小窓の母
尾八原ジュージ
小窓の母
深夜に書き物をしていると、目の前にある小窓に視線が吸い寄せられます。そこは磨りガラスになっている上に、開けたらすぐに隣家の壁というまぁいうなれば「絶対にこんなとこから覗く奴おらんやろ」というなんの面白みもない窓なんですけども、深夜になるとちょっと事情が違うらしい。今までそこに映っていたのは自分自身の顔だと思っていたんですが、先日髪型を変えたことによって、どうも違う人間が見えているらしいと判明したのです。
そいつはだらしのないセミロングヘアで、なんだか男とも女ともつかないおかしな奴なのですが、どうも自分に似ている気がする。まぁだからこそそこに映ってるのは自分だと思いこんでいたようなわけなんですけども、何となく親しみを覚えるわけです。さもなければ幽霊が出たなどといって大騒ぎし、深夜に書き物などできなくなっているに違いないのです。しかし自分に似ているあいつは一体誰なんだろう? 考えてもまぁ相手は知らないひとなので答えが出るわけもないのです。ただ、突き詰めていくとどうも「あれは自分の母親なのではないか?」という気がして仕方がない。そういう声が頭の中で聞こえてくるような気がするのです。
私の母親はといえば、郷里で元気に暮らしていまして、つい昨日も用事があって電話をしたところです。身内ながらなかなかお洒落には気を遣う人で、ほのぼのした丸顔によく似合うショートヘアにして、白髪染めなども定期的に行うような、そんな人なのです。だから深夜の窓ガラスに映る人影とは全然まったく似ても似つかないわけなのですが、しかしどうも自分の母というのはあの人でないかなぁ、という気がする。なんの根拠もないのに、確信だけはあるのです。
となると考えられるのは、実は自分が養子であって、郷里にいる両親とは血のつながりがないということ――と、それも些か無理がありまして、というのも私の顔はちょうどあの父と母を足して二で割ったような顔をしているし、生まれた直後の写真は残っているし、戸籍にも養子である旨の記載などはないのです。だからあれが私の母親であるということは、やっぱりありえないわけなのです。にも関わらず、最近ではあいつが出ると「あっ、お母さん」などと思うのですから、私を育てた母からすれば愉快な話ではないでしょう。私も決して愉快だからやっているわけではないのです。母への恩とか愛着だとかを忘れたわけではない。ただ、あれがそこにいるのだからこれはもう仕方がない。
しかしなぜあれをお母さんと思うのか、これがわからない。たぶんあれは私だけでなく、あらゆる人間に対して「あっおかあさん」と思わせる特性というか、そういう特技みたいなものを持っているのではないでしょうか。そうでなければ説明がつかない。この思慕のような心持ちに理由がないことになる。
最近私はあの小窓を開けるようになりました。開けたら私のほんとうのお母さんがそこにいるんじゃないか、捕まえられるんじゃないかと思って。でも開けたら見えなくなってしまうんですよね、当然です。あれは窓にしか映らないものなのだから。私のお母さんは窓にしか映らないのです。
なんて、自分の母親でも何でもないものに対してやたら親し気な気持ちが湧いてくるのですが、どうもこういうのはよろしくない、というのもその通りで。実はさっき友人から電話があったのですが、夢に私が出てきたというのです。そのひとが数年ぶりに私の家にやってくると、私がにこにこしながら出てきて「母です」とまったく知らない女性を紹介してきたと(友人は過去に何度か私の母に会っているのです)。それがなんだかだらしない印象の、中途半端な長さの髪をばらっと垂らした生気のない女で、だが友人もそれを(ああ、お母さんだな)と思ったというのですから奇妙なものです。しかし夢から醒めてみると、いや、あの人のお母さんはあんな感じじゃなかった、と思い直したのだそう。それが何だかひどく気になって、私に電話をかけてきたのだということでした。
他人まで巻き込んでしまうとさすがに気持ちが悪いので、私は例の小窓にカーテンをかけることにしました。家にあった突っ張り棒と使っていなかったカフェカーテンを合わせてそれらしく窓を隠すことには成功したのですが、さてこれにいかなる効き目があるものか。こんなものすぐにめくってしまえるのだから、あまり意味がないのかもしれません。ともあれ結果は今晩、夜更けに書き物をしているときにでもわかることでしょう。
小窓の母 尾八原ジュージ @zi-yon
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