第2話
夫がチンポガニに殺されて1年が過ぎた。
私は漁師を、男たちの仕事を知らない。けれども、彼らも抱く、夢というものはよく知っている。
チンポガニ漁に出る男たちの夢は様々だ。土地を買うため、金利生活の道への足がかりにするため、妻を娶るため...数え切れぬほどの逸る男たちの夢を、風の漏れるちいさな臥所で聞かされ、まどろんでいた。そうして1年経ったのだ。
北の海にて嵐と凍えに戦って得る莫大な報酬。それに眩んだ彼らのうち、再びこの街この港を踏むことができるのは3人にひとり、もしくはそれよりも少ないと言われている。
そして、夫は未だ帰らない。
「みんな出港したってよ。ほかの女どもはだいたい引き上げた。お前は?」
「残るわ」
そうかい、と言って、再び男は私の手首を掴む。夫より太い、しまりのない腕。酒を良く飲むひとの肌。しかし、艶のある綺麗な指。そのまま引き倒される。シーツの皺が痛い。
「あっ、んっ...」
そう、こう言って...ぎゅっ、とシーツを掴む。枕にすがる。胸を無防備に張り、腰を少し浮かせる。すると、男というのは直ぐに...正直に、なってくれる。
「だいぶ、...ふう、具合もっ、良くなったな」
はぁ、んん、と適当に啼いて返事をする。私は、貴方の...私のお尻に小刻みに当ててくるそれが、面白いだけだわ。
「上手くなったもんだっ...。だが、漁師には、やるなよっ...逆にやる気を出されて、壊されちまうっ...」
あら、ばれていた。
「ねえ」
「うん?」
あの後男は、廻りの油売りの少女を小銭で手早く抱いてやっていた。冬が来たといえど、船乗りが消え、宿が軒並み閉まるこの街で暮らすには、そうするしかない。
「なんで俺がこんなに強いかって?」
自慢のものをぐいっと張る。呆れたものだ、好色ぶりは職業柄だろうに。
「漁師のことよ」
「...お前、この秋で幾ら稼いだか知ってるか?」
このやり手の女衒は、ここいらでは珍しい一本筋の通ったもので、集金がてら自分が手をつけたぶんまで帳簿に付け、律儀に上がりからそのぶんを毎度差し引いていく。
「ほれ、見てみろ。来年には帰れるぞ。...待っていても仕方あるまい。今年は春までの場代もまけとくから、俺とこのまま引き上げろ」
「チンポガニ漁の男たち、二度目が無いのはなぜ?」
帳簿は読めない。けれど、嘘を書いていない事はわかる。
「......」
「なぜなの?どの娘もそう。立ってる娘にも、迎館のほうにも。男たちは帰ればすぐにここに来るわ。帰ってきた男はすぐわかる。どれだけ身奇麗にしていても、潮と汗の匂いでとても咥えれない。でも...」
この男が、こんな顔をしていたことがあったかしら。
「でも、チンポガニ漁の男たちは違う。最期の想い出と震えていた子も、気前のいい船長に奢ってもらって来た子も、みんな帰ってきた。...港で見たわ。やっとお金を手にして、路の真ん中で泣いていた子を抱き締めもしたわ。確かに帰ってきたのよ。あの子たちは、海の男になって!それでも...」
男は皿灯の傘を取り、たばこに火を点ける。窓を少し開けると、びょう、と風が反対の戸までを鳴らした。擦れた毛布を私の肩にかけて、そのまま手を置いた。
「街娼辞めて、高ぇトコ入りたいって話か?」
きっ、と睨んで、...直ぐやめた。何か、ある。
「確かに、連中は来なくなるよな。普通のことじゃないか。金も見たんだろう?」
「...ねえ、貴方、もしかして」
「仕方ないさ!!金があるならとっておきの想い出は糸目をつけちゃいけませんぜ、なんてどのポン引きでも言うモンだ!」
違う、違う、違う!!
これは確信だ。この男は、この男は。
「貴方、貴方も...チンポガニ漁に...」
「お前の旦那は死んだんだ。」
がしゃん。
男が持ってきた、高い酒の瓶が。風に殴られた重く暗いカーテンに、おもむろに掬われて。
「生き残った者は家族のもとへ。死んだものは海へ。...お前の旦那は、帰ってこなかっただろう」
振り向きもせず。びょう、びょうと喘ぐ風。
たばこの匂いはとうに消えていた。
「お金...じゃないわ。あの人も、あの子たちも」
私は、夢というものをよく知っているから。
「彼の...焦り方も」
けれども私は、男たちの仕事を知らない。
股のすぐ上あたりがなぜか急に、行為のそれとは異なる、違和感で刺し始める。
「チンポガニ漁に...何があるの?」
冬が赤土の路を覆い始めた。
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