第7話 クリスマスにもう二度と



 玄関先で急に冬斗くんが倒れてしまってから、私、深山雪帆みやまゆきほは彼の看病にかかりっきりになっていた。


 三十八度五分。すごい熱だ。これまでの疲労が一気に出てしまったのだろうか。

 彼から鍵を勝手に借りて買い物に行き、冷えピタ、スポドリ、などなど、看病に役に立ちそうなものを色々と揃えたのが三十分前ぐらいの出来事。今はひとまずおかゆを作り終わり、冬斗くんの様子を見にもベッドの前に戻ってきたところだった。


 買い物に行く前、彼の家の冷蔵庫を見てびっくりした。この人は一体普段何を食べて生きてきたんだろうか、と。この風邪もきっと日頃の不摂生がたたった部分があるのだろう。

 まったく。この立川冬斗という男は、他人のことは考えすぎるぐらい考えているくせに、自分のことは全く大事にしない男なのだ。心配する身にもなってほしい。



 することも無くなってきたので、なんとなく彼の寝顔を見つめてみる。


 彼は可愛いと言われるのを嫌がっていたが、そもそも顔立ちが可愛らしいのだからしょうがないと思う。こんなに可愛らしい顔で眠る二十二歳が他にいるだろうか。

 きっとこの人は年上に好かれる気質を持っているんだろう。なんというか、どこか守ってあげたくなるのだ。


「雪帆先輩……」


 どうやら彼は悪夢にうなされているようだった。

 私が消えてしまう夢でも見ているのだろうか。


 私は六年前に彼の前から姿を消してしまった。気づいたら六年経ってましたと言われてもやっぱり実感は追いつかない。どうしても、彼と私の間には微妙な距離ができてしまっている。

 私がいない六年間、彼は健気にも私のことを待ち続けてくれた。それはとても嬉しかったし、もっとこの六年のことを知りたいと思った。

 

 そもそも、私は彼に直接『好き』だとか、そういった言葉を伝えられていなかった。散々年上ぶって彼をからかっているくせに、自分では想いを言葉にすることすらできていないのだから恥ずかしい話だ。

 だから、六年前のクリスマスの日も、いい加減この表面的な『お付き合い』にけりをつけたいと思っていたところだった。


 でもそれは叶わなかった。

 私は彼に想いを伝えられないまま、六年もの間彼の前から姿を消してしまった。

 その間、彼は私の真意を疑わなかっただろうか。感情が顔に出づらい私のことだったから、多分、彼からすれば私が何を考えているかなんて想像もつかなかっただろう。


 ただ一言、『好き』だと、私が消える前に彼に言えていたなら、どれだけ違っただろうか。


 いや、そもそも私が消えることがなかったら、どんな六年を過ごせていたのだろうか。たくさんデートして、たくさんいちゃいちゃして、今よりもずっとずっと仲良くなっていただろうか。


――この六年の空白を、私はどうやって埋めればいいのだろう。


 私を置いて大人になってしまった彼に、どうやって追いつけばいいのだろう。


 今から、私は彼に何をしてあげられるだろうか。


 目の前にいる彼は、とても不安そうな寝顔をしていた。

 熱と悪夢にうなされ、辛そうだった。


 私ができることは……


「大丈夫。もう二度と、いなくなったりしないから」


 私は眠っている彼に顔を近づけると、ささやくようにして、静かに誓った。


 これから六年分の恋をやり直そう。

 きっと今からでも遅くないはずだから。


「――えっ」

「――あっ」


 彼が目を開けた。


 もしかして、聞かれていただろうか。


「まだ起きないで。熱下がってないでしょ」


 寝言に返事をしていたなんてバレたら恥ずかしいなんてものではすまない。とりあえずおかゆを取りに行ってごまかそう。うん、そうしよう。




◇◆◇◆◇◆◇◆




 都内の個室居酒屋で立川冬斗たちかわふゆとの同僚である俺、石堂海生いしどうみおは上司である三城さんの泣き言を聞いていた。


 三城さんは立川冬斗とは大学時代からの知り合いで、昔はよく勉強の面倒を見ていたそうだ。昔から学科の主席で、エリートそのものだった三城さんの後を追いかけるように立川はこの会社を選んだのだと、彼は俺に話してくれた。

 三城さんは会社に就職してからもその圧倒的な有能さで社内の評価を上げ続け、たった二年の内に部下を持つまでになった。

 そこに偶然立川が配属され、再会を果たしたというわけだった。


 それから、まあベタな話だが三城さんは立川、三城さん風に言うと『冬くん』のことが好きだったわけで、その相談役として何度も駆り出されていたのが俺というわけだった。

 まあ、どうやらそれも今日で最後のようだけど。


「私って最低なんですぅ……」

「そんなことないですって。あと敬語やめて下さい」


 三城さんは酔っ払うと何故か敬語になるんだよな……俺のほうが歳も下だし会社でも部下だしで、敬語を使われる理由は一ミリもないんだけどな。毎回、これだけはものすごくやりにくい。


「私、彼の待ち人が戻ってこなければ、なんて考えてしまって……」

「でも帰ってきちゃったんですね」


 詳しいことは秘密にしてくれと頼まれているみたいで、あまり話してはくれなかったが、三城さんが言うには、どうやら立川の奴には何年も遠距離恋愛を続けている、いわゆる『待ち人』がいるようだ。そして、つい先日その彼女が帰ってきたとのことだった。


「せっかく時間あったんですから、もっとアプローチすればよかったんじゃ」

「ですけどぉ、心に決めた人がいるのにそういうことをするのは気が引けて……」

「本当、真面目ですねー。別に婚約してたわけでもないんですから、横入りしたってよかったと思いますけどねー?」

「それは駄目なんですぅ……冬くんがどれだけ健気に彼女のことを待っていたかを知ってるから……私にあの二人の邪魔はできないんです……」


 そう言いながら三城さんは今日何杯目かもわからないビールを飲み干す。本当によく飲むなこの人。俺もそこそこ強いけど三城さんはその倍ぐらいは強い。ちなみに立川は下戸げこだ。


「三城さんとしては二人の邪魔はしたくないんすね」

「ええ。だから、私はもう二度と……彼を追いかけはしないんです」


 そう切なげに呟くと、彼女はことんと眠りについてしまった。

 普段真面目な人ほど酔っ払ったときの反動が大きいというか。もうここまで来ると別人だろう。


それにしても、この歳になっても失恋して泣くぐらいの恋愛ができるその元気さを俺は尊敬していた。俺の思考回路がおじさんすぎるだけかもしれないが、泣いたり笑ったり、好きな人の一挙一動にドキドキしたりするような恋愛ができるのはもう一種の才能だと思っている。

 俺はもうそういう学生みたいな恋愛には疲れてしまったからこそ、誰かを推しながらも、そのレスポンスを相手には期待をせずに済む、Vtuberに投げ銭をするという形で、そういう欲求を発散しているところがあった。


 俺からすれば立川も三城さんも学生みたいにエネルギッシュで少し羨ましい。

 特に立川の奴の恋愛観は学生のときから時間が止まってんじゃねえのかというレベルに見える。


 うん。難しいこと考えるのはもういいか。どうせあいつは今頃彼女ときゃっきゃうふふしているんだろうし、俺はとっとと三城さんを送って家で推しのアーカイブを見るとしよう。


 身支度を済ませて、三城さんを覗いてみる。

 

「冬くん……」

「……乙女かよ」


 出会ってからの数年、やれることはいっぱいあったでしょうに。

 もう遅いですよ。三城さん。

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