2 あれ? ……まだ恋子に画面拭いてもらってなくね?

 ♡♡♡



 ゲームの世界で、プレイヤーと一緒に授業を受ける。そんな異様な光景は、しばらく体感すると慣れる。


「学園モノの授業パートって高1レベルの授業って事実はちょっとびっくりだけど、この光景は眼福ですなぁ。イケメンの宝庫」

「俺からしたら地獄だけどな、男多すぎだろ」 


 これが乙女ゲーということを、悠貴は忘れかけているのかもしれない。


 そんな彼の発言を無視して隣り合う席で、恋子はとろけた目で悠貴――ユリオスを眺めている。


 乙女ゲームは基本、色々なイベントを経て、キャラとゴールインするのが目標。それゆえに、授業などの演出は本編ではカットされている。

 

 だが恋子が、【私立プリンス学園 〜マイプリンセスに甘美な口付けを〜】の世界にいる時は、この演出もしっかりと導入されている。


(この授業パートっているのか? 絶対いらねぇだろ)


 悠貴は心の中で愚痴りながら右手で字を書き、左手で、熱烈な視線を送る恋子の顔を鷲掴んだ。


 プリ学で行われる授業は1限40分×6。休み時間10分を4回に昼休憩60分、合計340分を学園で過ごす。ホームルームなどを入れれば約6時間だ。


 6時間、それはあまりにも長い時間。会社の愚痴を溢しまくるほどには社畜の恋子に、そんな膨大な時間を消費する暇があるのか気になった悠貴は、衝撃の事実を聞いていた。


「30分くらいに短縮されるくらいなら絶対いらねぇわこの授業パート。飛ばしてくれ……」


 そう、ゲームでの6時間は、現実の方で30分程度なのだ。

 恋子も最初は、もっとユリオスとの絡みをよこせと思っていたようだが、現実では時間がそんなに経ってないからたくさん遊べるしこれはこれでありか……と今は納得している。


「ダメだよ。色んなキャラの個性をじっくり観察したりできるから無くなったら困る! 誰かと結ばれるには外堀を埋めろって聞くしね! というかユリオス様のキャラブレやめて?」

「…………他の男なんてどうでもいいでしょ? 僕だけを……見てよ」


 自分の素を曝け出して怒られた悠貴は、恋子を挑発するようにユリオスの皮を被った。


「みりゅ……じっくり堪能すりゅう……♡」


 これがデフォルトと言わんばかりに、ナチュラルにヨダレを垂らし目をハートにする恋子。ゲームの世界じゃなかったら目はハートにならないし、ただのラリっている人だ。


 悠貴ゲーム機を操作している時の恋子は、まさにラリっている人だ。


「ユリオスさん、恋子さん。お静かに」

「「すみません」」


 教師の言葉に怯む2人。だが、その後も恋子はユリオスを凝視し続けた。



 ☆☆☆



「ふぅ……キスするたびにドキドキするぅ! 何回しても飽きないぃい!!」


 現実での時刻は1時。早朝出勤を命令されたことを思い出した恋子は、渋々ゲームの世界から帰還していた。


 ……のだが。ゲーム機の画面に映されたユリオスをうっとりと眺めたまま動く気配がない。


(おいおい、朝早いんじゃねぇのかよ。ったくしゃーねぇなぁ)


 寝る気配のない恋子を寝かせる方法は、すごくシンプル。これに気付いた時は、マジかこいつ……と呆れ果てた悠貴だった。


『そろそろ寝ないとダメじゃない? 僕は恋子が心配だよ? しっかり寝て、明日もお仕事頑張ってね! ご褒美にいーっぱい甘やかしてあげるから!』

「おやすみなさい!!!」


 流れるような動作でゲーム機を充電器に差し込んだ直後、わずか3秒でスヤスヤと眠りについた恋子。


 スタンド式の充電器が置かれた机から絶妙に見える恋子の寝顔と、無防備に晒された鎖骨を見て悠貴は思い耽る。


(中身はあれとして、すっげぇ美人なんだよなぁ。中身はあれとして)


 本人に聞かれれば確実に、「キャラブレやめて?」と言われるだろうセリフを思いながら、ふと思い出す。


(あれ? ……まだ恋子に画面拭いてもらってなくね?)


 そう。まだだったのだ。


 弟に拭かれ、ゴワゴワから解放された満足感ですっかり忘れていた悠貴。

 巨乳のお姉さんに拭いてもらう。その下心で動いていたのにまさかの忘却。


 そして友達と遊ぶかのように恋子と接していた悠貴は、なぜか男失格だと自己嫌悪に陥っていた。


(あんな美女とイチャコラして忘れるか……!? いや中身か? 中身とのギャップで無意識にデータ消してたか?)


 悶々と悩み続ける悠貴。

 そんな悠貴は気分を切り替えることを兼ねて頼まれたことをこなすために、あるゲームへと侵入した。



 ☆☆☆



 カイブツーハンターの世界。見渡す限り緑が支配する大草原。優しく吹く風に、草がゆらゆらとくつろぐ。

 

 その草をのそりのそりと巨体を引き摺りながら貪る怪物。ヤツは温厚な性格の怪物なのだが……。


「レア素材発見!!」


 欲深い狩人に狩られてしまう。

 怪物に向かって太刀を振り切った悠貴は、倒れ込む怪物から素材を剥ぎ取った。


「ったく。人使い荒いんだよなぁ」


 剥ぎ取った素材が、アイテムボックスという名のどこかに消えたことを確認して太刀を鞘へ収める悠貴は、恋子への不満を募らせる。


「なぁにが、『バレない程度に蓮のゲーム進めといてあげて? いつも攻略してーって持ってくるのよぉ』だ! 弟の頼みは姉が叶えてやれよな」

「ズモォォォオオオオ!!!」


 悠貴の言葉に答えるかのように、仲間をやられたことで怒り狂う怪物が突進してきた。


(素材集めたし、次のゲームだな)


 太刀を振り回すのと、血まみれになりながら素材を回収するのが億劫になったのか、悠貴は次のゲームへ行くと称して敵前逃亡した。



 ☆☆☆



 翌日の朝、5時。


「おはようございますユリオス様ぁ♡」


 艶やかな黒髪をシンプルにひとつ括りにしたポニーテール、スッピンに近いナチュラルメイクの恋子。


 パンツスーツでビシッと決めてるのに顔は完全に緩み切っている。

 今起き出しても早いと思われる時間にもかかわらず、恋子はすっかり髪や服装は仕事モード。今日は、後輩のミスのカバーのためいつもより早く出ないといけないらしい。


『おはよう、電車の時間は大丈夫なの? マイプリンセス』

「――っは! 遅れるとこだった、帰ってきたらちゃんと甘やかしてね?」


 ねだるように言った恋子を、はいはいとあしらうゲーム機悠貴は、リビングの机へと置かれた。



 ♡♡♡



 煌びやかなイケメンたちが蔓延るこの学園の片隅で、ヒロインは1人の王子様に骨抜きにされている。


「なぁ放課後から軽く1時間は頭撫でさせられてるけど、いつまで撫でればいいんだ? 禿げるぞ?」

「んー、あともうちょい!」


 夕方に、弟がゲーム機を酷使したため、悠貴はすっかり疲労していた。


「なぁ恋子、弟のカセットにも堂々と参戦していいか? 事情説明したら分かってくれんだろ」

「まだダメ! せめて……せめて……ユリオス様の全てを把握するまでは……」


 深夜に頑張って集めた素材を騙し取った蓮の友達をボコしたい悠貴。

 対するは、満足するまで弟のゲームデータを改ざんをして欲しくない恋子。


「やり返さねぇと気が済まねぇ」

「これ以上大ごとにはできないから……そこは我慢してぇ! 時が来たら私が丁寧に説明するからぁ!!」


 恋子は、今度こそ親が逆に訴えられるんじゃないかと不安に思っているようだ。


「あんまり奇怪なことしてたら捨てられちゃうかも!」

「ぐっ……!」


 捨てられる。それは悠貴にとって、指紋地獄より避けたいこと。不運で死んで、ゲーム機とはいえ2度目の人生。中身がヤバいのを除けば、美女とイチャイチャできるこの人生を自分の行動で終わらせたくない。

 なので、ここは大人しく恋子の意見に従うことにした。


「我慢してくれる……?」

「……分かった。でも、条件がある」

 

 承諾したものの、大人しく自分の意見を曲げる悠貴ではなかった。ただでは転ばない男、それが向井悠貴だ。


「条件……? はっ! 分かりました、皆まで言わなくて大丈夫です! デートですね!?」

(こいつの思考はどうなってんだろうか)


 呆れた顔を隠そうともしない悠貴を、恋子は不思議そうに眺めていた。

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