第27話 一年生 初夏

 六月も半ばになったある日、

(……本格的な活動とはいったい……)

 紗江は机に頬杖を突きながら、内心で呟いた。


 天恵あめが言うには、今年の上洲異界ラビリンスの活動期は例年ほどの規模ではないらしい。


 一日に保護される帰宅困難者も一、二組程度で、その内容も、うっかり帰還予定時間を経過してしまっただとか、うっかり魔物に腕章を傷つけられたなどといった、危険性の少ないものばかり。


 中層入り口で天恵が甲冑で待機している為か、無知ゆえに強引に中層に踏み込む一年生も居ない。


 ごくまれに上層の深部で魔物の集団に囲まれてしまう生徒も居たが、ほとんどが狼型をナメた結果に発生する事態で、巡回中の絹班が駆けつければ対処できるものだった。


 ――巡回班を絹君班と咲良君班で交代制にすべきか。

 というのは、天恵先輩の言。そのくらい帰宅部にとって現状は余裕のあるものだった。


(ま、困る人が少ないのが一番なんだけどねー)


 当初は意気込んでいた紗江だったが、現状にはそれなりに満足している。帰宅部が忙しいという事は、それだけ危機に陥ってる人が多いという事だから。


「――そこで、女帝アメリア二世の命を受けて来訪した、勇者ジェロニモを出迎えたのが、当時二代目央洲おうす魔王を賜っていた望月央洲守おうすのかみ長秀公で――」


 今日も片辺先生の催眠授業は絶好調だ。


 まるで寄せる波のように、前列から徐々に眠りに落ちていく。


 窓の外は梅雨の所為か曇り模様で、今にも降り出しそうに渦巻いた灰色をしていた。


 頂を雲に覆われた海尖山から流れ出た滝が、穂月屋敷の裏山に降り落ちるのも、この季節特有の光景だ。


「――を戦い抜き、意気投合した二人は義兄弟の契りを結び、これを契機に三洲山とアメリア精霊帝国の交流は加速していく事になるのだが――」


 片辺先生の言葉をよそに、振動したスマホをスカートから取り出して覗いて見れば、祖母からの伝文メールに添付されて、白猫合羽とセットの黒猫の顔の描かれた傘を差して踊っている結愛ゆめの写真。


(あら、可愛い)


 裏山に降り注ぐ滝のその飛沫が、雨となって屋敷にも降っているのだろう。雨の中で踊る結愛は楽しそうだ。思わず頬が緩んでしまう。


(今度、お姉ちゃんにも直接見せてね、と)


 結愛宛の返事を書いて送り、スマホを戻して教科書に視線を戻す。


 場面はちょうど、親密になっていく望月長秀公とジェロニモに、下洲魔王須波すなみ雄善ゆうぜん公が疎外感と勘違いから兵を蜂起させ、三洲山みすやま南海内戦に発達していくというところで。


 シロカダ様に「その沼はまだ早い!」と言われている為、紗江は詳しくは知らないのだが、世の中の一部の女子は、この場面のシチュエーションが非常にクるものらしい。

 現にそれまでウトウトしていた級友達の何人かが、この話題になった途端、爛々と目を輝かせはじめた。


「紗江ちゃん、紗江ちゃん」


 小声で呼ばれて視線を向けると、らんもまた珍しくしっかりと起きていて。


(ははぁん、こやつもさては――)


 その道の女子か? そうなんだな?

 大丈夫。わたしはその方面、詳しくはないけど理解はあるぞ、などと。


 勝手に脳内で話を進めようとした紗江に、蘭は教科書を向けて、資料写真の一部を指差す。


 当時に描かれた絵巻物語のひとつで、浮船に乗ってやって来た勇者ジェロニモの一団を描いたものだ。

 蘭が指すのはジェロニモのすぐ後ろに立つ、獣属じゅうぞくの闘士の絵で。


「これ、ウチのご先祖様らしいよ」


「――はあっ!?」


「どうしたのかね、穂月君」


 唐突にでかい声を出した為、何人かの級友がビクっと肩を揺らして目覚め、片辺先生も眼鏡を押し上げて紗江の方を見た。


「いや、その――おランちゃんのご先祖様が描かれてるって……教科書にご先祖様が載ってるなんて、すごくないですか?」

 興奮気味の紗江に、片辺先生はため息をついて首を振る。


「それを言ったら、君のご先祖はこれまでにも何度か出てきているんだがね。

 どうも君は自分の事となると、疎くなる傾向があるようだね」


「え? ええっ?」


 教室がどっと笑いに包まれる。


「二代目望月公は三代目穂群公――後の穂月公に嫁いだ姫の父親だよ。言うなれば、君のご先祖でも――」

 と、そこで黒板の上に取り付けられたスピーカーが、不意にオンになる。校内放送ではない。それならばまず先にイフォメーション音が流れる。


 わずかな雑音の後、「すぅ」という呼吸音が響き、

『こちらは異界封鎖棟、防人さきもりの村瀬です。緊急事態の為、校内放送をお借りします。

 ――帰宅部はただちに部室に出頭してください。事案青三号及び黄の五号が発生です。

 繰り返します――』


 紗江は息を呑んで、事案コードを解読する。


(ええと、青は上層で、三号だから深刻度は並。けど、黄――中層で深刻度重って!?)


 この時間に異界に生徒がいるという事から、授業中のトラブルだとは予測ができた。


 とにかく、ただちにと言われている以上、急ぐべきだろう。


「――先生っ!」

 紗江が立ち上がり、蘭と紅葉もみじもそれに続く。


「ああ、この組は三人も居たんだったね。気をつけて行ってくるんだよ」


 先生の許可を得て、三人は窓を開け放つ。


「君らもだいぶ、この学校に染まってきたね」


 片辺先生の苦笑するような言葉を背中で聞きながら、紗江達は泣き出しそうな空の元へ身を踊らせた。


 身体強化を使いこなす撫子にとって、たかだか二階程度の高さは障害ではなくなるのだ。


 隣の教室の窓から、茉莉もまた飛び出して来て、空中で視線を交わして頷き合う。


 着地と同時に駆け出して、四人は部室を目指した。





 部室であるプレハブに着くと、すでに天恵をはじめとして先輩達は揃っていて、中央に置かれたテーブルの上には、異界の上層と中層を記した地図が並べられ、ホワイトボードの前には先程放送をした防人――村瀬むらせ志乃しのが待っていた。


 普段は封鎖棟で受付を担当している彼女だが、帰還困難者捜索担当防人さきもり部隊の隊長でもあり、強化月間中の帰宅部との連絡役も担っている。


 二年前、防人大を卒業したばかりの彼女は、天恵がはじめた帰宅部の活動方針に感銘を受け、防人にもそれを導入し、帰宅部が試行錯誤する施策をより実践的にブラッシュアップして現場に流用している。

 天恵にとっては良い相談役の一人でもある。


「揃ったわね。さっそくだけと、状況を説明します」


 志乃はバインダーに挟んだ資料を見ながら、ホワイトボードに書き込んで行く。


「およそ三〇分前、一年百合組が異界上層四層目での芸妓実習中、魔物の大量発生に襲われました」


 活動期において、まれにある現象だ。なにもないフロアだと思って踏み込むと、堰を切ったように魔物が湧き出す。通称『魔物部屋モンスターハウス』と呼ばれている現象。


「腕章破損により封鎖棟は状況を把握。すぐさま救助を出した為、現在、大半の生徒は救助済みなのですが、一部、大量の魔物によって数人規模あるいは単独で分断され、さらに奥に追いやられています」


 そこで志乃は資料をめくり、表情を曇らせる。


「また、状況の打開を図った一人の生徒が、魔物を誘導して転移罠ピットポーターを起動。しかし、彼女自身も巻き込まれ、腕章は中層三層での破損発信を最後に、そこからの行方が不明となっています」


 上層にある罠はそのほどんどが調査済みで、封鎖棟受付で配布されている地図にも記載されている。


 それを利用して魔物を攻撃するのは、異界に慣れてきた探索者がよく用いる手だ。


 だが、今回は発動させた罠が良くない。


「単独生身で中層とは……」


 咲良が呻くように呟く。


 ホワイトボードに制服姿の少女の写真が張り出される。


 艷やかで長い黒髪と左顎のほくろが印象的な子だ。


「名前は衣笠きぬがさまい。京都公家の近衛このえ家の支族の御家の子で、魔道評価は学級クラス主席」


 だが、それでも一年で具足すらなく単独での中層は厳しいものに思える。


「現在、防人も救助に向かっているのだけれど、上層の対応もあって、手が足りなくてね。

 あなた達も隊を二つに分けて、上層組と中層組でそれぞれで対応をお願いします」


 天恵は状況を吟味し、みんなを見回す。


「絹隊で上層に対応。現場指揮は志乃さんに従ってくれ。

 ボクと咲良君、紗江君が中層だ。

 ボクは甲冑の用意をするから、咲良君と紗江君が先行し、茉莉君の誘導で合流しよう。

 ――志乃さん、防人隊との連携はお願いしてもいいですか?」


 手早く指示を飛ばせば、志乃もまた頷きで返す。


「ここで茉莉ちゃんと一緒に指揮を執るわ。中層にも甲冑装備の防人は回しているけど、圧倒的に数が足りない。頼むわ。天恵ちゃん」


「その為のボク達、帰宅部ですよ。

 ――さあ、取り掛かろう! 準備開始!」

 天恵が両手を打ち合わせ、紗江達は動き始めた。

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