第7話 俺への信頼度、初期値のままなの?
「nが3以上の整数である場合、方程式xのn乗とyのn乗の和がzのn乗となる自然数の解は存在しないという定理について、『余白がないため証明は省略する』との記載があり、それ以降数多くの数学者がこの定理(※なお、定理という用語はこの場合適切ではなく、本来は予想とすべきである)の証明に挑んでいるが、未だに証明されておらず……」
放課後先生に呼び出されて――用件は「最近様子が変わったけど大丈夫?」とのことだった。デフォルトルーカス氏よ、先生からそんなことを言われるなんて、普段からどれだけ心配をかけていたんだ――急いで待っていてくれるアカリちゃんの元へ走っていると、何やら難しげな文章を読み上げている声が聞こえて来た。
アカリちゃんがシエル撃退法を実践しているらしい。
これ、あれだな。ナントカの最終定理だ。
この世界ではまだ証明されていないらしく、数学者が余白に書き残した文章として残っているようだ。
中学生の頃、中二病を発症して教室でこの証明の本とか読んでいたから分かる。
ちなみにカッコつけて読んでただけで内容はビタイチ分かっていなかったし、高校は普通に文系に進学した。
今思うと何だったんだろうな、あれは。本当に。
「むにゃ……モジュラーではない楕円曲線……うーん……」
「え?」
寝言を言ったかと思えば、シエルがむくりと身体を起こした。
そしてふああと大きな欠伸をして、寝ぼけ眼を擦りながらこちらを向く。
「紙、あるー?」
よく分からないまま紙とペンを手渡すと、シエルは何やらガリガリとすごいスピードでよく分からない記号やら図形やらを書き始めた。
思わずアカリちゃんと顔を見合わせる。何だ、急に。
ていうか素早く動けるんじゃないか。
普段ののんびり不思議くんはもしかしてキャラづくりでやっているのだろうか。
だとしたら努力が涙ぐましすぎる。
「はい」
書き終わった紙を差し出される。
いや、渡されても。
とりあえず、アカリちゃんの代わりに受け取った。
何やら数式やらグラフのようなものやらがびっしり書かれているが、まったくもってちんぷんかんぷんだ。
「解けたよー」
「え?」
「その本の、ナントカって定理」
言われて、紙に視線を落とす。うん、やっぱり分からない。
「ルーカス? シエル先輩に捕まっちゃったんすか?」
「ジャン! ちょっと数学の先生呼んできて!」
「え? 何すか? オレ今来たとこなのに……人遣い荒いっすよ、もー」
ぶつくさ言いつつもジャンが呼んできてくれた数学の先生に、シエルが書いた紙とアカリちゃんが読み上げていた本を手渡す。
最初は面倒くさそうにしていた先生の顔色が、見る見るうちに変わっていった。
どたばた大騒ぎが始まる予感を察知して、俺はアカリちゃんとジャンの肩を叩くと、3人連れ立ってそっとその場から逃げ出した。
「る、ルーカス、これって……」
「とにかく逃げよう。逃げるは恥だが何とやらって言うし」
「ちょっと、何が起きてるかちゃんと説明してほしいっす!」
○ ○ ○
その後いろいろあって、何とシエルは飛び級で卒業することになった。
いやありすぎだろ、いろいろ。
でもその説明は俺に求めないでほしい。だって俺がよく分かってないから。
当のシエル本人ですら、「これからは好きな時に寝て、好きな時に起きていいんだってー。やったー」とかいう能天気なコメントをする始末だ。
いいのかそれで。
「アカリちゃんのおかげだよ、ありがとー」
「え」
「アカリちゃんの声に籠った魔力が、ボクの脳波を活性化させたみたいなんだよねー。先生曰くー、魔力の相性とかー、読んだ本の内容とかー。そういうの、天文学的な確率らしいよー」
シエルはそう言ってへらへら笑っている。
俺は咄嗟にアカリちゃんを背後に庇った。
このヒモ男、「アカリちゃんのせい」の次は「アカリちゃんのおかげ」ときた。
アカリちゃんを食っちゃ寝生活のお供に引っ張っていく気に違いない。そうはさせるか。
と思ってアカリちゃんの様子を窺うと、何故かジャンがアカリちゃんを背に隠していた。
シエルからではなく、俺から庇うように。
よく見ると2人とも、不審者を見る目で俺を見ている。
……あれ? 何で?
「シエル先輩の撃退方法考えたの、ルーカスっすよね? それを、アカリに教えたのも」
「そういえば……あの本選んだのも、ルーカス……だよね?」
「え? え??」
ジャンがアカリちゃんを連れて俺から距離を取る。ジト目で俺を睨んでいた。
アカリちゃんも「まさか……!」という表情で口元に手を当てている。
いや、いやいやいや。確かにそうだけど。2人の言っていることは事実だけど。
それだけ並べ立てると俺が怪しいかもしれないけど。
ここまで2カ月くらい、一緒にやってきた仲じゃん。仲良くやってきたじゃん。
俺の信用、そんな一瞬で地に落ちる? 俺への信頼度、初期値のままなの?
「そーなんだぁ。じゃあ、ルーカスのおかげかー」
「ややこしくなるから黙って、マジで」
へらへら笑いながらシエルが口を挟んできた。
やめて、本当に。一から信用を得るよりも、失った信用を取り戻すほうが大変なんだから。
俺がマジでやめての顔で睨むと、シエルは殊更面白そうにけたけたと笑った。
「あのルーカスが、他人にどう思われるか気にするなんてー。人って変わるものだねー」
不思議くんにこの言われようである。デフォルトルーカス、大丈夫か、お前。
他人にどう思われるかはちゃんと気にした方がいいと思うよ。人間社会で暮らしていくんだからさ。
人と言う字は支え合ってなんとやら、人は一人では生きていけないのだ。
「キミの思い通りに行くかは分かんないけどー、何だか、面白いことになりそうだねー。ボクは邪魔しないからさー。それじゃー、ばーいばーい」
そんな意味深な予言と気の抜けた挨拶を残して、シエルは去って行った。
挨拶はともかく、予言の内容が悪すぎた。意味深すぎた。
ジャンには俺が何かを企んでいて、わざとアカリちゃんをけしかけたと思われたようだ。
いや、企んではいるけど。アカリちゃんに我儘を言えるようになってもらおうとはしているけど。
でもそれは2人にも言ったじゃん。ジャンも賛成したじゃん。
その後、2人の誤解を解いて信用を取り戻すため、俺はそれはもう多大な労力を費やす羽目になった。
あの不思議系ヒモ男、サポートカードのはずなのに、何故俺の体力を減らしに来るんだ。
もしかしてバフがアカリちゃんに、デバフが俺にかかっているんだろうか。
……バグでは?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます