第7話 ゼパニヤ

 かつてソロモン王が造らせたという玉座は、大きさにおいても装飾においても、諸国に抜きん出ていた。ヨシヤには少年の頃からその玉座に座っている自分の姿が、どこか他人のように感じられていた。ソロモン以降幾人がここに座ったのか、すぐには数えられなかったが、その主のあり方は随分と揺れ動いてきたと聞かされている。エジプトから自分達の先祖を助け出した神に従った王と、この地にいる異民族の奉じている異教の神を持ち込んだ王がいる。父アモンもまた、そうした異教を持ち込んだ一人だった。石や木で造った偶像を拝む異民族でさえ、彼ら自身の神々については変わらずに大切にしているというのに、何故自分達の民族は、自分達が助けられた神を捨てようとするのだろうか。イスラエルの先祖たちの神のことは、彼ら自身よりもむしろ、周辺の異民族の方が恐れているようだった。

「王よ」

 いつの間に来たのか、謁見の間の入り口に男が立っていた。

「ああ、来ていたのですか、ゼパニヤ。考え事をしていて気が付きませんでした」

 ヨシヤは、兄のように慕っている友人を見た。6つの段の上にある玉座に座っているヨシヤは、何故か足下にあるはずのゼパニヤの顔を見上げているように感じられた。

「ズクテヤ人がガザやアシケロンで暴れているのをご存知ですか」

 ゼパニヤはいつになく険しい顔でヨシヤを見た。ヨシヤのイスラエルの神に対する信仰と、父や祖父が残した異教の偶像に対する疑問は、この友人の影響によるところが大きい。かつてこの国の信仰を立て直したヒゼキヤ王を共通の先祖に持っている。

「もちろん、知っています。ことはペリシテ人たちの領土に留まりません。放置すれば、ユダの町にも町にも入ってくるでしょう。すでにダンからは救援を求める知らせが届いています。今、討伐の軍を集めさせているところです」

「王よ、兵を整える前にすべきことがあります」

 間髪を入れずに、ゼパニヤが言った。この男は歯に絹を着せるということを、知らない。それでも咎める者がいないのは、王族だからというだけではなく、私心のないことが誰の目にも明らかで、言葉にも説得力があるからだろう。

「ゼパニヤ、分かっています。イスラエルの神に対する信仰を立て直すということでしょう。それをおろそかにするつもりはありません。しかし、外敵に対する対応は急を要します。手をこまねいていて、民に被害が出てからでは遅いのです」

 事実、ヒゼキヤ王の時代にも、アッシリアの侵攻があって、国が滅びかけたのだ。その時には、アッシリアの国内で内紛があり、あわやというところで引き返していったと聞かされている。だからと言ってそんな僥倖を待っているわけにはいかない。

「王よ。そうではない。神は諸国の民もその御手に治めておられるのです。ズクテヤ人のことについても、決して偶然ではない。この国の民が悔い改めない限り、神の裁きの日が来るという警告に違いない。逆に、悔い改めれば神の御手は彼らの上に下るでしょう。順を取り違えられないことだ」

「神からの警告、ですか。なるほど、確かに神はイスラエルだけではなく、全世界を治めておられる方だ。しかし、だからといってあなたの言われる通りズクテヤ人が南下してきたことまで神の仕業というのは、飛躍しすぎてはいませんか」

 根拠もない、と言いかけてさすがに口をつぐんだ。純粋で信仰熱心な友人を、無闇に傷つけたくはなかった。ゼパニヤはゆっくりと玉座に近づいてきた。

「もちろん、これがそのまま神の裁きにつながるということではないでしょう。いや、そればかりではない。それはもっと恐るべき日です。神は忍耐を持ってこの国の民が悔い改めるのを待っておられる。それに甘んじるべきではない」

 甘んじてなど、いない。現にヨシヤは、滞っていた神殿の補修工事を再開させていた。しかし、それだけでは不十分だということも分かっているので、あえて続ける言葉を呑み込んだ。互いの間に沈黙が訪れた時、入口の付近が不意に騒がしくなった。誰かがやってきたようだ。張り詰めつつあった空気がふと緩み、ヨシヤは小さく息を吐いた。すぐに、神殿再建のことで祭司ヒルキヤの元に送っていた、書記官のシャファンが急ぎ足で駆け込んで来た。心なしか、青ざめているように見える。真面目な男ではあるが、これほど緊張した様子を見せることはない。

「どうしたのだ、シャファン。神殿の工事に何か問題でも起きたのか」

 シャファンは手にしていた物を王の前に差し出した。幾重にも巻かれたパピルスの束が、いくつか抱えられている。

「補修すべきところを見て回っておられた祭司ヒルキヤ殿が、脇部屋で見つけられたそうです」

 それ以上は話そうとせず、目をじっとその巻物に注いでいた。読んでみよ、ということらしかった。ヨシヤはゼパニヤと顔を見合わせながら、それを手に取った。

「……これは」

 数行を読んだだけで、分かった。

「これらすべてののろいがあなたに臨み……」

 かつて、モーセがアラバの荒野で説いたとされている、神の命令と警告だった。今、この国を覆っている恐れと重なった。ヨシヤはゼパニヤと顔を見合わせた。ゼパニヤは強く、うなずいた。長い闘いになるのだろう、とその目は語っていた。

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