あけてよ

大成 幸

第1話 「実験」

 松本太一まつもと たいちはゆっくりと瞼を上げる。徐々に鮮明になっていく視界で、まず映ったのは自分の太腿と両足。


 下に焦点を当てたままの頭を上げようと、首に力を入れた途端に痛みが走った。痛みが走ったのと同時に、太一は違和感を覚えた。


―なんでこんな格好してるんだ。


 座ったまま寝た記憶なんかない。ぼんやりとする頭で記憶を探り始めようとする。その時、恐ろしいことに気づいた。


 椅子の脚にロープで縛られた足。さらに、自分の腹周りもロープで縛られている。気づいてから、足と腹に圧迫感を感じ始める。


 恐怖で頭が一瞬で冴える。ロープを外そうと手に意識を持っていく。しかし、少ししか動かなかった。動かそうとするたびに、手首に痛みが走る。この圧迫感と痛み、両手も縛られているのだと気づいた。心臓と頭が強く脈打ち始めている感覚に襲われ、恐ろしい単語が頭に浮かぶ。


―まさか、


 状況から見て、そう思うことしかできなかった。


 太一は左右を見渡す。なにもない殺風景な部屋。上から降り注ぐ豆電球が、部屋を薄い黄色に照らしている。


 正面に向きなおると、奇妙なものに気が付いた。


 木でできた3つの箱。死者を送るためのものであると分かったが、違和感を覚えた。透明な膜で覆われているように艶やかで、それぞれには南京錠が付けられている。それに、木製の茶色い棺には左から順に“1”、“2”、“3”と番号が書かれた紙が貼られている。


 なぜこんなものがあるのか、不思議に思いながら眺める。その時、後ろからガチャと扉が開いたような音が聞こえた。突然の物音に、心臓に強い衝撃を受ける。

 再びガチャと音がしてから、今度は足音が響き渡る。どんどん自分に近づいてきている。


 足音は自分の真横で止まった。太一はゆっくりと左上を向く。そこには、白い仮面をつけた何者かが立っていた。黒色のパーカーを着ていて、頭はフードで隠れている。


―こいつが俺を誘拐したのか。


 恐怖を抱きながらも、太一はゆっくりと口を開く。


「誰だ、あんたは」

 太一の質問に仮面の何者かは答えることなく、太一の横を通りすぎた。3つの棺の前に立ち、ゆっくりと太一の方に向き直った。


「はじめまして、松本太一さん。私はあるをしたくて、あなたをここに連れてきました」


?」


 何者から出た低い声。声といい、高い身長に広い肩幅から男と瞬時に判断した。しかし、それよりも“実験”という言葉が引っかかった。 


「一体、何の実験だ」


「まずはこちらをご覧ください」


 そう言うと、仮面の男は上着のポケットから3枚の写真を取り出した。その中の一枚を、太一の目の前にかざした。太一はその写真に写る男を見つめる。


「誰だ、こいつは」


「自殺願望の強い男です」


 そう言われ、太一は写真に写る男を眺める。一見すると、ネガティブな印象は受けなかった。短髪で焼けた肌に笑顔を浮かべた青年は、前向きに生きているのだろうと思えるほどに素敵な笑顔だった。死にたがりなんて思えなかった。


「次はこの方です」


 仮面の男は二枚目の写真を太一の目の前にかざした。その写真を見た瞬間、太一の頭の中に憎しみの感情が蘇る。


中本通なかもと とおる。なんでこいつが」


「あなたにとっては忘れたくても忘れられない相手でしょう」


 太一は仮面の男をにらみつける。


「10年前の2011年3月24日。あなたの妻をひき逃げしたにも関わらず、そのまま逃走して死なせた」


 太一は頷きもせず、ただ黙って聞いていた。


 二度と見たくなかった。直接会わなくても、写真越しに中本の顔を見ると、つらい日々が頭の中で再生される。


 妻を失ってから、ずっと中本を殺す妄想をし続けていた。裁判所で中本を見る度に、実行したい衝動に駆られていた。しかし、そんなことをすれば周りの人間が悲しむ。実行すれば心が少しでも軽くなるに違いない、自分を肯定する気持ちを抑えつつ、法の裁きを待ち続けた。


 中本に判決が出るまで、太一の精神は穏やかではなかった。できれば忘れてしまいたかった。こんな形でまた見ることになるとは思わなかった。


「では、最後の一人です」


 仮面の男は3枚目の写真を目の前にかざした。写真に写る少女を見て、太一は大きく目を見開いた。


愛実まなみ!」


 自分の娘だった。肩まで伸ばした黒髪と二重の大きな瞳。歯を見せて笑顔を浮かべる表情と雰囲気が二十歳頃の妻によく似ている。しかし、そんなことよりも、娘がどうしてここにいるのかという疑問が頭の中でいっぱいになる。


「実は、今お見せした写真の3名は、これらの棺の中に入っております」


 仮面の男の言葉を聞いて、太一は目の前にある3つの棺を見る。


「松本さん。私が開始の合図を出してから一分以内に、一つ選んでください」


「選ぶ?」


「はい。選ばれた一名は助かります。しかし、選ばれなかった二名には死んでもらいます」


「死ぬ!?どういうことだ」


 問い返す太一に仮面の男は、黒いズボンからフリント式のライターを取り出した。ヤスリを親指で回転させ、火を起こす。そして、ライターを棺桶の一つに近づけていく。その動作を見た太一は瞬時に理解し、「止めろ!」と大声で制した。仮面の男は火を消した。


「松本さん。あなたは娘さんを愛しているんですよね。10年前に妻を失ってから、残された娘への愛情はとてつもなく強いはずだ」


「お前、何が目的なんだ」


「強い愛情があれば、こんな理不尽なことに巻き込まれても、娘さんを助けられるはずですよね。私にそれを見せてほしい。死にたがりの男なんか、妻を殺した男なんか選ばないはずです」


 仮面の男が顔を近づけてくる。遠くからでは見えなかった、仮面の目から覗く瞳と目が合う。狂気をはらんだ瞳に、太一は背筋が凍る感覚を覚えた。


「一分以内に選ばなかったら、あなたも含め、全員死んでもらいます」


 仮面の男は、ズボンからタイマーを取り出した。画面には“1:00”と表示されている。“スタート”のボタンに親指を添える。


「では、始めます」


 そう言うと、ボタンを押した。時間が一秒と減っていく。焦りの気持ちが生じてくる。


―どれが愛実がいる棺桶なんだ。


 太一は“2”の棺を見つめる。何も情報がない中で、“2”の棺に娘がいるのではないかと思ったのだ。しかし、あくまで直感にすぎない。決断するには乏しい。娘がいるの棺を選ばなくてならない。


 “0:45”。時間の経過が速いことに、焦りが募っていく。それと同時に、もし選べなかった時の想像が頭に浮かぶ。焼かれていく娘の姿。身体が震え、涙が出てくる。


 そんな想像を現実にさせないために、1から3の数字を強く浮かべる。その時、頭の中にある数字が浮かんだ。太一は“1”の棺を見つめる。娘の誕生日が1月1日と、“1”ばかりであるから、“1”の棺が正解なのではと思いついたのだ。


 太一はここで、仮面の男の心理を考え始めた。


―俺が“1”を選ぶのか試しているのか。


 仮面の男が娘の誕生日を知っているかなんて分からない。しかし、もしかしたら知っているのではないか。


 知っていたうえで、正解は“1”の棺にした。極限状態にある中で、愛する娘の誕生日を思い出して、選ぶのかどうか見ているのではないか。


 しかし、こういう場合も考えられた。正解は“1”じゃないのに、“1”を選んで絶望に陥る太一の姿を見たいと考えているではないかと。


 頭が混乱し、分からなくなる。どうしてこんな考えに至ったのか。決断に困っていた。それに、たまたま娘の誕生日が“1”ばかりだったから、この考えに至ったのだと考えた。


 太一はタイマーを見る。“0:20”、決められない答え探しにイラつき始める。


―どれが正解なんだ。


 太一は3つの棺を左から順に見ていく。ずっと気になっている“1”の棺か。直感で選んだ“2”の棺か。それとも、今まで選択肢になかった“3”の棺か。答えに迷うが、選ぶしかない。


 タイマーは“0:10”を示している。もう時間がない中、焦る気持ちを抑えながら、頭の中で1~3の数字を浮かべる。3つの数字の中で、選びたい意思が強いのはどれか。


 3つの数字の中である数字が気になってしょうがなかった。


―これしかない。


 太一は、その数字である棺を見つめ、仮面の男に告げる。


「1番。1番の棺だ」


 告げたと同時に、男が持つタイマーからアラーム音が発せられ始めた。男がボタンを押すと、アラームは止まった。


「1番ですね。分かりました」


 仮面の男は“1”の棺の前に立つ。棺についている南京錠を開け、蓋を横にずらす。人1人分の大きさくらいある木の板をゆっくりと持ち上げ、床に置く。カコンという硬い床に触れた音が、緊張感をさらに高める。


―頼む、愛実であってくれ…。


 太一は硬く目をつぶり、願った。


「起き上がってください」


 仮面の男は囚われた者に声をかける。心臓の鼓動が速まって、落ち着かない。


―神様、どうか娘まで奪わないでください。


 ゆっくりと起き上がってきた者は、死にたがりの男だった。口にガムテープが貼られ、生気のない瞳が太一を見つめている。


「あぁ、ああああ!」


 太一は叫び始めた。流れ出る涙で視界がにじみ始める。


 仮面の男は、“2”の棺桶に向かった。南京錠を開け、蓋を横にずらし、中を開けた。中からゆっくりと起き上がってきたのは、娘の愛実だった。


「最後の対面です」


 仮面の男は愛実の口に貼られたガムテープをゆっくりとはがした。愛実は涙を浮かべ、太一を見つめる。


「お父さん…」


 愛実のか細い声。娘に声をかけようとするが、何も出てこない。何か言わないと、そう強く思っていたが、仮面の男は愛実を中に押し付けた。


「待ってくれ」


 情けないほどに小さい声が出た。しかし、仮面の男は止めるそぶりを見せない。床に置いた蓋をかぶせ、上に乗っかると南京錠をかけた。


 仮面の男はフリル式のライターを取り出し、火を起こす。“3”の棺に近づき、火をつけた。火がついた途端、棺全体に一気に燃え広がっていった。


 火が棺の全体を覆い始めてからすぐに、中から呻き声が聞こえてきた。


「うううぅ!ううううんんん!!」


 今までずっと殺意を抱いてきた男が苦しんでいる。


 なるべく苦しんで死んでほしい、いつか願っていたことが叶っている。しかし、今となってはどうでもいい。


 仮面の男は続いて、“2”の棺に火を付けた。棺全体に一気に燃え広がった。


「頼む、火を消してくれ!!」


 必死に懇願するが、仮面の男は全く動じない。間もなくして、中から大きな叫び声が響き渡る。


「熱い、熱い!」


 愛実の悲痛な叫び。早く助けなくては、その気持ちから身体を動かそうとする。しかし、拘束されている自分は、ただあがくことしかできない。


「助けて!開けてよ!」


「愛実!!」


 必死に叫ぶことしかできない。もう聞きたくない。もがくたびに、拘束された手と足、腹周りが痛む。燃え広がっていく棺の中にいる娘を想像すると、気が狂いそうだった。早く助けないと。


 どのくらい経ったのだろうか。娘の声は聞こえなくなった。聞こえなくなったのと同時に、太一は意識を失った。

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