第6話 クリスマスをもう一度 下


 放課後の生徒会室。

 俺は残った作業を黙々とこなしていた。部屋には俺以外は誰もおらず、俺はこの静かな空間が密かに気に入っていた。


――だが、作業は思うように進んでいなかった。


 俺はため息をつく。


「ため息をつくと、幸せが逃げちゃうよ」

「すみません、残ってたんですね。雪帆先輩」

「うん。一緒に帰ろうと思って」


 俺が振り向くと、ブレザーのポケットに手を入れた雪帆先輩がこちらを覗いていた。


「わかりました。すぐに終わらせて帰りましょう」

「相変わらずよく働くね。終わるまでここで見てよっかな」


 彼女は近くから椅子を持って来て、俺の机の隣に座り、俺の画面を横から覗き込む。


「ちょっ先輩、近くないですか」

「いいでしょ。もう冬斗くんの彼女なんだから」

「……そうですね」


 夏休みの終わりに彼女からの告白を受けてからというもの、彼女は俺のとの距離感をことあるごとに近づけてくるのだった。表情にこそ見せないが、彼女の押しは強く、俺はどちらかというと受け身に回ることが多かった。

 年の差のせいか、どこか可愛がられていると思うことが多いのが、最近のちょっとした悩みだった。


 そんな煩悩に集中をかき乱されながらも、作業を続ける。


――ふと、すぐ横にいたはずの雪帆先輩の気配が急に消える。


「……雪帆先輩?」


 おかしい。さっきまでそこにいたはずなのに。


「あれ、先輩、どこに行きました? 雪帆先輩!」


 俺は廊下に走り出る。

 しかし、廊下にも人気はなかった。


 急に場所が変わった。


 いつもの商店街が、クリスマスのイルミネーションで飾り付けられている。駅の横の大きなクリスマスツリーが印象的で……


 これは、あの日だ。


 彼女がいなくなったあの日、俺は日が暮れるまで彼女を探し続けたんだ。

 不安でどうしようもなかった。心が壊れそうになりながら何度も何度も先輩の名前を呼び続けた。


「どこですか! 雪帆先輩……!」




◇◆◇◆◇◆◇◆




――なんだかとても悪い夢を見ていた気がするが、よく思い出せない。ついさっきまで見ていたことのはずなのに、起きた後の数秒しか夢の内容を覚えていられないのは少し悔しい。いや、悪夢を忘れられるならそれでいいか。


「―――――――――から」


――鼻先に、くすぐったい感触を感じた。


 髪の毛でくすぐられているような、そんな感触だ。

 俺は熱でぼーっとした頭のまま、ぼんやりと瞳を開ける。


「――えっ」

「――あっ」


 彼女がとっさに俺から離れたような気がしたが、気のせいかもしれない。

 彼女の頬が少しだけ赤らんでいるのも、俺の瞳が少し潤んでいるせいかもしれない。

 ただ、俺が起きるまで彼女が看病をしてくれたのは事実のようだ。

 まだかなり熱があるようで、頭も冴えていない。


「まだ起きないで。熱下がってないでしょ」


 彼女は俺のそばから立ち上がると、台所へ向かった。


「おかゆ、作ったけど食べる?」

「はい……」

「今温めるね」


 いつの間にそんなことを。時間を確認すると、もう23時だった。俺は家に着いてから数時間、寝てしまっていたらしい。彼女はその間に買い物に行ってくれたのだろう。俺のベッドのそばにスポーツドリンクや栄養ゼリーが入った袋が置いてあるのが何よりの証拠だった。


 彼女が台所から戻ってきた。手には温められたおかゆとスプーンを持っている。


「ごめんね。買い物に行くとき、鍵借りちゃった」

「気にしないで下さい。俺のためにありがとうございます」

「よかった。はい、これおかゆ。美味しく出来てるかはわかんないけど」

「きっと美味しいですよ」

「熱いかな。ふー」

「自分で食べられますよ」


 彼女は唇を少し尖らせてスプーンですくったおかゆを冷ます。

 食べさせてもらうのも恥ずかしいので、俺は起き上がろうとしたのだが、すぐに目眩がして、ベッドに逆戻りしてしまった。


「無理しないで。はい、あーん」


 一口。


 おかゆはお米のかすかな甘味と、塩のしょっぱさがちょうどよく、とても落ち着く味がした。


「……美味しいです」

「ん。よかった」


 そう言った彼女の手に持ったスプーンも少しぷるぷるとしていた。まったく、自分で照れるぐらいならしなくてもいいのに。


 そうして少しずつ食べさせてもらい、風邪でぼんやりとしている中でも、なんとか完食した。


 食器を片付けている彼女に俺は話しかける。


「もう23時ですよ。電車がある内に帰ったほうがいいです」

「冬斗くんのクリスマスプレゼントを見るまで帰らないから。でも、冬斗くんはベッドから起きちゃダメ」


 何だ、そのゲームのハメ技みたいな言い訳は。


「俺の六年前のプレゼントはその棚の奥に入ってますよ」

「人のお家の棚を勝手に開けるのはちょっと……」

「いや、全然許可しますけどね」

「この引き出し、重くて動かせない」

「めちゃくちゃ軽かったと思うんですけどねー」


 駄目だ。この人帰らないつもりだ。

 確かに、もうすでに終電はかなり怪しいし、現実的には泊めるしか選択肢は残っていなさそうだけどさ。


「私が帰ったら冬斗くん、明日仕事行くでしょ」

「そりゃあ行くと思いますけど」

「絶対ダメだから」

「いや、流石に休めないですよ」

「行っちゃダメ。冬斗くんは本当によく働くね。昔から変わらないんだから。もう」


 少し聞いたことのあるような台詞だ。なんならついさっき聞いたような気さえする。


「今日は早く寝て、明日もゆっくり休んで」

「わかりました。そしたら、日が変わらない内にプレゼント交換しますか」

「冬斗くんが辛くないなら、そうしよっか」


 せっかくクリスマスに少し無理してでも間に合わせたんだ。普段、俺のことを気遣いすぎているぐらいの彼女が珍しくちょっとしたわがままを言ってくれたのは、つまり、彼女なりにクリスマスという日を特別に思っていたからこそだろう。

 それなら、俺も今日という日が特別な日になるように、あとほんの少しだけ頑張ろうと思った。


 彼女は例の棚から小包を取り出す。俺の六年前のプレゼントだ。


「はい。冬斗くんから渡してほしいな」


 そう言って彼女は一旦小包を俺に渡した。

 そうか。俺はあまり気にしていなかったけれど、プレゼントというのは相手から直接もらうからこそプレゼントなのか。

 そんな小さなこだわりに気づけるようになったのも、俺が大人になったからなのかもしれないな。きっと高校生のときの俺だったら、頭の上に『?』を浮かべながら彼女にこれを渡し直していただろう。


「わかりました。どうぞ。雪帆先輩」

「ありがと」


 俺は彼女にプレゼントを渡し直す。


「わっネックレスだ」


 彼女は早速箱を開けて中身を確かめた。俺は少し恥ずかしくなり、顔を背ける。


「どこが恥ずかしいのか、わからないけど」

「露骨にハートのデザインが付いているのが、今見たら恥ずかしいなと」

「……似合う?」

「はい。似合ってます」

「でしょ。じゃあ、恥ずかしくなんかないよ。最高のプレゼントだよ」

「……よかったです」


 俺はお世辞を言ったわけではなかった。吸い込まれるような瞳に見つめられて俺の頭がどうにかなった……わけでもない。多分。正真正銘、彼女がネックレスを付けた姿は文句なしに似合っていた。彼女の容姿であれば何をつけてもそれなりになるのだけれど、多分彼女はそれを自覚した上で聞いていたんだ。

 その上で自分に似合っているから最高のプレゼントだと言ってくれたんだ。

 そんな大胆不敵な彼女が俺にはとても輝いて見えた。みんなの前では謙虚で真面目な生徒会長だった彼女が俺にだけ見せる自信家で少しお姉さん気取りなところが可愛らしかった。


「私からも。開けてみて」

「これは……マフラー!」

「そう。私のやつの色違い」

「嬉しいです。ありがとうございます」


 彼女のマフラーは赤を基調としたチェックのマフラーで、このマフラーは青を基調に緑色が少し入ったチェックのマフラーだった。

 がっつりペアルックというわけではないけれど、同じものを共有しているという気分にもなれる絶妙な選択だった。特に、恥ずかしがりな俺にはちょうどよかった。


 ちなみに、俺が新しく買ったプレゼントであるリップも、俺の手から彼女に渡した。ちょうど欲しかった、と言ってもらえたのでこちらとしても一安心だ。


「でも、ごめんね。忙しいのに無理言っちゃって」

「いいんです。雪帆先輩が誘ってくれたおかげで最高のクリスマスになりましたから」

「ん。それなら本当によかった……」

「ところで先輩、俺が起きる前何してたんですか」


 俺の記憶が正しければ、俺が起きる直前、彼女は俺の顔の目の前で何かをつぶやいていたような……


「先輩?」


 気づくと、彼女は俺の胸の上で静かに寝息を立てていた。そういえば、普段は22時には寝ているとか言っていたっけ。眠い中色々と俺のために看病をしてくれていたんだな。

 何かかけてあげようと思ったが、全身関節痛で思うように体を動かせなかった。幸い、俺の部屋は暖かかったので、逆に彼女が冷えてしまう心配は無さそうだった。


「おやすみなさい、雪帆先輩」


 初めて見る雪帆先輩の健やかな寝顔を見ながら、俺も眠りについた。


 今度は悪い夢を見ることはなさそうだった。


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