第3話
「それじゃあ、まずは辻村の見解……もとい、答えを聞かせてもらうか」
「……これです」
明朝。
出社早々、辻村は久留へスッと書面を差し出した。
赤字で添削が踊る書類をまじまじと読み進める久留が、辻村へ鋭い目を向ける。
「ビジネス文書の体裁は直せてるけど、法的な観点はどうだった?」
「……特に気にするような部分、なかったと思いますけど」
「…………本当に、法的にチェックすべき論点はないと思ってるのか?」
そう問われ、辻村の心臓が跳ねる。
これはつまり、気にすべき論点がある、ということだ。
どうなっているのか、現場の実体を確認すべきだったと言われている。
けれど、なにを?
それが分からないから、単純に見落とした。
「じゃあ、問答するか。まず、この書類を受け取った製造元の立場になって読んだとき、気になることないか?」
「……いくらなんでも急すぎる、とかですか」
「現場から遠い委託先の法務の立場ならそう思うだろうけど、現場は事前にそうなるかもって連絡はもらってるわけだから、それはないだろうな」
「……なら、依頼事項が多いってことでしょうか」
「現場にいけない以上、実際に棚卸をしてもらう、そのダブルチェックをしてもらう、んでもって写真を撮って所定の報告書で報告、っつうわけだから、しっかりやってるな、とは思うけど多すぎるって印象はないな」
「……………………」
だったら、なにに引っ掛かっているのだろう。
見えない。
同じ視野を持てていない。
及ばない。
そんな当たり前の事実を痛感して、泣きたくなる。
「…………ヒントは下請法」
そんな辻村を見かねてか。
珍しく、久留がヒントを呟いた。
「……下請……ってことは、お金?」
「そう、金だ。委託先の立場になって考えたら当たり前の話だろ? 場合によっちゃ何時間もかかるだろう棚卸だ。委託元のために委託先のブランド名で作ってるもんの部品だの資材だの工機だのの棚卸を
「……たしかに、そう、ですね」
書店でバイトをしていたから、棚卸の面倒さは知っている。年に数回、店休日に行われた棚卸は神経を磨り減らす作業だった。数え間違いが起きないようにしなければならないし、とにかく数も膨大だから時間も掛かる。そのくせ単純作業の繰り返しで退屈でもあるという、本当に面倒でやりたくない仕事だったのは確かだ。
「ましてうちにみたいに年間数兆も売り上げのある会社から、棚卸をやってくれ、って言われて嫌だって断れる下請なんてそうそういない。表面上はお願いでも、実際にはほとんど命令に近いようなもんだしな」
「……つまり、経済上の利益の提供要請をするうえで、ちゃんと対価を支払ってもらえるのかが読み取れないってことですよね」
「そういうこった。つうわけで、多分似たような事例あるだろうから午前のうちに中小企業庁とか公取のHPで過去事例チェックしてもらえるか? 事例があるなら調達にも相応の対価を払えって言いやすいから」
「わ、わかりました」
デスクに戻り、すぐさま検索をはじめる。
中小企業庁と公正取引委員会のホームページから、下請法勧告一覧、よくある質問コーナー、報道発表資料を片っ端から読み漁る。
そうして、調査開始から2時間が経とうとしていた、そのとき。
「…………これだ」
ようやくお目当ての記事を見つけ、安堵の溜息をつく。
「……やっぱりどこも似たようなこと考えるんだなぁ」
改めて勧告内容をさらう。下請事業者が委託元のために実施した棚卸作業で生じた費用を委託元が負担しなかったことが、不当な経済上の利益の提供要請に該当する、と書かれている。まさに今回チェックしなければならないポイントで違反だと指摘されている事例そのもの。これなら対価を払うことを調達が渋っても説得するうえで十分耐えうる。
確認すべきは、やはりここ。
「久留さん。過去事例を見つけました」
「棚卸作業やらせて工数分の費用払ってなかったのが下請法違反に該当します、って感じか?」
「はい、まさしく」
「了解。とりあえずその資料メールで送ってくれ。金城さんからメール返ってきてるから転送する。内容確認して」
頷き、久留に資料を送る。それと同時、久留から転送されてきたメールを開いて中身を確認する。
『金城さん
お世話になります。久留です。
貴部の飯沼さんから確認依頼をいただいた件で確認です。棚卸作業の工数相当の業務費用、支払うつもりで動かれてますよね? うちのブランド製品作ってもらってる下請け先には適正な業務対価を払わないと下請法違反になる可能性あります。法務で調査して明日正式回答しますけど、貴部で支払い準備されてるか否か回答ください。
久留』
『久留さん
早速にありがとうございます。年末で忙しいところ助かります。
質問いただいた件ですが、すみません、頭から抜けてました。ただ、平時に協力してもらっている棚卸作業の工数相当分も委託先の意向で製造コストに上乗せするか都度払いしてるので、今回も工数相当は最低でも支払う方向で社内調整します。ところで、そういうことなら通知文書にもその旨書いた方がいいですか?
調達 金城』
『金城さん
工数分の支払いの件含めて、下請法の絡みになるので、正式回答は明日します。書くべきかどうかも検討して結果ご連絡しますので、明日一杯、時間ください。よろしくお願いします。
久留』
すごいな、と改めて思う。
飯沼から受け取った通知書面をみて、勘所に関わってくる内容をすぐに問い合わせているのだから、敵わない。
「転送したメール見たか?」
「あ、はい。つまり、書面を直して調達に送らないといけないってことですよね?」
「直せるか? チェックはしてやる」
「……やります。午前中に」
「別に今日いっぱいでもいいんだぞ? 時間はもらってあるんだし。それに、ほかの契約もあるだろ」
「いや、契約は大丈夫です。そっちはちゃんと納期含めて余裕もって調整してあるので。今日はこれをやります」
「……そうかい。なら、午前中に仕上げて。午後一番にチェックするから」
「はい、よろしくお願いします」
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