進展

 空がオレンジ色に染まり始めた頃、どうにか

古筆君の家に帰ってこれた。スマホの地図アプリが無かったら大変なことになっていたと思う。

プレゼントのことで頭がいっぱいになっていた

ため、来るときも地図アプリを使ったことを忘れてしまっていたのだ。

 リビングのドアを開けると古筆君が昨日と

同じように読書をしていた。やっぱり横向きに

座っているがスルーを決める。

 

 「た、ただいま帰りました……」


 「おかえりなさい」


 古筆君は顔を上げて素っ気なく言うと本を閉じて立ち上がった。何かしら準備に取りかかるようだ。


 (い、今渡さなきゃ!)


 慌てて私は古筆君の進路を塞ぐように立つと

ラッピングされた袋を差し出す。


 「あの、これ良かったら使ってください!」


 「僕に……?」


 古筆君は袋と私を交互に見たあと、袋を

受け取ってくれた。てっきり拒否されるのではないかと思っていたのでホッとする。


 「……ありがとう」

 

 「も、もし気に入らなかったら捨てて――」


 「僕、そこまで非情じゃないから」


 私の言葉を遮ってきた。気づけばいつも通りの

表情に戻っていて、少しムッとしたような言い方だ。


 「すみません……」


 癖で謝ると古筆君は少しだけ表情を崩す。


 「謝ることじゃないよ。むしろ僕が謝らないと

いけない。プレゼントを捨てるなんてことはしないから、絶対に」


 最後の部分を強調して言った。古筆君がそんな

ことをする人だとは思ってはいないが、自分の普段の態度や行動を考えて保険をかけたのだろうか。


 (プレゼント捨てる人なんて、なかなかいないと思うけど。

 あ、もう1つ言わなきゃいけないことが

あるんだった!)


 古筆君が移動しない内に声をかける。


 「あ、あの!お風呂の準備って終わりました?」


 「え……いや、まだだけど……」

 

 古筆君は珍しく目を見開いたまま言った。いきなりお風呂のことを聞かれるなんて思ってもみなかったのだろう。

確かに突拍子もない発言だったし余計なことだとは思うが、水道代のことが気になって仕方が

なくなってしまっていた。


 「私はシャワーでも大丈夫なので」


 「……ああ、そういうこと。申し出は嬉しいけど、お湯に浸かった方が血液の流れがよくなるし、疲れもとれるんだよ」


 (テレビの番組でやってたような気はするけど)


 そのような話は聞いたことがある。ひとり暮らしの人はシャワーで済ませることがほとんどなため、週に1回はお風呂に入りましょう、みたいなVTRが流れて出演者が苦笑いを浮かべていた。

 納得のいっていない私を見て、古筆君は諦めた

ように小さく息をつくと口を開く。


 「お湯張るのは2日に1回にしようか?」


 「あ、それでお願いします……」


 (今もかなり無理を言ってるし)


 本当にシャワーで構わないのだが、私に決める

権利はない。

それに古筆君を困らせたくなかった。 


 「わかった。今から準備してくるから、ゆっくりしてて」


 「は、はい」


 古筆君は早口で言うと浴室へ行ってしまう。

 ずっと立っているのもどうかと思うので、

とりあえずイスに座った。テーブルの上にはさっきまで古筆君が読んでいた本が置いてある。


 (やっぱり気になる。聞いてみようかな)


 内容まではいかなくてもジャンルなら答えて

くれそうだ。だが、持ち前の自信の無さから聞く

気持ちがなくなってくる。


 (まだ早いような気がする。やっぱりやめて

おこう。それにチャンスはいくらでもあるし)


 「あ、本取りに行こう」


 頭の片隅に追いやられていたが、認識されると続きが気になって仕方がなくなる。全体の3分の1まで読み終わっていて、旅に出た主人公が1つ目の町に着いたところ。これからどのように展開していくかか楽しみだ。

 本を取りに行ったついでに荷物も置いてきた。

1階に下りるとさっそく読書を始める。

 あっという間に本の世界に引き込まれていた私は

呼ばれていることに気がつかなかった。


 「ぇ……ねえ」


 「はいっ⁉」


 驚いて顔を上げると古筆君の顔があり、

身を屈めて覗き込むように私を見ている。


 (近い⁉)


 「先に、お風呂済ませる?」


 「は、はい……」


 私の答えを聞くと古筆君は距離をとった。特に

表情も変わっていなかったし、意図した行動ではないみたいだ。それに読書に集中していた私にも

落ち度はある。


 「じゃあ、先に行ってきますね」


 本を閉じてからルームウェアを取りに行って浴室に向かう。お風呂セットは脱衣所の隅に置かせて

もらっていた。

 さっきのお風呂に浸かる大事さと徒歩の疲れの

ことも考えて昨日よりも長めにお湯に浸かる。


 「お風呂、上がりました」


 リビングに戻ると古筆君が台所で夜ご飯の準備をしていた。煮込み料理のようで、IHコンロの上で

鍋がコトコトと音を立てている。


 (野菜の香りがする。スープ?)


 私がお風呂に入っている間に準備を始めたようだ。それは構わないのだが、私がいるときだと何か不都合があるのではないかと疑ってしまう。


 「……ゆっくりしてて」


 突っ立ったままでいると古筆君が声をかけてきた。慌てて鍋から目を離す。


 「わかりました。準備、ありがとうございます」


 「…………どういたしまして」


 そう答えると古筆君はコンロの方を向いてしまった。

いろいろ調整があるだろうし、テーブルの定位置に座ることにする。


 (何をしよう)


 読書をしてもいいが、不思議なことに気分が乗らない。

そうなるとテレビを見るかスマホをいじるぐらいしか思いつかず、やることが限られてくる。


 「テレビ、つけますね」


 「うん」


 特に見たい番組があるわけでもないのでバラエティ番組を流すことにした。司会者と複数のゲストがトークでスタジオを盛り上げている。

ボーッと眺めて数十分、古筆君から声がかかった。

 夜ご飯は肉じゃがだった。

朝に続いて一緒に食卓を囲うことになったが、会話があるわけでもなく、お互いに箸を動かすだけで

終わる。テレビの音があって助かった。


 「ごちそうさまでした……」


 小さな声で言ったあと、小さく息をつく。


 (おいしかった)


古筆君はすでに食べ終わっていたが、私が終えるのを待っていてくれたようで、食事のあいさつをしている間に素早くシンクに食器を置きに行った。


 (夜の分は洗い物しないと。約束だし)


 「あ、洗い物します」


 「……よろしく。スポンジと洗剤はシンクに

あるの使って」


 「わかりました」


 立ち上がってシンクに向かうと、スポンジホルダーにそれらは置かれていた。軽く水で食器の汚れを落としてから洗い始める。

 古筆君は読書でもしているのか静かで、洗い物の音とテレビの音だけがリビングに響いていた。

 量が少なかったので10分もかからずに洗い物を

終える。タオルで手を拭いていると古筆君がこちらを見ていることに気づいた。


 「……お疲れさま。……お風呂入ってくる」


 「わかりました」


  古筆君を見送るとイスに座る。時計を見ると

8時前だった。朝から思っていたことだが時間の流れが遅い。どうにかして時間を過ごそうとテレビ

画面に目を向けるものの内容が頭に入って

こなかった。

  

 (読書したいけど、まだ古筆君の呼びかけに気づかなかったら嫌だし)

 

 申し訳ないし、なにより心臓に悪い。

 そうこうしているうちにガラリと脱衣所のドアが開いた。

体感はなかったのだが、長い時間考え込んでいたようだ。


 「……上がった」


 「あ、はい」

  

 古筆君はいつものようにイスに横向きに座ると普通に読書を始めた。

 

 (まだ9時にもなってないから自室に戻るのは早すぎる。

それに古筆君が戻ってきてすぐだから、一緒にいたくないとか思われる可能性あるし)


 スマホは部屋に置いてきている。取りに行っても問題はないのだが、気が引ける。


 (時間を見ながらキリのいいところまで

読書して、10時半ぐらいになったら上がろう)


 さっそく本を開く。主人公が町について、散策をしている ところからだ。情景や心理描写が

しっかりと書かれているので簡単に感情移入できる。

 3回目の時間を確認したとき、10時45分だった。


 (よし、キリもいいし頃合い!)


 「先に上がりますね。お、おやすみなさい」


 「……おやすみなさい」

 

 古筆君は顔を上げて返事してくれるとすぐに読書に戻った。素っ気ないのは変わらないが、

その素っ気なさが緩んでいる気がする。

 自室へ行って机に置いていたスマホを定位置に移動しようとして、緑色のランプが点滅していることに気づいた。電源を入れると母から無料通話アプリでメーセージが届いているとの通知が画面に映し出される。

 「プチ旅行みたいで楽しい!」という文と共に1枚写真がアップされていた。昼間のどこかの海岸

らしく、後ろには海が広がっており、手前の砂浜で両親が手を繋いで笑顔で写っている。

 

 「満喫してる……」


 つい「楽しそうだね」と送るとすぐに既読がついた。常にアプリを開いていたのだろうか。

親とはいえ怖い。

 数十秒してメーセージが届く。

「志織は楽しくないかもしれないけど、まだ数日でしょ?気持ちが変わるかもしれないじゃない。

それに帰りたいとまでは思ってないのよね?」。

 文を何度も読み返した。

緊張はなかなか解けないし申し訳無さもあるが、

もし不満をあげるとしたらそれくらいだ。すぐに

自宅に帰りたいとは思っていない。


 (緊張してるのはお互い様だろうし。それに

古筆君もちょっと面白いというか、変わってる人

みたいだから)


 数日一緒に過ごしてわかってきたことだ。だが、気遣ってくれているものの、本当は一人で過ごしたいのではないのだろうか。


 「でも、そうだったら承諾しないよね?」


 彼が何を思ってそうしたのかはわからない。

拒否しづらい空気ではあったが、嫌なら最初の時点で言っていたはずだ。

 

 「もう少し打ち解けたら聞いてみよう」


 明日からまた一週間が始まる。

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