
「メリー。ユアンさんが亡くなったのはいつなんだ?」
「正確には四日前です。現在は一人娘のテレサ様が当主であらせられます。」
私が言った。
「表の騒ぎの大体の見当はつく。前当主が死んで、財産相続がうまくいかず、価値のあるものに群がる連中が大勢やってきていると。それも車がらみだな。」
メリーは驚いたようだが、
「その通りです…。」
「いったいどうしてこんな混乱になった?」
「詳しくはテレサ様からお聞きください。この部屋におられます。」
メリーに案内されてたどり着いたのは、門のように大きな観音開きの扉の前だった。
メリーがノックする。
「テレサ様、トーレス様、お客様がお見えになりました。」
「お入りください。」
扉をメリーが開けて、やっとこの家の主に会うことになった。
その部屋はリビングらしい。らしいというのは、あまりにも豪奢すぎてどう表現したらいいのか、わからないからだ。至る所に美術品が置かれ、豪華なソファとテーブルが並べられている。これほど見事なメインルームは見たことがなかった。全体的に陽光が照らす天空をイメージした部屋と言えようか。明るく開放的で居るだけで楽になれる雰囲気だった。
だが、当主にとってはその部屋の雰囲気でも安らげないほどつらい日々を送って来たらしい。スプリングフィールド家、現当主のテレサ・スプリングフィールドが誰なのかはすぐわかった。一人用のソファに座り、目を充血させて、遠目からでも人生で最もつらい四日間を過ごしてきた人間だとわかる少女だった。多分ほとんど寝ていないか、ストレスで寝ることもできないのだろう。明るい赤毛の髪とは対照的に、顔色は病的に悪い。
テレサの側に立っている黒縁メガネの人物は、一目見ただけで弁護士だとわかった。その種の職業に属する人間にありがちな人の死にも動じない姿勢がその証拠だ。この男がトーレスだろう。
テレサが立ち上がり、私たちに近づいた。
「テレサ・スプリングフィールドです。遠路はるばるようこそ。」
疲れてそうだが、言動ははっきりしていた。私たちもあわてて名乗る。
「ニコラスと言います。」
「トムです。生前のユアン様には大変お世話になりました。」
だが、テレサはトムの言葉にかぶりを振る。
「お世話になったのは父の方です。父はよくトムさんのことを褒めていました。」
「それは嬉しい。」
「お話に割って入るようで申し訳ありませんが。」
側で控えていた弁護士の男が言った。
「私はスプリングフィールド家の顧問弁護士のトーレスです。言っておきますが、財産の分与をご希望でしたら、すべての財産は相続人が決まっている状態です。おこぼれに預かろうとはしないでいただきたい。」
いきなりガツンと言ってくる。きっと同じような文言を何度も言ってきたのだろう。
「私たちは些細な頼みがあって来ただけです。」
「頼み?私に?」
「車を一台譲ってほしいのです。それも四輪駆動車を。」
トムの発言に無礼な者を見たと言わんばかりの表情のトーレスは、
「論外ですよ。いくら先代当主のユアン様のお知り合いであってもお断りです。」
「トーレス。口を慎みなさい。」
トーレスは納得のいかない様子だったが、テレサの指示には従った。
「どういうわけか、話を聞かせてもらえますか。」
テレサの勧めでソファに座った私たちは、トムは私たちがなぜ車を欲しがっているのか、そのわけを説明した。新しい就職先で障がい者のニコでも取材活動ができる車が欲しいこと、そのために大型車が必要なこと、だが、自分たちにはそんな車を変える財力がないことも明かした。
「たかりに近い要望だということは理解している。だが、現状、頼みの綱は君にしかないんだ。」
テレサは考える間もなく、
「一台ぐらいでしたらお譲りします。」
「本当に?」
驚いて声を上げてしまったのは私だった。思わずトムが私の左肩に手を置く。
「ええ、両親のカーコレクションの処分は私も困っていたところですから。」
テレサが説明した。テレサの両親は、共にカーマニアで生前、多くの名車を集めていた。車種も様々でスポーツカーから私たちが欲しがっている四輪駆動車や、果ては独裁主義国の車まで幅広く集めていた。前当主のユアンは時折、こうした車を運転することでこの辺りでは有名だった。
だが、珍しいものにはたかるものも現れる。
ユアンが不慮の事故で亡くなると、テレサを産み落としてすぐに亡くなった母親のリリーもいない状態では、こうした名車コレクションの相続権がはっきりしていないことが判明した。生前の両者が遺言を残していなかったことも災いした。結果として、このことを知ったカーマニアたちが「車を譲ってほしい」と無茶な要望を出すようになり、何とかして断ろうとしているところだった。
「それはまずい時期に来てしまったな。」
私はバツの悪い顔をした。
「私としてはトーレスの意見も踏まえ、車はすべて博物館に寄贈しようと考えています。」
「それほどのコレクションを寄付してしまうのか。」
「それがいいよ。」
トムが言った。
「相続権が明確にわからない物品は血縁者に分配される。その人物がトラブルを回避するために相続を放棄するのは自由。テレサさん、ご兄弟、親族の類は?」
「私には遺産を分与する親族はいません。車以外の財産は私のものと、トーレスが頑張って主張してくれました。」
「問題なのは車のコレクションです。」
トーレスが言った。
「車に関しては明確に相続権が表されていないため、表の連中のような人間が大勢やってきているのです。混乱をこれ以上避けるためにも、車のコレクションは私の権限で博物館に寄贈しようと思います。」
「なるほど、それで問題の解決を図ろうと。」
「それしかありません。これ以上、この問題でテレサ様を困らせるわけにはいきません。残念ですが、あなた方にお渡しできる車両は…。」
「わかった。無理は言わない。あきらめるよ。」
驚いたのはテレサだった。
「そんな…。せっかくお越しいただいて…。父の恩人にお返しもできないなんて。」
「ニコ。少しは甘えることも覚えた方がいい。車が手に入るチャンスは今回しかないぞ。」
「私がなぜあきらめるかというと、そこの弁護士が欲丸出しの考えをしているからだ!」
この発言には全員が驚いた。どういうことだ?
「何を言っているのです?私はテレサ様のことを思って…。」
「私はさっきまでウソをついていた。スプリングフィールド家のことは知っていたよ。」
トムもテレサも驚いた。今までの様子が芝居だったのかという表情だ。
「確かにそこの弁護士先生の言う通り、車以外の財産はテレサさんのものさ。だが、スプリングフィールド家の訃報を新聞で見たとき、おかしいと思った。」
「どこがおかしいと?」
「まず、大事な趣味のコレクションの相続権を曖昧にしておくことがおかしい。おそらくそこの弁護士が勝手にこんなことを言ったんだろう。『娘さんに相続の手続きをさせて、自立心を育てるべきです。監督は私がやりますから』とでもな。」
トーレスの顔は汗びっしょりだった。そしてテレサのトーレスを見る目は次第に冷やかさを増していく。
「自分が相続の手続きを代行して、テレサさんにも気づかれない形で遺産を処分し、多額の金を懐に入れる。そういう猿芝居をするつもりでスプリングフィールド家の顧問弁護士になったんだ。」
「まさか、ユアンが死ぬことも計算済みか?」
「そこまではわからん。だが、ドライブを趣味にしている人間なら交通事故にも会いやすいことはすぐにわかるはずだ。とりわけ加速性能の高いスポーツ車を運転している富豪ならな。」
「そんな…。私がなぜそんな恐ろしいことを…。神に誓います。そんなことは夢にも思ってもみません。」
「お前、さっき口が滑ったろ。車の処分を自分の権限で行うとな。なぜ娘のテレサの立ち合いが必要なのに、そんなもの不要だという言い方をした?ハナから自分のモノだという認識があったから、そんなこと言ったんだろ。」
トーレスの血の気が見る見るうちに引いていく。幽霊のように真っ青だった。
「どのみち、お前の所持品を調べればすぐわかる。テレサに相続放棄させた後、自分が財産を処分することをサインさせる書面がな。どこまでも見下げ果てたやつだ。」
するとトーレスが懐に手を入れた。だが、ニコの方が早かった。ニコの左手に握られたセキュリティが轟音とともに火を噴き、放たれた三五七マグナム弾がトーレスの右腕を直撃した。トーレスの悲鳴とともに、懐から二十五口径の小型拳銃が絨毯の上に転がり落ちた。
直後、入り口のドアが勢いよく開き、メリーと数人のメイドたちが入ってきた。
「どうしたんです!今の銃声は!」
メイドの中には悲鳴を上げたり、血まみれでのたうち回っているトーレスを見て気絶し、数人に抱きかかえられている者もいた。立ち上がったニコの左手のリボルバーを見て、メリーは息を呑んだ。
「警察と救急車を呼んでください。説明はきちんとしますから。」
メリーは何か言いたげだったが、承知しました、と言い、部屋の外へ駆けていった。
トムが床に転がっていた二十五口径を回収し、メイドたちに、
「気絶している人はともかく、手の空いている人は止血の手助けをしてくれ!」と怒鳴った。
メイドたちもやっと動き出し、救急箱を取りに行く者もいれば、トムの手助けをする人も現れた。
セキュリティをしまった私は放心状態でソファに座っているテレサに、
「私を悪魔だと思うか?」と聞いた。
テレサはそこでようやく我に返ったのか、
「…いいえ。あなたの判断がなければ、大変な事態になっていたでしょう。」
「君は自信を持って家を継ぐといいよ。何しろ人を騙す人間がどんな末路を辿るか、身に染みてわかったんだから。」
翌日、私たちは街のカフェで朝食をとっていた。トーレスの素性は昨日のうちにわかり、マフィアとの繋がりがある悪徳弁護士だとわかった。彼はスプリングフィールド家だけでなく、ほかの富豪の財産も言葉巧みに自分で処分すると言いながら、犯罪組織への上納金としていたことが判明した。偶然とはいえ、ニコ達が来なければ完全犯罪を許していたかもしれない。
「さて、車は手に入らなかったわけだが…。」
「いいじゃないか。犯罪を未然に防いだんだ。それだけでも行った意味はあったよ。」
ハムエッグを食べながら私は言う。車が手に入らなくてもよかった。最悪、歩いていくという方法もある。
するとカフェの近くに一台のリムジンがやってきた。
何事かとカフェの人々が立ち上がり、窓を見る。
リムジンから降り立ったのはテレサだった。
赤毛の髪をなびかせ、ラフな服装のテレサはカフェに入ってきて、ニコとトムを見ると笑顔を見せた。
「こちらにいらっしゃったんですね。」
「やあ、テレサさん。」
トムは気遣ったのか、
「休まなくていいの?」と聞く。
「ええ、私も両親の死や昨日の出来事で衝撃を受けましたけど、私のために働いてくれる人たちのためにも甘えていられません。それよりもニコさん、トムさん、車、必要なんですよね!」
「くれるのか?車?」
リムジンに相乗りさせてもらって、再びスプリングフィールド邸を訪れた私たちは、中庭に案内された。そこには黒塗りの立派な四輪駆動車が鎮座していた。
「おお!」
「すごい!これエクスカリバー、モデル、チャレンジャーだろう!」
大型のボディに攻撃的なフォルムの巨大なホイール、悪路だろうが走破できそうな車だ。その場に控えていたメリーが説明する。
「お待たせしましたよ。こちらはトムさんが言った通り、一流四輪駆動車メーカー、エクスカリバーのチャレンジャーというブランドで、世界に九台しかない貴重な一品です。」
「これ、ホントにくれるのか?」
信じられなかった私は、思わず礼儀も欠いた口調で言ってしまった。
「ええ、使ってください。」
テレサは特に気にすることもなく、笑顔で言う。
「いい車だなー。」
「本当にありがとうございます。」
トムは丁寧にお礼を言った。
「ニコさんとも、トムさんとも、今日でもう会えることもなくなってしまいますが…。」
「何言っているんだよ。」
「え?」
「私たち、もう友達だろう?」
「……!」
そこでテレサの感情があふれてしまったのか、泣き出してしまった。
「大丈夫ですか?テレサ様?」
メリーが心配そうに声をかける。
「ええ…。いいの。私、友達なんて初めてで…!」
誰も一人では生きていけない。誰かの助けが必要なのだ。昔の私もそれが分かっていれば、両足を失うこともなかったかもしれない。
「さあ!今日は帰ったら、新しい車の祝いでパーティーだ!」
トムはしぶしぶという表情で、テレサは涙を拭いてにっこり笑って、メリーは安堵したかのように、私の笑顔を見守っていた。
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