第2話 アモス

 宝物庫として使われている神殿の脇間で、燭台の揺れる灯火に照らし出された羊皮紙を、アザルヤは長い間見つめていた。かつてヨエルという名の預言者が、イスラエルに悔い改めを迫る神の言葉を書き記したものだった。その時から2代を経たウジヤ王は、その治世の前半には神に従っていた。しかし、戦勝におごってしまったからか、祭司たちの言葉を聞かなくなった。先日も自らが神殿に乗り込み、祭司以外にはゆるされていない香を焚こうとした。アザルヤたちが追いかけてその前に立ちはだかり、きつく戒めたが耳を貸そうとせず、結果、神からののろいを身に受けることになった。この預言の書に書かれているように、王が悔い改めなければ国が失われる。しかし、聞く耳を持たなくなってしまった王を、祭司として止めることもできずにいた。

「失礼いたします、祭司長さま」

 若い男の声がした。レビの家系に連なる祭司の一人で、ウジヤ王が香を焚こうとしているということをアザルヤに報告した男だった。

「北のベテルから戻ったという者が神殿を訪ねてきております。預言者だと名乗っておりますが」

「ベテルの預言者だと」

 アザルヤは思わず目を上げて、取り次いだ若者を見た。ヤロブアムの治める北部にはイスラエルの神殿もなければ祭司もいない。同じアブラハムの子孫でありながら、ほぼ異教徒の群れとなってしまっており、その中で神のことばを伝えることの困難さは想像して余りある。

「行こう」

 すぐに立ち上り、神殿の入口に向かった。本当なら労い、もてなしてやるべきだろうし、偽物であれば神殿から追い出さなければならない。

「アモスと申します、祭司長殿」

 神殿の入り口に立った男は、衣服なのかどうかももはや判別がつかないくらいにボロボロになった布に身を包んでいた。

「ベテルから来られたとお聞きしたが」

「生まれはテコアです。牧者をしておりましたが、神からことばを授かり、ヤロブアム王のもとに行ったのです」

 アモスと名乗った男は、まっすぐにアザルヤの目を見、堂々と応えた。牧者だったとのことだが、この場所で、しかも祭司の長であるアザルヤを前にして、気後れをした様子はない。それは決して偽りを言っている目ではなかった。

「それで、反応はどうだったのです」

 その様子からして歓迎されていたとは思えない。アモスはまっすぐにアザルヤを見ていた目線をわずかに落とし、

「追放されました。王の側にいた預言者アマツヤから、ベテルでは2度と語ってはならないと言い渡されたので、やむを得ず、戻ってきたのです」

 と答えた。

「それは」

 同じ預言者であるはずの男から追放を告げられたという。さぞかし、無念だったろう。恐らくは、貧しくとも平和だったであろう生活を捨ててまで出向いたその結末を聞いて、アザルヤは胸を衝かれた。同時に、この国で同様に起こりつつある信仰の腐敗のことも、思い出した。

「アモス殿。あなたにお見せしたいものがあるのです」

 神殿の宝物庫にレビ族以外を招き入れることに若干のためらいを感じたが、何故かそうしなければならないという思いの方が強かった。はじめて足を踏み入れるのであろう神殿の脇間に、案内されるままに入ってきて戸惑っている様子のアモスに、アザルヤはつい先刻まで手にしていた羊皮紙を手渡した。

「これは」

「昔、ヨアシュ王の時代に、ヨエルという名の預言者が書き残したものです。あなたと同じ様に王の前で神からの警告を語ったが、聞き入れられなかった。それで、後の世に神が語られた証しを残すために、その言葉を書き記したものです」

 アモスは、手渡された書を、しばし食い入るように見つめていた。共感するものがあるのかもしれない。それが少しでも慰めになれば、とアザルヤは思った。しかし、やがて顔を上げたアモスは、アザルヤの予想しなかったことを語った。

「主はシオンからほえ、エルサレムから声をあげられる……これは、わたしが神から聞いて語ったのと同じことばだ」

「なんと。これは何十年も前に書かれたものだ。同じものだと言われるのか」

「同じ神が語られたのだから、当然なのかもしれませんが、驚きました」

 理屈は確かにそうだが、にわかには信じ難い。そのアザルヤの戸惑いを読み取ったのか、アモスは続けた。

「信じられないとお思いでしょうけれど、事実です。それを証しするために、私も神から預かったことばを書き留めてみます。羊飼いでしたが、文字の読み書きは学びましたから」

 言われて、そう言えば読み書きができるかどうかも確かめもせずにここにつれてきてしまったということに気付き、アザルヤは自らの迂闊さを束の間恥じた。「このヨエルの書によれば、神は堕落した民をさばかれるが、同時に赦しと回復をも約束しておられるとあるのだが」

 いくら読んでも理解できなかったことをアザルヤは思わず問いかけていた。

「ホセアという預言者がいました。北にいる間、私のただ一人の友人でしたが、彼も同じことを言っておりました。神は赦そうと願っておられるのだと」

 灯火の揺れたためなのか、アモスの表情が少し揺らぎ、微笑んだように見えた。この男の書き記す神のことばも、読んでみたいとアザルヤは思った。

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