第14話 「早い! 安い! うまい!」みたいなイメージ

 寮生活にもだいぶ慣れてきたある日。

 次の授業が魔法学の実験の授業だったので、クラスのみんなはこぞって教科書やらノートやらを抱えて実験棟へ移動していた。


 その最中、俺が手に持っているのが現代文の教科書だったことに気づいた。

 大きさも表紙の色も全然違うのに、何をどうやったら間違えるんだろう。不思議だ。


「ごめん2人とも、先行ってて」

「どうしたの?」

「間違えて現代文の教科書持って来ちゃった」

「何をどう間違えたらそうなるんすか」

「俺が聞きたい」


 走って廊下を戻る。


 魔法学の先生、美魔女って感じの先生なのだが、怒るとめちゃくちゃ怖い。

 居眠りしていたら水をぶっかけられるのは序の口で、氷を襟首から滑り込まされたりもした。

 そのときものすごく情けない悲鳴を上げてしまったのがみんなの記憶から早く消えることを祈るばかりだ。


 次に怒らせたら陸上で溺死させられるとかいうミステリっぽい死を迎えるかもしれない。

 夢の中で死んだらどうなるんだろう。猿夢みたいなことになるのかな。やだ、怖い。


 教室のドアを開ける。まだ教室に残っていたらしい3人の女の子が、一斉にこちらを振り向いた。

 あれ。もうみんな実験棟に行ったと思ったんだけどな。


 自分の席まで歩いていくうちに、何やら雰囲気がおかしいことに気がついた。

 3人とも、顔面蒼白で俺を見ていたからだ。


 3人のうちの1人は、隣の席のソフィアちゃんだった。

 他の2人は、いつもソフィアちゃんと一緒にいるお友達AちゃんBちゃんだ。


 その3人が3人とも、教室の後ろのゴミ箱の前で集まっていた。

 ソフィアちゃんはゴミ箱を背にするように立ち、他の2人がその向い側に立っている。


 俺はピンと来た。

 これ、あれだ。ルーカスの取り巻きの女の子たちに、アカリちゃんの教科書が捨てられる……え?


 じゃあ、あの3人……俺の取り巻きの女の子なの?

 俺一向に取り巻かれてないけど????


 改めて3人の様子を窺う。

 多分、ソフィアちゃんは他の2人を止めようとしている。

 分かる。ソフィアちゃんやさしいもんね。この前俺のせいで一緒に先生に怒られたのはほんとごめん。


 他の2人は、正直ソフィアちゃんのお友達という印象しかないけど……別に意地悪しそうな感じじゃなかったと思う。

 もしかして、何か俺の勘違いかな。たまたま日直のゴミ当番とかなのかも?

 この学校にそんなシステムない気がするけど。


 勘違いで済ませようとした俺の視線が、お友達Aちゃんの持っている教科書に吸い寄せられる。

 今から魔法学の授業なのに、その手にあるのは現代文の教科書で、そして。

 表紙の端っこに、俺がアカリちゃんにせがまれて描いてやった、ドラ○もんの落書きがあった。


「それ、アカリちゃんの教科書だよね? どうして、君たちが持ってるのかな?」

「る、ルーカス様……」


 俺は出来るだけやさしく、落ち着いたトーンで声をかけた。

 女の子のヒステリーとパニックに上手に対応できる自信は、残念ながら俺にはない。

 そうなると机の下に潜って嵐が去るのを待つしかなくなる。


 ソフィアちゃんがどこか怯えたような顔で、少し後ずさりした。

 違う、大丈夫、ソフィアちゃんがそんな顔する必要はない。


 同じく怯んだ様子だったお友達AちゃんBちゃんが、わっと堰を切ったように話し出した。


「ルーカス様がいけませんのよ! 庶民の方とばかり親しくして!」

「寮に移られたのも、あの子と一緒に過ごされるためでしょう!?」


 やっぱりそういう系のやつか、と思った。勘違いではなかったらしい。


 もしかしたら2人は「そんなことないよ」って言ってほしいのかもしれないけど、否定できなかった。

 だってあの2人と仲良くしてるしなぁ。寮に移ったのも、2人に近づくためだしなぁ。


 要はデフォルトルーカスのイメージを壊すなということだと思う。

 両親やマルコが言っていた、侯爵家の跡継ぎ云々のやつと同じ話だろう。


 でも俺家継がないんだよなぁ。ただの運送屋に、そのイメージ戦略は別に要らないと思う。

 必要なのは「早い! 安い! うまい!」みたいなイメージだ。


「その上、ソフィア様とのご婚約はなかったことに、などと!」

「え待って、それは俺知らないやつ」


 ていうかソフィアちゃんとの婚約云々も知らないんだけど。初耳なんだけど。


 じゃ、ソフィアちゃんが俺の取り巻き筆頭、みたいな感じだったの? マジで?

 隣の席なのになんで誰も教えてくれないわけ? いや、そもそもそれなら、ソフィアちゃんが止める側にいるの、おかしくない?


 ……え。もしかして俺、ソフィアちゃんに嫌われてたりする?

 結婚しなくて済んでむしろラッキー、みたいな。


「侯爵様からソフィア様のお父様に申し入れがあったと聞きましたわ!」

「ああ、お可哀想なソフィア様」

「ま、待ってくださいまし、わたくしは、……」


 父親からの申し入れ、という言葉でハッと気がついた。

 多分俺が家を継がない宣言をしたせいで、政略結婚的な感じで結婚するはずだった相手にお断りを入れないといけなくなったのだ。

 そしてそれが、ソフィアちゃんだった。


 父さんめちゃくちゃ言いづらかっただろうな、と思う。「うちの長男ちょっとアレな感じになっちゃって」とか。

 想像するだけで俺の胃がキリキリした。親不孝でごめん。

 きっとそのうち親孝行するから。デフォルトルーカスが。


 そしてそれで結婚を断られたソフィアちゃんの心中を考えて、更に胃がギリギリした。

 そりゃあ怒るよね。たぶん父さんは理由とかめっちゃ濁すと思うし。


 それでもって庶民の2人の悪影響、なんて思われたとなると、今度はアカリちゃんとジャンにも申し訳なくなってきてもう俺の胃はボコボコだ。

 ごめん。俺はむしろ2人に悪影響を与えようとしている側なのに。


 胃が荒れすぎてしばらく流動食しか食べられないかもしれない。

 今ならオートミールと和解できる気がする。


 非常にやばい。俺のちょっとした思い付きが何かアレしていろんな人に迷惑をかけている。

 関係各位には非常に申し訳ない。何とかしてリカバリしなくては。

 出来れば俺が思いつきで物を言ったということがバレない形で。

 だって怒られたくないもん。


 両親は最悪、仕方ない。製造者責任ということで、ご納得いただくしかない。

 まぁ俺を作ったのは文子と勝現実の両親であって、ルーカス父母ではないんだけど。


「とりあえず、一旦その教科書をこっちに」

「る、ルーカス様! これは、違いますの。わたくしは」

「分かってる、大丈夫。ほら、怖くない、怖くなーい」


 涙目で叫ぶように言うソフィアちゃん。

 3人にじりじり近づきながら、出来るだけやさしく語りかける。


「君たちはその教科書をゴミ箱に捨てたい。でも俺は捨てさせたくない。出来たら話し合いで解決したいと思ってる」

「ルーカス様」

「分かってるよ。ソフィアちゃんが止めようとしてくれたのは。ありがとね」


 ソフィアちゃんを安心させるために、微笑んでみる。

 ソフィアちゃんは小さく息を呑んで、頷いた。

 本当にやさしい子だな、と思った。勝手な理由で約束を反故にした俺にもやさしいなんて。


 ……ん? 待てよ。

 教科書を捨てられそうになっているのがアカリちゃんだから止めた、ってパターンもありうるな。

 無関係な相手を巻き込むことはしないけど、俺にはめちゃくちゃ怒っているってことも考えられる。


 大丈夫かな、俺。あとで校舎裏に呼び出されてボコボコにされたりしない?

 「顔はやめとけ、ボディにしなよ」とか言われたりしない?


 正直殴られても仕方ないかなとは思うけど、それはそれとして殴られたくはない。怒られたくない。


 背中を冷や汗が伝うのを感じながら、どうにかして怒りを納めてもらう方法を考える。

 いや、その怒りをアカリちゃんやジャンには向けてほしくないけど、俺に向けた上で、俺自身がサンドバッグにならずに済むならそれがいい。


 乾いた唇をぺろりと舐めて、俺は言葉を選びながら、語りかける。


「でも、他の2人の言うことも分かる。俺に対して怒るのも当然だと思う。俺だったら『何だそれ』ってなると思うし。だけど、その気持ちを俺じゃなくて、関係ない人にぶつけると、回りまわって君たちが損をすることになる」

「関係なくなんてありません、あの子がルーカス様を誘惑して……」

「関係ないんだよ」


 まずは、アカリちゃんへ向いてしまった怒りを軌道修正する。


「俺がこんな感じになっちゃったのには、アカリちゃんも、ジャンも関係ない。誰のせいでもないよ。まぁ俺のせいではあるけど。しいて言うなら……運が悪かったんだろうなぁ。それか、めぐり合わせ? 星の並び? 運命? とにかくそういう、誰にもどうこうできないやつのせいなわけ」


 その上で、俺のせいではあるけれども俺のせいではないような、でも少し俺のせい、くらいまで煙に巻く。辛そうで辛くない、みたいな。

 不服そうなAちゃんBちゃんの顔を見て、俺はへらりと苦笑いする。


「でも、こんなこと言われても、収まりつかないよねぇ」

「と、当然ですわ!」

「そこで俺からの提案!」


 ばばーんと、勢いよく教科書を3人の眼前に突き出した。

 間違えて持ってきていた、俺の現代文の教科書だ。表紙にはアカリちゃんがドラチャンのお礼にと描いてくれたネコチャンの落書きが微笑んでいる。


 ここで現代文っていうの、運命を感じるよね。きっと俺はこのときのために教科書を間違えたんだと思う。


「俺の教科書をあげるから、代わりにこれを捨てるっていうのはどうかな!」

「はい!?」


 3人が揃って目を見開いた。

 俺が必死で搾り出した、題して「俺自身への怒りを俺の教科書にぶつけてもらおう」作戦だ。

 教科書くんには申し訳のないことだが、尊い犠牲だ。俺のために死んでくれ。


「な、何を仰って」

「代替案を提案してる」

「ルーカス様の教科書を捨てるなんて、そんな」

「大丈夫。俺、勉強する気ないから!」

「してくださいまし!!」


 予想と違うことで怒られた。

 いいぞ、怒りが俺に向きつつもズレてきている。この調子でいのちだいじに、ガンガンいこうぜ。


 Aちゃんの手からアカリちゃんの教科書を掠め取り、代わりに俺の教科書を押し付ける。


「はーい、とにかく交換交換!」

「え、え!?」

「そして、レッツらゴミ箱!」

「??????」


 俺の教科書を持たせたお友達Aちゃんの背を押して、ゴミ箱に向かわせる。

 ソフィアちゃんともう1人は、ぽかんとした顔でそれを眺めていた。

 Aちゃんもゴミ箱の前に立ち、呆然としている。


 うーん。やっぱり他人の持ち物を捨てるのって、相当覚悟いるよなぁ。

 持ち主が横で許可しててもこれだもん。

 俺が止めなくても、結局彼女たちは教科書捨てなかった気がするな。ソフィアちゃんも止めてたし。

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