上洲異界と帰宅部

第20話 一年生 五月

「はい、というわけでね。気づけば十日もあったはずの楽しかったGWゴールデンウィークは瞬く間に終わってしまったワケです」


 源三の運転する車の後部座席で、紗江は頬杖突きながら遠い目で呟く。


「お嬢様、それ二回目ですよ」


「――黙れ敵め!」


 たまきに声をかけられ、紗江は猫のように歯をむき出しにしてしゃーっと唸る。


「まだそれ続けるんですか?」

 困ったように頬に手を当てる環に、紗江は思わず涙ぐむ。


「タマ姉は、タマ姉は味方だと信じていたんだ! それをおまえは裏切った!」


 人差し指を突きつけるのは、環のその胸で。


 事の起こりは一昨日の晩。





 静江の稽古を終えた一同は、合宿の打ち上げとばかりにみんなでお風呂に入る事にした。


 環は女中だからと遠慮したのだが、紗江が強引に脱衣所に引っ張り込んだのだ。


 穂月屋敷の広い総檜造りの大浴場で。


 圧倒的な装甲強度を誇る絹と、それよりは劣るものの対弾性で軍配の上がる紅葉もみじの両大戦艦を前に、手漕ぎボート級の紗江とらん茉莉まつりの三人は怯んだ。


 重巡級の天恵あめとサイズこそ軽巡級だが、形の美しい咲良さくらは援軍にならない。


 一縷の望みを込めて脱衣所の環という援軍を待ち、遅れて浴場に現れた彼女に、紗江の心は粉々に打ち砕かれた。


 超弩級戦艦がそこにはあった。


「え? なんで!? どこから出した、それぇ!?」


 思わず前面から鷲掴みにして揉みしだけば、想像以上に対弾性にも富んでいて、ダントツの一位だ。


 一流の女中はサラシの巻き方で乳のデカさも隠せるものらしい。


 その晩、いやその次の晩も、紗江は悔しさに枕を濡らした。





「わたしの胸は鬼女に抉られてなくなってしまったんだよ、きっと……」


 いま思い出しても熱いものが込み上げてきて、頬を濡らす。


「こんなのあっても、邪魔でしか――」


「――富める者には貧者の気持ちがわからない! みんなそう言って内心見下すんだ!」


 実に一日以上に渡って、紗江は面倒臭い女になっていた。


 環は助けを求めるようにバックミラーの源三に視線を向けるが、話題が話題だけに、彼は苦笑して角刈り頭を撫で、目線を合わせてくれない。


「なんでだよぅ。おばあちゃんもおかさんも、美咲おねえちゃんだってあるのに……なんでわたしには立派な胸部装甲が無いんだよぅ」


「なんでだよー」


 助手席にいた結愛ゆめは、紗江の言葉を真似て、楽しそうに両手を挙げる。紗江がまたしばらく家を空けるため、お見送りについてきてくれたのだ。


「ほら、結愛ちゃんも真似しちゃってますし、そろそろ……」


「結愛ぇ、結愛は大きくなってもちっちゃいままでいてね……」


 主に胸部が。


「もう、お嬢様! ちっちゃい子にナニ言ってるんですか!」


 そろそろ環が本気で怒りそうな声色になり始めたのを察し、紗江は咳払いはひとつ。


「そ、そういえば今日からわたし達、異界ラビリンス探索が解禁になるんだー」


 あからさまに話題を反らした。乳談義に付き合うのも疲れていた環もそれに乗り、うなずきで応える。


「ええ、恐らく今日の、魔道の授業で装束の登録が行われるはずです。

 魔術式のアプリ収納と、魔法式による家紋への関連付け。

 どちらでも選べるのですが、帰宅部はその活動方針から突発インスタント異界災害ダンジョンへの介入もありますので、魔法式がよろしいかと」


 以前、<戦陣>へ紗江を誘っていた環だったが、ちゃんと説明すると、思いの他あっさりと折れてくれた。


 精霊伝導を向上させる為の衣装――それが装束だ。刻印織りによって作られるそれは、着用するだけで魔道器官からこぼれる精霊に反応し、対刃対突性に優れた布地に替わり、多少の攻撃なら結界なしでも防いでくれる防具となる。


「家紋への関連付けかぁ。結局、一年組は家紋は出せなかったね」


 GW中、紅葉もみじらん事象干渉領域ステージを開くところまでは辿り着けたのだが、そこから先は、御家独自の癖のようなものもあり、家紋を顕現させるまでには至らなかった。

 最初から事象干渉領域ステージを開けていた茉莉もまた、やはり家紋までは出せず、三人とも夏休みには帰省して実家で鍛錬するのだと意気込んでいた。


「私も去年知って、驚いたのですが、魔道の御家でも一年から家紋を出せるのは珍しいのだそうですよ?」


 二人共、魔道の練度の判断基準は美咲や静江だった為、一般の習熟速度を知らないのだ。


「お姉ちゃん達、見てみて。ユメね、おねえちゃん達のおけーこ見てたから覚えたんだよ」

 そう言って差し出される手には、直系一〇センチほどのステージが開いていて、そのなかで精霊光オーディエンスがひとつだけ浮かんで漂っている。


「おお、すごい! タマ姉、結愛って控え目に言って天才じゃない?」


「天才は言いすぎかもしれませんが……確かに、この年頃でとなると……」

 ゴクリと唾を呑む環だったが、結愛が貴属かもしれないと知っているので衝撃は少なく、褒められて嬉しそうな結愛の頭に手を伸ばして撫でた。


 基準のおかしい二人から見ても、結愛の習熟速度は優れたものだ。


「でも結愛。運転してる人の横でいきなりやるのはやめようね? 事故ったら危ないから」


「はーい!」


 念の為、紗江が注意すると、結愛は手を挙げて元気にお返事する。


 そうこうするうちに車は校門前に辿り着き、紗江は後部座席から降りて、淋しげな表情の結愛を撫でた。


「土曜日には帰るからね。お姉ちゃん達もお勉強、頑張るから、結愛もお家でお勉強がんばろうね」


 祖母が言うには、ある程度日常生活に慣れたら、結愛も村の子供達が通う、隣町の小学校に通わせるそうだ。


 それまでは祖母や女中、下男達が入れ替わりで勉強を見るのだという。


 紗江にランドセルを買い与えられなかった事を悔やんでいた祖母は、今度結愛と一緒に買いに行くのだと楽しそうに語っていた。


「ユメ、お勉強すきー」

 嬉しそうな顔になったのを見て、紗江は車から離れ、源三を促す。


「じゃあ、またね」


「うん、お姉ちゃん達、ばいばーい」


 車が走り出すのを見送って、紗江と環は昇降口に向かった。

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