八話 王様

「お前……柊花に……」


 夢織の低く震える言葉。

 それに続く言葉は形をなしていなかった。


「っ!!!」


 夢織は鷲掴みにしたヤンキーヴァンパイアの髪を引いて私から遠ざけると、後ろに振り返り壁へ向かって振りかぶった。

 まるで軽い空気人形のように振り回されたヤンキーヴァンパイアが、遠心力により床から浮き上がり、家を震わすほどの衝撃で壁に叩きつけられた。

 壁へと激しく叩きつけられたヤンキーヴァンパイアは、ズルズルと壁を伝って崩れ落ちていき、床に座り込む。

 夢織の目はカッと見開かれ、牙をむき出しにした野性の獣のような形相だ。

 怒りの収まらない様子の夢織は、歩いて座り込んだヤンキーヴァンパイアに近付くと、足を持ちあげ、俯くヤンキーヴァンパイアの頭を踏みつけた。

 いつかどこかで聞いたような鈍い音が部屋を揺らす。何度も。何度も。

 その足には靴が履かれたままで、夢織がヤンキーを踏みつけるたびに白くて可愛らしいはずのスニーカーが赤く汚れていく。


 聞いていられなかった。だから私は耳を抑えて聞こえないようにする。でも目ではちゃんと見ていた。

 そうやってヤンキーヴァンパイアの髪色が元々何色だったかわからないくらいになった頃、肩で息をした夢織が足をおろすと俯くヤンキーの髪を掴んで持ち上げ、顔を覗き込んだ。


「……はは……いるじゃん……」

「お前……あの時の……」


 やっぱり夢織はヤンキーヴァンパイアの探し人で、ヤンキーヴァンパイアは夢織が知るヴァンパイアだったらしい。


「何しに来た?」

「お前のさ~血がな? 忘れられないんだよ」

「きも」


 夢織は掴んだ頭を引き込みながら膝を顔面に叩き込んだ。


「あれからなんか調子がいいんだよ」


 鼻がよくわからない形にひん曲がっているが、それでもヤンキーヴァンパイアは何事もないかのように話を続ける。


「力が湧いてくるっていうの? 気のせいだって思うかもしれないけどよ」


 苛立つように夢織はまた膝をヤンキーヴァンパイアの顔に叩き込む。


「試してみたくて俺のグループのボスに喧嘩売ってみたんだよ。そうしたらさ」


 夢織の暴力を無抵抗で受けながらも話はやまない。

 夢織はその余裕を吹き飛ばそうと、さらに暴力を続けようとするが、止まったのは攻撃を続ける夢織の方だった。


「なにこれ……」


 ヤンキーヴァンパイアの髪を掴む夢織の手の甲から、突如赤い棘が突き破り現れた。


「なあ……これ……お前も出来んの?」


 血濡れだったはずのヤンキーヴァンパイアの顔が、まるで最初から血で汚れていなかったかのように青白い肌が見えるようになっていた。

 顔や髪を濡らしていた血液が意思を持ったかのように動き、集まって鋭い棘の形で固まっていたのだ。

 

 床を濡らしていた血液もヤンキーヴァンパイアの元へ集まりだす。

 その血液は、夢織の手を貫いた血液でできた赤い棘へと集まると、棘の横からから新しい棘が生まれ、その棘からまた新しい棘が次々と生まれ、茨となる。


 急速に成長する茨の成長方向は夢織の顔。夢織は仰け反って茨を避けようとする。

 だが夢織の手は茨により固定されているため、ヤンキーヴァンパイアの頭から離すことができず、避けきることができなかった。


「あアあッ!」


 夢織の額が大きく切り裂かれ、苦悶の声を漏らす。

 痛みに目をギュッと瞑る夢織は、何とか逃れようと茨に貫かれた腕を無理やり動かして引き抜こうとするが、無数の棘で構成された茨は、その棘一つ一つが抜けないための返しとなっているため、夢織の手から抜けることはない。

 対するヤンキーヴァンパイアは既に夢織の拘束から抜け出しており、トントンと後ろに下がってニヤついた顔で夢織を観察している。


 血の茨は成長を続け、夢織の体をヤドリギのように巻き付いていく。

 夢織は切り裂かれた額から流れた血が目に入ったのか、痛みをこらえているのか、目を閉じながら血の茨から抜け出そうと、その元となっている腕を振り回す。

 すると、夢織の腕力が血の茨の耐久力を上回ったようで、血の茨をへし折って自由を得ることに成功した。


「うは! やっぱスゲー馬鹿力だな!」


 その様子を見たヤンキーヴァンパイアは、まったく焦った様子はなく、どこまでも茶化すような軽い言葉を吐く。

 夢織は目を袖で血を拭って失われた視界を取り戻そうとしながら、腕をぶんぶん振り回して狭い室内にいるはずのヤンキーヴァンパイアを探そうとする。

 そんな夢織を嘲笑うように、窓際に立っていたヤンキーヴァンパイアはご丁寧に窓を開けて窓枠に腰かけ、いつの間にか手に持っていた血で汚れた肉塊をひらひらと振る。


「これ貰ってくわ」


 それは血の茨によって削り取られた夢織の腕の肉だった。

 片目を開けた夢織が拳を振り上げてヤンキーヴァンパイアに殴りかかるが、ヤンキーヴァンパイアは夢織の拳に合わせるようにして、後ろへと倒れこみ、空を切らせた。

 彼はどこまでも倒れていき、そのまま外へと落ちていった。

 私は恐る恐る夢織の後ろから窓の外を見て見ると、まだヤンキーヴァンパイアが家の外の道路に立っていて、こちらを見上げていた。


「俺、ハルっていうんだ! また貰いに来るわ!」


 そう言うとヤンキーヴァンパイア、ハルは走りだした。

 夢織はそれを追いかけることはなく、その後姿をじっと見つめている。

 そしてハルはいなくなり、チクタクという時計の音が、滅茶苦茶になった私の部屋で唯一の音になった。

 一分……二分……五分……

 どれだけそうしていただろう。

 ハルが戻ってくる様子はない。

 本当ならすぐに警察に連絡をするべきだったんだろうけど、外から目を離すとハルが戻ってくる気がして中々動き出すことができなかった。


「ゆ……夢織?」


 だがずっとそうしてはいられない。

 体を抉り取られて血を流しているにも拘らず、動き出さない夢織に気付き、心配になって私は恐る恐る声をかけた。

 瞬間、夢織が壁に拳を叩きつけた。

 壁は陥没し、衝撃が伝搬して窓が割れる。


「はぁ……はぁ……うぅ……」


 夢織が苦し気な様子で息を乱し、うめき声をあげると床へとへたり込んだ。

 穴の開いた右手で左の二の腕をギュッとつかみ、何かに耐えるように震えながら俯く。

 怖かったんだろうか。

 私に背を向けているため、夢織がどんな表情をしているか伺うことはできないが、夢織はヴァンパイアといえどもやっぱり女の子なんだなと思った。


「大丈夫?」


 私のために怒ってくれた。

 私を守ってくれた。


 そんな夢織を裏切ろうとしてしまったことに、少し後ろめたさを感じながらも、声をかけた。

 彼女はたまに怪我をしていたが、今回は今までで一番酷い。

 だから今回の怪我がヴァンパイアにとって大丈夫な怪我なのかわからなかった。

 手の平に穴が開いて、血野茨に巻きつかれた腕はズタズタ、額がバックリと割れ、全身血だらけだ。

 本当に彼女が心配だった。


「夢織?」


 俯く夢織に近づいて顔を覗き込むと、まだ彼女の目は赤く光っていた。

 そう認識した瞬間、突如体が衝撃を受けた。


「きゃあ!」


 自分の身に何が起こったのかは、すぐには理解できなかったが、後頭部を打って揺れた視界が元に戻るころには何が起こったのか理解が追い付いてきた。

 私の体はいつの間にか地面に倒れていて、背中に硬い床の感覚が、前には白い天井と夢織の赤い目と大きな牙が見える。

 どうやら私は夢織に馬乗りにされているらしい。


「どうしたの……」


 私は恐る恐る友人であるはずの夢織に語り掛けた。

 なぜなら、夢織のいつもの愛くるしさは何処にもなく、未だに赤い目と鋭い牙を覗かせた捕食者としての夢織だったからだ。


 私は理解した。

 馬乗りにされたお腹越しに感じる彼女の力を。


 私と彼女は対等じゃない。

 ヴァンパイアは人間の上位存在で私の細い首なんて爪楊枝を折るくらい簡単に折ることができる。

 そう気づいた時私は震えが止まらなくなった。

 彼女は友達なのに。


 私は逃げ出そうと手足を動かすが、夢織の手が私の手首を掴んで拘束してくる。

 駄目だ。

 絶対に抜け出せない。


 夢織は牙の生えた口を大きく開け、ダラダラと私の胸に涎を垂らす。


「夢織……どうして……」


 今まで夢織がヴァンパイアとして血を飲むところを見たことがなかった。

 だからどこかで安心していたんだろう。

 彼女は決して私を襲わないと。

 でもやっぱり夢織はヴァンパイアなんだ。

 夢織は私の血を飲む。

 もう逃げられないんだ。

 私はギュッと目を閉じて痛みに備えるしかなかった。



























「ヴァンパイアってね王様がいるんだ」


 痛みは来なかった。


「王……様?」

「そう」


 恐る恐る目を開けると、夢織の目の色がいつもの灰色に戻っていた。


「王様はねとっても強くてヴァンパイアを守ってくれるんだ」


 何かを怖がるように彼女は脈絡を無視した話を続ける。


「ヴァンパイアって真祖から遠ければ遠いほど弱くなるの。

 でもこの世界にはもう真祖はいない。

 すごい長生きで強かったそうだけど、それでも大昔に歳をとったり、人間に負けたりして皆死んじゃったんだ。

 だから私達ヴァンパイアは弱くなる一方になった。

 精々ヴァンパイア同士で子供を作っての現状維持が精一杯。

 新たに人間の中から同胞を迎えることはできても、血が薄いヴァンパイアにしかならない」


「でも王様だけは特別」


「王様はね。とっても強くて人間からヴァンパイアを守ってくれるんだって。

 王様は真祖みたいに長生きじゃないから死ねば代替わりするし、血縁とかも関係ないの。

 必要なのは王様の血肉を食べる事。

 王様が死んじゃったら次の王様がその血肉を食べて王様になる。

 それを真祖がいなくなったときからずっと繰り返してきた。

 でもたまに次の王様が決まる前に王様が死んじゃう事があるの。

 そんな時、王様の遺体が腐らないように、次の王様が決まるまで、王様を食べて体に保管しておくヴァンパイアが作られるの」


「それって……」

「あたしだよ」


「辛かったよ。お父さんとお母さんは優しかったけど、ずっと知らない大人の人が私を外に出さないように見張ってるの。

 たまに次の王様になるかもしれない人達が、私を見に来て言うんだ。

 よく育ってるなって。

 怖かった。

 次の王様を決める戦いがいつ終わるのかわからない。

 どの人が私を食べるのかわからない。

 アタシが大きくなるにつれてどんどん怖くなるの。

 でもね。ある時から私の心の支えができたんだ。

 それはね……」


「アシュリーの配信」


「私は外に出られないけど何でも買ってもらえた。

 パソコンもスマホも。

 ずっと窓のない部屋で暮らしていた私が外の事を知れたのはインターネットのお陰なの。

 だからアシュリーの配信を見てね。ビックリした」


「こんなに可愛い娘がいるんだ」


「こんなにゲームって面白いんだ」


「こんなに歌って素敵なんだって」


「だから……あたしね……できればね……アシュリーには……柊花にだけはね……そんな顔して欲しくないんだ……」


 夢織の懺悔するかのような言葉に私は言葉を失ってしまった。

 夢織の口が震えてこみ上げるものを堪えている。

 それでも目からは涙が溢れ出し、ポロポロと私の胸を叩く。

 夢織が私の上から急に立ち上がると、開いたまま窓から外へ飛び出してしまった。

 私は体を床から起こして走り去ろうとする夢織を静止しようと手を伸ばすが、彼女は既に伸ばした手の指の間に挟めてしまうくらい小さくなっていた。

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