一歩、について

「このまま国境へ向かうか? 貴様らの国はどうする?」

 もちろん国のことも心配だ。しかし、ベルゼビュートの言葉を信じるのであれば、元凶だと思しき魔王の気配は国境にあるのだ。


「いっそ二手に分かれる、というのはどうだろう」

「三人で?」

 ジャンヌの言う通り、こちらは三人。リュミエールと彼女はそれぞれ自分の国に行くとしても、ベルゼビュートはどうするのかという問題が残る。


「でも国境に向かっている間に、どちらかの国が取り返しのつかないことになるかも」

「ち、面倒な!」

 こうしている間にも、二つの王国から逃げ出してくる人は増えて行く。


 中にはガラガラと派手な音を轟かせ、三人の横を通り過ぎて行く立派な馬車の姿もあった。


「――——ん?」


 リュミエールとジャンヌはほぼ同時に声を上げ硬直した。

 今の馬車に乗っていた人物。

 見間違いでなければ、まさか。


「どうしたのだ?」

「今の、馬車……ウチの宰相が乗ってた」

「うちのも」

 思わず額を押さえて呟いたジャンヌとリュミエール。


 そう、鍵を握っている存在であるはずの宰相が、何故か馬車に乗って逃げているのだ。


「な、何」

「待て、そこの馬車あああああ!!」

 リュミエールとジャンヌは、踵を返すと通り過ぎた馬車を捕まえるべく馬を走らせた。




「うおっ、王子様⁉︎」

「姫様も、何故ここに⁉︎」

 乗っていたのは、やはり二つの国の宰相だった。御者席に座り自ら手綱を操っている。

 二人は王子たちの姿を認めると、馬に鞭打ちさらに速度を速めた。


「待て! どういうことか、きっちり説明してもらおうか⁉︎」

 ベルゼビュートは呪文を唱え、それを馬車の進行方向に向かって放った。

 風の衝撃で地面が抉られ、馬車が埋まってしまう程の穴ができる。たまらず馬は急停止し、馬車は大きく揺れて止まった。


「はい。ちゃんと説明してね、お二人さん。私、軟弱者とぐだぐだ言い訳する男は嫌いなの」

 馬車から宰相を引きずり下ろすジャンヌの表情は、魔王のベルゼビュートがぶるりと震える程だった。


「申し訳ございませんでした!!」

 額を地に擦り付け、いや、叩きつけるような勢いで、二人の宰相は頭を下げる。


 そのあまりの必死さに、三人は思わず顔を見合わせた。

「とりあえず、事情を説明しろ。一切合切、洗いざらいしゃべれ」

「は、あの、それが実は……私たちはその」

 歯切れの悪い宰相たちを、再びジャンヌが睨みつける。

 途端に縮み上がる様にして彼らはあっさりと口を割った。




「あの、実は我々は共謀して、国を乗っ取ろうとしていたわけでして。王子様と姫様には国を旅立っていただき、その間に、ちょっと」

 やはりそう言うことだったらしい。

「『ちょっと』、じゃないだろう」

 リュミエール達は怒りを通り越して、大きな溜息を吐いた。


「まあ、アンタたちの処分は置いといて、だったらなんで逃げて来たのよ」

「それがなんと! 魔王どもが我々を裏切ったのです!」

「は、魔王が?」

 立派な髭を生やしたフロンラインの宰相がそう言うと、痩せたミネルフィアの宰相も身を乗り出すように一息で喋り始めた。


「そうなのです、奴らは『我らと契約して王国を乗っ取ろう』という提案に頷いたにも関わらず、裏切って私の、いや、皆の国を乗っ取ったのです!」


「ええっと、つまり」

 ジャンヌが首を傾げ、こう問うた。

「魔王や隣国の宰相と協力して国の乗っ取りを企てた挙句、その魔王に裏切られて尻尾巻いて逃げて来た、ってこと?」


 宰相たちはぐうと左胸を押さえて呻いた。

 しかし事実その通りなのだから反論もできないらしい。


「馬鹿なのかな」

「仮にも宰相が、情けないわね」

 リュミエールたちが言い放った一言で、宰相達はさらに呻いて蹲る。



「全くその通りです。我々がしたことは決して許されることではありません」

「どんな罰でも受ける覚悟です。しかし、このままでは二つの王国が、世界が滅びてしまいます!」

 彼らは両手のひらと両膝を地面につけ、三人に向き直った。

 その縋る様な眼差しは、リュミエール達が最も苦手とするものだ。

「お願いです、魔王の手から二つの国を助けて下さい‼︎」

 宰相達は額を地面に叩きつけ、頭を下げた。




「貴様ら! 諸悪の根源が図々しいことを言うな! 誰が貴様達の頼みなど——」

「仕方ない。アンタたちの処分は後回し、ね! 国境へ行きましょう」

「ああ!?」

 ジャンヌの言葉に、ベルゼビュートは信じられないといった様子で首を横に振る。


「前々から愚かだとは思っていたが、本当に愚かだったとはな。こいつらは貴様達の国を乗っ取ろうとした奴らだぞ!? そんな奴らを、助けるというのか⁉︎」


「勘違いしないで、別にこの人達を助けるためじゃないのよ」

 ジャンヌが自らの左胸に手を置いて、真っ直ぐ顔を上げた。



「フロンライン王国は私の国。そして、私はこう見えてあの国のお姫様——姫が国と国民見捨ててどうするのよ。私のおじいちゃんだって、きっとこうするわ。例えどんな状況だって、守るものはきっちり守るものよ」


 ベルゼビュートは軽く舌打ちをして俯く。


 ジャンヌの言葉をじっと聞き入っていたリュミエールは、まるで自分に言い聞かせるように何度も頷いた。


「そう、今危機に瀕しているのは僕らの国だ。そして、僕はミネルフィア王国の王になる、王子だ」


 リュミエールにも、守らなければならないものがあるのだ。



 ジャンヌと視線を合わせる。

 彼女はリュミエールの言葉に満足したように、笑顔で力強く頷いた。



「で、アンタたち、お父様たちは無事なんでしょうね?」

「ご無事です。王たちは臣下が真っ先に安全な所へ――まだ王国内には留まっておられますが、魔王どもは今何故か国境付近に陣取っていますし、おそらく安全かと」


 王が王国に留まっているのにも関わらず、逃げて来たのか。

 宰相たちの処分は後回しにするとして、とにかく魔王の下へ向かわなければ。



「良し、行こう」




「待て! 俺は行かんぞ。兄上達と喧嘩などごめんだ。邪魔はせんから勝手にやってくれ」

 ベルゼビュートはそう言って、馬から降りた。

 片手をひらひらと追い払う様な仕草をすると、あっさりリュミエール達に背を向けてしまう。


「ベル、それで、本当に良いの? お兄さんたちと何か因縁があったんじゃないの?」


「フン、貴様らには分からんさ。何千回、何万回挑んでも、兄上達の足元にも及ばなかった。兄上達の力はそれだけ強大ということだ」


 ジャンヌはしばらくベルゼビュートの背を見つめていたが、

「弱虫」

 やがてボソリと呟いて、彼に背を向けた。


「ジャンヌ……」

 リュミエールはジャンヌを一瞥すると、ベルゼビュートに視線を向ける。

 ごくりと喉を鳴らすと、震える身体を誤魔化すように、強く拳を握り締めた。


「あのさ、ベルゼビュート」


 怪訝そうに彼は振り返る。

 目が合う。

 リュミエールは逸らしそうになる所をぐっと堪え、真っ直ぐその瞳を見つめた。

 ベルゼビュートの瞳が僅かに見開かれる。


「えっと、魔王だって分かってから、その、ごめんね。どうしても駄目で。でも、こんなことじゃ国を守れないよね。だから、僕頑張ろうと思う。無理に一緒に来てとは言わないから、最後に頼みがあるんだ」


 一歩、二歩。歩みを進めて彼との距離を縮める。

 そして握り締めていた拳の力を解き、片手をゆっくりとベルゼビュートの目の前に差し出す。



「握手だ。これが別れの印でも良いから。僕の勇気の、第一歩に協力して——いや、欲しい。これは、君にしか頼めないことだから」



 その手は明らかに震えている。

 リュミエールは唇を噛み締めた。


 ジャンヌは二人のやり取りを、静かな瞳で見つめている。


 少し間を開けて、ベルゼビュートが深い溜息をついた。



「馬鹿者。これで克服などできるわけがなかろう」



 彼の手が伸びて、リュミエールの手をぺしんと軽く叩いた。

 我慢していたのに、腕と背中に悪寒にも似た感覚が奔る。


「今はこれが限界だろう? これで兄上達に勝てるのか?」

「う……それは」

 つい目を泳がせる。


「だが、俺に助けを求めたことは褒めてやろう。人間という下等生物の願いとは言え、それには応えねばなるまい」

 へ、と間の抜けた声がリュミエールとジャンヌの口から洩れる。


「気が変わった。下剋上というのも悪くない」

 ベルゼビュートは大きく胸を張り、ニヤリと笑う。

 リュミエールとジャンヌは顔を見合わせ、表情を輝かせた。



「じゃあ乗って! 飛ばすわよ」

 ジャンヌは馬に颯爽と跨り、ベルゼビュートに向かって片目を瞑ってみせた。

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