10 テメェじゃねぇことは確かだわ

「もう1人? 棄権したのか?」

「正確には棄権させた」


 そう言うアイリは、ティーカップに入った紅茶を口に含む。

 カップが動いた拍子に香りがふわりと舞い、匂いに誘惑されるように悠貴もひと口、紅茶を啜る。


「どうやら試験内容に納得していなかったようでな、暴れたりないとか言って他の生徒に襲い掛かったんだよ」

「棄権させるほどだから問題児かとは思ったけど、ただのイカれたやつじゃねぇか」

「悠貴の言う通りイカれたやつだ。今は停学中だが、明けたら何をやらかすか分からん」


 心の奥底に訴えかけるように、アイリはジッと悠貴の目を見つめる。

 何を伝えたいか、少しだけ察したような悠貴は、気怠げにため息を溢す。


「要するに、停学が明けたらそいつを監視しろってことだろ」

「御明察だ。まぁプリンスナイト様に拒否権ないんだけどな。生徒たちを危険から守るのがプリンスナイトだから」

「初耳だわその設定」


 軽口を叩きながら、アイシングクッキーを気に入ったようにパクパクと味わう悠貴。サクサクと奏でるリズムと、ほどよい甘みが、悠貴の手を止めることを不可能にしている。


「そのクッキー、気に入ったか?」

「うん、すっげぇ美味い」


 ホッと胸を撫で下ろすように笑うアイリの瞳には、ほんの少し温もりが宿る。


「また用意しといてやるよ。今日の要件は済んだから恋子のところに戻ってあげて」

「ありがと、ご馳走様。停学は明後日に明けるんだっけ?」

「ああ、明後日に戻ってくる。頼んだぞ」


 明後日。その日付に、どこか胸騒ぎがする悠貴。何もないことを祈り、準備室を後にした。



 ♡♡♡



「恋子、用事おわったよ」

「おつかれさま♡ プリンスナイトとして推しが頼られてるのは嬉しいけどなんだか寂しいね」

「これから増えるかもだけど、恋子との時間も大切にしていくよ」

「しゅきぃぃい♡」


 教室の片隅、耽るように外を眺める恋子。

 ユリオスの声が聞こえるとともに、パッとドアの方に顔を向ける。


 赤く染まる閑散とした教室に2人。少し長くぶつかり合う視線と視線。


 教室を染める夕焼けのように、徐々に赤く色づいていく恋子の頬。


「ユリオスしゃまぁ……♡」

「恋子……目、瞑って?」


 両手を前で繋ぎ、懇願するように上目遣いで唇をぷるりと潤わせる恋子。これがお決まりのログアウトポーズ。

 そっと頬に触れ、唇を合わせる。恋子は、触れた感覚にピクリと体を揺らす。


「しゅきぃ♡」



 ☆☆☆



 翌日、ビルが建ち並ぶオフィス街のとあるオフィス。


「きっつ……」


 小洒落た空間で、コーヒーを片手にキーボードと向き合いキラキラした笑顔の人たち。


 そんな人たちから明らかに孤立して、弱音を漏らす恋子。

 デスクの周りには様々な推しアニメのキャラグッズが配置されていた。


 モニター前に置かれたアクリルスタンドや、コーヒーを飲むマグカップだってキャラグッズで固める徹底ぶり。


「ユリオス様に会いたい……」

「また言ってるんですか? 早乙女先輩」


 キーボードを叩く速度はこの場の誰よりも速いが傷心気味の恋子に話しかけたのは、恋子が面倒を見ている後輩。


 肩甲骨辺りまで伸ばした少しうねる茶髪。それを中間で割いて、毛束を入れ込んでくるりと回して結ぶくるりんぱアレンジをした、可愛い系OL後藤華ごとうはな


 このオフィスのデスク配置はバラバラで統一性がない。だが後藤のデスクは、恋子の隣。だからか、他の人より恋子の傷心具合が気になったのだろう。


「ごめんね後藤ちゃん。弱音吐いてちゃだめだよね!」

「いえ、そう言う訳では。ただ、最近2次元患いが酷いな……と」


 以前、『私たまに推し不足で凹むけど気にしないでね。2次元患い的なあれなだけだから』という恋子のセリフを聞いてから、後藤の中でこの現象は2次元患いだと定着した。


 恋子は単に緊張している後藤を和ませるつもりで言った。


 だが思いの外受け入れられたし、心配してもらえたことをキッカケに、『この子絶対、詐欺とか信じちゃうタイプだ』と思い、守りたい欲が湧いている。


「部長から回ってきた案件なんだけど、なかなか難航しそうで困ってるんだよ〜」


 恋子がヒラヒラと振る企画書を、興味本位で見てみる後藤。だが、あまりの項目の多さに驚愕した。


「期日はどれくらいなんですか?」

「1週間後だよ結構ギリギリになりそう」

「この量を1週間ですか!? 早乙女先輩どうして断らなかったんですか、期日過ぎたら怒られますよ?」


 恋子は飲み込みが早く融通も効くため、毎度ギリギリに仕上げるとはいえ、業績はトップクラス。


 その実績からくる自信ゆえか、無茶な仕事もとりあえずやってみようの精神で過ごしている。なので失敗することも多々あり、その都度部長に説教を食らっている。


「そうなんだよねぇ、これは怒られるパターンかなぁとも思ってる……」

「能天気すぎますよ!」


 無茶な仕事を回して、失敗する度に説教する部長はイカれてると確信している後藤。だがすぐにその無茶を承諾する恋子にも問題があると、最近思い始めた。


「自分のミスを早乙女先輩に処理してもらう私が言えることじゃないですけど、部長は少し早乙女先輩を頼り過ぎじゃないですか?」

「仕事ってそんなもんだよ? 後輩は先輩を頼って、上司は部下を利用する。これが社会なんだよ……」


 社会の闇に浸る社会人は格が違った。後藤と会話をしつつも、キーボードを叩く速度は変わっていない。


 恋子の精神面が心配になってくる後藤。そんな後藤をさらに不安にしている要素が、後ろから接近してくる。


「早乙女、今日飯でもどうだ?」

「……結構です」

「たまにはリアルにも目を向けた方がいいぞ? アニメばっかりの生活なんてどうかと思う」


 カジュアルスーツの男、杉田泰斗すぎたたいと。この男は、事あるごとに恋子を誘うイマイチフェイスの日本代表だ。


 目の間隔も、輪郭も、鼻筋も、どれもこれもが中途半端。なのに何故か自信に満ち溢れている。


「杉田さん、早乙女先輩は今やばいので今度にしていただけますか?」

「また期日過ぎそうなのか? 2次元に感けてるからだろ」


 勝手に決め付けて、呆れた態度を見せる杉田。それを睨みつける後藤。


 そんな後藤の威圧に臆した杉田は、「やれやれ、いい男が近くにいるのに2次元にこだわってるのはバカらしいな。こんなにもいい男が近くにいるのに」と言い残し去っていった。


((テメェじゃねぇことは確かだわ))


 この瞬間、恋子と後藤の心がリンクしたことを誰も知らない。



  ☆☆☆



 サイバー感は消え、すっかり部屋になった悠貴の空間。


「で、期日は守れそうなのか?」

「うん! あの後、後藤ちゃんが部長に抗議して項目ごとにみんなで分担することになったから余裕で間に合うよ!」

「凄いな、後藤ちゃんって人」


 ローテーブルに体を預けながら、「そうなんだよ! 仕事も徐々に安定してきてるし、人としては私より頼り甲斐あるんだよね」と、どこか誇らしげに笑う。


 一旦ローテーブルから離れた恋子。

 本棚に置かれた漫画をズラーと眺めて、目ぼしいものを数冊ローテーブルに持ってきて楽しそうにペラペラとめくる。


「ねぇ悠貴くん」

「ん?」


 ベッドの上であぐらを組む悠貴は、上半身だけで伸びをしながら答える。


「悠貴くんって転生する前は高校生だったんだよね?」

「うん、高校行ってたぞ」

「制服は? 学ラン? 学ラン着てた?」

「学ランだった」


 その言葉に恋子は、三角座りで曲げた脚を激しくジタバタと動かした。


「え、なに怖いんだけど?」

「フッフッフ! これ!」


 恋子が悠貴に見せた物は、部屋にあったラブコメ漫画。

 見開きで描かれたシーンをアピールするように、悠貴の顔に近付ける。


「とりあえず落ち着こうな」

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