第8話 ハガイ

 門とは言っても梁もなく、扉も焼け落ちたままになっている。そもそも城壁そのものが崩れてしまっているので、出入口というほどの役割も発揮していない。それでも、レンガを積み上げた家が建ち並び、人の住む場所にはなっていた。

 神殿の丘に向かって続く坂道を上りながら、ハガイはバビロンを思い出していた。そこで生まれ育ったとはいえ、神から与えられた自分たちの国は西の果てにあるシオンだ。いつか、必ず戻るのだ。そう信じて、いやそう願って生きてきた。

 突如としてペリシテの軍勢を率いてキュロス王がやってきた時には、驚いたというよりも、あきれた。あれほどの力を誇っていたバビロニア帝国が、ほとんど抵抗らしい抵抗もせず、あっけなく滅び去ったのだ。少年の頃からずっと睨み上げていたイシュタル門は、ネブカドネツァルが造らせた当時のまま、空よりも青いその威容を、かけらも失わないまま、立ち続けていた。

 しかし、帰還命令を受けてたどり着いたエルサレムは、焼け落ち、崩れ落ちた廃墟だった。神のさばきとは、このような結果を招くのだということを改めて感じざるを得なかった。

 なだらかな坂は、丘の手前で急に勾配がきつくなる。ここは石段にした方がいい、と思いながら上り切ると、丘の上には広々とした空間の中ほどに、大きな岩が敷き詰められていた。神殿の礎石として据えられたものだが、その上には一本の柱すらなく、周囲に石材や木材が積み上げられたまま、苔に覆われている。打ち捨てられたようになっているそのあたりには、獣の気配さえ、感じられない。しかし、そのさびれた風景に溶け込むようにして、中ほどに腰かけている人影があった。

「ゼカリヤじゃないか。こんなところで何をしているんだ」

 ハガイは思いがけないところで見た年来の友人の姿に驚きながら言った。当人は名を呼ばれてもしばらくはそのままの姿勢で呆然と積み上げられた資材を眺めている。そう言えば、初めて会った時にも、この男はこんな風にぼんやりと崩れた城壁を見ていた。あれから10年にもなる、とハガイは思った。

「10年にもなるかね」

 ゼカリヤが答えた。

「なんだって」

 声には出していなかったはずだが、と思いながらハガイは問い返した。

「キュロス王の命令でバビロンから戻ってきてからさ。初めは勢いがあって、礎石を据えるまでは順調だったのにな」

 都の周辺に住み着いていた異国人たちの妨害で、神殿再建の工事は中断された。そうだ。その10年というのは、思い返して懐かしむべき歳月ではなく、神殿の工事が中断された期間なのだ。改めて、ハガイは思った。王家をはじめ、民を指導する者達を奮い立たせて工事の再開をさせねば。神に祈るうち、そういう思いが強く迫ってきてじっとしてはおられなくなった。自分達は神のことばを預かり告げる者として、そのために一緒にこの町に来たのだ。指導者達にそれを語る。その決意を固めるために、ハガイはここに来たのだった。

「神殿の建設工事を、再開させなければならない。たとえ、妨害があっても、だ。神が私たちと共におられる」

「そうだな。僕たちはそのために、いる」

 ゼカリヤの声は何故かのどかな、たとえば今日は良い天気だとでも言うような緊張感のないものに聞こえた。この男はエルサレムに上る道中ではじめて出会った頃から、そうだった。とにかくこうと示されたら黙っていられないハガイに比べ、いつもぼんやりと構えているように見える。そのくせ、語り始めると驚くほどに壮大な内容が現れてくる。神がキュロス王を通してエルサレムへの帰還をお命じになったのだ、とハガイが語ると、しばらく遅れて口を開いたゼカリヤは、はるか昔にモーセに率いられた先祖たちが、この地に入った時のことまでさかのぼって、キュロス王のその命令が、神の予告されたものであったことを説いた。

「私はこれからゼルバベル総督と大祭司ヨシュア殿のところに行く。神の守りがあることを伝え、人を恐れずに神殿再建にとりかかるように、力づけるつもりだ」

「僕はね」

 一緒に行くよ、そう続けるものだと、ハガイは思った。しかし、少し間を置いてから口を開いたゼカリヤの言葉は、ハガイの想像を超えていた。

「幻を見たんだ」

「幻?」

「そう、幻。それも何度も、いくつも。神が僕に、その幻を通して語ってくださった。その中には、ゼルバベルに関するものもあったし、ヨシュアに関するものもあった。もちろん、それを伝えに行かなければならないけれど、今それらを思い返していたのさ」

 ただぼんやりと過ごしているわけでもなさそうだ。幻を見て、それを思い返して、伝えるべきことを自分の頭の中に思い描く。それが、この男の特徴なのかもしれない。神からの示しを感じたら、すぐに言葉にしないではいられない自分との違いなのだろう。

 それにしても、その幻の中には、自分たちがこれから話に行くべき、総督や大祭司の名まで、あるという。それは、神が自分たちと共にいるということを裏付けていた。一緒に動くのが、楽しくなりそうだ。ハガイは、この後に始まるであろう困難な働きにかすかな高揚感を覚えた。風が二人の間を通り抜け、廃墟のようになっていた付近の風景に、色彩が戻ったような気がした。

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