悪くはない1日

 外が薄暗くなり始めた頃、古筆君が声をかけて

きた。


 「……母がお風呂沸かしてくれてるけど、

先入る?」


 「え?あ、先に入ります」


 (いつの間に準備してたんだろう。案内してもらったときはまだお湯は張ってなかった気が……)


 しかしさっきは脱衣所までだったのを思い出した。お風呂場へのドアは閉まっていたし、その時にはすでに準備してあったのかもしれない。

 音を立てないように気をつけて立ち上がる。


 (シャワーで十分なんだけどな。水道代かかるだろうし)


 そうは思っても住まわせてもらっているのだから、こちらからシャワーで大丈夫とは言う勇気はない。

 2階へ行って仮の自室からポーチに入れたお風呂セットと着替えを持って脱衣所に向かう。ここも鍵がかかるようになっていた。自宅のはかからないので新鮮な気持ちになる。

 お風呂に入る準備をしながら、ふと1つの不安が頭をよぎる。

 

 (ノゾキとかしないよね、さすがに。

第一、鍵かけたから大丈夫か)


 もしかしたら脱衣所の鍵を開けれる方法を知っているのかもしれないが、そんなことをするイメージがわかないし、実際ににされたら引く。


 (私が心配しすぎてるだけよね)


 不安を打ち消すとお風呂場のドアを開けた。

 手短に入浴をすませて脱衣所から出ると、古筆君は全く動いていない状態で読書をしていた。彼なりにかなり気を遣ってくれているのがわかる。


 「お風呂、あがりました」

 

 「うん……」


 古筆君は返事をすると本を閉じて立ち上がる。


 「……のんびり過ごしてて」


 素っ気なく言うと脱衣所に入っていった。

1人になった私はゆっくりと視線をテーブルに戻す。そこにはたった今まで古筆君が読んでいた本が置かれていた。ブックカバーがかかっていて、外面だけではどんな内容なのかわからない。

 

 (気になる。理数系の本だとは思うんだけど。タイトルか目次見るだけならバレないよね。いや、

人の物を勝手に見るわけには……)


 頭の中で天使と悪魔が戦い始めた。どちらも全く譲らない。やっても意味はないが左手で右手首を

おさえる。

 

 (タイトルだけでも知っておけば話題に困ったときに役に立つかも。でももし専門書だったら内容を話されるとついていけない)

 

 私は理数系は得意ではないので、関数や数式を出されると頭が混乱してくる。いつも図書室で古筆君が本を取ってくる400番台の分類は自然科学なので生物ならどうにかついていけそうだが、宇宙とか天気とかそっちの方がきたらフリーズする自信がある。

 どうにか耐えていると脱衣所のドアが開く音がしたため、慌てて姿勢を正す。古筆君は今度は黒色のジャージを着ていた。私物なのは間違いないが、普段と印象が変わって思わず見つめてしまう。

 

 (髪の毛も少し濡れてるし)

 

 「……あがった」


 「は、はい」


 私の返事を聞くと古筆君は小さく頷いて冷蔵庫をあさり始め、すぐに両手にお皿を持って器用にドアを閉めた。それからコンロに向かい何やらゴソゴソと作業を始めると、ソースの甘い香りが室内に広がる。


 (いい匂い。今まで全然香ってこなかったのに)


 アルミホイルにでも包んでいたのだろうか。

何か手伝えることはないかと動こうとした瞬間、テーブルに御盆が置かれる。

 

 「……なんか母が作ってくれた。やけに気合い入ってた」


 恥ずかしいのか古筆君か少し顔をそらして言った。御盆にはご飯が入ったお椀とお皿。そこにはさっき冷蔵庫から取りだしたと見られるポテトサラダとその横にソースのかかったハンバーグが添えられている。 

 

 「あ、ありがとうございます」


 (たしかに気合入ってる……)


 ハンバーグのサイズは手のひらと同じぐらいだが、厚さが文庫本ほどありそうだ。食べきれるとは思うが不安になってきた。固まっている私を見て古筆君が不安そうに尋ねてくる。


 「……この中に嫌いな物ある?」


 「いえ、ないです」


 (ハンバーグのボリュームにびっくりしてたとは言いにくい。言ってもいいんだろうけど。

それにだいたい何でも食べれるから、絶対ダメっていう物はない)


 「そう。食べ終わったらシンクに置いてくれてたらいいから」


 そう言うと古筆君は自分の御盆を持ってリビングを出ていってしまった。


 「一緒に食べるの嫌だったのかな……」


 1人になったこともあり少し複雑な気分になりながら食事に手をつける。

 家ではご飯の後にお風呂に入っているが、正直どちらが先でも良かった。



 「ごちそうさまでした」


 悩みのタネだったハンバーグも問題なく平らげて手を合わせる。


 (おいしかった。1から手作りだよね?気合入ってたって古筆君が言ってたし)


 食べるときも肉汁が溢れて止まらなかったし、歯ごたえも

あった。あれが冷凍食品だと言われたら間違いなくイスから転げ落ちる。

 食器を片付けるために立ち上がったのと同時に古筆君が戻ってきた。もしかしたら早く食べ終わって、入るタイミングを伺っていたのかもしれない。


 (あ)


 「……先にシンクに置いてくれる?」


 私が食器を置いたのを確認すると古筆君は自分のを重ねてテキパキと洗い物を始めた。


 (私、代わった方がいいよね。なんだかんだで

ずっとしてもらってるし)

 

 「あの私、洗い物ぐらいしますよ?ここに来て

まだ何もしてませんし」


 「気にしなくて大丈夫」


 「わかり……ました……」


 短く返されて渋々イスに戻った。もう少し粘ろうかと思っていたが、あのようにされると打つ手がなくなる。


 (お客さん、だからかな。でも何か1つはやらせてほしい。申し訳ないから。

 あ、そういえば……)


 古筆が洗い物を終えたのを見計らって声をかけた。明日、綾とショッピングに行くことを言うためだ。


 「話があるんですが……」


 めんどくさいのか眠たいのか古筆君はメガネの奥の目を細めてソファに腰掛けた。


 「何?」


 「明日のことなんですけど、友達と買い物に行こ――行ってきます!」


 相手の様子を伺いそうになるのを抑えて言いきった。古筆君の場合「それで?」と返されそうだからだ。彼は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに元に戻すと口を開く。


 「……いってらっしゃい。暗くなる前には戻ってきた方がいいと思うよ」


 「はい……」


 (私の言い方おかしくなかったよね?何も言われないってことは大丈夫かな)


 つい不安になって考えていると古筆君から声を

かけてきた。


 「さっきの洗い物の件だけど」


 「はい?」


 「君が肩身が狭いとか思っているのであれば、

ときどきやってもらおうかな?」


 「はい……え?」


 反射的に返事をしたあと、冷静になって古筆君を見ると少しだけ口角が上がっている。


 (私がすぐに返事するのを予測して言った⁉)

 

 「嫌ならずっと僕がやるけど?」


 「い、いえ、ときどきやらせてください!

あ、もう私寝ますね。お、おやすみなさい」


 「……おやすみなさい……」


 居づらくなって逃げるように部屋に向かう。そしてすぐベッドに飛び込んだ。

 

 「伝えきった……。これで明日は大丈夫」


 私服も3日分は持ってきているし、足りなければ家に取りに戻ればいい。ルームウェアのポケットからスマホを取り出して画面をつけると10時10分の文字が浮かび上がった。

 

 (早く上がりすぎた。でも今から下りる気にはなれない。おやすみなさいって言っちゃったし)


 それでも疲れは溜まっているようでゴロゴロしていると眠くなってくる。


 (また明日……)


 初日なのでなんとも言えないが、思っていたよりも悪くはなかった。

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