第13話 俺、違いの分からない男なんだ。
「おはよー! アカリちゃん!」
「ルーカス! ジャン!」
月曜の朝。食堂の入り口で、すでに学校の制服に着替えたアカリちゃんと合流した。
アカリちゃんがジャンと並んでやって来た俺を見て、目を丸くする。
「わぁ、朝からルーカスがいるの、何だか不思議な感じ」
「そう? まぁすぐ慣れるっしょ」
「そうっすね」
いつも俺に厳しいジャンが、珍しく肯定してくれた。
なになに、やさしいじゃん、今日。
「驚いたっす。侯爵家の嫡男が、自分で身支度整えられるなんて」
「そうなの? 偉いね、ルーカス」
「流石の俺でもそれで褒められて『そう? 俺偉い?』とはならないよ」
まぁ、侯爵家ではいつもメイドさんが手伝ってくれていたので、ずっとその経験しかなかったら身支度一つでも大仕事かもしれない。
俺からしてみれば、思春期男子がうら若きメイドさん――から、かつてはうら若かったであろうメイドさんまで――に着替えやお風呂を手伝ってもらう方が心理的にハードルが高かったけど。
あんな環境にずっといたら、なんか歪みそう。性癖とか。
2人と話しながら、食事を受け取るカウンターに向かう。
アカリちゃんは俺が教科書に落書きしていた某ネコ型ロボットの絵がたいそう気に入ったらしく、「オムレツにケチャップで描いて」とねだられた。
この前アカリちゃんの教科書にも描いてあげたんだけど、正直俺が描くドラ○もん、あんまり似てないんだよね、とは言い出せずにいる。
カウンターでおばちゃんから食事を受け取る。
「……あれ?」
皿に載ったパンを見て、首を傾げた。
カウンターの中にいるおばちゃんに呼びかける。
「おばちゃーん! ねぇ、俺のパン、何でジャンのと違うの?」
「え? え、えーと、それは」
「ちょっ、ルーカス!」
慌てた様子で俺の袖を引っ張るジャン。
いや、そんなに引っ張らなくてもジャンのは取らないから。取らないために今おばちゃんと喋ってるから。
おばちゃんは少々面食らった表情で、どこかおどおどとしながら答える。
「そちらのお二人は、庶民の出身と伺っていますので……食べ慣れたパンの方が良いかと思いまして……」
「ふぅん?」
なるほど。あのパンは2人のための特別なパンだったのか。
さすが貴族が通う学校の寮だけあって「おもてなし」が行き届いている。
でも2人分あるなら3人分あってもおかしくないし、言ったら出してくれるかもしれない。
今は足りないからダメだと言われても、2、3日後からは俺も同じパンにしてもらえるかも。
頼んでみる価値はありそうだ。
「じゃあ俺も二人と一緒のにして」
「えっ」
俺が頼むと、食堂のおばちゃんの顔色がさっと青くなった。
後ろで働いていたおばちゃんたちも手を止めている。
え、何。
もしかして特殊な消化酵素がないと食べられないとか?
海外の人って、海苔を消化できないとか言うよね。消化酵素だか腸の長さだかなんだか忘れたけど。
それなら安心してもらいたい。俺は毎日のようにあのパン食べてるけど、健康そのものだ。
食べ過ぎなくらい食べても全く太らず、見掛け倒しの細マッチョボディである。
「こ、侯爵家の方が口にされるようなものでは……」
「大丈夫、俺アカリちゃんとジャンからもらって週5で食べてるから」
「え」
「あのパン腹持ち良くて助かってるんだよねー。味も結構癖になるって言うか」
「ええええ!?」
おばちゃんがもう青どころか顔面蒼白になって悲鳴を上げた。
それを聞きつけたのか、後ろから責任者っぽいおじさんが駆け寄ってくる。
おばちゃんから事情を聴いたおじさんも、顔色を青を通り越して白にしていた。
「し、少々お待ちください。確認してお席にお持ちしますので、お席で、どうぞ」
どう見ても貼り付けた笑顔で俺に言うと、おじさんとおばちゃんがカウンターの奥に引っ込んでいった。
周囲もざわざわして俺たちを――ていうか主に俺を見ている。
わざわざ運んできてくれるなんてVIP待遇だ。ちょっと周りの視線が痛い。
違うんです。俺はクレーマーじゃないんです。
無理なら諦めることも視野に入れてます。その場合も2人のお弁当からは分けてもらう気でいるけど。
ものすごく居心地悪く縮こまりながら席で待っていると、さっきのおばちゃんと責任者っぽいおじさんが朝食を3人分運んできてくれた。
だが、載っているパンはどれも、最初に俺の皿に盛り付けられていたものだ。
「あれ? ちょっと、これ注文と違う……」
「申し訳ございません! どうかご勘弁を!」
「え? え?? あのー、」
急に頭を下げた食堂のおばちゃんと、責任者っぽいおじさん。腰の角度が90度だ。
いやあの、同じパンが用意できなかったからって、そんなに謝らなくても。
それだったら2人の分はそのままでよかったのに。俺が頼んで交換してもらえばいいだけだし。
あれかな? 「俺が2人と一緒にして」的な言い方をしたのが誤解招いた系?
侯爵家、そんな怖い? ルーカス父、デフォルトルーカスよりは人当たり良さそうだったけど、怒ると怖いのかな。
よかったー、俺怒らせずに済んで。
混乱しながらも説明を求めようとしたところで、周囲の冷たい視線に気が付いた。
何だよ、これだと周りから見たら、ほんとに俺がクレーム付けてるみたいじゃん!?
皆さん違いますよ! 違いますからね!?
これ以上クレーマーだと思われたら、俺の寮生活がヤバいことになる気しかしない。
俺はおばちゃんと責任者の人に「あ、ぜんぜん大丈夫でーす」とヘラヘラ笑って手を振っておいた。
ぺこぺこ頭を下げてから去っていく二人。
やめて。これ以上頭を下げないで。ほんとに。頼むから。
おばちゃんとおじさんがいなくなったところで、姿勢を低くしながらジャンにひそひそ声で問いかける。
「何、どうしたの、あれ。あの人たちいつもあんな感じ?」
「いいから黙って食べるっす」
「え、ちょっと、説明」
「ルーカス、早く食べないと遅刻しちゃうよ」
「アカリちゃんまで!?」
あのやさしさの権化たるアカリちゃんにまでよそよそしい態度を取られた。
ものすごくショックだ。
しょんぼりしながらパンを齧る。ふかふかで柔らかくて美味しい。
けど俺はいつもの、昼休みに齧るあのパンが食べたかった。食べられないと思うと、途端により一層食べたくなってくるから不思議だ。
そこまで考えて、はっと気付いた。
そうか。寮のおばちゃんが持たせてくれるというお弁当には、きっといつものパンが入っているに違いない。
そうと決まれば昼までの我慢である。
俺は気を取り直して、朝食をかき込んだ。
○ ○ ○
「……なんでいつものパンじゃないんだ」
「ルーカス……元気出して」
弁当の包みを開けてがっかりしている俺の背を、アカリちゃんがさすってくれた。やさしさが沁みる。
何なら朝るんるん気分で弁当の包みをぶん回したものだから、柔らかいパンが潰れてぺしゃんこである。
いつものパンの方だったら潰れないのに。あっちのパンの方が絶対持ち運びに向いているのに。
アカリちゃんがジャンに視線を送る。ジャンが大きくため息をついた。
「ルーカス。実は俺、あのパン好きじゃないんすよ」
「え?」
「わ、私も……あんまり」
「え!?」
何で!? おいしいよ!?
俺は慌てて2人の顔を交互に見る。2人とも苦笑いしていた。
「今時、庶民だってもうちょっとマシなもの食べてるっす。寮のおばちゃんたちが庶民のオレたちを馬鹿にして……オレたちにだけ、わざと硬くて不味いパンを出してたんすよ」
「ま、不味いとか言うなよ……」
美味しいよ……俺は美味しいもん……
友達みんなが「硬水って飲みにくいよね」みたいな話をしているとき、1人だけ全然差が分からなかったりしたあの時の気持ちになった。
だってどっちも水じゃん。冷えてるか冷えてないかの違いしか分かんないよ、俺は。
認める。俺、違いの分からない男なんだ。またの名を、味音痴。
でも身体はルーカスだからね!? ルーカスが違いの分からない男説もあるからね!?
俺だけのせいじゃないから。連帯責任だから、これ。
「どっかの誰かさんは美味いうまいって喜んで食べてたっすけど」
「うぐ」
「ジャン」
とどめを刺されて呻き声を上げた俺を庇うように、アカリちゃんが割って入った。
「し、しょうがないよ、ルーカス。味の好みは人それぞれだもん」
アカリちゃんがあまりフォローになっていないフォローをしてくれる。
やさしすぎる。泣いちゃう。
そういえば、アルプスの女の子が主人公のアニメで、黒パンと白パンって出てきたなと思い出した。
黒いパンはライ麦パンで、アルプスの田舎の、決して裕福ではないおじいさんのところで食べるパン。
白パンは小麦粉のパンで、都会のお嬢様のお屋敷で出てくるパン。朝はパン、パンパパン。
ちなみにこの世界では朝も昼も夜もパン。
たまにリゾット的なやつとかパスタ的なやつも出てくるけど、基本はパン。パンパパン。
オートミール的なやつは俺には理解できなかった。
それでいくと俺は、2人曰く硬くて不味い黒パンを齧っているアカリちゃんやジャンの目の前で、白パンをふんだんに使った弁当に量が少ないだなんだと文句を垂れていたわけで……
しかも気まぐれ程度に黒パン横取りしては「ふーん、これもうまいじゃん。あ、お前たちにも恵んでやるよ」みたいな感じで白パンを分け与えていたわけで……
いやそんなことは言ってないけど! 物事って受け取り方じゃん!?
俺にその気があったかどうかは別としてさぁ!
しかもわざわざみんなの前で、二人が違うパン出されてること指摘したりとかして!?
何てこった。すごく感じ悪い。何これ、デフォルトルーカスの呪いか何か?
「どうしよう。俺めっちゃ嫌なやつじゃん!」
「え?」
「うわ、ごめん二人とも、ほんとごめん! え、どうしようもうごめんとしか言えない」
「いや、ルーカス?」
「謝る! 超謝るから! 嫌いにならないで!! 俺を捨てないで!! ルーカスのことは嫌いでもッ!! 俺のことは嫌いにならないでくださぁいッ!!」
「今絶賛嫌いになりそうっす」
ジャンの足に縋り付いたら本気で嫌そうな顔をされた。
ひどい。
ショックを受けて地面と仲良くしている俺を見下ろして、ジャンはやれやれと肩を竦めた。
「オレたちは気にしてないっすよ。ルーカスに悪気がないのは分かってたっすから」
「ジャン……!」
「ルーカス、悪気があるときはちゃんと、悪気がありそうな顔するっすもん」
「ジャン!?」
「ね、アカリ」
「うん」
「アカリちゃん!?」
悪気がありそうな顔ってどんな顔? 今度俺がその顔になってたら教えてほしい。
「まぁ、今日まで説明しなかったオレたちも悪かったっす」
「ごめんね、ルーカス。あの、でもね」
アカリちゃんがしゃがみ込んで、落ち込む俺の顔を覗き込む。
どこか照れくさそうに笑う顔が、眩しかった。
「嬉しかったよ。『俺も二人と一緒のにして』って、言ってくれて」
ちらりと顔を上げて、2人の顔を見上げる。
「……食い意地が張ってただけでも?」
「ふふ、……うん。食い意地が張ってただけでも」
「味音痴でも?」
「味音痴でも」
アカリちゃんのやさしさが身に染みる。
何とか立ち直って、身体を起こしてちゃんと座り直した。
包みから取り出して、ぺしゃんこになったパンにかぶりつく。
美味しいよ。美味しいけど、食べた気がしない。
こんなのギュってしたら超ちっちゃくなるよ。ゼロキロカロリーだよ。
「おいしいね、ルーカス」
「……そうだね」
言葉通り、おいしそうにはにかむアカリちゃん。それを見て、ジャンも笑っていた。
手元のパンに視線を落とす。
アカリちゃんとジャンが嬉しそうだから、いいか。
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