勇気について

「ところで、なんで魔王は国境にいるんだと思う?」

 リュミエールは馬を走らせながら尋ねた。



 宰相たちは念の為、ベルゼビュートが魔法で街道脇の木に拘束している。

 通りかがった者達は不審がるだろうが、余計な事を言ったらどうなるか、脅しは十分にかけておいた。



「おそらく、俺も通って来た“扉”のある場所、あそこが国境だったのだろう」

「扉って?」

「魔界と人間界は普通交わることはない。しかし、一部だけ二つの世界が交わる場所がある、それが、”扉”と呼ばれる。強大な魔力を持つ者でなければ開くことはできん。ちなみに人間界で見られる魔物は、その隙間から漏れ出たものたちだ」

 彼はそう説明した。


「兄上達はその扉を開け放ち、魔界の魔物を一斉に召喚。そのまま世界征服を狙っているのだろう。『俺に二つの国の王子と姫をさらってこい』と言ったのも、その混乱に乗じて扉を開くつもりだったのだろう――あそこか!?」


 彼の声を合図に二人は馬を止めた。

 事態は一目瞭然だった。

 リュミエールは身体が冷たくなり、肌がぞわぞわと隆起するのを感じる。




 ミネルフィア王国とフロンライン王国。二つの国の国境付近は平原とは言ったものの、実は農地にもならない荒野だった。

 植物もほとんど育たない、乾いた土と岩の多い土地。普段から寂しい場所だと思っていたが、今は寂しさというよりもおぞましさが感じられる。


 その原因は、

「なに、あれ……あれが“扉”!?」

 まるで塔のように天に向かいそびえる、漆黒の門のせいだろうか。


「兄上達……よりによってで人間界に!? おのれ、何処までもなめてくれる……」

 ベルゼビュートが睨む先、扉の前に二つ分の〝影〟があった。


 それはどことなく人の形をとっており、リュミエール達の足元に伸びる物と一見同じに見える。しかしずっと濃い闇の色をしていた。

 ベルゼビュートはそれを凝視し歯を強く食いしばっている。その音がここまで聞こえてきそうだ。


「一方通行状態って何?」

「あそこにある影のようなものが見えるだろう? あれが兄上達だ」

「あれが……!? 聞いた途端、腕のブツブツがひどくなったよ」

「ちょっと、それで本当に大丈夫なんでしょうね!?」


 正直ジャンヌの言葉に答えている余裕はない、目の前の敵を必死で見据えた。

 もっとも向こうは目も鼻も口もないので、こちらに気づいているかも分からない。


「あれは形通り影だけの状態でな。本体が魔界にいても操作ができ、それゆえ安全で労力が少ない。さらに目的を達するまでどんな説得にも動じない。つまり、お前ら下賤の生物の言葉など聞く耳持たん状態ということだ」


「一方通行ってそう言うこと!?」


 リュミエールたちは声を上げたが、ベルゼビュートは、

「おのれ兄上、堂々と征服すればよいものを」

 などとますます歯を食いしばる。


「兄上達の卑怯者、外道、悪魔、人でなし!」

「……それを魔王のアンタが言うわけ?」

 呆れ半分、ジャンヌがベルゼビュートを睨んだが、彼は真顔で平然と言う。

「それは冗談として。まあ、ともかくだ」


 彼はひらりと馬から降りた。リュミエールたちも溜息をつきつつ地に足を下ろす。




「良いか、影とは言え兄上達の力は強力だ。倒すことはまず不可能だと思え」

「だったらどうするの? このまま指を咥えて見てろって?」

「いや。兄上達には、早急に魔界へお帰りいただく」

 ニヤリと笑うベルゼビュート。


「扉は強大な魔力の持ち主しか開け閉めできん。俺が誰か、もう忘れたのではあるまいな?」

 そう、彼は魔王ベルゼビュートなのだ。つまり扉を開け閉めできるという事なのだろう。


「兄上達はおそらく、これから扉を開け魔界から大量の魔物を呼び出すだろう。魔物は俺が扉から出ぬよう押さえる。貴様らは兄上達を扉の向こうに押し返せ。後は俺が扉を閉め、扉を封印する。これでしばらくはここも安全だろう」


「封印なんて、できるの?」

 ジャンヌが天を見上げ、表情を曇らせる。その扉はあまりにも巨大だった。

 しかしベルゼビュートは不敵な笑みを浮かべた。


「任せろ。鍵をかけるのだけは得意でな、兄上達にも負けたことがない。昔いじめられる度に鍵を閉めて籠城——いや、なんでもない」


 一瞬彼の暗い過去を垣間見たような気がしたが、方法はそれしかないようだ。




「おっと、兄上達もどうやら、俺達に気づいたようだ。扉が、開くぞ」

 黒い影がゆらめいたかと思った瞬間、影はその身体を何倍にも膨らませた。リュミエールの身長三人分はありそうだ。


 それは扉の合わせ目に纏わりつく。

 すると重厚な轟音を立てて、扉が開き始めた。

 隙間から、ポツポツと火が灯るように無数の赤い瞳が現れる。嗤っているような低い声が無数に湧き上がり、脳に直接響いて心臓を揺さぶった。


 リュミエールは腕の震えを止めようと、爪が食い込むほどに拳を強く握る。



「行くわよ!」

 ジャンヌが黒い影たち目がけて飛び出した。

 影は向かってくる彼女を認識したのか、ぬらりとその身をくねらせ、予想以上の速さで左右に分かれ飛びかかってくる。


「影だとて触れられぬことはない! 遠慮なく、というかむしろ、一切の容赦なく扉の中へ押し戻せ!」


「言われなくても、そうさせてもらうわ!」

 ジャンヌはレイピアを構え直すと、呆然と立ち尽くしたままのリュミエールを一瞥した。


「リュミ、ぼさっとしない! 右の方をお願いね」

「あ、えっ?」

 それだけ告げて、彼女は左の影へ向かって行く。

 

 空中から襲い来る影を屈んで避け、すぐに体を反転させてレイピアを突き出す。一瞬影を捉えたと思ったが、その攻撃は影をかすっただけだった。


「おっと、貴様らはそこから出て来ないでもらおう」

 我先にと押し出て来る魔物を冷たく睨んだベルゼビュートは、呪文を唱えそれを放つ。

 

 途端に黒い線が次々と引かれていった。それはまるで鉄格子のように魔物を閉じ込めてしまう。隙間から魔物達が腕だけを伸ばし、不快な声を上げる。

 ベルゼビュートはそれを鼻で笑うも、負荷に耐える様に奥歯を噛み締めた。


「タイミングを合わせろ、兄上達を扉へ誘導したら俺は魔法を――って貴様は何をしておるのだ!?」


 リュミエールはジャンヌに言われた通り右の影の相手をしていたが、それはどう見ても、影に遊ばれているようにしか見えない。

 からかうように縦横無尽に飛びまわる影に向かって、彼は当りもしない矢をひたすら放っているのだ。


「何してんの!? 弓じゃ無理よ、早く剣を抜きなさい!」

「や、でも……やっぱり」

 ゴブリンなどの気配とは比べ物にならない。強い“魔”がいるという意識が、彼の腕を足をかつてないほど震えさせていた。

 剣など握った途端に落としてしまいそうだ。


 頑張ると誓った途端、これだ。


「頑張るって言ったじゃない!? リュミがそんなんじゃ、アンタの国はどうなるの!?」

 ジャンヌがもう一つの影と戦いながら、必死で声を張り上げている。


 その時できた隙を狙い、魔王の影が手をかざす。即座にが彼女に向かって放たれた。

 ジャンヌは咄嗟に身を捩ってかわすが、魔王の攻撃はその白磁の腕に浅く傷をつける。


「魔力の刃だ! 気をつけろ! まともに受けると脆弱な人間など細切れになるぞ!」

「ええ。分かってるわ!」


 魔王の攻撃は続く。

 彼女はレイピアでその攻撃を防ぎながらも、いくつか防ぎきれなかった攻撃が腕や足に小さな傷をつけていく。

 改めて見ると、その手足はひどく華奢だった。


「ジャンヌ、僕のことはいいから! 危ないよ!」

「良いから! それより私の話を聞きなさい」

 ジャンヌは影と一旦組み合うと、その身体を右足で思い切り蹴り上げた。

 少しはダメージがあったのか、魔王の影は一瞬力を緩めた。そこへ間髪入れずレイピアを突き出す。

 影の一部に剣が突き刺さり、苦しむ様に揺らめいた。



「最初はアンタも私が嫌いな軟弱者だと思ってたけど、『頑張る』って言ったリュミの目、あれは絶対嘘じゃなかった! それに、アンタ自分の国の人たちからあんなに信頼されてたじゃない!? リュミは、その皆の期待を裏切る気!?」

 魔王の影は力任せに身体を捩って刃から逃れようとする。

 ジャンヌはその場に踏ん張り、さらにレイピアを深く押し込んだ。


 あの華奢な腕からどうやったらそこまでの力が出せるのだろう。



「貴様が俺に『勇気の第一歩になれ』と頼んだのだろう」

 ベルゼビュートの声が聞こえた。

 攻撃の間に一瞥すると、彼はこちらに背を向けたままだった。

 その声色は今まで聞いたことのないほど、静かで力強かった。

「だから、俺は貴様らと共に下剋上を決意したのだ。どういうことか分かるな?」


「べ、ベルゼビュート……?」

「言わんと、分からんか……!?」

 戸惑うリュミエールに向かって、ベルゼビュートが吼えた。


「その勇気とやらで!! リュミエール!!」

「王子なら、皆のために根性出しなさいよ!」


 その時、リュミエールの回りを飛び回っていた影が、突如方向を変えジャンヌの元へ向かった。


 彼女は慌てて相手をしていた影から、レイピアを引き抜こうとする。

 しかし、深々と刺さっていた剣はその身体に取り込まれ、抜くことができない。


 影の両手が妖しい輝きを放った。

 ニヤリと影に不気味な穴が空く。


 まるで笑みのようだった。


「ジャンヌ!!」

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