第8話 飛べない俺はただの俺

「兄さん。最近、様子がおかしいんじゃない?」


 家の廊下を歩いていると、マルコに呼び止められた。

 

 マルコはルーカスの弟である。

 後妻の子でルーカスとは腹違いらしいけど、顔つきは結構似ていると思う。

 髪が茶色なくらいで、2~3歳ルーカスを若返らせたらこんな感じじゃないだろうか。

 ルーカスだって高校生だから、十分若いけど。


 大学生になって分かった。高校生って若いよね。

 あるよね。20歳超えるかどうかのところに、マリアナ海溝より深ーい溝がさ。


「皆そうやって言うんだよなぁ。俺そんなに変わった? 春が来て兄さん綺麗になっちゃった?」

「ほら、そういうところ。前までは、とても冗談が通じるようなタイプじゃなかったのに」


 俺はへらへら笑いながら、マルコに歩み寄る。

 マルコは貼り付けた笑顔で、一歩後ずさった。


 残念なことに、俺は弟に嫌われている。ていうか、ルーカスが。

 下の兄弟っていなかったからちょっと憧れてたんだけど、こういうぎすぎすした関係性はお呼びでない。


 そう思うと俺っていい弟だよな。姉ちゃんの言うことちゃんと聞いてあげてるもん。

 やっぱ俺、弟の方が向いてるわ。

 しょうがないよね。生まれ持ったものだから、こればっかりは。


「これも……最近学校で関わっているっていう、変わったお友達の影響?」


 空気が読めるタイプの俺は、「変わったお友達」という言葉に込められた嫌悪感を察知する。


 お前アカリちゃんのメテオ見ても同じ口利けるのかよ。

 いやアカリちゃんはいい子だから脅しでメテオ打ったりしないけど。

 打っちゃえばいいのに。


「友達は選んだほうがいいよ。……兄さんは、侯爵家の跡取りなんだから」


 そう言い残して、マルコは自分の部屋へと引っ込んでいった。


 嘲笑交じりで嫌味っぽく言われても、俺にはまったく響かない。

 何故かといえば……侯爵家がマジのマジでどうでもいいからだ。


 そう。俺は別に、侯爵家を継げなくたって何にも困らないのだ。

 だってこれ、夢オチだもん。

 デフォルトルーカスにとって侯爵家がどれほど大事なものなのかなど、知ったこっちゃない。


 いいじゃん、別に死ぬわけじゃなし。すぐ「フン」とか「馬鹿」とか言っちゃう社交性皆無のルーカスより、外面だけでも良さそうなマルコのほうが向いてる気がする。


 仮に侯爵家を追い出されたとしても、こちとら五体満足元気いっぱいな男の子だ。

 魔法だってあるし、本気になれば自分の食い扶持くらい何とでもなるんじゃないか。


 顔がいいんだし、ホストでもやれば? 社交性はないけど、火も出せるし。

 タバコに火をつける係として雇ってもらいなよ。シャンコだけ参加させてもらいなよ。


 大体デフォルトルーカスは友達を選んでいる場合じゃない。まず作るところからのスタートだ。

 0人で選ぶも何もあるものか。「無」はどう選んだって「無」だ。


 そんないつのことかも分からない未来の話より、俺は目先のことをどうにかする方を選ぶ。

 目下数ヵ月後、アカリちゃんみたいないい子を雨の中3時間待たせないために頭を使いたい。


 俺は考えを巡らせながら廊下を歩く。

 ルーカスがアカリちゃんを3時間も待たせる発端となる出来事を起こすのは、このマルコである。


 彼は折り合いの悪かったルーカスを陥れて、自分が侯爵家を継ごうと画策する。

 そこで、ルーカスが家の事業で取り扱っている重要な機密情報を他人――主にアカリちゃんとか――に漏らしているというデマをでっち上げて、ルーカスを追い詰めるのだ。

 ルーカスはその誤解を解くために東奔西走、やっとマルコが悪さをしたという証拠を手に入れるが、それを嗅ぎつけたマルコが差し向けたごろつきに絡まれ、どったんばったん大騒ぎ。


 それが都合の悪いことに――ストーリー展開上は非常に都合のいいことに、アカリちゃんとの約束があった日だったのだ。

 その結果、3時間待たせた挙句の「馬鹿だな」に繋がる。


 何回だって言う。馬鹿はお前だ。

 とりあえずアカリちゃんには3時間も待たずに怒って帰るか、最低限喫茶店とかに入って待つようにしてほしい。


 そのために頑張っているわけだけど、その作戦が必ずしも順調に行くとは限らない。

 そちらがコケてもいいように、別の策を用意しておくのは重要だ。

 対の選択肢が重要なのは、何も格ゲーだけの話ではない。


 ルーカスはマルコが雇ったごろつきとエンカウントしたことで、アカリちゃんとの待ち合わせに遅刻する。

 そこで、俺が考えたのがこちら。


 速度を上げたら間に合う説。


 残念ながらこの世界には自転車がない。原付も車もない。

 かろうじて馬車はあるが、狭い道は通れないし、市街地の短距離なら俺の全力疾走と大差ない程度の速さだ。


 乗馬は……向き不向きってあるよね。誰にでも。

 馬の背中って結構高くて不安定で、怖いんだよ。


 ないものを悔やんでも仕方ない。発想を逆転させよう。

 あるものを最大限に活用するのだ。

 この世界にあるもの……というか、この世界にしかないもの。

 魔法を使って移動するのはどうか。


 テンプレ的に箒で空を飛ぶのは、この世界ではメジャーではないようだ。

 だが、風魔法で馬車や馬を後押しして速度を上げている様子は街中でも見たことがある。

 相当高度な風魔法の技術がないと飛ぶことは出来ないが、走るのを早くする程度ならそう難しいことではないらしい。


 しかし俺には風魔法の適性はない。使えるのは炎の魔法だけ。

 そこでぱっと俺の脳裏に過ぎったのは、とあるアメコミのスーパーヒーローだった。


 そのヒーローはスーパーパワーではなく、スーツに仕込んだジェット噴射で空を飛ぶ。

 しかも背中に背負ったメカ的なものやスーパーパワーではなく、足の裏と手のひらから噴射したジェットで飛ぶのだ。科学のパワーである。


 空が飛べれば、スピードアップどころかごろつきを振り切るのだって簡単なはずだ。

 幸いにも、俺は手足から炎が噴射できる。逆に手足以外からは出ない。

 口とかから噴けたら面白いのにと思ったんだけど。


 火が出たって人間が飛べるのかは疑問だが、ここは不思議渦巻く魔法の世界。

 ワンチャン飛べてもおかしくないし、風で後押しして早く走れるのなら、炎でだってスピードを上げることくらいはできるだろう。

 俺文型だから科学も化学も力学も全然わかんないけど、たぶん。


 飛べない豚はただの豚。じゃあ飛べない俺はただの俺。

 つまり、飛べなくても何も失うものなどない。


 というわけで、家の庭で出力全開で挑んだところ……なんとあっさり飛べてしまった。

 使用人の皆さんが口をぽかーんとあけていたが、俺が一番驚いたまである。


 いや、飛べるんかい。

 なんだ、これで一気に解決じゃないか。ちょっと拍子抜けしてしまう。


 速度を最大まで出そうとすると、気をつけの姿勢で手のひらだけ地面と平行にするという非常にダサい飛行姿勢になるのが気になるが――そういえば、某ヒーローもそうやって飛んでいた気がする。ヒーロースーツのかっこよさに誤魔化されてダサさに気づかなかった――速度さえ気にしなければどんな姿勢でも宙に浮かんだ状態を維持できるということが分かった。


 逃げ回るマルコを捕まえて飛んでみたところ、人間1人くらいならなんとか背負って飛べることも分かった。

 ただでさえ悪かった兄弟仲が更に悪くなった気もするが、まぁもともと好感度ゼロだったものはいくら引いてもゼロなので、いいだろう。

 マイナスという概念はそこにはないはずだ。


 一通り屋敷の周りを飛んでから、マルコを降ろしてやる。生まれたての小鹿のようになっていた。

 何だよ、高いところ苦手なら最初に言えよな。


 そりゃ落ちたら怪我じゃ済まないかもしれないけど……と考えたところで、背負った誰かを落としたらどうなるかを想像して、今更背筋が寒くなった。

 こわ。誰かの命を背負うとか、俺には荷が重すぎる。誰かを背負うのはやめておこう、俺の精神衛生のために。


 しかし、飛べるようになったのは僥倖だ。

 最大出力での飛行速度は、俺の全力疾走よりもずいぶん速い。万が一アカリちゃんを待たせてしまった時にも、3時間も待たせなくて済むかもしれない。


 「待った?」「今来たとこ~」で済むレベルの遅刻なら、まぁ、許容範囲だろう。


「……ん?」


 そう考えながら一歩踏み出すと、足の裏に妙な感覚がある。

 確認すると靴底に大穴が開いていた。

 靴だけでなく靴下も貫通して、俺の素足が見えている。


 まぁ、そうなるよな。火が出てるんだもんな。

 底がほぼ消失した靴を眺めて、俺はしばらく途方に暮れた。

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