第37話 一年生 晩暑

「<舞姫>、参る!」


 紗江の声に応えて、<舞姫>が吼えた。


 ただそれだけで、客船の前半分を覆うほどの巨大な事象干渉領域ステージが球形に幕開かれ、二騎の汎用甲冑を呑み込む。


 相手も甲冑を動かせる以上、それなりの魔道を誇る益荒男ますらおなのだろう。


 だが、彼らが抗うように開いた事象干渉領域ステージは、<舞姫>の家紋を中心にしたそれに押されて、瞬く間に割り砕かれた。


 事象干渉領域ステージの中に精霊光オーディエンスが無数に浮かび、色とりどりの輝きを添える。


 大太鼓が打たれ、ほら貝の鳴音がひとつ。


 まるでそこだけが切り取られたように、事象干渉領域ステージ内の景色が石舞台へと変わった。

 

 琵琶が掻き鳴らされて、<舞姫>は両手を左右に。


 肩楯から戦扇が射出されてその手に収まる。


 突風巻立て左右のそれを開き、胸の前で掲げる。


 精霊光が白一色に染まり、左右に割れて、花道を作る。


 ――それは手を差し伸べる誰か……


 <舞姫>が、ゆらりと踏み出す。


 ――それは抗おうとする祈り……


 傾いだ甲板が踏み砕かれ、一気に加速。



 巻き立てられた風がビリビリと客室棟の窓を震わせる。


 二騎の<足軽丙型>が、迎え撃とうと槍を突き出す。


 ――それは嘆きを打ち砕く、ただひとつの心……


『――天恵先輩をぉ……』


 真っ向から左右の戦扇と槍がぶつかり、太刀打ちを駆け上がって火花が周囲を照らし出す。扇は管留で跳ねて、両手を挙げた<舞姫>が<足軽丙型>の背後に駆け抜ける。


『――泣かせんなぁッ!』


 旋回。


 激風が渦巻き、客室棟の窓が割れ砕かれた。


輝けうたえッ! <伝承宝珠アーク・セプター>ッ!!』

 

 紗江の叫びに応えるかのように、

『ア――ッ!』

 <舞姫>が単音からなる原初の唄を歌い上げ、その両手を振り下ろす。


 <足軽丙型>二騎は振り返ろうと半歩引いた所で、その頭部が打ち砕かれた。


 耳をつんざく金属音。


 まばゆいばかりの火花が散って、頭部を潰された<足軽丙型>が崩れ落ちる。


 太鼓がひとつ鳴り響き、締めのように琵琶が一節掻き鳴らされた。


 そして、事象干渉領域ステージが幕閉じる。


 いまだ吹き残る風の中、長い赤毛をなびかせた紅葉もみじが、ブタを押さえつけて手を振ってるのが見えた。


 護衛の男達も、らんが倒したようだ。


 狭い鞍上で、紗江は嘆息する。


「――おばあちゃん、後始末、頼んだよ」





 パーティ会場となったホールで、山城親子を床に跪かせた静江は、持ってこさせた椅子に座って、煙管を燻らせていた。


 先程まで戦闘が行われていた事もあって、招待客達もまた集まり、なにが行われるのか、興味深げに見守っている。


 いまだハリの衰えを見せない白い脚を組みかえ、肥えた親子を見下ろす静江は、女王様の風格だ。


「さて、やってくれたねぇ。侯爵閣下」


 婉然と微笑み、紫煙を二人に吹きかける。


「ブタへのしつけが足りなかったのかねぇ」


 煙管の火皿をくいっと上げれば、山城父こと兼平かねひらが額を押さえて仰け反る。


 喉を鳴らして笑う静江。


「貴様ぁ! ウチは侯爵家だぞ! こんな事して赦されると思うなよ!」


 息子の兼好かねよしが喚き散らす。


 静江は脇に控えた紅葉を見上げる。


「お仕置きが足りなかったようですわね。もうちょっと痛めつけて差し上げるべきでしたわ」


 澄まし顔で紅葉は答えた。


 紗江と蘭は、兼好の護衛達の監視の為に、いまだに甲板だ。紅葉だけが後始末の為に、兼好を引っ張ってここまで来ていた。


 静江はフっと笑って、煙管を一服。


「まず、ひとつ言っとくとね、今回のこの婚約は無効だよ」


「はあ? おまえごときが勝手にそんな事を決められるものか!」


 兼好は叫んで立ち上がろうとしたが、静江が指を鳴らして事象干渉領域ステージを開き、その手足を拘束する。


「毎年、あんたらみたいに、力ある撫子や益荒男ますらおの血と力を求めて、青田買いする華族が多くてね。

 本人が納得してんなら、問題ないんだが、中にはあんたらみたいな下衆もいる。公国では……いや、帝国議会でも問題になってたんだ」


 そこで静江は言葉を区切り、呆れたようにブタ二匹を見下ろす。


「あんたらも帝国議会に貴族院の席を持つ華族だろうに、なんで公国法に目を向けてないのかねぇ」


 首を振って蔑む静江。


「侯爵閣下。あんたがウチの孫を嫁に寄越せ、なんてフザけた事抜かすもんだからね。今年の領主議会で法案提出させてもらったのさ」


 ポーチから折り畳んだコピー用紙を出して、二人に広げて見せる。


 それは可決済み法案の写しで、『益荒男及び撫子学校在学中の学生への、本人の同意なしの婚約、婚姻の禁止』を謳うものだった。


 ――施行日は七月十八日


 夏休みが始まる前には施行されていたのである。


「あんだけの騒ぎの中で、当人が死ぬ覚悟で拒否して見せたんだ。それでも『本人の同意があった』なんて抜かしゃしないよね?」


 静江の笑みが濃くなる。


「――となると、子ブタぁ、あんたは同意のない、ただの女学生に暴行を働こうとしたクズって事になるね?

 見たよ。天恵の手につけてた腕輪。ありゃご禁制の封喚器だね?

 さっき、警察に通報しておいた。もうじき到着するだろうさ。ブタはブタらしく、ブタ箱に入るんだね」


 自分で上手いこと言えたと思ったのか、静江はケタケタと笑った。


 兼好の顔が真っ青になる。


「ああ、あと侯爵閣下」


「ま、まだあるのか?」


 兼平が怯えた顔で静江を見上げる。


「この船のオーナー……隠桐よぎりがあんたらに損害賠償請求するそうだよ。

 被害見積もりが楽しみだねぇ」


 隠桐家は絹の実家である。明治の終わりに紡績で工業技術のノウハウを積んだの家は、いまや造船業界の雄となっている。


 帰宅部が壊した分だけ賠償請求し、日頃から悩まされている公家華族に煮え湯を呑ませられるのだから、隠桐も喜んでこの計画に乗ってくれて、婚約パーティに客船を利用するよう、山城に持ちかけてくれたのだ。


 崩れ落ちる二頭のブタを見下ろし、高らかに笑う静江を見て、その場に居合わせた者達は同様に思った。


 ――やはり穂月は敵に回すべきではない、と。





 大型客船が進路を上洲港へ向けた頃、警察のヘリがやってきて、山城親子を連行していく。


 それを乗客達は様々な噂をもって見送り、やがて夜も更けてきた為、係員に案内されて、無事な客室へと帰っていく。


 そんな一幕のあった後部甲板に、帰宅部の浮船は横付けし、はしけを渡して天恵を降ろした。


「――天恵っ!」


 駆け寄ってくる父に、天恵は思わず身を固くする。


 紗江と咲良が天恵の前に庇うように進み出るが、彼は二人を押し退けて、天恵を抱きしめた。


「天恵っ! ああ、天恵っ! 無事で良かった。本当に。本当に良かった……」


 あの父が、人目もはばからず泣いていた。


「……お、父様?」


 戸惑い、周囲を見回す天恵に、静江が進み出て、柔らかな笑顔で告げた。


「だから言ったろう? 私だけじゃ、状況は変えられないってさ」


 本当に彼女は――天恵の知らなかった事さえも把握していたのだろう。


「姉の背を追うのもいいが……あんたはもうちょっと、周りに目を向けるべきだったね」


 静江の言葉に、天恵は父を、後輩達を見回す。


(――みんな、私を心配してくれてたんだ)


 涙が溢れてきた。


「親父ともしっかり話してみるんだね。人ってのはね、変わるもんなのさ」


 静江はポンと、優しく天恵の頭を叩き、後輩達の元へ向かう。


「ほら、あんた達! こっからは親子の時間だ! 撤収だよ、撤収! 明日も学校あるんだろう」


 パンパン手を叩きながら、後輩達を浮舟に引き上げさせ、自らも艀を渡っていく。


「――穂月女伯!」


 そんな静江を父が呼び止め、


「……このたびは、お手数をおかけしました」


 頭を下げた。


「いいよ。あんたの娘には姉妹両方に、孫が世話になってるからね。借りを返しただけさ」


 静江は、ひらひらと手を振って船室へと降りていった。


 父が頭をあげて、天恵を見る。


「……天恵も、本当に済まなかったな」


 再び抱きしめられ、天恵は自然とそれを受け入れる事ができた。


 抱きしめ返す。


「お父様、私は……私は――」


 ――優しくしてほしかった。


 ――娘として見てほしかった。


 ――もっと褒めてほしかった。


 様々な想いが溢れてくるが、それらは喉が詰まったかのように言葉にならない。代わりというように、涙がとめどなく溢れてきて、嗚咽がどこまでも溢れ出た。


 夜風が優しく吹いて、綺麗な満月が、二人を見下ろしていた。





 客室棟の展望デッキの窓際で、一条洸司は後部デッキで抱擁を交わす親子を冷笑で見下ろしていた。


「……茶番だな」


 鼻を鳴らして呟く。


 手にしたグラスの中で、氷が小さく鳴った。


 思い出すのは先程の事。


 この場へ向かう洸司に、通りかかった穂月静江が微笑みと共に告げた言葉だ。


『今回はあたしらの勝ちだね。あんまりおイタしてると、火傷するよ』


 すれ違いざまに放たれた言葉に、洸司は笑顔を貼り付け、素知らぬ振りを通した。


「役立たずを切り捨てただけだ。手はまだある」


 ブランデーを一気にあおり、去っていく帰宅部の浮舟を見据えた。


「僕は諦めないぞ」


 呟く洸司の背後で、控えた一条家の女中が深々と頭を下げた。


 にやりとした笑みを湛えて。

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