第3話

季節がいつか秋を過ぎ冬に変わろうとしていたが、私はひたすら歩み続けた。

天からひらひら白い物が舞い始めた。私はその初めて見る花びらのようなものに心を奪われて天を仰いでいた。

ゆっくりと舞い降りて来るそのものは、私の頬に、また私のまぶたに止まり消えてゆく。

「雪だー、雪だー。」と言う子供達の声がする。

これが雪というものか。

私は手の平にそっと落ちて来て直ぐに溶けてゆくそのものをいつまでも見ていた。

そのものは、何か大切な何かを思い出せそうな気がするからだ。

この優しさ、この冷たさ、このはかなさ、この悲しさ、この静かさはとても大切なもののように思われた。

しかし、いくら思い出そうとしても思い出せない。

私の一番古い記憶はあの薄暗い小屋の中からだった。それ以前、私が何であったのか解りはしない。

だが、この静かにゆっくりと落ちて来るその床しい気配、地に落ちた途端消えて行く悲しさは何かに似ていると思った。

私は暫らく暫らく天を仰いで落ちて来る雪を身に受けた。

何故だかいつまでもそうしていたかった。

だが雪はやがてずんずん濃さを増して、まるで周り一帯を白いすだれで囲むように降り始めた。

仕方なく私はまた歩き出した。

とにかく歩まねばならない。どこかに向かって歩かねばならない。そこがどこなのか、何が私を待っているのか解らないが、前に向かって進むのが絶対の約束のような気がする。

しんしんと降る重い雪の中を、私はひたすら歩み続けた。

最初は何も解らずに歩み始めた私だったが、目的地も無く、何をあてに向かっているのかも解らぬこの旅が時に悲しくなる時がある。

悲しい?この気持ちは以前には持たないものだった。

そんな事を考えながら黙々と歩いている時だった。気が付くと、辺りはどこもかしこも真っ白い綿を被ったような雪景色になっており、積もった雪のかさがいつの間にか腰まで深くなっていた。

少しも疲れを知らない筈の私だったが、さすがに足を前に運ぶのに難儀している所だった。

その様子を見かけた男達三人がどこからとも現れて、私を雪の中かから助けてくれた。それから私をどこかの屋敷に連れて行ってくれた。

どの家々もすっぽり雪を被って埋もれていたが、それでもその屋敷は門構えやグルリとまわした塀の長さを見ても大層立派な屋敷に見えた。

私は雪ごろまのまま土間に運ばれ、そこですっかり雪をはらわれ、着ている上衣を脱がされ、代わりに綿入れの長着で体を包まれ、火のおこっている炉の近くの座布団に座らされた時は、さすがに安心して嬉しく思ったものだ。

私をそこに運び込んでいろいろと世話をしてくれた三人の男達は、いつの間にか自分の家に帰ったのか居なくなっていた。

炉のふちには年老いた老爺と老婆がニコニコ顔で座っている。

「申し訳ありません。突然このようにお邪魔してご迷惑だったのではないでしょうか?」

私がそう礼を言うと、

「さあ、これを飲んで温まって下さい。」と言って老婆が熱い甘酒を勧めてくれた。

私はそれを遠慮なく頂いた。

少し甘みのあるどろりとした白いどぶろくは、腹に入れたすぐからカッカと体が火照って温められるような力のある飲み物だった。

「いくら偉いお聖人様でもこの雪の中を先へ進むのは危険でございます。

この吹雪はいつまでも続くものではありません。何日かしたら晴れ間も見えて来る事でしょう。そうなりましたら誰か達者な案内人を付けますから、それまではごゆるりとお過ごし下さい。いや何も遠慮には及びません。当屋敷はその昔から代々名主をしておりまして、当主が亡くなるまではそれはお客様が多ございました。

今は分家が名主を引き継いでおります。部屋数はたっぷりございますので安心してお過ごし下さい。

私ですか、私は当屋敷にお仕えしてもう五十年以上にもなる爺でございます。

今は主となるお方はお嬢様が一人おられるばかりです。」

と何か理由がありそうな物言いをした。

娘が一人いるというのにその娘は姿を見せる訳でもなかった。

しかし、久々のお客人に対して粗相の無いよういろいろ言葉がけをしながら、旅をして来た私の珍しい話などを聞きたがった。

私も途中の様子等を二、三話して聞かせたが、話はやがて途切れた。

すると老婆が、

「お聖人様はどこの出でございますか?生みの親御様はどちらにおられます?やはりその御様子ではお武家の出でございましょう。」等と聞くのであった。

実は今までも何度かこういう質問をされる事はあった。

その度に確かな氏素性を知らない私は心の底に穴の開いているような虚しさを感じるのであった。

「シュー、お前は土くれなのだ。」

あの師の言葉がいつも底にあった。

自分は本当に師の手によって土くれから作り出されたものか。

他の人間のように母親の腹の中から生まれたものでは無いのかも知れない。

そう思う事は自分の存在が不確かで、それを突き詰めると現在かろうじて人の形を成したものが、崩れて行くような心もとない気持ちになるのだった。

何故、師は私にそう言ったのだろう。

土くれだ等と言わずに、お前は母御から生まれたが、その母が亡くなって私が預かり育てたのだと何故、そう言っては下さらなかったのかそういう思いを抱いている事は当然、師は知っておられるだろう。

だが懐の声は何も言ってはくれない。だからその時も問われて、私は本当の誠の事を話した。「私が物心ついた時には私は我師と二人だけで小さな小屋に住んでおりました。師は間もなく亡くなりましたので、生国がどこなのか、実の親がどんな人間なのか解りません。」

そう話すと、聞いた者はいかにも気の毒そうな顔をするのであった。

そうなのだ。私がどんなに人になろうと努力しあがいても私には根本の所で足りないものがあった。それは毎日歩きながら多くの人に会い、その人達とすれ違ってその人達の心に触れあってさえ実際には手に入れる事の出来ないものだった。

それは本来誰もが与えられる母からの愛だった。

私は母を知らない。故に母からの愛を爪の先程も知らない。

母親が子を産んで、すぐに死ぬ事があるという事を私も知っている。

だが、母がいないならば母でなくとも良い。慈しみ育ててくれるものが他にいたならば、それが祖母でも良い。祖父でも父でも叔母でも姉でもいい。せめて誰かから慈しみを受けて育てられたかった。

私はそう考えていつも最後には何故か苦しくなって行く。

私には師はいたけれど、その師は常に後ろ姿であった。

顔さえ知らぬ後ろ姿だったのだ。私は慈しまれたという記憶がないのだ。


この家の老爺と老婆は私の返事に充分納得出来ないようであった。

そして尚も「そのお師匠様はどのような方だったのです?」と聞きたがった。


この雪に閉ざされた長い夜を、この先再び訪れるその春まで、耐えなければならないこの地の年老いた夫婦にとって私という者はさぞ数奇で、さぞ不思議な存在にうつった事だろう。

私に何かを隠し通すという気持ちは無かった。

「師は常に崖に向かって座禅を組んでおりましたので、声を聞く事はあっても顔は見た事がありません。無理矢理、見てはならぬと思ったのです。

ですから、どういうお顔かも解りません。」と言った。

それ以上話す事は辛すぎた。

けれど老爺は、「それでお聖人様は幼い頃、お師匠様から何と呼ばれていたのですか?」とまた聞いた。

「師はいつも私の事を、お前は醜い土くれに過ぎない。それをよく覚えておけ。お前はこの土くれから始まるのだ。だからお前は醜いと書いて、“シュー”と呼ぶ。

良いか。お前はシューだ。そう言って、私の事はシューと呼んでおりました。」と答えた。

すると二人は大変驚いて、

「何と。お聖人様は小さい頃から随分厳しい修行をされたのですネ。それだからこんなに偉いお方におなりになったのでしょう。」と大変感心した。

「私はそんなに偉くもなく大層な者でもありません。ただ師から歩め、そして自分を育てろと言われて歩きまわっているだけです。」と言うと、

「そのお師匠様も御立派ですが、お聖人様はそのお言いつけを守ってこのような雪の中でも歩みを止めないのですから頭の下がる思いです。どうか私共に、大切にしているお言葉を頂けませんか。」と言う。

「余計なものは見るな。

余計な事は聞くな。

余計な事は言うな。

これが私の中の全てです。」と話すと、

「これこそが人が生きる道の真理です。大変有難い、お言葉を頂きました。」と二人の老夫婦は尚一層、私を大切にしてくれた。

それから半月以上、私は雪に閉ざされたその村にとどまって時を過ごした。

その間、私の事を聞きつけた村人達が次から次と相談事を聞いて貰いにやって来た。

赤子の夜泣きや、失せ物のように些細な事が多かったが、本人にとっては大きな悩みの種なのだと思うと私はその一人一人に対して精一杯相談にのってあげた。

まず額に手を当てると、相手の記憶の中に分け入って行く。そうすれば失せ物や人間関係は自ずと解って来る。

その事がことごとく人の口から更に人の口を伝って次々と新しい人を呼んだ。

村人達は実にたわいない事でも何倍も大仰に考え話し合い、それを大きな心配事のように話し合いながらもどこか楽しんでいるような所があった。

ある日一人の男が、さも重大な秘密を私にだけ打ち明けるというようなもったいをつけて話し始めた。

その男は、まるで自分の懐から大事な宝物を取り出して、私にだけ見せるのだと言わんばかりに、

「お聖人様、この村には美しい気狂い女がいるんですヨ。いいえ嘘じゃありません。本当の事です。私が実際この目で見たんですから。その気狂い女というのは何とこの家のお囲い部屋にいるんですヨ。」と言った。

私がその話に興味を示すのを期待しているのが目にありありと現れていた。

だが私は大して驚きはしなかった。

人の中にはいろいろな者がいるだろう。そう思っただけだった。

その男は私が少しも関心を示さないのを、いかにも物足りなく思い、不服に感じている事を顔に出して帰って行った。

その男が帰ると、この家の老爺がすぐに部屋に入って来て、

「お聖人様、あの男からあの話を聞きましたか。」と心配そうに聞くのだった。

私が黙っていると、

「私共は決してわざと隠していた訳では無いのです。さりとて自慢にする話でもありません。それにお嬢様もきっと知られるのは嫌でしょう。

この藤倉の家はお嬢様の代で終わりになるでしょう。そうしてお嬢様御自身がその事を心苦しく思っている筈です。

そのお心を思えば、私共夫婦が元気なうちはそっとお守りしている他、無いのです。」と老爺は本当はひた隠しに隠しておきたかった秘密を泣く泣く絞り出すように話し始めた。

「この三東家は本家で、この屋敷の周りから後ろの小高い丘を越えて尚、広い森一帯を所有しております。その他に山や田畑も多く所有しております。

何代にもわたる物持ちの家でした。この母屋の裏を少し登った所に、ちょっと見には庵のような建物があります。皆が離れ屋と言っています。その中には今では村人誰もがもう勘づいて知っておりますが、狂った女が住んでおります。

私達のように長年ここにお仕えしている者に対してもずっと秘密にしていた事ですので、ある男が入ってはならないここの地所に柵を乗り越えて入って、そこに気狂い女を見つけたと言って村中に触れ回って、私達も外の噂話から初めて知った訳なのです。

その男というものが今、ここを帰ったばかりの分家の男です。

亡くなった旦那様の弟の息子ですが、私共はあの男は何故か心を許せない嫌な人間だと見ております。

ここの旦那様が亡くなられ、その後三年程して奥様も亡くなられてもう十五年経ちます。以前からあのお囲い部屋には誰かが住んでいる事は解っておりました。

そこに食事を運ぶのは奥様ですし、その事は一切触れてはならない暗黙の決まりがありましたので、私も私の妻も表立って話した事はありません。

奥様が里から嫁入りする時について来た婆やがいるのだろうと思っていました。

その婆やが奥様の亡くなる少し前に確かに亡くなりました。

奥様はそれからもお世話をしておりましたので、もう一人誰かいたのかと知ったような訳です。その後、奥様も急な病でお亡くなりになりました。

もうその頃には頼りになる男手がいない上に、たった一人のお嬢様も気鬱の病なのか人前に出るのをひどく嫌がりまして、とても美しい方なのですが婿もとらずに年を重ねてしまいました。

そういう訳で奥様が亡くなる前にいろいろな役目を分家の方へ譲りお願いしたのです。

これは確かに私が聞いたという訳では無く、私の憶測も混じっておりますが、今も毎日、お嬢様がお世話しているその狂女というのはこの家の娘なのです。

ここのお嬢様と双子で生まれなさった妹なのです。私が遠い昔、何かの用事であのあたりに行った時、離れた所から一度だけ見た事がございます。その時はお嬢様がそこに遊びに来ているのだと思いましたが、今思えばあのそっくりな子は双子の片割れに違いありません。

この辺りの土地では双子をひどく忌み嫌います。一人ではなく、双子は畜生だとか言って昔から、もしも双子が生まれたら一人をそっとどこかに捨てたりあるいは産婆に頼んで息を止めたりしたと聞いております。

こんな閉ざされた土地柄ですからその慣習は未だに残っております。

ですからこの村では長い間、双子が生まれて育ったためしはありません。

もしも生まれてもひっそりと隠されたのに違いありません。今思えばこの三東家にも双子が生まれていたのでしょう。

そして、その一人が長い間、あの婆やの手でお囲い部屋で育てられていたのでしょう。

本当に可哀想なお方です。婆やの亡くなった後もたった一人であんな所にいたならば、正気でいられる筈はありません。

あの聡いお嬢様ですから随分早くからこの事をお知りになったのでしょう。

その為、自分までがすっかり人嫌いになって表へ顔を出さなくなったのです。

お聖人様はまだお嬢様にお会いしておりませんね。

勿体無い程、美しい方なのに、嫁ぐお年はとうに過ぎてしまいました。

昔は方々から降る程縁談があったのに、いくら勧めても頭から嫌がって断り続けて今に至ってしまいました。

女と生まれて人並みに人の嫁になり、子供を生んで子の母になって子を慈しみ育てる楽しみもなく…。

本当にいたましい事です。

お囲い部屋のお一人は狂女になり、お嬢様もすっかり人嫌いになりました。

双子には本当に呪いのようなものがかかるのでございましょうか。

先程の男は口が軽いので有名です。それでもしやと思ったのです。」

老爺はそこまで打ち明けると、むしろ心の重荷を下ろしたようにほっとした顔をした。

老爺から哀れな狂女の話を聞いてからも、その家の娘に会う事は無かった。

しかし退屈を持て余している村人は何かというと訪ねて来て、退屈しのぎにいろいろな話をし、私からも話を聞きたがった。

そうしているうちにも、外の日差しは暖かくなり、心なしか雪のかさも減って来たようだ。

この分では気を付けて行けば峠も越えられそうだと思ってそう話をすると、

お聖人様は旅を急いでいらっしゃいますか?もしも、お急ぎで無いならば、もう少し用心して積もった雪があらかた滑り落ちた後、行くのが安全でございます。

まだ途中、雪崩が起きる事が考えられます。

そう言って止めようとするのであった。

そんなある日、「お聖人様、お嬢様がお会いになるそうです。」と別の部屋に通された。

ここに二ヶ月近くもいて一度も顔を見せた事の無い娘であった。

私が通された部屋は南向きの縁側に面した部屋だったが、その戸障子や襖が全て閉め切ってあり薄暗かった。

何故こんなに天気の良い日に明るい日差しを入れないのだろうと思っていると、

襖をスッと開けて入って来た娘の様子を見て、合点がいった。

娘は頭からすっぽり黒い紗のような布をかけて自分の顔を見せまいとしているのであった。

何も言わずに黙っている私の前に離れて座ると、暫らくして娘が口を開いた。

「お聖人様、私はこの家の娘の月でございます。最後まで、お会いすまいと思っておりましたが、事情が変わりました。

是非話を聞いていただきとうございます。」

居住まいも話し方も、落ち着いた低い声も、それは床しく美しいものだった。

年若い娘では無かった。

世間ではすでに何人も子のある年増ではあるけれど、気品とどこか人を寄せ付けない威厳のようなものを備えた婦人だった。

「お聖人様、爺が私の事をお嬢様と言ったので、若い娘を想像されたのでございましょう。でも。私はこの通り若くはありません。もう三十も半ばを過ぎて四十に向かっております。」と言った。

私はいつもそうだが、愛想の言葉も無く黙って聞いていた。

私が尚も黙っているのを見て、

「お聖人様は何を聞いても驚きませんネ。」

そう言って、顔を覆っていた黒い布をハラリと取り去った。

そこには目の涼やかな妙齢の婦人の顔が現れた。

その目が、どこか挑むように私を見ている。また沈黙の時間が少し流れた。

相手は何か私の言葉を待っているようであった。

私は少し考えてから、

「私は人であって人ではありません。男であって男ではありません。

ですからあなたを見て驚いたり、美しさに惑わされる事はありませんが、並の男ならあなたの美しさに驚くでしょう。」と言った。

月と名乗るその家の娘は私の言葉をどう思ったのか解らないが、下を向いて何か考えているようであったが、その後思いきったように、

「お聖人様、折り入って話を聞いて頂きたい事がございます。私について来て頂けませんか。」と言って立ち上がった。

私はその月の後を、裏口らしい所から外に出た。まだ昼日中だったが、屋敷の裏手にあたるそこは人から見られる心配の無いところであった。

娘は慣れたように黙々と先に登って行った。

適度に踏みしめられたその雪道は大して難なく、丘の上の木立の中に建つ離れ屋に登り続いていた。

先日、老爺が話していた狂女が住むお囲い部屋がある所だなと思った。

田舎とはいえ由緒ある名家の離れ屋は、いかにも趣のある作りの建物だった。

その周りはよそ者が簡単に入り込めないようにしっかりと竹囲いされてあった。

月が戸口で、「私です。入りますヨ。お聖人様も御一緒です。」と声を掛けて戸を開けた。

声は無かったが、土間に入ると誰か人のいるような温かい気配がする。

まだ雪の残っている季節、人気が無いと家の中はひんやり冷え切っているものだからである。

月が先にあがり、私も促されて二人が襖の前に立って静かにそこを開けると、中には狂女が私達を待っていた。

目元も涼やかで気のふれている者の目では無かった。だがその目はふとした拍子に悲し気で何か辛い事があった事が偲ばれた。

私が黙っていると月が話し出した。

二人並んでいると月の方が毅然とした様子で姉のように見える。

「爺から聞いたと思いますが、私達は双子で生まれました。この辺りでは双子は忌み嫌われるのです。必ず良くない事が起こるという迷信があるからです。

我家の立場上、両親は世間の目を人一倍恐れたのでしょう。妹は秘かにこの世に無い者とされて育ちました。

小さい時は母が里から連れて来た婆やがここで面倒を見て育てていましたが、母も時々そっと通って来ていたようです。

私ももう随分小さい頃から、母から話を聞いて知っておりました。

でも父が厳格な人でしたから、父の目のある時は私はこの離れ屋に近づけなかったのです。でも父が遠出をしたり、何かの用事で留守の時は私も会いに来ていました。

妹は陰のような存在ですから、きちんとした名前は父から付けて貰えませんでしたが、婆やや母は私が月という名ですから、妹の事を星と呼んでいました。

やがて年頃になると父は私に縁談を持って来ました。でも事情を知っている私はとてもそんな気持ちにはなれません。

もしもこの家に婿を取ったら、秘密が明らかになり相手の親戚にも必ず知れる事になるでしょう。

これまでも隠れて隠されて生きて来た妹の事を思うと、私だけが恵まれている事がいつも申し訳なく思ったものです。

これが逆だったら、どんな気持ちだろう?きっと悔しいに違いない。そう思いました。

そういう気持ちに蓋をしてまで一緒になりたいという人も現れませんでした。

自分だけが婿を迎え、自分だけが子を持ち幸せになる事は考えられなかったのです。

妹も幸せになるのでなければ、いっそこのまま独り身を通す方が良いと考えていました。」

月がそう話している間にも妹の星はうなだれてひっそりと姉の話す事を聞いていた。

「それが私達が十五になった年に父が突然倒れて亡くなりました。

その後、母が何かと大変になりましたので、私は隠れるようにしながら母と交代で離れ屋に通う事になりなした。

妹を育て一緒にいてくれたサヨ婆は高齢でしたし、母も体が丈夫では無かったんです。それでも父が亡くなってからは、母屋の爺夫婦や下男達には内緒にしながらも私達姉妹とサヨ婆と母の四人は交替で会って楽しゅうございました。

そういう日々が一年も続いたでしょうか。

サヨ婆が亡くなりました。その後一年もしないで母が亡くなりました。

あの時は大変心細く悲しゅうございました。両親がいなくなると、分家の者が大っぴらにこの屋敷うちに来るようになったのです。

そして、この離れ屋にも断りなく入って来ました。驚いた妹はギャーッと叫んで顔を隠しました。分家の者も驚いたでしょう。

私達が何の説明もせぬうちに狂った女があそこに閉じ込められていると振れ回ったのです。

私は分家に対して、両親が亡くなった今、何があっても分家の世話にはならないからこの屋敷内には決して足を踏み入れるなと手紙を書きました。

それ以来、分家とは親戚付き合いはしておりません。

村でのあれこれは爺や夫婦が全ては仕切ってくれて私は年頃を過ぎても表へ出る事なく、嫁にも行かず婿も取らずに過ごして来ました。

世間とはとかく口やかましいものです。

妹を守るという事だけでなく、私は元々人間嫌いなのです。

私達は二人で一人です。

そして人間嫌いで口数が少ないという事を良い事に私達は時々入れ替わりました。

私がこの離れ屋にいる時は妹が母屋にいます。

そういう事を繰り返して今まで来ましたが、外観がそっくりなので爺や達も気が付いていないと思います。

私達は何事も二人で一人にしようねと言い合って、何事も力を合わせて暮らして来ました。

お聖人様はこんな私達をさぞ哀れにお思いでしょうネ。でも私達も人並みに人を好きになり、人並みに貧しい所帯を経験し、子供は授かりませんでしたが、秘かに幸せを育てて来ました。その事は妹の星から話を聞いた方が良いでしょう。」と月が言うと、

今まで黙って話を聞いていた妹の星が話し始めた。


「私の事をさぞ日陰の身で哀れにお思いでしょうが、私は決して不幸ではありませんでした。小さい頃からサヨ婆が私の事を宝物のように大事にしてくれましたし、母様も時をみつけてはここに通って来てくれました。ほんの短い時間でしたが、私を哀れに思う気持ちが強いせいか、いつも私をしっかりと抱きしめてくれました。

ですから私は少しも自分が不幸だと思わずに大きくなりました。

最初にお姉さまがここに来て、お互いの顔を見た時は本当に驚きました。私とそっくりの姉がいるのだと思うととても嬉しい気持ちでした。

それから今までの事は姉が話した通りです。サヨ婆が亡くなり母様も亡くなった時は、それは心細うございましたが、姉の思い付きで、最初に入れ替わって私が初めて母屋に行った時は本当にドキドキしましたが、姉は家でも口数が少ないという事で私もそのようにしておりましたので、母屋の爺や夫婦にも気付かれる事なく過ごして来たと思います。

慣れてからは入れ替わる事は普通の事になっておりました。

でもあの時は丁度私が離れ屋の方にいた時でした。

我家の山で山の木を切り炭を焼いている豊吉さんという一人者の男がおります。

以前はずっと父親が炭を焼いておりましたが、その年は父親に代わって炭焼きを始めて間もなく、また出来上がった炭をここに届けるのも初めての事でした。

サヨ婆が生きていた頃から炭を置いておく場所は決めてあり、豊吉さんの父親も心得ておりましたが、慣れない豊吉さんには勝手がわからず戸惑ったのも無理はありません。

突然、炭の煤をつけた人が離れ屋に来たので、私はすっかり驚いて怯えてしまいました。

すると豊吉さんは申し訳ないように困っている様子でした。

その様子は私を安心させました。それで話を聞きますと、山の奥にある炭焼きの小屋から炭を背負って来たというではありませんか。話し方や様子からも解りますが、豊吉さんの目は純真で口数も少ないのですが、決して悪い人では無い事が解りました。

その日は大変寒い日でしたので、私は熱いお茶とお菓子を出して豊吉さんを労いました。

その事があってから私は義姉にもその事を話しました。

ですから姉が離れ屋にいる時も豊吉さんが炭を持って来てくれた時は上にあげてお茶を出して一休みしてから返す事にしました。

私も姉もこの屋敷から一歩も外に出た事のないお互いだけが友達の二人ぽっちの姉妹です。豊吉さんは私達が二人で時々入れ替わっている事とは少しも疑っておりません。

その事が私達にちょっとした楽しみを与えてくれました。

私達は二人が一人として豊吉さんと友達になりました。

私がどうしてこの離れ屋に住んでいるかは詳しくは話さないでも知っているのか知らないのか根掘り葉掘り問いただす人ではありません。

その事が私達にとってはとても有難く安心できる人だったのです。

豊吉さんはそういう事情を聞いてはならないと思いやってくれていたのでしょう。

豊吉さんは私達のかけがえのない唯一の友達になっていました。山で一人ぽっちの豊吉さんにとっても同じ思いだったと思います。

そうしながらも私達も世間的に嫁に行く年頃でした。

ある日豊吉さんが、「お嬢さん、お嬢さんはこんなにきれいなんだからお嫁の貰い手は星の数程いるんだろうな。」と言いました。

私が豊吉さんをじっと見ると、

「もうじきお嫁に行ってしまうお嬢さんの所に俺なんかが度々顔を出したら迷惑なんだろうな。」とそう言うのです。

だから私は慌ててその時話をしました。

これは豊吉さんを信用して秘密を打ち明けるのだけれど、私はこの世にいない人間なんだって、だからここでひっそり人から隠れて暮らしているんだって。

表立ってお嫁にも行けないし、今までだって、どこにも行った事が無いし、何の楽しみも無い。ここでひとりぼっちで年を取って死んでいく身なんだって、そう言いました。

豊吉さんはびっくりしていました。

そして私の事を可哀想に思ったのでしょう。その時は夏も終わって秋風が吹き始めた頃でした。これからは山の方は紅葉がとってもきれいだから今度連れて行ってあげると約束して帰って行きました。

私はすぐに姉にその事を伝えました。

今度どちらがこの離れ屋にいる時か解らないけれど、豊吉さんが迎えに来たらついて行ってきれいな紅葉を是非見せてもらいましょう。そして見たり聞いたりした事は逐一報告し合いましょうと約束しました。

そして姉が離れ屋にいた時に豊吉さんが迎えに来ました。

今日連れて行ってあげようと早く来たけれど行けるかと言ったそうです。

姉は勿論、喜んでついて行きました。

初めて見る山の景色は、それはそれは美しくてかごの外に出た小鳥の気持ちがよく解ったと姉は私に伝えてくれました。

そして姉は、もう一度見てみたいから豊吉さんが嫌でなかったら明日もまた連れて来てとお願いしてくれました。

豊吉さんという人はとても律儀な人です。

次の日も朝早くに迎えに来てくれました。

今度は妹の私が連れて行って貰いました。

その時の気持ちは涙が出る程嬉しくて、私は本当に泣いてしまいました。

この世の幸せってこれを言うのだと思いました。

私達はそのようにして真正直な豊吉さんと友達になり豊吉さんの事をどんどん好きになって行きました。豊吉さんも同情してくれて、好意をよせてくれました。

私達は豊吉さんが仕事をして暮らす炭焼き小屋にも連れて行って貰いました。

狭くて煤に汚れた小屋ですが、私はとても気に入りました。

姉も同じ気持ちだったと思います。私達はやがて自然に夫婦になりました。

その事は私と姉とがしっかり話し合って決めていた事です。

世間には絶対秘密の夫婦でしたが、それでも私達は幸せでした。

豊吉さんには私は少しおかしい所があるかも知れません。物忘れをする事があるかも知れませんとよく話してありました。

だから豊吉さんは私達が本当は二人だった事に気が付いていたかどうか解りません。

何かおかしいと思った事があっても豊吉さんはそういう事を突き詰める人ではありませんでした。

むしろ、俺のような貧乏人の所へお嬢さんのような人が来てくれるなんてと言って、とても大切にしてくれました。

私達はこの先もこのまま末永く幸せに過ごせると思っていました。

でもあの人は亡くなりました。

前々からあの人は、一人の山暮らしだからもしも一ヶ月も顔を出さないような時は何か事故があったか死んだと思ってくれと言われていたのです。

後で解った事ですが、豊吉さんは秋に切り出しておいた木を冬に村人が皆で山から運ぶのに参加して雪崩に巻き込まれて亡くなったそうです。

村人の男の人が総勢参加した中に五人亡くなった人がいたのです。

その中に豊吉さんが入っていました。この事はつい最近解りました。

私達は大切な人を失いました。

お聖人様、私達はほのかな幸せを手に入れたばかりにこんな罰を受けたのでしょうか。双子はやはり不吉な星の元に生まれたのでしょうか。私達は大切なものを失くしてこの先どうしたら良いか解らない気持ちでおります。

あの人がもうこの世にいないのだと思うと本当に気が狂ってしまいそうです。

村ではこのお囲い部屋には狂女がいるともっぱらの噂だそうですが。

姉はどうか解りませんが、私はいっそ狂ったら楽になれると考えたりしているものです。」

そこまで言うと、

「星さん、私だって同じ気持ちよ。私だってこの先どうしたら良いか苦しくて苦しくて堪らないのヨ。」と姉の月が行った。

その後は暫らく沈黙の時が過ぎた。

二人の姉妹は時折顔を上げて私を見た。

私の口から出る言葉がすなわち、自分達の未来になる事だと信じて疑わないようだった。

私は自分の中で精一杯考えて話し出した。

「お二人は今まで心を一つにして支え合って来ました。淋しい事も、またささやかな喜びも二人で分け合って暮らして来た。そういう事ですね。

そして、この後もそのように暮らして行きたい。この気持ちに変わりはないのですね。

こんなに強く結び合った姉妹の情はそうあるものではありません。

あの世の母上様も喜んで見ておられましょう。

それではこれからどう生きて行ったら良いかという事です。

今までのようにこっそり交替しながら生きて行くのを続けるのであれば、一人は狂女として、又母屋に住む一人は人間嫌いとして共に年を取って行くだけでしょう。

お二人はそれで良いのですか?

母屋の老爺夫婦も年老いていずれはあの世へ旅立つか、いとま乞いをしてこの屋敷を去るでしょう。それでもこの形を変えないで秘密を守り通して行くつもりですか?

それも一つの道ではあります。

しかし、それでは二人共、あまりに不自由です。私は今まで方々を旅して来ました。私が見て来た多くの土地では双子は決して悪い事ではありません。

むしろ一度のお産で二人も子宝に恵まれる事を非常に喜ぶ所が多いのです。

だがここの土地では違うようです。

父御が生きておられたならいざ知らず、今はあなた達も充分分別のある年齢になりました。あなた達を縛るこの習慣が良いものか悪いものかは身をもって解る筈です。

人が人を恐れるのは人の口です。

人の噂が人を苦しめるのです。

隠れているだけではその噂は消えないでしょう。隠すから人々は噂にするのです。

あなた達が双子だったと言われ聞かれたならば、はいそうですと答えれば良いのです。

狂女だったのではないのかと聞かれたら、狂女ではありませんと正直に答えれば良いのです。何事も偽らず自然に堂々と振る舞っていれば最初は大騒ぎに騒いでいた人々もやがては噂する事に飽きるでしょう。

無理におのれを偽らず押さえつけず、また逆に無理に人前に出て行く事もありませんが、せめて、この屋敷内では自然に明るく過ごす事から始めてはいかがでしょうか。

そこから徐々に進むべき道が見えて来るでしょう。

双子の姉妹といっても心がまるっきり同じとは限りません。

やがて少しずつ生きる形も違って来るかも知れません。

ですが、今までの共通の思い出とお互いの思いやりがあれば、この先どんな事があろうとも助け合って乗り越えて行ける筈です。

あなた達がまず最初に双子である事を隠さず自然に振舞えば、この悪い慣習の殻はすぐにも破れるでしょう。

それを秘かに望む人は他にも多くいる筈です。

まずはここの爺やさん、婆やさんの前に二人揃って立ち、解って貰うのです。

次に使用人達の前でも自然に振舞うのです。

最初は驚き、大騒ぎするかも知れません。

しかし、それだからどうだというのです。ひるんだり、隠れたりしてはなりません。

この屋敷内で二人がごく普通に仲良く暮らして行く。

それは何も特別な事ではありません。」

私はそう言うと離れ屋を出た。

そろそろ夕方になろうとしていた。

この夕空では明日も良い天気になるだろう。

そろそろこの土地を発つ日が来たと思った。

私の見る所、妹の方は豊吉の死を知って髪をおろして尼になる事まで考えていたようだった。

その妹の思いに影響されて姉の方も前途に希望を失ってそんなことを考えた事もあったろう。

だが何も自分達を人の目から遠い所へ遠い所へも持って行く事はないのだ。

まだまだ若くてまだまだ先は長いのだから。

思い切って勇気を出してこの秘密にして来た事を陽にさらしてみれば、いつか、ああ何の事は無かったと思う日が必ず来るだろう。

あの姉妹が今にも爺や、ばあやの前に二人揃って現れる事は見えていた。

老夫婦はさぞびっくりするだろう。

それも一人だとばかり思っていたお嬢様が、ずっと二人で交替していた事を知って驚くだろう。しかし、母屋の中を二人のお嬢様が自然に明るく歩き回る事は屋敷そのものを明るく華やかにするだろう。

あでやかで利口な二人の女性は、少しも卑屈になる事は無いのだ。

例え分家の者が何か言って来ても相手になって怒ったり、抗弁する事も無いのだ。

相手にならずに聞き流しているうちに、騒ぎは治まって行くものだから。

村には話の解る長老も必ずいるものだ。あの賢い二人が力を合わせて村の長老達の助言を仰ぎながらする事は、必ずや良い結果を生むだろう。そういう明るさが漠然とではあるが見えるような気がする。

あの二人はまだまだ若い。

先々にどのような出逢いがあるとも限らない。私はそういう事を考えながら、少し満足した気分だった。

この気持ちは何だろう。私はやはり人だろうか。私はそのまま先達も無しにそこを発ち、歩きに歩き通した。

辺りの雪景色はこうして歩き始めてみると、すっかり変わっていた。

いつの間にか白一色だったのが黒い地肌をあちこちにあらわしている。

それにしても長く逗留してしまった。

この峠を越えた先はどんな事が待っているのだろう。

足は少しの疲れも知らず前に前にと進む。

たまに懐の袋に手を当ててみるが、袋は昔のような言葉を発しはしない。黙りこくっている。まるで安心して居眠りでもしているように静かにしている。


山を越え、坂道を下り、田んぼ道を歩き久しぶりに海鳥の声を聞いて誘われるようにいつか砂浜を歩いている時の事だった。

この砂浜を歩く感じは何だか初めてでは無いような気がする。不思議な感覚だ。

遠い遠い昔に知っていたような気がするのは実に不思議であった。

空は晴れて波も穏やかで砂の上に寄せてはひいて、また寄せる波を腰を降ろしていつまでも見ていると、しまいには私は何者だろう?という所に思いは帰ってゆく。

お前は人か?獣か?化け物か?

そう子供達に言われたのが遠い大昔の事のように思われる。

あの時の私は子供達の目にどう映っていたのだろう?

人には見えなかったのだろうか?随分経ったような気がする。

私は何故こうして歩いているのだろう。何に向かって歩いているのだろう。

この先に辿り着くのはどこなのだろう。

そこで私を待っているのは何だろう?

今の今まで深く考えずに来たが、多勢の人達に会い話を聞いた。

そして今では、人の事はよく解る。人の心持ち、人のその先もよく見えるような気がする。

けれど自分の事は皆目解らない。

そんな事は考えなくて良いと言ってくれる筈の懐の袋は黙り込んでいる。

私も聞きたい。私が何者か、私の行く先に果たして何があるのかを聞きたい。

どこへ行ったら解るのだろう。


波がザー、ザーと打ち寄せる。

懐かしい。

このまま、このままトロリと眠っている間にこの私自身も何もかもが消えてしまったならば考える必要も無いようにも思う。快い眠りの中に落ちて行く。


人々の呼ぶ声がする。

口々に騒ぐ声がする。

私のすぐ側を何人かの男達が駆け抜けて行った。

何だろうと目を開けると、先の方の砂浜に人だかりがして、そこをめがけて人が次々と走って行くのだった。

何だろう?

何を騒いでいるのだろう?

立ち上がって走って来る人を見ていると、

「あっ、お聖人様。どざえもんです。丁度良かった。お聖人様、お経をあげて下さい。」

そう言って男は私の腕を摑まえて、人だかりの方へ連れて行った。

近づいて行くと、皆が私に気が付いて次々に道を開けてくれた。

成程、そこにはずぶ濡れの一人の男がぐったりとして横たわっている。

人々の中から、「死んでいるのか?まだ生きているのか?今度こそ死んだのか?」と声がする。

人々が口々に尋ねるが、男はビクリともしない。

誰かが、「お聖人様、どうかお経をあげてやって下さい。この男はもう何度も死のうとして、ようやく死ねたんです。どうか成仏させてやって下さい。」と言うのだ。

「この男を知っているのか。」と聞くと、

「ええ、皆知っています。

この男はずっと死にたがっていました。首を吊ったのは数知れず、海に身を投げたのも今回で五度や六度にはなるでしょう。

そういう事でしたので、周りの者達の目が光っていて今まではすんでの所で助けられていました。でも本人はどんなにか死にたかったんだナー。

今度こそ死ねたんだ本人も嬉しかろうヨ。」と言うと、

「そうだ、そうだ。人騒がせな奴だが、本人は満足しているだろうヨ。」と口々に言い合っている所に誰かに付き添われて一人の老女がやって来た。

浜に打ち上げられている男を見ると、ワーッと叫んだかと思うとその男にすがってオイオイと泣き出した。

「何てお前は親不孝な息子なんだ!親より先に死ぬなんて!何でそんなに死にたいんだ!」母親は冷たくなった息子をゆすぶったり、ペチペチ叩いたりしながらオイオイ泣いた。

見ている方も、あんまりに哀れで辛くなる程だった。

その中の何人かが気をきかせて戸板を探しに行っていたのだろう。早くも二人の男がどこかの戸板を外して借りて来た。

それと同時に役人らしい男が知らせを受けて早くも駆け付けた。

随分手際よく段取りが良いのは、今回が初めてではなくいつかは本当になる事が解っているからでもあったようだ。

母親は諦めきれずに泣いていたが、男を戸板に乗せようと動かした時に、グフッという音をさせて死人の口から何かを吐き出した。青みがかったドロリとした物だった。

周りをと取り巻いていた人々は思わずギョッとして死体の傍を飛び退った。

気持ちの悪い物を、しかも死体が吐いたのだから無理もなかった。

だが母親だけは違った。息子に取りすがって、

「礼二郎―、戻っておいでー、お前の中にいた死神は出て行ったヨー。礼二郎―、戻っておいでー。」とあらん限りの声で呼びかけた。

悲しい母の声であった。

するとどうだろう。見ると死人がうっすらと目を開けている。

それを見た母親は、

「生きている!生きているぞ!礼二郎は生きているぞ!」と言って、狂ったように息子にとりすがって叫び、喜び、泣いた。

私はその様子をじっと見ていた。

感動の為に体に鳥肌の立つのが解った。

母親というものは死んだ子供をあの世までも追いかけて行って、無理無理引っ張ってこの世につれ戻すものなのだ。その事がまた羨ましくもあった。

死人であった男は、虚ろながら今度ははっきりと目を開けている。

人々はそれを見ると安心したのか、それともまた今度も死に損ねたのを笑いながら一人二人と散って行った。

だがこの男の近しい者だろうか。

四・五人の者達が、

「お聖人様、このような時の為のお経はあるのでしょうか?もしあるなら、この男の耳に唱えて聞かせてやって下さい。

二度と死のうとはしないお経を唱えてやって下さい。」

人々は口々にそう言った。

母親もすがるような目で私を仰ぎ見ている。

男達は何人かは死にかかった男を支え、ある者は母親を支え、ある者は私を導いて、ある一軒の宿屋に連れて行った。

後で解った事だが、そこがその男の生家だった。

私は丁寧なもてなしを受けて、その宿屋にその晩は泊まる事になった。

男は海に浸かって濡れた着物を着換えさせられ、体をきれいにされて寝かされていた。

その部屋に通された私は心配そうに側を離れようとしない母親や知人らしい人達に、二人だけにして欲しいと人払いをした。

死にたいものには死にたいだけの深い理由がある筈からである。

二人っきりになると男は最初は怯えた顔をしていたが、観念したように目を開いた。

その容貌は死神に魅入られて幾度も闘ったような疲れ果てた顔をしていた。

私が枕元に座り男の額に手を当てると、男は明らかに解る程、ビクリと体を震わせた。

半年程前までは、やや平穏に暮らしていた宿屋の息子だった。

父は子供の頃に死に、母親は宿を切り盛りしながらも一人息子を大事にしていた。

そんなある日、母親が息子に、お前もそろそろ嫁を貰う年だと言い始めた。

本人はまだ俺は若いから女房なんて早いと言っていた。

しかしその日から急に気持ちが沈んで憂鬱な気持ちになった。

しかし母親はそれから、この娘はどうか、あの娘はどうかと次々と良さそうな娘の縁談話をするようになった。

商売も順調で、これといった思い当たる事がないのに息子はだんだん元気が無くなり、食欲も落ちてみるみる痩せて来た。

母親も使用人達もどうしてなのか思い当たるふしは無いと言い合った。

どうしたのだ、何か悩みがあるのかと聞いても頭を振って何も答えない。

周りの者達は皆、心配していた。

そのうちに納屋の梁に縄をかけて首つりを図った。

その時はたまたま納屋に物を取りに行った下男が、今、正にという所を発見して大事に至らずに済んだ。

その事があって以来、母親をはじめ、周りの者達はいつも目を光らせていた。

部屋の中にもどこにも紐らしい物を置かないように気を付けていた。

だが、どんなに気を付けても死にたい者は、ほんの少しの隙を見つけては人目につかない木の枝に、どこから見つけて来たのか縄をかけて、首を吊ろうとした。

とにかく少しでも目を離すと死のうとするので、いつの間にかその辺りでは有名になってしまった。

浜が近い事もあって、フラフラと浜辺に出掛けて行っては海に入ろうとした。

母親は思い悩んで祈祷師と聞けばすがりつくように何人もの人にもうかがいを立てた。

だが、その誰もが高額な祈祷料を受け取りながら、息子さんには死神が憑りついていると言い、それを取り除くおまじないをしたり、高い怪しげな飲み薬を売りつけたが、それですぐにケロリと治る筈もなかった。

何でそんなに死にたいのだ。何を悩んでいるのだと聞いても、本人は何も言わずただ悲しそうな顔をするだけだった。

困り果てていた所のこの騒ぎだった。


礼二郎という若い男は性格も良く、また見目形も良く、本人がその気になれば簡単に嫁が見つかるだろうと思われた。

それに子供の頃から性格も良いので、男友達も多く心配してくれる友達にはことかかない恵まれた男だった。

だが、今、その男はぐったりとして自分がまだ生きている事を知ると悲しそうだった。

母親は喜んでいるが、少しも死神と縁が切れた訳では無い事は、その悲しそうな目の色で解った。

「今日はゆっくり体を休めなさい。少しで良いですから、お粥でも口に入れなさい。」

私はそう言って息子の部屋を出た。

息子は私に不安そうな目を向けていた。

余程、心の内を知られまいとしているようであった。

その男の家が宿屋である事から、母親や周りの者達から是非にと頼まれてその日はその宿に泊まる事になると、私が部屋に落ち着くか落ち着かないうちに多くの人々が私の所へやって来た。


「お聖人様はこのように死にたがる人を見た事があるか。そして、そういう人を治した事はあるか。」と口々に聞くのであった。

私は人々に向かって、

「人は誰もが心のうちに心配事の種を一つや二つは持っているものです。

そして、その悲しみによっては時に死んでしまいたくなる事もあるものです。

当人と話をしてみない事には何とも言えませんが、死にたくなる人に悪い性質の人はいません。心が正直で清らかな人が何かの事情で悔いたり己を責めたり絶望したりするのです。

逆に、心がいい加減だったり、ずるさのある人間は自分自身を責めたりしません。自分を責めずに人を責めるのです。従って、自分から命を絶つような事はしないのです。」

そう言うと、人々は成程と言って帰って行った。

その後で母親と二人だけで話をした。

「息子さんはきっと心がきれいなのでしょう。自分の中の何かを許せなかったり、その事を人に打ち明けれずに苦しむのでしょう。

母御殿、親にとっては我が子が何で悩んでいるのか知りたいのは当然です。

けれど話す事が出来ないから悩むのです。話せる事ならば、とっくに人に打ち明けて心を軽くしている筈です。

今日は死んだとばかり思っていた息子さんが、思いもかけなくあの世から戻って来ました。一度は死んだ命です。

この先どうなるかは解りませんが、母御にとっては生きていてさえくれれば良いと思って貰えませんか?

ただ生きていてさえくれればと…。」と私が言うと、

すると母親は、

「ええ、ええ。それは勿論の事です。あの子の心が死神の手から逃れるのであれば私は何も申しません。

この宿屋という商売が嫌なら誰か私の兄弟の子供に継がせても良いのです。あの子をどこまでもここに縛ろうとは思いません。あの子が望むのならどこへでも自由にしてやるつもりです。そうする事であの子が死なずに済むのなら、私は満足です。」

そう言って、母親はまた、さめざめと泣いた。

これが母の心なのか。これが子を思う母の慈しみの心なのかと私は思った。

そう思いながらも私の心の中にまた淋しさが押し寄せた。

私はその夜、何故かいつまでも眠れなかった。

あの男は死にたい程悩んでいる哀れな男だが、私の知らないもの、私が望んでも手に入らぬものを持っていると思った。

あの男はいつかその本当の価値、有難みを知る事があるだろうか、そんな事を考えていつまでも眠る事が出来なかった。

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