第4話 「三人のドレスの女」

 その日、ニコ(ニコラス)は朝からカフェにいた。

 今日は仕事は休みの日。

 ここまでエクスカリバー(注:高級四輪駆動車のブランド名)を運転してきたトムとは、夕方ここで落ち合うことになり、一度二人は別れて、休日を満喫することになった。

 今日のニコの休暇はカフェでコーヒーをゆっくり楽しむことである。

 昼食はこの店でベーコンエッグでも食べようか、と思っていると、カフェの入り口でざわめきが起き始めた。

 何かあったのかと視線を向けてみると、見事な赤いドレスを着た若い女性が入ってきていた。美貌もすばらしいもので、カフェの客は全員見とれてしまった。

 だがニコだけは一瞥しただけで、興味がメニューのランチに移ってしまったらしい。何をこれから食べようかと思っていると、テーブルの対面に例の赤いドレスの女性が腰を下ろしていた。

 「不思議な人ですね。」

 赤いドレスの女性は言う。

 「不思議って、何がです?」

 ニコは質問の意味が分からず、ドレスの女性に問いかける。ドレスの女性は真っ白な歯を見せながら、

 「だってそうじゃないですか。こんなに見事な姿の私を見ても他のお客さんみたいに、私に興味を見せない。普通美人を見たら男は見とれるか、女は嫉妬するでしょ?」

 ニコは意味が分からないという表情で、

 「あいにく今の私の興味は今日のランチなんだ。」と言う。

 冷たいのね、と女性はささやくように言った。

 ニコは尋ねる。

 「いったいどうしてパーティーでしか着ないドレスなんか着て、街を歩いている?」

 女性は待ってましたと言わんばかりに、

 「私は自分の美貌を周囲に見せたいの。赤いドレスは私の美しさを引き立たせてくれるのよ。」

 「それでドレスを着るのか。よくわからないな。」

 「服装の自由は誰にでもあるわ。どうしようがその人の好みよ。」

 女性は尋ねる。

 「あなたこそ、若いのに杖をついているわ。それってある意味風変りよ。それだって自由でしょう?」

 赤いドレスの女性が去った後、ランチにベーコンエッグを食べていると、今度は通りに人だかりができているのをニコは見た。カフェの客たちも何事かと窓際に寄って来る。

 どうやら撮影隊らしい。

 大型のバズーカ砲を思わせるカメラを手にしているカメラマンがいたからだ。

 撮影は一時休憩となったらしく、カメラマン達や被写体となっていた人物もカフェにやってくる。

 濃紺のドレスを着た女性とカメラクルーだった。さすが被写体になっているだけあり、その女性は周囲が驚く美貌を持っていた。客と店員の間からため息が思わず漏れていた。

 だが、ニコは食べ始めたばかりのベーコンエッグに夢中で、たいして興味を示さない。女性にも見向きもしなかった。

 だが、女性の方があら、と言うような表情をして、次に嬉しそうにニコのテーブル席へやってきた。

 「ニコさんじゃないですか。会えてうれしいです。」

 ニコは怪訝な表情を浮かべて、

 「どなたかな。少なくとも自分のニックネームで呼ばれるほどの付き合いがある人物ではないと思うが。」

 女性は迷惑そうなニコに構わず、

 「ニコさんのラジオ局の深夜番組で朗読番組を担当しているんですよ。普段会わないのも無理はありません。」

 ニコはナイフとフォークを置き、

 「それは失礼。私はそのころには帰っているからね。で、何で街角で撮影なんかしているんだ?」

 女性は待ってましたと言わんばかりに、

 「濃紺のドレスの似合う人をモデルにして撮影する企画があるの。それで私が最も似合う人物として選ばれたの。」

 「まあ確かに似合っているね。」

 ニコは早くベーコンエッグを食べたい気分を出さないようにしながら、

 「それにしても、どうしてあなたが濃紺のドレスが一番似合うとされたんだ?何か基準があるのか?」

 独裁主義国みたいなことを言うのね、と女性はがっかりしたような口調でつぶやき、

 「似合う似合わないなんて関係ないわ。好きな服を着ていたら選ばれたってだけ。好きなことをしていれば自然と楽しめるのよ。」

 「楽しみで着ているってわけだ。仕事という感覚ではないわけか。」

 女性はようやく納得した答えを得られたというような表情で、

 「そのとおり。みんな服装の自由があるの。それをみんなが工夫して楽しむ。それこそが自由なのよ。」

 夕方になり、もうじきエクスカリバーで好きなフライドチキンとドライブを満喫したトムが戻ってくる頃、ニコは紅茶を飲んでいた。

 フライドチキンの残りを食べられたらいいな、と思いつつ、休日の最後の時間を楽しんでいると、また店内がざわめき始めた。

 一体今度は何事か、とニコは今度こそはっきりざわめきの対象になっている人物を見た。

 思わず、紅茶をこぼしそうになった。

 入り口にいたのは七十代の老女だった。

 しかし、背筋はしゃんとしていて、表情も若者のように生き生きとしていた。遠くてよくわからないがほとんどノーメイクなのだろう。驚くべきことはそれではなく、彼女が来ているドレスだった。

 老女はピンクのドレスを着ていた。チューブトップと呼ばれるタイプのドレスだ。

 老女は楽しそうな笑みを浮かべながら、カウンターでコーヒーを注文していた。

 さすがに今回ばかりはニコは声をかけることにした。

 「失礼。」

 ニコは老女に声をかけた。

 老女はどうしたのかという表情で、

 「どうしましたか?」と聞いてきた。

 ニコは困惑した表情で、

 「失礼だったら謝りますが、そのドレス……」

 「ああ、これね。」

 老女はニコが気にする理由を察し、

 「今日、女学校の同窓会があったの。それで若い頃みたいにはしゃごうと思って、こういうのを着てみたの。」

 自分でも似合わないと思っているわ、と老女は自嘲気味にささやく。

 「でもね。」老女は続ける。

 「時には周りの目も気にせず、おしゃれを楽しみたいのは自然な欲求よ。そういう気持ちはどんなに年を重ねても持っていた方がいいの。」

 ニコはよくわからないという表情で老女に対し、

 「それが自由と言うのですか?」と言う。

 老女は優しげな表情で、

 「あなたと同じ頃は私も疑問を持っていたわ。でもいつか私のような人のことがわかるわ。」

 ニコは杖を握り直して、

 「そんなものでしょうか。」と不思議そうに言う。

 老女は相変わらず優しそうに微笑み、

 「自由は人それぞれなの。それは結局自分で決めて、満足するものなの。」

 空が夕闇に覆われた頃、エクスカリバーのいななきが通りから伝わってきた。

 すぐに車から降りたトムがカフェに入ってくる。

 「ごめんごめん。食べ歩きしていたら遅くなっちゃった。」

 ニコは特に責めず、

 「いいんだよ。少しぐらい。」と言う。

 さらにニコは続けて、

 「それにしても、どう表現していいのかわからない一日だったな。」

 どういう意味?何かあったの?と怪訝そうな顔をして、トムが問いかけると、

 「いや、なに、いろんな人の生き方を見たからだよ。」

 トムはそれ以上言わないニコを立たせて、カフェを後にした。



























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