腸詰豚

 腸詰豚の一生は短い。普通の豚が生み落す子豚のうち約五%程度が腸詰豚だ。見た目は他と変わらない。生まれた子豚が腸詰豚だとわかるのは兄弟が一匹消えてからだ。

 腸詰豚は離乳後は肉食になる。養豚場の餌に肉はないが、肉はある。腸詰豚が最初につまみ喰いするのは兄弟だ。獣というのは大概が襲った獣の内臓から食べるのに対し、腸詰豚は外側から食べる。だから最初は怪我をした豚が現れる。怪我は一口大に始まり、食べ方を覚えればあっと言う間だ。骨と内臓を残し、あとの肉はきれいに食べてしまう。

 腸詰豚という種が認知されてからは兄弟が一匹丸ごと消えてしまうことはなくなったが、やはり怪我は防げない。腸詰豚か普通の豚かは離乳しなければわからない。飼料を食べない豚はすぐに見つからない。

 腸詰豚は肉しか食べない。だから飼育者は肉を与える。特に豚肉を好むが、肉ならなんだっていい。でも人間のことは食べない。まるでトリュフ豚のように肉質を嗅ぎ分け、品種改良されたものしか口にしない。腸詰豚はグルメだ。唯一、腸詰豚が人を襲った事例がある。肉に塩をいれなかったからだ。

 ナトリウム不足に陥った腸詰豚は、人の体からナトリウムを採ろうとする。塩の味がする肉は人間だけだからだ。ほんの少し指をなくしただけだったが、あれは大きく取り上げられた。

 腸詰豚は生後四ヶ月で寿命を迎える。死の一週間前から腸詰豚は涼しい場所でじっとしていることが増える。肉よりも草を欲しがる。香辛料を浸した水だけを飲む。排泄が止まる。腸詰豚からはローズマリーやセージの良い匂いがし始める。飼育者は腸詰豚を殺す。屠殺すると流れた血液からはハーブの香りが広がる。

 腸詰豚の内臓は心臓と肺を除き全て腸詰になっている。抜き取った内臓は適当に捻り、あとはトレーに載せてラップをかける。百グラム三二七円の高級品だ。なにせリン酸ナトリウム不使用だ。金持ちと健康志向の馬鹿が有難がって買い占めるから、市場に出ることはない。

「だから腸詰豚が食べたい」

「出回らないって言ったばかりですが」

「だから食べたい」

「特売になってたらね」

 精神分裂病と幻肢痛でなにもかもおかしくなった穂積は、日がな布団の上でぎこちない寝返りを打ちながら一人で話し続ける。聞き手の有無も反応も気にしないくせに、うまく薬が効いているとそれは嬉しそうに話す。腸詰豚の話は二回目だった。よほどお気に入りか、それとも腸詰が食べたいのかはわからない。

 千切れた右腕は肘の先がなく、むりやり蓋を閉めるように縫い付けた先端は柔らかな脂肪に包まれ、腕を動かすたびにプリンのように揺れた。右足は足首から、左足は腿からない。同じようにぷるぷるとした脂肪に包まれている。

 政府の陰謀に追われた穂積は踏切を越え、電車に体のいくらかを持っていかれてしまった。少しばかり頭が弱いため、手足を置いたまま陰謀から逃げようとして線路の外で見つかったらしい。血溜まりと血の川を作りながら這い回り逃げる姿は悍ましかったに違いない。

 当の本人は国鉄も陰謀に加担していると言い、先に焼かれた手足の骨を大事に大事に曲げわっぱに詰めた。クッキーと間違えて数個食べてしまっているが、まだ空にはなっていない。

 身代わりになった誇り高い手足だと涙を流しながら語るが、身代わりの意味もあまりわからないほどに知能の流出は加速している。それだけはわかるのか、横を向いて寝ると溶けた脳が溢れるからと耳栓をするようになった。

 耳栓はよく外れ、畳に転がっているがまだ脳は溢れていない。穂積は耳栓で蓋がしてあると安心することができる。耳栓は今日も畳の上にある。

「腸詰豚、もどきでもいい」

「なんですかモドキって」

「腸詰豚の下位互換。鶏肉で作るからあんまり美味しくない」

「いいですよもう、ちょっと高いソーセージ買ってきますから」

「腸詰豚か?」

「どうですかね」

「ついでに塗り薬買ってきてくれよ。左足、虫にくわれた」

「そうですか」

 かゆいかゆい、と呟きながら太腿に向かって伸ばされた右腕がぷるぷると揺れる。なくした足を掻くのがなくした腕のためか、かゆいところにはきちんと手が届いているらしい。

 掻き壊すから薬が欲しいのだと言う。ひとつふたつ壊れれば苦しむが、それ以上をダメにするとかえって穏やかになるようだった。

 穂積は下手くそな鼻歌をうたいはじめる。今日はよく晴れているので機嫌が良く、症状も安定していた。私は腸詰めと塗り薬を買いに部屋を出る。鼻歌の合間にくしゃみが聞こえた。

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