第5話 「自由な一日」
今回の取材に許されたラジオ局はニコ(ニコラス)とトムの二人の番組だけだった。
自由主義国でも名高い独裁主義国の、舞踏団の親善舞踏会を取材するのだ。
例のごとく、エクスカリバー(注:高級四輪駆動車のブランド名)を運転しながら、ニコとトムは舞踏団の宿泊しているホテルへ向かっていた。
「不思議だな。」
ニコがつぶやく。トムは意味が分からず、
「不思議ってどういうこと?」と聞き返した。
「だってそうじゃないか。私たちのラジオ局だけが取材を許されたなんて。私たちのラジオ局は、はっきり言って弱小だ。高級ホテルに泊まれる舞踏団が指名する番組なら、もっと大手のラジオ局を選ぶはずなのに。」
トムはいぶかり過ぎと思ったのか、
「単に私たちの番組のファンがいるからかもしれないよ。ニコ。君は何でも深く考えすぎる。」
ニコは考えても仕方がないと思ったのか、
「それならいいが……。だがどうしてもおかしくて不思議なんだよ。」
トムはやれやれという雰囲気で、
「もうちょっと楽天的になれないかなあ。今日一日を目一杯楽しむ気分がないとやっていけないよ?」と言う。
「わかったよ。今回の仕事で愚痴はつぶやかない。」
「誓える?」
「誓うよ。」
舞踏団が宿泊しているホテルにたどり着いたのは、もう少しでお昼になる前という時間だった。本来ならもっと早くにこれたのだが、舞踏団側の都合でこの時間になったのだ。
有名な目抜き通りにある、国際会議の会場にも選ばれる高級ホテルが舞踏団の宿泊先だった。
ホテルには似合わぬ大型のホイールを特徴とするエクスカリバーを、ハンサムなボーイは特に問題にせず、駐車場へ案内し、ホテルのフロントに入った二人は、身元を明かし、舞踏団が宿泊しているスイートルームがある最上階へ案内された。
ニコは内心、舞踏団なんてお高くとまったお嬢様の集まりだと思っていた。たぶんお姫様のような態度でこちらに接してくるだろうと考えていたが、考えていることが表情に出てしまったらしく、長い付き合いのトムが目ざとく、
「ニコ。誓いを忘れずに。」
「……。」
言い返したかったが、自分の宣言に反するので止めておいた。
スイートルームのドアに辿り着くと、ボーイがベルを鳴らし、中からはーいという元気な声が聞こえてきた。
「失礼します。ラジオ局の方々がお見えになりました。」
「今開けまーす。」
化粧をたっぷりした女性が出てくるのだろうとニコは思っていたが、ドアが開かれるとそこにいたのは少女だった。
年齢は九歳から十歳くらい。男の子が着るような子供用のスーツを着ていた。対照的なのがショートカットの銀髪に結ばれたリボンで、この子の場合、絶妙に表情にミスマッチしていた。顔立ちは美少女のタマゴと言ったところ。元気いっぱいに笑顔を浮かべた少女は、
「こんにちは!ニコさんとトムさんですね!私アナスタシアと言います!」
自己紹介の必要がなくなってしまい、知る必要もない少女のことを知らされて、困惑したニコだが、子供好きなトムは、
「やあこんにちは。君の言う通り、私がトムで、こっちがニコだよ。会えてうれしいよ。ほらほらニコも。」
急かされたニコは、
「ああ、私はニコ。よろしく。」
とやや不愛想に自己紹介した。
アナスタシアと名乗った少女は特に機嫌を悪くせず、
「舞踏団の皆さんが待っています。ぜひとも取材してください!」
と子供らしい口調でニコたちを部屋に案内した。
スイートルームと言っても、舞踏団の全員が一部屋に宿泊しているわけではなく、インタビューのために一部屋に集まったというだけで、このフロアの部屋全体を借り切って宿泊しているらしい。部屋にいたのは十人ほどのメンバーで、それぞれが蓄音機で音楽を聴いたり、ソフトドリンクやアイスクリームを楽しんでいた。
「はるばるお越しくださりありがとうございます。」
舞踏団の団長だという男性は五十代ほどの男性で、昔は自分も劇団員だったらしく、体は引き締まり無駄な肉はなかった。
「わざわざありがとうございます。私たちのような弱小ラジオ局を指名していただいて。」
本心を確認するためにトムから眉をひそめられながら、ニコは自分たちを紹介したが、
「弱小なんてとんでもない!あなた方のラジオ局、特に『ラヂオな時間 -TWO WORLDS-』は私たちの国でも大変な人気なんですよ!」
団長が説明した。ニコたちの番組は独裁主義国圏では短波放送で楽しまれており、自由主義国の音楽や社会風刺、元気なトムと対照的なニコの閉鎖的なキャラクター性も相まって、独裁主義国の若者たちに大人気なのだという。
初めて聞く自分たちの人気ぶりにニコは、
「驚いたな。」
「まったくだよ。ニコも最初は暇つぶしの感覚で始めたんでしょ?」
とトムがつぶやく。
団長は続けた。
「ともかく時間が限られているので早速インタビューをさせます。ささ、どうぞこちらへ。」
インタビュー自体は思ったよりも簡単に終わってしまった。それぞれの団員は自由主義の空気が味わえるのは楽しいとか、違う国の文化に触れられて楽しかったとか、台本を棒読みしたような感想ばかりが続いた。おそらく出身国からインタビューを受けたら、こう答えるようにと言われているのだろう。
例外はメンバーの中で唯一の子供だったアナスタシアで、
「この街ではどんなファッションが流行っているの?」
「おいしい食べ物はどんなものがありますか?」
「私みたいな子供はどんな生活をしているの?」
「ニコさんとトムさんは相棒のようだけど、どうして二人はパートナーになったの?」
とニコたちを困らせる逆質問ばかりしてきて、正直インタビューにならなかった。
「元気いっぱいなのはいいことだよ。」
形式と型破りな応対ばかりが続いてすっかり疲れてしまったニコは、トムになだめられ、ホテルのカフェでドーナツをかじりながら小休憩をとっていた。
するとカフェの入り口に団長が現れ、店員にニコたちの所在を聞いて、ニコたちのいるテーブルにやってきた。
「これは団長さん。先ほどは多忙な中ありがとうございます。」
トムが丁寧にお礼を述べると、
「私たちこそ感謝しています。自分勝手と思われてもおかしくないインタビューをしていただいて。」
団長は感謝と謝罪の混ざった言葉を口にすると、ニコは、
「どうもあなた方の国では、外国でも自由な発言ができないようですね。」
「こらニコ。」
団長は恥ずかしそうに、
「いいんですよ。ニコさんの言われた通り、私たちの国では自由は考えてはいけない行為とされているのです。私自身あなた方に声をかけることを何度もためらいました。」
ニコが団長が自分たちに何かを頼みたがっていることを察して、
「私たちに何かお願いがあるようですね。」と言うと、
「ええ、実はあなた方にお願いしたいことがあります。」
「何ですか?」
トムが尋ねる。
「アナスタシアのことです。あの子に明日この街を案内してあげてほしいのです。」
ニコは首をかしげる。
「監視されている様子はなかったし、子供が出歩くのは別に悪いことではないと思いますが……。なるほど、私たちを指名したのはそれが狙いですね。」
トムが訳が分からず、
「どういうこと?」
と言うと、
「事情は分からないが、あの子に自由な一日を満喫してもらいたくて、自分たちの国で一番有名な自由主義国人の私たちに案内を頼んでいるんだよ。外国に不慣れな子供が楽しむには大人の付き添いが必要だ。それも信用が置ける人物となると限られてくる。」
団長は驚いた表情を浮かべたが、すぐに影を差した面持ちになり、
「お恥ずかしい話、そうなんです……。今度いつこのような国に来れるかわからないので、子供のアナスタシアには楽しい思い出を作ってほしいのです。ニコさんの言う通り、街を知り尽くしていて、私たちの国とも無縁な人間にしか、これは頼めません。無理は承知の上です。どうかお願いできませんか?」
さすがのトムもニコと顔を見合わせ、
「取材の一環とすれば、時間はとれるけど……。ニコは?体調持つかい?子供の相手って大変だよ。」
「今回の仕事で誓ったことは覚えている。」
ニコは団長に対して、
「いいでしょう。あの子の一生に残る思い出作りに協力します。」
翌日、約束した時間の五分前にエクスカリバーをホテルの前のタクシー乗り場の近くのロータリーに到着させたが、
「意外だね。」
何が?とトムの言葉にニコが反応した。
「だってそうじゃないか。体の負担になることは極力しないニコが子供の遊び相手になるなんて。」
「次いつ来れるかわからないんだ。協力しようって気分になるよ。それに、」
それに?
トムが先を促すと、
「……いやなんでもない。自分にしかわからない話だよ。」
トムはそれを聞いて、今は義足を外してあるため両足のないニコの陰のある顔で言いたいことを察した。
「おはようございます!ニコさん!トムさん!せっかくの休日なのでずいぶんおめかししてきました!似合うかな?」
白いブラウスに水色のスカート。首から雪の結晶をかたどったネックレスをさげたアナスタシアがやってきて、元気よくあいさつした。
「似合っているよ。そのネックレスは借り物かな?」
団長さんが貸してくれたんです。とアナスタシアはニコの質問に答える。
「団長さんの奥さんの形見だそうです。使ってもらった方が奥さんもネックレスも喜ぶだろうって。」
「なるほど。それじゃ早速出かけようか。どこへ行きたい?」
アナスタシアは片手をあごにあてて少し考え、
「この街でしか見られない風景が見たいです。」
ニコたちは現在世界で一番高い建造物であるビルにアナスタシアを案内することにした。
「このビルの展望台からの景色は絶景なんだ。」
ニコとトムはビルの入り口で大人二人、子供一人分の展望チケットを買うと、最上階の展望台へやってきた。
「うわあ……。」
展望台から見える景色は剣のようにいくつものビルが連なる風景だった。子供のアナスタシアには無機物すぎるかと思っていたがアナスタシアははしゃいでいた。
「こんな風景見たことない!人間ってこんなに建物が作れるんですね。」
ニコが笑顔で、
「いつかこういう街が普通にある世界がやってくるよ。」
「そうそう。こんな風景が当たり前に見れる時代は必ずやってくる。」
「そうですね。」
アナスタシアは初めて寂しそうな表情を見せた。
ビルから降りてきて、一同はお腹がすいたので昼食をとることにした。
結局三人で話し合って、ハンバーガーを食べることにした。
アナスタシアの故郷では「自由の象徴」として、まず食べられないからだ。
リバティー島と大陸を結ぶフリーダムタワー・ブリッジの近くの海を見晴らせるオープンレストランで三人は昼食をとることにした。
注文して十分もたたぬうちにハンバーガーとフライドポテト、コーラの入ったグラスがストローがさされた状態で運ばれてきた。
顔ほどの大きさがあるハンバーガーに驚いたのはアナスタシアで、
「おっきい…。食べられるかな。」
トムは楽しそうに、
「意外と食べられちゃうんだよ。でもあんまり勢いよく食べないように。のどにつっかえちゃうよ。」
「早速食べようか。」
ニコの言葉を最後に、三人はしばらく食事に没頭した。ハンバーガーはチーズと肉が絶妙な味わいを出していて、トマトソースとピクルスが飽きさせないアクセントになっていた。さすがにアナスタシアも行儀悪くハンバーガーを片手にポテトを口にしたり、コーラをストローからすすっていた。
ニコもすっかりアナスタシアに心を許したらしく、三人は笑顔で昼食を楽しんでいた。一行は出されたものをすべて平らげてレストランを出た。
再びリバティー島に戻ってきた一行は、腹ごなしもかねて、ショッピングをすることにした。
欲しいものがあったら、何でも買ってあげるよ。と言うトムだが、
「そんな……。いくらなんでもそこまではお願いできません。」
ニコが笑いながら、
「子供が遠慮しないで。好きなものを選ぶといい。いつこの国にまた来れるかわからないんだろう?」
この言葉でアナスタシアは決めたのか、
「それなら……。欲しいものがあります。」
「何だい?」
ニコがやさしげに尋ねると、
「蓄音機付きのラジオが欲しいんです。」
一同はニコの知り合いが経営しているという雑貨店にやってきた。雑貨店と言っても家電製品から高級筆記具まで山の手の街にふさわしい品ぞろえの店だった。店主は眼鏡をかけた長身の男性だった。
「やあニコ。久しぶりだね。」
突然店に現れた一行にも親しげに接する経営者の男はクラウスといい、先の大戦で運よく五体満足で帰ってこれたニコの戦友だった。
「クラウス。久しぶりだ。」
クラウスは目ざとくトムに寄り添い不安げな顔色をしたアナスタシアを見つけ、
「おやこんにちは。お嬢さん。買い物かな?」
アナスタシアはトムにぴったりくっついて一つこくんとうなずき、
「そうかそうか!この店にはいろいろ揃っているよ。ゆっくり見て行ってくれ!」
ますます心配そうな面持ちになったアナスタシアを見て、トムが、
「クラウス。もう少し声小さくしてくれないか。君の体で普通に声を出されるとみんな驚く。」
「悪いなトム。でもこれがうちの売りなんだよ。『でかい声で最新の商品をご紹介!』ってね。」
アナスタシアはとうとう吹き出してしまった。一同は大笑いした。
クラウスの店で蓄音機付きラジオを手に入れた一同は、クラウスにエクスカリバーへ荷物を積み込んでもらう間、話をする。
「なぜラジオが欲しかったんだ?」
いぶかるニコに対し、
「実はお二人の番組のファンなんです。」
とアナスタシアは話した。
「私たちの国では短波放送でお二人の番組を聞くのが最近の流行になっているんです。私は短波ラジオを持っていなかったので、録音機能の付いたラジオが欲しくて欲しくて。」
「なるほどね。この国が今一番ラジオを始めとする家電製品の質がいいからか。」
アナスタシアは恥ずかしげに、
「本当にありがとうございます。」
とお礼を言った。
時刻は夕方に近づき、まもなくアナスタシアの自由な一日が終わろうとしていた。最後に一同が決めた行先はフリーダムタワー・ブリッジだった。橋の近くの駐車場にエクスカリバーを停め、三人は歩いて海に沈む夕焼けが見える橋の歩道橋で一日の最後を過ごした。
「きれい……。」
アナスタシアから感嘆の声が静かに上がる。
夕日が一日の最後を彩るかのように赤く映えていた。海の輝きが光と乱反射し、この世のものとは思えない幻想的な風景を創り出していた。
「私もよくこの橋には来るけど、ここまできれいに夕日が見れるのは、今日が初めてだ。」
「まったくだよ。アナスタシアに神様が感謝して、この風景を見せたのかもしれないね。」
「えへへ。ありがとうございます。」
夕日は間もなく沈もうとしていた。
「さて、一日の最後にふさわしく、こんなものを持ってきた。」
「何を持ってきた?」
ニコが尋ねると、トムがショルダーバッグから一台のレンジ・ファインダー式のカメラを取り出した。すでに上部にストロボが取り付けられている。
「今の時間はマジックアワー。写真を撮るには絶好のチャンスだよ。みんなで記念写真を撮ろう。」
「いいですね!それ!」
「じゃあさっそく撮ろうか。」
歩道橋に伸縮式の三脚で立てたカメラをカウントダウンモードにして、あわててトムが二人のもとに駆け寄る。
「三、二、一、はいチーズ!」
カシャリと音を立てると同時にフラッシュが焚かれた。
楽しい一日はあっという間に終わり、舞踏団が宿泊しているホテルに戻ってきたときには、もう夕食時だった。あれほど一同を感嘆させた夕日はもう影も形もなく、夜闇が大都会の明かりに照らし出される時間だった。
ホテルの前にやってきたアナスタシアはニコたちにお礼を言った。
「ニコさん、トムさん、今日はありがとうございました。」
丁寧にお礼の言葉を言うアナスタシアに対し、ニコは、
「いや、お礼を言わなければならないのは私たちのほうだよ。楽しい一日だった。」
「その通り。君の元気いっぱいな様子を見て、私たちも随分楽しかった。」
アナスタシアはますます嬉しそうに、
「今日は人生で一番の思い出になりました!本当にありがとう!」
と元気よくお礼を言った。
トムはにこにこしてアナスタシアに今日撮影した夕日の写真を送付する住所を聞いていたが、ニコは硬い表情のまま、何かを覚悟したかのような面持ちだった。
それから一週間後、舞踏団は帰国した。写真はすぐには送らず、アナスタシアが母国に帰還したとき、手に入れられるようにスケジュールを調整して、その三日後に郵送した。
「アナスタシア、喜んでくれるかな。」
「たぶんな。」
そんな会話を交わしているのはエクスカリバーを運転してラジオ局に向かうニコとトムだった。だがトムは、
「それにしてもどうしたんだ。ニコ。アナスタシアと別れてから、少し落ち込んでいるようだけど。」
「そんなことはない。」
「まさか九歳の女の子に惚れていたわけじゃないよね?」
「馬鹿を言うな。」
「ともかく今日も仕事だ。頑張ってアナスタシアに放送を届けないと。」
二人がラジオ局に入ると受付係のジェニファーが二人に小包が届いていると言った。
「かなり大きいですよ。差出人はお二人が十日ほど前に取材した舞踏団からだそうです。」
ジェニファーはかなり大きい小包をトムに渡し、二人は無人の会議室で開けることにした。
入っていたのはアナスタシアにプレゼントしたはずの、最新式の蓄音機付きラジオだった。そして深紅のブローチケースが一つ。ブローチケースを開けてみるとアナスタシアが自分たちと自由な一日を過ごした時につけていた雪の結晶のネックレスだった。
「……どういうこと?」
訝るトムに対し、ニコが、
「手紙がある。読んでみるといい。」
何かを覚悟した様子のニコはそれだけ言って手紙を差し出した。
トムが手紙を読み始める。
手紙の差出人は舞踏団の団長だった。
「ニコさんとトムさんへ。
アナスタシアに自由な一日を一生の思い出に作ってくれたお二人へ。
あなた方がこの手紙を読むころにはアナスタシアは亡くなり、葬儀の最中でしょう。実はもうあの子には時間がなかったのです。
私たちの国ではスポーツ選手にドーピングをする文化があり、舞踏団も例外ではありません。子供のアナスタシアにも厳しいスポーツの世界を勝ち抜くため、劇薬が投与されることが繰り返されてきました。
しかし、大人の私たちはともかく、子供のアナスタシアには薬剤の負荷が強すぎて、あなた方と会う直前に母国でアナスタシアはもう長くないと主治医から私たちは宣告されていたのです。あなた方はそれまで放っておいた私たちを非難するでしょう。しかし私たちの国では国の行うことにノーを言うことは許されません。私たちはアナスタシアを追い詰めてしまった罪悪感とどうしようもない絶望感に苛まれていました。
もはや長く生きられないアナスタシアに、私たちができたことは残りの時間を自由に過ごしてもらうことしかありませんでした。そこでちょうどニコさん達の国を訪問できる今回の親善舞踏会を利用して、アナスタシアに自由を楽しんでもらおうと団員全員で協力して、私たちの国でも名が通っているニコさん達に無理を言って協力してもらうためにあなた方のラジオ局の取材のみを受け付けたのです。
本来ならこのことは話してはならない国の暗部でしたが、子供まで犠牲にするこの国に耐えられず、今回の事態をお二人に知らせることにしたのです。一同を代表し、お礼を申し上げます。ニコさん。トムさん。アナスタシアのために本当にありがとうございます。
追伸
これも書くべきか悩みましたが、知っておいてもらいたいことがあります。アナスタシアは自分の寿命が迫っていることは知りません。彼女は母国に帰ってからもお二人からもらったラジオで放送を聞き、夜、次の朝を迎えられると信じて亡くなりました。このラジオはもともとお二人が買ってくださったものなのでお返しします。同封したネックレスは今回わがままを聞いてくださったお礼であり、アナスタシアのような子を出さないために、あの子のことを覚えていてもらいたくて同封しました。どうか大切に使ってください。
最後まで読んでくださり感謝します。」
トムが読み終えた後、二人ともしばらく無言のままだった。
「ひどいよ。」
トムが言った。
「ああ、ひどいな。だが、アナスタシアはたぶん全て知っていたと思うぞ。」
「どういう意味?」
「アナスタシアが最後に言ったろ。今日は人生で一番の思い出になりました、だなんて。およそ九歳の女の子が言う言葉じゃない。たぶん団長やほかの団員たちが隠していたことも承知していたんだろう。そうでなければあんな自分の人生を悔いなく生きれたような老人の言葉は発しない。」
トムは衝撃にかられたような表情で、よろよろと椅子に座り、
「ほかに何かできることはなかったのか。あまりにもむごすぎる。」
ニコはいたわるように、
「別の世界には別の現実がある。どのみち私たちがあれ以上のことをしてもアナスタシアの寿命が延びることはなかっただろう。私たちにできることはほかになかったんだ。」
数時間後、収録スタジオには蓄音機付きラジオが置かれ、首から雪の結晶のネックレスをかけたトムが元気のない様子だったが、ニコが、
「元気よく行こうっていうのが口癖だろう?アナスタシアの分まで私たちは生きないと。」
そうトムを励ます。
トムはまだうなだれた様子だったが、懐から一枚の写真を取り出し、
「そうだな。そうしよう。」
と写真の人物に語るように自分を鼓舞した。
写真には、夕日を背景に幸せな様子でほほ笑む少女と二人の男性が写っていた。
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