第30話 デフォルトルーカス

「おい貴様。何を無責任に終わろうとしているんだ」


 声がした。


 はっと目を開く。

 目の前に1人、男が立っていた。

 金髪碧眼の、目に痛いくらい髪の毛のハイライトがツヤッツヤの、背の高い男だ。


 現実離れしたイケメンに目が眩む、かと思いきや、その顔は俺にとって、見飽きるほどに見慣れたものだった。

 姉ちゃんのスマホの中にアカリちゃんと一緒に置いてきたはずの、ルーカスである。


 ルーカスは不機嫌そうに腕を組んで、こちらを睨んでいる。

 首を巡らせるが、それ以外は何もない、真っ暗の空間だった。


 どうしてだか分からないが、これは夢だとはっきり分かった。

 ずいぶん長い夢から覚めたところなのに、また変な夢を見ているらしい。


 俺はルーカスに歩み寄ると、その肩をばしばしと叩いた。なんだか見慣れた顔だけあって、妙な親近感がある。


「何だよ、デフォルトルーカスじゃん。元気ー?」

「おい馬鹿、馴れ馴れしいぞ、無礼者」

「うわ、ほんとに馬鹿とか言うじゃん。お友達に馬鹿とか言っちゃダメだって習わなかった?」

「誰が友達だ」


 肩に置いた手を振り払われる。

 おお。なんか、デフォルトルーカスっぽい反応だ。


 見慣れた顔が見慣れない表情を作っているのを見て、新鮮な気持ちになった。

 いや、立ち絵ではだいたいそんな顔だった気もするけど。


「貴様、人が黙って見ているからといい気になって……貴様のせいで俺の人生は台無しだ。家督を弟に譲るわ、婚約を解消するわ、誘拐されるわ……貴族としての地位も尊厳もすべて失ったんだぞ」

「そんなこと言うなら俺だって言わせてもらうけど。お前表情筋使わなすぎだって。お前の身体になって2日めとか筋肉痛エグかったんだからな」

「俺の顔で情けない顔をするからだ」


 表情筋が死んでるどころか死後硬直してたくせに、俺のせいにしてくるデフォルトルーカス。

 尊厳がどうとか知らないけど、少なくとも泣いても笑っても顔が痛まなくなった点は俺に感謝してほしい。


 それ以外は、うん。怒られても仕方ないなと思う。ごめんねの気持ちはある。怒られたくはないけど。


「その上勝手に庶民の女と結婚の約束など」

「え」


 苦々しげに呟かれたルーカスの言葉に、目が点になる。


 け、っこん。

 ケッコン。血痕……結婚?


 結婚!?


「い、いやいや、俺、そこまでは」

「何?」


 慌てて手をぶんぶん振った俺に、ルーカスがそれまでにも増して冷ややかな視線を寄越す。


 あ、もしかしてこれがレーリってやつ? なのか?

 だとしたらたいして良いものじゃないな、レーリって。


「女に好きだなんだと言っておいて、まさか責任を取らないつもりなのか?」

「責任、って言うか。まだ俺たち学生だし、そういうのは早いって」

「妙にあっさりとそちらの生活に戻ったと思えば……まさかそこまで腐っていようとは」


 つかつかと詰め寄られて、思わず後ずさりした。

 ルーカスのほうが俺より背が高いし彫りも深いしで、凄まれるとなかなか迫力がある。


 正直、「腐ってるって、そこまで言う?」という気分だ。

 俺もアカリちゃんも一般庶民である。貴族のルーカスには分からないのかもしれないけど、学生のうちから本気で結婚とか言ったら、相手から重いと思われかねない。


「俺のことはこの際、どうでもいい。俺は貴様にとっては取るに足らない存在だろう。俺にとって貴様がそうであるように」

「そこまでは言わないけど」

「だがあの、アカリとかいう女は違うはずだ」


 その言葉に、思わずたじろいだ。

 アカリちゃんの名前を出されて、心の中の何かがぐらりと揺らぐ。


「貴様にとって大切な存在ではないのか? それなのに、期待を持たせておいて放り出すのか? すべて俺に丸投げして?」


 ルーカスは真剣な目で俺を見下ろしていた。

 冷ややかだが、瞳の奥に怒りが滲んでいるのが分かる。


「貴様は散々、俺のことを冷酷だなんだと罵っていたが……貴様はどうなんだ。3時間待たせることよりも、馬鹿というよりも、わざと遠ざけるよりも――貴様のその行いのほうが、よほどあの女を傷つけていると思わないのか」

「そりゃ、俺だって無責任なことなんかしたくなかったよ」


 俺は咄嗟に言い返した。ほとんど反射みたいなもので、ぽろりとこぼれたようなものだった。

 1つこぼれてしまえば、次から次へと言葉が零れ落ちる。


「せっかくかわいい彼女が出来たんだし? バラ色の青春? 送りたい気持ちはあるよ。アカリちゃんさえよければいつかはアカリちゃんと結婚したいし、夜景の見えるレストランで指輪カパァするやつだってやりたいよ。一姫二太郎三茄子に恵まれて白い犬とか飼いたいよ」


 うつむいて、ぐっと拳を握り締めた。

 目を閉じるまでもなく、アカリちゃんの笑顔を思い浮かべることが出来る。


 アカリちゃんが笑ってくれると、嬉しくて。

 でもきっと……俺の夢オチと同時に、ルーカスがデフォルトルーカスに戻ったのだとしたら。

 今俺は……アカリちゃんの笑顔を奪っている。


「薄々、ほんとに薄々ね。これ異世界転生? 的なやつなんじゃないのかって思ったりもしたよ。俺はほんとうにこの世界にいて、このままここでルーカスとして、生きていくのかもって」

「貴様、あのまま生きていくかもしれないのにあの立ち居振る舞いだったのか」

「え、そうだけど」

「…………」


 ルーカスが黙った。

 まだ何か言いたげな顔をしていたが、視線で続きを促される。


「助けに来てくれたアカリちゃんをハグしたときとか。結構本気で、そうならいいのにって思ったよ」


 これが本当に、異世界転生なら……ずっとアカリちゃんと過ごしていられるのかなって。

 そうなら、いいのにって。

 あの時の俺は、確かにそう思った。


 だけど。


「でもさぁ、しょうがないじゃん。夢オチだったんだから。目が覚めちゃったものは、どうしようもないじゃん」


 握った拳をぶつける相手も、振り下ろす先もない。

 夢オチっていうのは、そういうことだ。

 オチてしまったものは、どうしようもない。


 ルーカスになった当初は早く訪れてほしかったはずの夢オチが、今はこんなにも、憎らしい。

 半ば八つ当たりのように、言い捨てる。


「俺にはどうしようもないことで怒られても、困るんだよ」

「では、戻れるとしたら?」

「は?」


 間抜けな声が出た。

 おそらく間抜けな顔もしていたと思う。

 ルーカスが俺を見てしかめっ面をした。


「あのアカリとかいう女の魔力はすさまじい。今俺がここに来ることができたのも、あいつの魔力を利用したからだ」

「ええ……」


 アカリちゃん、ついに次元をも超える力を手に入れたらしい。

 もはや何でもアリだった。

 そのうちデロリアンで過去や未来に行ったりできるかもしれない。

 あの世界にはそもそもデロリアンがなさそうだけど。


「無意識下で貴様に何かが起きたのを感知したらしい。一度は戻っただろうが、お前の魂の一端はあの女が握ったままだ。すぐに引きずり戻されるぞ」

「嘘ぉ」

「俺がこんな突拍子もない嘘をつくと思うか」

「思わないなぁ」


 納得してしまった。

 ルーカスが冗談を言う可能性より、アカリちゃんが時空間魔法を修得した可能性のほうがよっぽど高そうだ。


 「とんでもない人間と契りを交わしたものだな」とデフォルトルーカスがため息をつく。

 いや、ちょっと待って、その言い方は語弊があるから。

 まだ、まだですよ。俺はまだ何もしてないからね。清い関係だからね、俺たち。

 

 でもまさか二次元から、こっちの世界に影響を及ぼせるなんて。

 そういうのって、神様的な存在しかできないものだと思っていたのに……アカリちゃん、ついに神の領域に足を踏み入れちゃったのか。


 最終兵器スーパーアカリちゃんゴッドなのかもしれない。

 どうしよう、インフレが留まるところを知らない。そのうち青く光りだすかもしれない。

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