3 ひゃうん♡

「……いいか? 俺からの条件は」


 ごくりと唾を飲み込む恋子。

 瞬きをしてゆっくりと恋子を見据える悠貴は、真剣な面持ちで言った。


「俺を拭く。これが条件だ」

「……そんなのでいいの?」


 あっけらかんとしている恋子。制服の袖で手を覆い、ユリオスの顔をゴシゴシと荒く拭き上げる。


「……ちょっ! おい、待て待て! 話を聞け!」

「汚れてないのに拭いて欲しいなんて変だね、でもご尊顔を拭けるなんて……」

「だから、話を」


 恋子の腕を掴んで動きを止めさせた悠貴は、ズイっと顔を寄せて。


「聞けってバカ」

「ひゃうん♡」


 耳元で囁かれた恋子は、腕を掴まれた状態のまま地面に崩れ落ちる。

 そのままブツブツ呟く恋子をスルーして、条件だけを伝えていく。恋子のオタぼやき(オタクモードのガチぼやき)時に介入すると、大抵オタ語りになる。悠貴は極力それを避けるようにしている。めんどくさいから。


「俺が言ってるのは、体を拭いてくれって話。データじゃなくて、本体の方な」

「? 本体なら蓮がいつも綺麗にしてるよ?」


 恋子は蓮に、「画面はちゃんと拭いて綺麗に保とうね」とは伝えたものの、代わりに拭くということを忘れていた。


 悠貴は、指紋を拭き取ってもらうより、美女に画面を拭いてもらうことが目標だったことを思い出していた。ので、ここぞとばかりにそれを達成しようと考えていた。


「違う! 俺は! お前に、巨乳の美人お姉さんに拭いて欲しいんだ。賭けに出ようとして、でもお前がディスプレイに映った時から――」

「――キャラブレやめて?」


 食い気味にお決まりのセリフを放った恋子。


「ユリオス様はそんなこと言わないでしょ!」

「言うんだよ! 現に今言ってんだろ、ユリオスってあれだからな? 単に偽名の俺だからな?」

「よし分かった! ルールを決めよう」


 悠貴の言い分を聞こえなかったかのように、突如言い出す。


「は? ルール?」

「そ! 私がこっちに来てる時は素で話すの禁止! 本体の時はいいよ」

「おい勝手に決めんなよ。つまり俺がずっと演技しろってこったろ? やだね!」

「お願い! ユリオス様ルート攻略するまででいいから!」


 完全に悠貴が提示した条件なんて忘れているように、欲望を爆発させる夢女子恋子。

 勇気の手を両手でしっかりと掴み、上目遣いで懇願する。


(く……これが社会人女性の交渉術ってやつか? 勝てる気がしねぇ、あぁくそ胸でけぇなぁおい!)


 胸の辺りが異様に膨らむ学園指定のブレザー。今にも弾けそうなボタンを見ながら、悠貴は負けを認めるしかなかった。


「分かった……」


 投げやりに言葉を放った悠貴とは対照的に、恋子は満面の笑みを浮かべる。


「言質とったよ!? 男に二言はないからね!」

「はいはい。あ、でもさ? 攻略って言っても何がゴールなんだ……」


 悠貴は、ここで気づいてしまった。恋子の巧妙な罠に。


 恋子をここに引き摺り込んだ時、このゲームは正規のルートをプレイすることが出来なくなってしまった。当然エンディングも見れるか分からない状況。


 ゲームを楽しみにしていた恋子を傷付ける行為。悠貴は深く頭を下げた。


 が、そんな悠貴に、「このゲームは特殊でね? キャラは1人しか選べないの。それにルートは色々あるもののトゥルーエンドが無くて、好感度が最大値に達した後は延々にイチャイチャしたり、他のキャラに口説かれたり、破局のピンチを乗り越えるゲームなの」と恋子は早口で言っていた。


 つまり、キャラの行動をひたすら楽しむゲーム。好感度を上げるという目標は消えたものの、ゲームの本筋は失われていないとのことで、恋子は気にしていなかった。


(やっちまったぁぁぁぁぁあああああ!!!! 完全に忘れてた!! 機械に転生してるのにどうして記憶力はそのままなんだよ! データ解析できるほど賢いのによぉ! データコピーとかも出来るのによぉ!)


 どうやら会話等のゲームに関係ないことは、本体に記憶させることはできないらしい。そのことに悠貴は絶望した。


「あれれ? もしかして……?」


 ニヤリと口角を上げる恋子。


「な、なぁ……そんな、攻略に終わりのないようなゲームやる意味……」

「男に二言は……?」


 鋭く何かを訴えかける視線に、悠貴は完全に萎縮してしまう。


「……ありません」

「よろしい!」


 ふふんと笑みを浮かべる恋子に、悠貴は心の中で叫んだ。


(嵌められたぁぁあああああ!!)

 

 これから過ごす学園生活に最大限の不安を残しながらも、悠貴は諦めたように唇に触れる柔らかい感触に身を委ねた。



 ☆☆☆



 深夜3時。恋子の部屋。


『寝なくていいのか?』

「うん、明日は休みだからねぇ。あ、でももうゲームはしないんだ……」


 ベッドサイドテーブルに置かれた悠貴ゲーム機に、なぜか申し訳なさそうに言った恋子。その申し訳なさはなんなのか、悠貴は分からなかったが、カバンから取り出された2冊の本で察した。


「一昨日から読みたがってた新刊か。夜ふかししすぎるなよ」


 朝早くから頑張ってる恋子を見て、今の嬉しそうに笑う恋子を見て。それでもなお自分の欲を通せるほど、悠貴は腐っていなかった。


(お疲れ様、恋子)



 ♡♡♡



「やぁおはよう恋子」

「おはようございます、ルーク先輩」

「ついでにユリオスもおはよう、ご機嫌いかがかな?」


 学園に登校した途端、恒例のように話しかけてくる男がいる。


 男の名はルーク・アンスリウム。燃え盛るような赤髪に、同色の瞳。高身長の体躯を駆使した立居振る舞いから溢れる自信と、自他共に認める輝きを放つ容姿で男女問わず、絶大な支持を得ている。


「……はざす」


 だがユリオスはこの男を毛嫌いしていた。理由は、イケメンで弱点が無さそうだから。


 故に、避けるようにして恋子の手を引いて教室へと移動する。


「待てよ、俺様にそんな態度をとるのなんてお前ぐらいだぜ?」


 逃げようとする悠貴を阻止するまでがテンプレ。


 そしてそれを無視するのもまたテンプレ。


「(ちょっと! 素のまま接してない!? ユリオス様はシカトなんてしないよ多分!?)」

「(ごめんねプリンセス、素が出そうだからシカトしたんだ……)」


 約束通り、演技を頑張る悠貴。だが、嫌いな相手に演技はできない。今までは、『堂々と振る舞え過ぎるユリオス』として喧嘩腰だった。


 でも今は、草食男子としての体裁も保たねばならない。素の悠貴は嫌いな相手には突っかかってしまう性格なので、シカトという選択をしている。


「おいなにコソコソ話してるんだよ」


 体を近付け親しくする悠貴と恋子に対して、あからさまに表情を歪ませたルーク。


「「…………」」

「お、おい! 2人とも!? え、恋子も俺様をシカト!?」



 ♡♡♡



 大きな黒板が生徒を威圧する空間、教室。

 1限目は世界史、教科書を机に出して教師が来るのを待つ。


「恋子、ルーク先輩に塩対応でいいの?」

「どうしてそんなこと聞くの? ユリオス様」

「だって、1人しか選べなくてもルークとイチャイチャしようと思えばできるでしょ? だから、どうなのかなって……」


 悠貴は、「ゲームなんだから色んなキャラと繋がるべきだ。そのほうが色んなイベントを楽しめる」と考えている。ので、ユリオス以外のキャラに対しての塩対応が理解できなかった。


 そして。


「私はユリオス様一筋だから! ゲームだろうと、純愛が1番いい!」


 恋子にとって、ゲームだからと言って本命以外の男と馴れ馴れしくするなんて行為、論外だった。


 ユリオスの頬に触れ、慈愛の笑みを向ける恋子。


(きっと、『他のキャラに取られないか心配してるのかな? 尊い♡』なんて勘違いしてるんだろうな)とユリオスは恋子の慈愛を受け止めた。


「――はいみなさん、おはようございます」

「「「おはようございます」」」


 クラスメイト全員が座席についたまま気だるそうに挨拶をする中、世界史の担当教師は黒板に、今日のテーマを雑な字で書き込んだ。


【プリンスナイトの誕生】


 聞きなれない言葉に戸惑う恋子とユリオス。だがクラスの男子は、待ってましたと言わんばかりに、整った容姿に付属した綺麗な瞳を輝かした。

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