古筆君の外出

 翌朝、平日より少し遅い7時に起床してリビングに下りるとすでに古筆君がいつも通りイスに座って読書していた。そして、宣言通りメガネをかけていない。ますます直視できなくなって古筆君の顔より少し左側を見ながら挨拶する。


「お、おはようございます……」


「おはよう。朝ご飯食べる?」


「はい……」


 私の言葉を聞くと古筆君は読書をやめて準備に取りかかった。

トースト用のお皿もすでに置いてあるし、手伝えそうなことはなさそうなので申し訳ないと思いつつもイスに座って待つことにする。週末はパンなので準備は早かった。

 古筆君は冷蔵庫から容器を取り出すとテーブルの中央に置いた。

 できあがったトーストを1度それぞれのお皿に置くと尋ねてくる。


 「つけ合わせは何にする?」


 「今日はイチゴジャムでお願いします」


 「わかった」


 瓶とスプーンを私の方に寄せてくれた。

パンにイチゴジャムを塗るのは小学校の給食以来だったので、懐かしさと新鮮さを味わいながら完食した。

 古筆君はテキパキと片付けを始めて、お皿を重ねるとシンクに持っていった。そのまま洗い物を始める。

 私はその様子をのんびり眺めながらこれからどう過ごすか考えていた。


 (読書しててもいいんだけどに。昨日もそうだったし。

でも古筆君は迷惑じゃないのかな?)


 先週の土曜日にここに来て、日曜日は綾との買い物のため大半を外出して過ごした。しかし今週は何も予定がない。

 そうこうしている内に朝の洗い物を終えた古筆君は珍しく2階に上がっていった。


 (やっぱり一緒の空間に居るのキツイのかな)


 不安を覚える。

 てっきり昼ごろまで降りてこないのかと思っていたが、グレーのTシャツを着てメガネをかけた古筆君がドアから顔を覗かせる。


 「出かけてくる。夕方までには戻るから、お昼は適当に済ませておいて」


 「わかりました。お気をつけて……」


 古筆君は頷くと部屋を出ていった。パタンという無機質な音を最後に静寂が流れる。

音に加えて、もともと考えすぎてしまうため、悪い憶測が頭の中をグルグルと回ってしまう。 


 (気を遣わせてしまったのかな。でも私も先週同じことしたし、古筆君も

不安だったのかも……)

 

 「……考えていても仕方がないし、続き読もう」


 さっそく2階へ『クラウントラベル』を取りに行く。

 階段を降りようとしてふと足を止めた。

階段を上りきった右側(私から見れば正面)にドアが1枚。そしてそのドアと私が借りている部屋の間の左側にもドアが1枚ある。どちらかが古筆君の部屋だろう。


 「って、何で気になるんだろう。知ってもどうにもならないのに」


 慌てて頭を振って邪念を打ち消した。また考え込まなくていいように、

いつもの場所に座って本を広げる。あっという間に本の世界に入り込んだ。



 1巻は王女が1つ目の町で起こった誘拐事件の解決を意気込むところで締めくくられていた。

5巻まで刊行されており図書室にも既刊は揃っているが、1巻しか借りていなかった。最後まで読み終えたが、まだ11時だったため最初から読むことにする。


 「はぁ……2巻も借り――」


 2周目に入って半分ほど過ぎたところで、ふと顔を上げた私はそのまま思考停止してしまった。

いつの間にか古筆君が斜向かいに座って私を見ていたからだ。


 「きゃあッ⁉」


 びっくりしすぎて声が裏返り、さらに椅子から転がり落ちてしまった。

心臓がバクバクと早鐘を打っている。

どうにか起き上がると古筆君が心配そうに覗き込んでいた。


 「そんなに驚かせるつもりはなかったんたけど……」


 「い、いつからいたんですか?」


 「5分ぐらい前かな。何回か声かけたんだけど、反応がないから」


 「すみません……」


 (5分も見られてたの⁉って今何時⁉)


 壁時計を見ると3時10分だった。帰宅予定時間よりもずいぶん早かったが、

用事が順調に終わったのだろう。

 恥ずかしさやら何やらで顔が熱い。少しでも熱をとろうと手のひらを頬に当てていると古筆君が尋ねてくる。 


 「ところで、昼、何食べた?」


 「昼?……あ」


 (『クラウントラベル』に夢中で何も食べてなかった!)


 指摘されて頭が空腹を認識したのか、お腹が鳴った。

それを聞いた古筆君が呆れたようにため息をつく。


 「気を遣って食べなかったとかじゃないよね?」


 「読書に夢中で忘れてました……」


 「…………そう。なら、これ食べていいよ。君の好みに合うかはわからないけどね」


 そう言って古筆君は隣の椅子に置いていた小さいビニル袋を私に差し出してきた。少し重さがありほのかに食欲をそそる香りが鼻をくすぐる。取っ手の隙間から定番のテーブルロールやクリームパン、桜を型どったパンが見えた。


 「パン?」


 「うん。行きつけがあってね。用事のついでに寄ってきた。僕は食べてきたから気にしなくていい」


 「あ、ありがとうございます。いただきますね」


 感情が入り混じり直視できなかったので、古筆君がやるようにイスに横向きに座ってクリームパンを頬張る。クリームの甘さが私の複雑な気持ちを少し和らげてくれた。

 2つ目のパンを頬張りながらふと考える。

もし、私がお昼ご飯を食べないことを見越してパンを多めに買ってきたのなら――少し怖い。

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