22 お菓子作りって繊細だね
♡♡♡
ゼラニウム邸、キッチン。
「まずバターと砂糖を白っぽくなるまで混ぜます」
「了解です、シア先生」
白いフリルのエプロンに身を包んだシアが、ハートを散りばめたエプロンを付けたユリオスに指示を出していく。
「恋子さんもご一緒かと思ったのですが、違ったんですね」
「ナノさんに用事があるみたいで会いに行ってるよ」
恋子が杉田に絡まれてから数日。須藤の言葉通り、自主退職に追い込まれた杉田。
杉田がいなくなったことで訪れた平穏と、無理のない業務で恋子の荷は少し軽くなっていた。
そのせいか危機察知が疎かになり、監視を緩めてしまっている。
「一緒に来た方がよかった?」
「いえ! むしろ安心したと言うか……その……」
「ん?」
口籠るシアを見つめるユリオス。
段々と赤面していくシアは話題を逸らすように、薄力粉とベーキングパウダーとココアを取り出してユリオスに渡した。
「つ、次はこの3つをふるいながら加えてください」
「ふるいながら?」
料理やお菓子作りを全くしないユリオスにとって、『ふるいながら』なんて言葉は未知そのものだった。
「粉ふるいという道具を使って行う作業です」
「これ?」
台に置かれた、銀色のフォルムの道具を指差すユリオス。
取手の付いたマグカップのような見た目に、底は細かな網が張られた、お菓子作りには欠かせない道具。
「そうです、薄力粉とベーキングパウダーとココアを入れてボウルの上でシャカシャカしてくださいね」
「おぉ、凄い! 楽しいね!」
今日がお菓子作り初挑戦のユリオスにとって、全てが新鮮で、とてもワクワクしていた。
「はい! 楽しいです!」
明らかに楽しい要因が違うのだが、会話が噛み合っている2人は、ニコニコ笑顔で作業を進めた。
「ユリオスさま、粉っぽさが無くなってきたら牛乳を入れましょう」
「もう大丈夫そう?」
「もう少しですね」
ゴムベラを回す手を止めて確認するユリオス。だが、もう少し混ぜる必要があるとシアに言われる。
「お菓子作りって繊細だね」
「そうですよ、1つ1つの作業に真心を込めて仕上げる。これがお菓子作りのコツです」
粉っぽさが無くなり、なめらかになり始めた時に牛乳を投入していく。
均一に混ざるように、しっかりと混ぜて行き、更になめらかになったところで手を止める。
「シアさん、次は?」
「次はチョコチップです。それと、呼び捨てでいいですよ。というか呼び捨てがいいです」
力強く放たれた言葉に少し気圧されるユリオスだったが、あまりの真剣な表情に何かを感じ取った。
「チョコチップは一気に入れていい? シア」
パーっと表情を明るくするシアは、表情を誤魔化すようにチョコチップが入った容器をずいっとユリオスに突き出した。
「チョコチップは一気に入れて大丈夫です。入れ終えたら満遍なく行き渡るようにしっかり混ぜましょう」
「はーい」
パラパラと降らせるように、容器を細かく揺らしてチョコチップを入れる。
なめらかになっている生地に溺れるチョコチップ。全体に混ぜられたそれは、平坦な生地をデコボコと彩ってみせた。
「混ぜ終えたら、型に入れてオーブンで焼きます」
「上まで入れればいい?」
「1センチほど空けて入れてください。焼くと膨れるので、溢れちゃいます」
「なるほど、了解!」
型に敷かれるように置かれたマフィンカップに、チョコチップが散りばめられた生地を流していく。
言われた通り1センチ余裕を持って入れていくユリオス。真剣な眼差しで、ゆっくりとこなしていく。
「シア、入れれたよ」
「上手ですねユリオスさま! 後はトントン、と型を軽く数回落として空気を抜きます」
「軽く……落とす? 溢れない?」
「こういう感じで優しくやってあげると溢れずに平に出来ますよ」
言葉を理解できていないユリオスに、分かりやすいようシア本人が1回お手本としてやってみせる。
9個作れる正方形のマフィン型の縁を持ち、少しだけ机から離すと、パッと手を離して机に落とした。
衝撃や音を抑える役目を任されたタオルは、しっかりと衝撃を緩和して、机と型が直接ぶつかることで出る音を防ぎ、同時に傷が付くのも防いだ。
「そんな軽くでいいんだ、てっきり床に落とすのかなって思っちゃった」
「ふふふ、そんなことしたら大惨事ですよ。お茶目さんですね」
お手本通りにマフィン型を軽く落として平にした生地を眺めるユリオス。
お茶目さんと言われたユリオスは、少し照れながらチョコチップを表面に散らせた。
「なるべく真ん中寄りに置く感じです。そうそう、上手です」
膨れ上がった時の見栄えのため、真ん中に寄せて落とす。
♡♡♡
キッチンにふんわりと甘い香りが漂い、オーブンがマフィンの完成を知らせた。
「出来た……!」
「はい、完成です!」
できあがったマフィンは、ほくほくと熱気を放ち、ふんわりと生地が膨れ上がっている。
「ユリオスさま、出来立てのマフィンでティータイムにしましょうか。メイドにお茶を用意してもらいますね」
軽やかなステップで、マフィンを持ってメイドの下へ向かうシア。その後ろ姿だけで、上機嫌なのが伺えた。
(クラスメイト全員、金持ちって知ってたけど格がちげぇ……)
学園の生徒は全員、名の知れた家系の子供。恋子もそういう設定になっている。
そんな設定を理解しているとは言えど、大きな屋敷や専属メイドをいざ目の当たりにすると、その驚きを隠せないユリオス。
(俺も専属メイドとイチャイチャとかしたーい)
そんなことを考えているうちに、お茶の用意が出来たらしく、シアがキッチンに戻ってきた。
「ユリオスさま。今日はいいお天気ですし、お庭に用意してもらいました! ご案内しますね」
シアに案内され、広大な自然が広がる庭にやってくる。
庭。というよりは、自然公園のような表現が似合うこの場所の中央に白い机と椅子が用意されている。
「他のお菓子もご用意しているので、是非お楽しみください」
「凄い……! ありがとう」
机に置かれたケーキスタンドには、先ほど作ったマフィンに加え、いろいろな洋菓子が用意されていた。
横に停められているカートワゴンには、カップとティーポットが用意されていた。
「ユリオスさま、苦手なフルーツはありませんか?」
「特に無いよ」
「よかったです、私が育てた果物でフルーツティーをご馳走したかったので」
カチャカチャと鳴らしながら、ソーサーに置かれたカップを机に並べる。
「イチゴ、キウイ、オレンジを使って甘酸っぱさと楽しめるフレーバーにしてみました」
「茶葉はアールグレイ? 凄くいい香りがするね」
「そうです、茶葉も私が育てた物なんです」
「そうなんだ、シアはなんでも出来るんだね」
その言葉をシアは嬉しそうに噛み締め、ニコッと笑みを浮かべた。
そして、紅茶を注ごうとした時に専属メイドがぬるっと現れた。
「そうなんです、お嬢様はなんでも出来てしまうのです。料理をすればプロ級、芸術にいそしめばプロ級、武術に取り組めばプロ級、そして容姿ははちゃめちゃにきゃわたん! そこら辺のメスガキなんて比べものになりません」
「ちょ、ちょっとメイ! 恥ずかしいからやめてよも〜」
シアをベタ褒めする、少し口の悪さが垣間見えるメイドのメイ。そんなメイを焦りながら止めるシア。
いつもの丁寧で落ち着いた振る舞いとは違い、焦りながら年相応のリアクション。
「ははは、シアさんそんな顔もするんだ。仲良いんだね」
無邪気な表情でメイと戯れるシアを見て、どこか和むユリオス。
「お嬢様はとても表情豊かな方です。可愛いでしょう?」
「はい、とても」
「あらまぁとても素直なお方ですね。今時その素直さは素晴らしい武器です。これはお嬢様が夢中になるわけですね」
「メイ!? 何言ってるの!?」
なにやらとんでもないことを口に出すメイドを、お嬢様はバームクーヘンを突っ込むことで物理的に口封じした。
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