第2話 「どっちつかずの人たち」
まだ肌寒さが残る春の朝だった。常時、煌々と明かりを照らし、その存在を誇示する電光掲示板の類を除けば、人の営みは感じられない大都会。その街中を一台のエクスカリバー(注、高級四輪駆動車のブランド名)が走っていた。今の時間、住宅街なら、騒音の苦情が来ているエンジン音だった。
「今日のゲストの方、この街に来るのに二日かかったんだってね。」
運転席でハンドルを握る二十代半ばの青年が言った。
「田舎者扱いは止めたほうがいい。私たちだって初めてこの街に来た頃は、右も左もわからなかった。」
そう言うのは助手席に座る三十代前半の男性だった。端正な顔立ちをしているが、その眼差しにはこの世の不条理を眺めてきたような老成した輝きがある。
運転席の青年が続ける。
「別に馬鹿にしているわけじゃないよ。ただどんな人かと思っただけ。」
助手席の男性は、
「まあ変わった人はそれはそれでいい。どんな人か楽しみも膨らむしな。」と言った。
四十分ほどのドライブの後、到着したのはラジオ局だった。最低でも十五階はあるだろう建物の屋上には、巨大な電波塔が立っている。エクスカリバーはラジオ局の駐車場に停車すると、運転していた青年がまず運転席から、ドアを開けて降りた。そして後部座席のドアを開け、車の後ろの座席から必要なものを取り出した。
義足と杖だった。
今度は助手席のドアを開け、青年は座っていた男性に降りる準備をするよう促した。
男性は両足がなかった。
正確には右足は太ももの部分から、左足は足首から下の部分がなかった。
青年はこれが自分の仕事と言わんばかりに、慣れた手つきで男性の両足に義足をはめると杖を渡した。
「相変わらず手早いな。」男性が感心したように言った。
青年は微笑を浮かべて、男性の手を握り、助手席から立たせた。
ラジオ局に入ると二人はまず受付に向かった。高級ホテルのロビーのような内装のフロアで、自分たちの出社を告げる。
入館者名簿を見てみると、車内で話題にしていたゲストの名前が見つかった。
青年が驚いて言った。
「早いね。もう来ているんだ。」
男性は特に驚かず、
「過疎地域からわざわざ来たんだ。都会の時間感覚がわからないのも無理はない。」と言った。
受付で二人は紐付きのパスカードを受け取り、首にかけ、社内の奥に入っていく。収録スタジオのあるフロアの一階下の会議室に、件のゲストが待っていることは受付で聞いている。青年が会議室のドアをノックし、「失礼します。」と言い、二人は会議室に入った。
会議室で座っていたのは初老の男性だった。釣りに赴くような人が着るポケットがたくさん付いた深緑のベストを着ており、テーブルの上には外で頭に巻くらしいバンダナが丁寧に折りたたまれて置かれていた。
男性は慌てた様子で立ち上がり、「おはようございます。連絡をしたものです。」と挨拶をした。
青年が微笑を浮かべながら自分たちの自己紹介をした。
「おはようございます。わざわざ遠いところからおいでいただき感謝します。私はトム。こっちの年配の方はニコラス。ニコと呼んでくれて構いません。」
ニコと呼ばれた男性は少し困惑した表情を浮かべながら、
「年配と呼んでおいて、通り名で呼んでほしいというのはどうかと思うが。ともかく初めまして。今日のあなたへのインタビューを行うのは私たちです。」
老人は恐縮したように、「わざわざご丁寧に…。こちらこそよろしくお願いします。」
ニコが言った。
「それでは収録スタジオへ。」
「ラジオ放送をお楽しみの皆様、当チャンネル一番人気の番組、『ラヂオな時間 –TWO WORLDS』にようこそ!この番組は自由主義国も独裁主義国も関係なく、世界中の人々の生きざまを紹介する番組です。司会は私ニコラスことニコと、」
「助手のトムでお送りします!」
「それでは今回のテーマ、視聴者の『あなたはあなたさん』より疑問が投稿された『自給自足の生活が人間らしい生き方なのでは?』という質問に答えていただくために、今日は自給自足の生活を行っているゲストの方をお呼びしております。」
「ゲストはこの国の中西部に住むレーゲルさんです。レーゲルさん、よろしくお願いします。」
「はい。おはようございます。よろしくお願いします。」
「レーゲルさんにインタビューを始める前に質問があります。レーゲルさんは元をただせば移民だったそうですね。」
「そうです。三十年ほど前に独裁主義国から移住しました。」
「生まれた国についてはプライバシーなので質問はしません。ただ、相当ひどい生活を送ったことがあるそうですね。」
「はい。支配者の一族が富を独占する社会でした。私や他の二百名ほどの町民たちが、そんな社会に耐えられず、この国に移住を決断したんです。」
「相当苦しい時代を送ったのですね。さて、ここからが質問ですが、レーゲルさんの自給自足生活はどのようなものなのでしょう。やはり、毎日国に縛られることなく自由な日々を過ごせているのですか?」
「いえ、私たちの生活は失敗しました。」
「……失敗した?」
「どういうことですか?」
「順を追ってお話しします。私たちのような人がこれ以上出てしまわないために。」
「私たちは母国での独裁政治に嫌気がさしてこの国に移民してきたときには、自給自足なんてするつもりはなかったんです。資本主義の恩恵を受けて、仕事で成功し、お金持ちになり、そうすれば幸せになれると信じていました。私のみならず、一緒に移住した二百人全員が都会で生活しようとしたのです。」
「ところが都会での生活はうまくいきませんでした。私たちが母国で培ってきた才能は生き馬の目を抜く都市での生活に何ら役に立たなかったのです。通用する技能もない私たちは日雇いの仕事を続ける毎日、賃金はわずかで、暮らしもギリギリでした。」
「そんな生活に飽き飽きしていた私はある日みんなに遂に言ってしまったんです。『お金や政治に縛られる生活を送るのはもうやめよう。』と。これが悲劇の始まりでした。」
「私の意見に賛同した二百人全員が誰もいないこの国の中西部の土地をわずかな財産を集めて買い、そこで自給自足の生活を送ることにしたのです。その時は私たちはこれで幸せな生活が送れると思っていました。その時はですがね、」
「何か問題が起きたのですか?」
「初めから問題だらけでした。それまで農業も狩りもしたことのない人々がいきなり自然の中で生活しだしたのですから。畑を耕そうにもその方法がわからない、何とか調べて行っても農薬がないからほとんど収穫はほとんどゼロです。狩りをしようにも猟銃もトラばさみのような罠も持っていない。ウサギすら狩れない日々が続きました。仕方なく町から物資を調達してなんとか生活はできるようになりましたが、ほとんどの人たちがつらい食糧確保に耐えられず、自然の中での生活をあきらめて町へ逃げ出してしまうことが多発しました。」
「望んだ生活は実現できなかったと。」
「その通りです。医者もいないから急病人の対処もできない、それで多くの人が命を落としました。学校もないため子供に満足な教育もできず、ゆとりがあると思っていた生活は毎日食べ物を得ることで一日が終わってしまう、時には食べ物を盗む者が出ても、警察がないから結局犯人は見つからなかったということもありました。」
「……」
「……」
「私たちはそこでようやく気付いたのですよ。国というものにどれだけ多くの庇護を受けて平和に暮らせていたのかが。お金にも政治にも支配されず生きることが幸せにつながるわけではありません。結局は人間は社会の助けがなければ生きていけない。社会との接点をすべて失くした私たちには安定した生活などできなかったのですよ。今では私しか自給自足の生活を送る人はいません。他の人たちは耐えられずに出て行ってしまいました。私も先は長くない。もう本格的な自給自足をするような人は現れないでしょう。」
「わかりました。それではここでレーゲルさんが好きな曲だというクラシック音楽を、」
そして音楽が流れた。人の心に安らぎをもたらすような優しい管弦楽器の奏でる曲が過去の過ちを弁護するかのようだった。
「いい曲ですね。」
「この曲を唯一の財産だった蓄音機を使って聞くのがつらい毎日の楽しみでした。この曲は私の母国の数少ない自慢できるものだったのですが、この曲を聴くたびに思うんです。」
「もっといい選択肢はあったのではないか。誰もが幸せになれる方法はほかにもあったのではないか、私にはわからないことだらけです。でもはっきり言えることは、私は亡くなった後、生まれ変わるということはしたくない。」
収録が終わり、国の中西部に帰るレーゲルをニコとトムは見送ることになった。
「ニコさん。トムさん。今日はありがとうございました。」
トムは言った。
「こちらこそ貴重なお話をしていただきありがとうございます。」
ニコは言った。
「レーゲルさん。道中気をつけて。それで最後に聞きたいことがあります。」
レーゲルは首をかしげる。
「何ですか?」
ニコが発したのは予想もしなかった言葉だった。
「この街で老後を送りませんか?」
トムとレーゲルの表情に驚愕の色が広がった。
「確かに都会での生活はあなたにはあわないかもしれない。でもあなたのお歳で自分一人で生活するとなると無理があります。人はみな不平不満があっても、助け合いながら生きているんです。あなたもまだ」
間に合う。とニコは言おうとしたようだが、レーゲルは手で遮る。
「お気持ちはうれしいです。でも私にはあの自然の中で不自由はあっても暮らすことが性に合っているんです。私はこの生活を続けようと思います。」
「そうですか…。」
「そんなに悲観しないでください。私はまだまだ生きるつもりですよ。」
「そうですね。生きることはそれ自体が幸せなことです。」
「それでは私はそろそろお暇しますよ。では。」
微笑を浮かべて、レーゲルは駅がある方へ歩いて行った。
その日の仕事がすべて終わり、退社したニコとトムは夜の街をエクスカリバーに乗って駆けていた。
トムが助手席に座るニコに言った。
「ねえ、ニコ。」
ニコが眠たそうに声を出す。
「ん?」
トムが子供のいたずらを見つけたような調子で話を続ける。
「レーゲルさんの生活、内心ではうらやましく思っていたんじゃない?」
ニコは迷惑そうな表情で言った。
「どうしてそう思う?」
トムは悟りきったような表情で、
「義足のニコには自給自足なんて究極の憧れじゃないか。自分の足で立って生活をする。普通の人には当たり前にできることが、ニコにはできない。」
「勘違いするなよ。」
ニコが続ける。
「レーゲルさんの言った通り、自給自足なんて無理な話なんだ。たとえ私に両足があったとしてもしたいとは思わない。」
「じゃあどういう生活が好みなのさ。」
ニコはこれが答えだといわんばかりの口調で、
「それを探すことが生きることなのさ。」
と話を締めくくった。
トムはわかっているのかわからないのか、釈然としない表情で聞き流したようだった。
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