閑話 ジャン視点
「どうしたら、ルーカス様ともっと親しくなれるのでしょう」
「ソフィア様はそればっかりっすねぇ」
「当然ですわ。そのためにあなたに協力をお願いしているのですから」
学園の校舎裏、人通りの少ない場所にあるベンチにそれぞれ座って、オレとソフィア嬢は会話をしていた。
ソフィアいわく「作戦会議」らしいこの集まりは、彼女から協力を要請されて以降、定期的に開催されている。
つややかな金色の巻き髪を眺めて、不思議なもんだな、と思った。
貴族のお嬢さんと並んで話をするなんて、学園に編入する前のオレには……いや、ルーカスと友達になる前のオレには、信じられないような事態だと思う。
「昔からそうなんすか?」
「……いえ」
ほとんど相槌のような何気ないオレの問いかけに、ソフィア嬢が目を丸くして、こちらを見た。
青色の瞳がまんまるに見開かれて、今にもこぼれ落ちそうだ。
白く細い指を自分の頬に添えて、彼女は軽く首を傾げる。金色の髪がふわりと揺れた。
「不思議ですわね。これまではそれほど、親しくならなくてはと思うことはなかったのに。近頃のルーカス様を見て……あなたやアカリさんに接するルーカス様を見て、こんなふうに思うなんて」
ぱちぱちと、長い睫毛で縁取られた瞳を瞬く。
作り物のように整った顔はルーカスでだいぶ見慣れたと思っていたけれど、女性はまた別だな、と思った。
そんなことを考えているのが何となく気恥ずかしくなって、まっすぐ顔が見られない。
視線をそらした先で、持ち出してきた例のパンが入った袋に目が行った。
ルーカスはやたらと気に入っているけど、もしかして舌の肥えた貴族にとっては、新鮮味があっておいしく感じられたりするんすかね。
「ルーカス、このパン好きなんすよ」
「まぁ、そうなんですの?」
手渡したパンをまじまじと見つめるソフィア。
パンを千切ろうとして、想像以上に硬かったらしく、目を白黒させていた。
何とか千切ったパンを、小鳥のように小さな口で齧る。
「………………」
「ぶ、」
カメムシの臭いを嗅いだ猫のような顔になったソフィアに、思わず噴き出した。
「ははは、貴族のお嬢さんがしちゃいけない顔になってるっすよ!」
「……これをおいしく召し上がるなんて……最近のルーカス様は、少し貴族としての矜持をお忘れではないかしら」
ソフィアはハンカチで口元を押さえて涙目になっている。
作り物のような造形の顔が珍しい表情になっているのが、さらに笑いを誘う。
そうか。貴族のお嬢さんでも、そんな顔するのか。
口元を拭ったソフィアが、恨めしげな目でこちらを見上げる。
「寮の方に言っていませんの? あなたが……王弟殿下の血を引かれていること」
「……知ってたんすか?」
「先日、ヘンリー殿下から伺いました」
俺の言葉を、ソフィアはあっさり肯定した。
ルーカスも知っていたし、案外生徒の中にも知っている人間が多いのかもしれない。
ま、別に隠したいのはオレじゃないんで、いいんすけど。
「言ってないっすよ。そんなことしたらアカリだけ不味いパン出されるのが目に見えてるっすから」
「アカリさんのために?」
「……別に、それだけじゃないっすよ。ずっと庶民として生きてきたのに、今更貴族扱いされたって、落ちつかないっす」
「まぁ、そうでしょうね」
またあっさりと頷いたソフィアに、拍子抜けする。
てっきりもっと、貴族なんだから貴族らしくとか、あるべき姿がどうとか、そういう話をされるのかと思ったのに。
「オレには貴族としての云々とか、言わないんすね」
「貴族は生まれではなく、育ちで決まるものですもの」
問いかけたオレに、ソフィアは当たり前のことのように言う。
きっぱり言い切った彼女に、思わず目を見開いた。
「いくら尊い血筋を引いていても――貴族として生きる教育を受けていなければ、それは貴族とはいえませんわ」
その言葉は、何だか妙に腑に落ちた。
庶民として育てられながらも、常に貴族の落とし胤としての立場が着いて回った。
アカリや他の庶民の友達、知り合いに嘘をついているという罪悪感もあった。
かと言って、表向きは存在を秘匿されている身だ。
貴族として生きることもできない。今さら、したいとも思わないっすけど。
常に自分が「どちら」なのか、宙に浮いたように感じていた。
それに対する答えが、――見えたような気がしたのだ。
そうか、それなら。
オレは逆立ちしたって、貴族じゃないっすね。
「ですから、わたくしにとってあなたは庶民の……お、お友達、ですわ」
今度は意を決したように言うソフィアに、また笑ってしまった。
ルーカスと言いソフィアと言い、貴族ってのは「友達」って口に出さないと気が済まないんすかね。
友達って、宣言するもんじゃないと思うんすけど。
「ルーカスのどこがいいんすかねぇ。俺からすればただのお調子者っすけど」
「……それを言うなら」
オレが独りごちると、ソフィアもまるで独り言のように、ぽつりと呟いた。
「……どうして殿方はみんな、アカリさんがいいのかしら」
その横顔はどこか寂しげで、不意に視線を奪われる。
オレの視線に気づいたのか、はっと息を飲んで、気まずそうに両手を振った。
「いえ、ルーカス様や貴方と接している様子を見る限り、悪い方だとは思いませんけれど……魔力以外に特別なところはないように思いますわ。その、可愛らしいとは思うのですけれど」
「ソフィア様も可愛いっすよ」
合いの手ついでに褒めてみると、ソフィアの顔が一瞬で赤く染まった。
「も、もう! からかわないでくださいまし」
ぱたぱたと手で顔を扇ぎながら、咳ばらいをする。
最初はお人形さんみたいな人だと思ってたっすけど……話してみると、意外とそうでもないというか、表情豊かな人っす。
「それより、ちゃんとアカリさんにアプローチしていますの? わたくしばかり相談していては不公平よ」
「あー、そうっすねぇ」
身を乗り出して追及して来たソフィアを、苦笑いではぐらかす。
確かにオレは、アカリのことが好きで。大切で。
アカリには、オレがいればいいって。オレにはアカリがいればいいって。
ずっと2人の世界でいいって、そう思っていた。
でも、最近ちょっと、考え方が変わってきたというか。
ルーカスと友達になって、アカリも変わった気がする。
何かしてほしい、なんて、オレにだって言わなかったようなお願いごとを、ルーカスには遠慮せずに言ってたりとか。
今までだったら反射で謝ってたことも、謝る前に1回考えるようになったりとか。嫌なことを、嫌だって言ったりとか。
人から見たら当たり前かもしれないけど……今までしてこなかったことが出来るようになったアカリを見て……悪くないなって、思っちゃったんすよね。
だから、ずっと2人でいればよかった、とは――ルーカスと関わらなきゃよかった、とは、思わない。
アカリが自分を大事に出来るようになるなら、そっちの方がオレは嬉しいかも、とか、思っていたりして。
好きっていう気持ちが本当なのと同じように――幼なじみとして、妹のように大切に思っている気持ちも、本当だから。
ま、でも協力し合うって言っておいて1人だけ「いち抜けた」なんて、気分が悪いし。
ソフィア様が満足するまでは――オレがお役御免になるまでは、付き合うつもりっす。
どうせオレがしているのは、この「作戦会議」とやらに参加して、他愛もないルーカスの話を彼女に聞かせたり、彼女の話を聞くぐらいの「協力」っすから。
「よろしくて? ルーカス様は高潔で見目麗しく」
「こうけつ」
「頭脳明晰で、文武両道で」
「ずのうめいせき」
「近頃は領民の心情理解や親しみ深さの研究にも余念がない……いえ、最近は少々行き過ぎですけれど。次期侯爵として申し分のない、素晴らしい方です。貴族の模範となるお方です。憧れるのは当然ですわ」
ソフィアのルーカス賛辞を聞き流す。別に、面白くもなんともないんで。
いつものことながら、ソフィアの話すルーカスと、オレの知ってるルーカスは本当に同一人物なんだろうかと思ってしまう。
クラスにルーカスは1人しかいないんで、別人のわけがないんすけど。
ふと、最近ルーカスと話したことを思い出した。
家を継ぎたくないとか、弟に譲りたいとか、そんな話だ。
「じゃあ」
胸の内に浮かんだ疑問が、口をついて出る。
「ルーカスが、貴族じゃなかったら?」
「え?」
ソフィアが目を丸くする。不思議そうな表情で、青色の瞳がオレを見つめていた。
「ルーカスが侯爵家を継がないって分かっても……ソフィア様は、今と同じ気持ちでいられるっすか?」
ソフィアの瞳が揺れた。
不安げな瞳に、どうしてこんなことを聞いてしまったんだろう、と思った。
「そ……それは……」
「なーんて、冗談っすよ。ほら、そろそろ戻るっす」
笑って誤魔化す。
ソフィアは少しの間戸惑ったように視線を彷徨わせたが、やがてほっとしたように息をついた。
本当に、何故こんなことを聞いてしまったんだろう。
こんな意地悪なことを聞いたって、しょうがないのに。
教室に戻るソフィアの背に跳ねる金色の巻き髪を眺めて、小さく零した。
「どこがいいんすかね、ルーカスの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます