第2話

女は大きな腹を抱えて泣くばかりだった。私は女が落ち着くのを待っていた。

すると、「私は少し行った近くの村の者です。家には既に三人の子供がいて食べ盛りです。三人でも多いというのに四人目のこの子供を育てていく事は到底無理です。今年も不作でこの先どうして食べて行けば良いかという時に可哀想ですが、この子はどうにかして始末しなければならないんです。

この子が腹の中に出来たと解った時、姑から流すなら早い方が良いと言われて、何度もこの川に来て冷たい水にも入り、石を持って自分の腹を打ちもしました。

ですがどういう訳か、この腹の子は流れずにとうとう産み月まで私の腹の中にとどまって、今日になってしまいました。

今でさえ家族が食べて行くのはやっとでかつかつなのに、赤ん坊を抱いて家には帰れません。夫は何も言いませんが、姑と同じ、この子が流れる事を望んでいるのです。

今、ここで生んで川の神様に流そうと心を決めていた所でした。」と女はオイオイ泣いた。

「川に流すという事は殺すという事です。お腹の中で時々動く子に、いつからとも無しに情が湧いて、その命ある子を自分の手で殺すのはどうにも出来かねていたが、この腹の子も私の心が解ってでもいるようになかなか生まれようともしないのです。三人の子供達の経験では、破水をしたらすぐにも陣痛が始まり、とうに生まれている筈だったのに、この子は生まれ出た途端川に流されるのが解っているのか、なかなか出て来ないのです。きっとそうに違いないんです。この子の心を思うとあまりに不憫で。」と女はまた、オイオイと声を出して泣いた。

泣いてやる事だけが死にゆく子へのせめてもの情とでも思っているようだった。

私は途方に暮れた。

だが私の懐から師の声はしなかった。それならば、私は自らの心に浮かぶ事だけを言葉にして言わねばならないと心を決めて話し出した。


「何事も御仏様のおはからいです。もしも、その腹の中の子に運があるなら、その子の生きる道もあるでしょう。」

そう話しているうちに閃いた事があった。

「女房殿、あの橋の所まで歩けるか?」と言うと、女は頷いた。

私は女を助け、先程粥を馳走になった老婆の所へ女を連れて行った。

橋の根方の小屋にようやっとの思いで臨月の女を連れて行くと、老婆は届けられた稲わらを相手に今、正に格闘中であった。

「あれ、また、お坊様。もしやこの稲わらはお坊様がお口添えして下さったのでございましょうか。あまりに嬉しくて、早速こうして敷き詰めていた所です。これならば冬が来てもどうにか生きながらえそうでございます。」

老婆は小屋全体にわらを敷き詰め、またその中に潜って眠れるようにといろいろ工夫している所であった。

そこに先程の私と臨月の女が現れたのでびっくり仰天した。

簡単に事情を説明すると、老婆は何もかも呑み込んだのだろう。

「あい解りました。この年寄り婆に出来る事もあるかも知れませんし、またあるいは出来ないかも知れませんが、この婆の命ある限りは力を尽くしましょう。」とあっさり、気持ち良く受け合ってくれた。

「お聖人様、後はこの婆にお任せください。このお方のややは私が無事取り上げ、私が責任もってお預かり致します。

この橋は田舎道ですが、多勢の旅のお方が通ります。なかには今朝、私に自分の弁当を施して下さったようなお方もおられます。

また、世間には裕福なのに子の授からない御夫婦もおられます。

聞けばこの女房殿は気の毒なお方。ですが、このお聖人様と婆が巡り会ったのも、この子にとって何か良い兆しと思います。

女房殿、ここで安心して子を産みなさい。その後は身一つになって安心して家に帰りなさい。そして帰ってからは当分は朝、昼、晩と乳を与えにここに来なさい。

お聖人様が力添えして下さったお子ですから、必ずやこの子に運があるでしょう。どこぞの心あるお方の子になるでしょう。

さあ、お聖人様、この後は御安心なさって旅をお続け下さい。」

と老婆は力強く受け合ってくれた。

私は安心して老婆の小屋を出た。

小屋を出てまた、川沿いの道を歩き出した時は、陽は西にすっかり沈んで空には一面の星が瞬いていた。

その中を流れ星がスーッと流れた。

私はただそれに見とれていただけだったが、懐の袋から久々に声がした。

「生まれる子にも、あの老婆にも良い事があるようにと祈って置いたぞ。」

その声を聞いて、私がどんなにか嬉しく有難く、しかも安心したかは言うまでも無い。

例え声がしなくとも、師はいつも傍にいてあらゆる事を見ておられるのだ。



歩け、歩け。どこまでも歩け。

私がそう心で唱えながら大股に歩いている時だった。

季節はすっかり移ろって収穫も終え、例え取れ高は少なくとも村では労いをこめて形ばかりの祭りのようなものを催していた。

その事が頑是ない子供達にとってはこの上ない喜びであるらしい。

飛び回り、跳ね回っている無邪気な姿を見ながら歩いて行った。

すると道端で、群れて遊びをしていた中から一人の元気そうな男の子が私をめがけて走って来た。

私の前に来ると生き生きした目で、「お聖人様、お聖人様は偉いんでしょ?」と聞く。

「何故、そんな事を聞く。私は、そんな大層な者では無い。」

私がそう答えると、

「俺の家は百姓だけど、俺偉くなりたいんだ。なれるかナー。」と言う。

私はどう返事をすれば良いかに戸惑っているとその子は、

「俺、大勢の人から頭を下げられて旨い物をたらふく食える人になりたいんだ。」と続けて言った。

元気で目のクリクリしたその子は、返事を待っているのだった。

「それなら、私はそれには程遠い者だヨ。旨い物をたらふく食べてもいないし、多勢の人から頭を下げられてもいない。」と言うと、


「いいや、お聖人様は大変偉い尊いお方だって、うちの婆様が言っていたぞ。だから、家にお聖人様がおいでになったら、そして家に少しばかりの食べ物があったら、それをまずお聖人様に差し上げるのだって。いつもそう言ってるぞ。」と言う。

「その気持ちは有難いが、それは間違っている。腹を空かせている者からの施しで、私の身体も心も満たされはしないのだ。まず先に自分達が生きる為に食べ、それが少しでも残ったなら、次には身近の飢えている者に施しなさい。

それがどんなに嬉しく有難い事かを御仏様は見ておられるからです。

それに偉いのは私のような僧侶や地位のある者ではありません。

汗を流しながら土地を耕し、田や畑から作物を作り出すお前の父親、母親のようなお百姓さんが本当は一番偉いのです。

食べ物が無くては人は生きて行けません。皆、死んでしまいます。それは解りますね。

その事をすっかり忘れて、お百姓さん達への感謝を忘れているのでは見当違いも甚だしいというものです。

坊や、坊やの前には大きく未来が開けています。自分がその気になれば努力次第でどんな人間にもなれるでしょう。

しかし、どんなに偉くなっても、今話した事は忘れてはなりませんヨ。」と私は自分で考えた事を精一杯言った。

男の子は大人から丁寧に言葉を返され

て満足したのか大きく頷いていつまでも見送ってくれた。

その場を離れて歩きながら、私はあの男の子にまだまだ言い忘れた事があったのではないかとしきりにそう思ったが、

懐の袋が、「あの男の子は将来、なかなかの人物になるだろうヨ。」という声がしたので私は安心した。


こうして夜、昼、休みなく歩いていると雨に降られる事もよくあった。

少しばかりの雨は気にしないで歩いたが、土砂降りの雨に見舞われた時にはさすがにどこかの軒先を借りて雨が止むのを待った。

その時も丁度、人の多くいる町の中心部にある大きな店先の軒に逃げ込んで雨足の弱くなるのを待っている時だった。

私を見かけて店の中から出て来たものがあった。

その店の者らしい男が話し掛けて来た。

「あの。もしお聖人様。この降りはすぐには止まぬと思います。どうぞ、濡れた着物が渇きますまで中にお入りになってお休みください。

それに大変、恐縮ですが聞いて頂きたい話もございます。

さあ、どうぞ中に。」と強く勧められた。

私はその男の申し出を素直に受け入れて、店の中を通って奥の座敷に入って行った。

その部屋は気持ち良く温められてあった。

上の濡れた衣が渇くまでと言って、男は代わりに上に羽織る綿入れの長着を体にかけてくれた。

熱いお茶に甘い菓子も出された。私はそれに甘えた。

カンカンに火のおこった火鉢に手をかざしていると、冷えた身体も心も温まって、久方ぶりに人心地がついて人の情の有難さをしみじみ思った。

そこにまた、先程の男が現れた。聞けばその男は使用人ではなくて、この店の主だと言った。奥に入る時、店を通って来たので、この店が筆や硯や紙等を扱う店だとは解っていた。

店構えも店の中も整然として落ち着いた風情のある店作りであった。

その男が話すのには、

「実は、話というのは私の父親の事です。父は息子の私から見ても立派な商人でした。ここの店も父がここまでにしたものです。お陰で私はこの店を守って行けます。

父親は悪知恵を働く類の人間を嫌い、公明正大を旨として、人に後ろ指を指されないまっとうな商売、くらしをして参りました。

信仰心がどれほど強かったかは解りません。けれど、世間並みの事はして参ったと思います。その父が、昨年おふくろが他界してから、急に弱くなってしまいました。

急に気力、体力が萎えて別人のようになってしまったのです。そして半年程前から寝込むようになってしまいました。

もう大部の年なので、体力が落ちていくのはやむを得ない

のは解るのですが、あんなに毅然としていた人なのに。急に弱々しくなって特に最近は死ぬ事を非常に恐れ始めたのです。

この前は私と二人っきりになった時、死ぬのが恐いとはっきり言いました。

確かにおふくろは亡くなる前、多少は苦しんで亡くなりました。

それにしてもあの父親が死ぬのが恐い等と…。私はこの父の変わりように衝撃を受けました。父は商人としても男としても、私の目標であったのです。

父には一貫としたゆるぎない信念のようなものが通っていると思っていました。

それは死ぬ時でも死んだ後にも確固たるものだと思っていました。

その父が死ぬのが恐いと言い出したのです。私には父の気持ちをどうなだめてやる事も出来ません。

お聖人様、私の知っている限り、父は地獄へ落とされるような生き方をして来たとは思えません。それなのに何故あのように死を恐れるのでしょう。

お聖人様、どうかどうか父の話を聞いてやって下さい。そして心安らかになれるように、お話をしてやって下さい。」と息子は言うのだった。

それから私は、別の部屋に通された。

そこには布団が敷かれ、老いて枯れ木のようになった老人が伏せっていた。

私がその枕辺に座ると病人は、

「お聖人様。」と言って私に手を合わせた。

その目は弱々しくて心細そうな子供のように見えた。

「お聖人様がここにおいでになるという事は、私は間もなく死ぬのでしょうか。」と尋ねる声は心細げで気の毒な程怯えているのだった。

「いいえ、あなたはまだまだ死にません。私はたまたま雨に降られて、ここの軒に雨宿りをさせて頂いた者です。

濡れた衣が渇くまで、熱い茶とお菓子を頂いて世間話をしておりますと、息子様から、床に伏っているあなた様の事を聞きました。

どうですか?お体の具合はいかがですか?」と聞くと病人は、

「私はもう、そうは長くないと思っています。死に行く者はそれが解ると聞きますが、その通りです。この頃では息も浅く力も出て来ないのです。

それなのに、お聖人様、私はまるっきり覚悟が出来ていないのです。

この年になって我ながら情けないと思うのですが、この世を離れてあの世へ行くその心の準備がまるで出来ていないのです。」と老人はすがるように言った。

「死ぬのに覚悟は必要ありませんヨ。それに、あなただけが特別一人だけ死ぬのではないのです。この世に生まれ出て生きている者は一人残らず次から次へと死んで行きます。

ええ、一人残らずいつかは死ぬのです。みんなが必ずいつかは死ぬのです。

それが寿命というものです。

それに死は突然の事が殆どなのですヨ。まだまだ若くてこれからという人でも寿命が来れば死にます。

そういう子供や若者や若い女房や娘は、あまりに突然の事で勿論、心の準備や覚悟をしている時間はありません。あなたが覚悟が出来ないというのは死ぬという事を充分考える時間を与えられているという事なのですヨ。

もともと死ぬ時はどんな覚悟が必要なのでしょう。切腹する者や自殺する者ならいざ知らず、そういう者の場合はやむにやまれぬ事情で死ぬのですから本人は覚悟をして逝くのかも知れませんが、死というものは案外、そんな大層なものでは無いのです。

今、生きている者は誰も死を経験していません。一度死んで生き返った人がそこ、ここにいたならば、その人達から話も聞けますが、死についてばかりはこういうものだと教えてくれる人は誰もいないのです。

それなら無暗に恐れていないで、死んだらきっとこういう所に行くのだろうと自分なりに死後の世界を夢見るのです。

昔から人々が話して来たように、死んだ後は三途の川を渡る渡し舟に乗っていて、舟が着く先は色とりどりの花が咲き乱れる美しい所だと考えましょう。

その後はどこへ行くのか自分なりに思い描くのですヨ。

それから自分が今度生まれ変わるなら何になりたいか。空を自由に飛ぶ鳥になりたいか。それとも海を泳ぐ魚もいいか、それともやっぱり人として生まれて来たいか。

人なら今度も男として生まれたいか、それとも今度は女に生まれ変わるのもいい。

そう考える事は存外、楽しい事かも知れませんヨ。

誰にも心があり、死んだ後は身体が無くなっても心は魂となって残るとも言われます。それが本当ならば、その魂が明るい事を夢見ていれば明るい方へ、悲観して暗い事ばかりを考えていれば暗い方へ暗い方へと行くとも考えられませんか?

死後の旅といえども旅に変わりはありません。

死後の旅とはどういう旅なのでしょうネ。きっとこの世で見た事もない、あの世の景色を楽しみながら歩いて行くのですヨ。

それにまた、この世とは違った道連れが出来るかも知れません。

また生きている世界と死後の世界は案外隣の部屋への襖一枚の隔たりも無いかも知れません。

ですから、いざそこへ行ってみれば、こんなに居心地の良い所だったのかと思うような、そういう世界かも知れません。」

と言いながら私はその老人の額に手を当ててみた。その老人の中に入ったのである。

老人の心の中は嵐の空のように暗く不安が渦巻いていたが、それが少しずつ雲が散るように次第におさまってゆくのが解った。

やがて老人は少し笑顔を取り戻して、

「実は死んだ女房が楽天的な性格だったのですヨ。死んだら自分は極楽へ行くといつも言っていました。どんな時でも呑気に構えていて、どんな疫病神だってあの女房を避けて行くだろうと思うようなそんな女だったんです。

それが最後に病気になって苦しんで亡くなりました。あの女房でさえ死ぬのにあんなに苦労したのだと思うと急に何もかもが恐ろしくなったのです。」と老人はしみじみと言った。

「そうですか。あなたの女房殿は大変出来た素晴らしいお方だったんですネ。

生前はあらゆる夫や子供の不安を取り去って自分が一人手を広げて屏風のような役割を果たしていたのです。

思い出して下さい。あなたはその女房殿を見て、本当に呑気な奴だ、世間はそんなに甘くは無い等と言いながら、どこかで安心してまた励まされていたのではありませんか?

病は人を選びません。女房殿が大事な夫や息子や家族に降りかかる病を自分が盾になって引き受けていかれたのかも知れませんヨ。少なくともこれが反対だったら女房殿ならそう考えるでしょう。

人にとっては死の峠は険しく急な上り坂もあるでしょう。女房殿はその急な道を登られたのでしょう。だが皆がそうだとは限りません。眠るように一呼吸する間もなく、たった一足であの世に行く人も多いと聞きます。

自分がその時、どうなるかは今から心配して考えても仕方の無い事です。

その時が来るまではいたずらに恐れないで、次の世には何に生まれ変わりたいか等、楽しい事だけを考えた方が自分の為にも周りの人達の為に余程得になるのではありませんか。」

私がそのような事を話すと、老人は亡くなった女房殿を懐かしく思い出しているようであった。

「お聖人様、今の今までは女房の苦しんだ姿だけが思い出されましたが、ようやく昔の呑気でいつも笑っていた顔を思い出す事が出来ました。

本当に私はあの女房の明るさに助けられていたのです。今こそ女房の良さを思い出しました。本当にありがとうございました。何だか気持ちが楽になりました。

死ぬのは自分だけでは無い。皆が皆、いつかは死ぬのだと思うと気が楽になりました。

私はとりあえず女房だったらどうするだろう。どう考えるだろう。そう思いながらもう少し生きてみようと思います。

本当ですネ。“クヨクヨしたってしょうがありません。”これは女房の口癖でした。」

そろそろ雨の音は消えて雨はあがったらしい。衣も乾いたろう。



それからも旅は続いた。私は行く先々でいろんな人に会ったが、こんな事もあった。

ある日、通りを歩いていた時、大分遠い所から駆け寄って来た男の子が、何も言わずに私の手に一枚の平べったい茶色の餅のような物を乗せるとまた、走って戻って行った。

その方向を見ると、その子供の祖母らしい老婆が私を見て手を合わせている。

私の姿を見かけて急いで孫に持たせてよこしたのだろうと思うと、その心が有難く思えて私も手を合わせて感謝の意を表した。

手の平の茶色い餅のようなものはまだほの温かかった。

あの子も老婆も様子から決して余裕のある暮らしには見えなかった。

あの老婆は孫の為に工夫してこれを作ったのだろう。それをじっと見ていると何か視線を感じた。振り向いて見ると、私の足元のそこには小さい子供が二人、男の子と女の子がこっちをじっと見ているのであった。

貧しくても先程の老婆のようにいろいろ工夫して作ってくれる祖母がいる子は幸せだ。だが、この子等は明らかに今、私の手の中の餅のようなものを一心に見ている。

私はその二人の子の側に寄って行って、自分も草の上に腰を降ろし、その子等にも腰を降ろさせて、たった今貰ったばかりの餅のようなものを三つに分けて、子供達にも与え、自分も食べた。子供達は何も言わなかったが、いかにも嬉しそうだった。

最初ははにかみながらも素直に食べ始めた。

私も一口食べた。

それは甘い餅では無かった。きびの粉なのか、そばの粉なのか。更には何か漬物の葉っぱを細かく刻んだような物も入っている。

あの老婆が一生懸命、孫や家族の為に心を込めてこさえたのだろう。

菜漬けの塩味がきいて、噛めば噛む程、人の心の真心のような味がする餅だった。

二人の子供も満足したようだった。

私も久々に心の温まる物を腹に入れたと思った。この餅の味と、それを届けてくれた老婆と孫の男の子、そして道端で一緒に食べた子等の事は忘れないだろうと思った。

それからまた、力強く歩いて行った。

が、見る人、出会う人、誰もかれもがその日を生きる為に働いているのだとしみじみ思う。生きる為には食わなければならない。

突き詰めれば食う為に生きているのだ。食う心配の無い者はあるいは自分は食う為に生きているのでは無い。人間として何かを成し遂げる為に生きているのだと言う者もあるかも知れないが、生き物は虫であれ獣であれ人であれ、何も食わずには生きておれない。

そう思ってすれ違う一人、一人を改めて見る。

この男も、この女も、この爺も、この婆も。根本は何かを食って生きている。

意識の表には出て来ないかも知れないが、生きる為に食っている。

そして食う為に働いて生きているのだ。それならば次に大切なものは何だろう。

住む所か、体を包む着る物か。人以外の者達には虫であれ獣であれ身にまとう物は必要無い。

だが住処は必要だろう。

地に穴を掘ったり、木の上に枯葉や枝で巣を作ったり、鳥や小さな獣は木に穴を開けてそこをねぐらにするという。

この私はどうだろう。

私には今、住処は無い。確かに着たっきりの衣を身にまとってはいるが…。

私は自分の周りを行き交う老若男女を改めて眺めて人の暮らしを思い、自分を振り返っていた。人の営みに目をやると、そのいちいちが誠に珍しく髪型や着物だの細々とした事までが改めて不思議に思われるのであった。

考えにふけるあまり、思わず知らず足を止めていたのだろう。

目の前の六・七人の女たちの客を掻き分けて一人の男が出て来て私の前に立った。

その男は私に用事でもあるらしく、私に丁寧に挨拶し中へどうぞと言う。

よく見ると、その腰の低い中年の男は、この店の亭主であるらしく女客で混んでいる店は古着屋のようであった。

私はその店の前でぼんやり人を眺めていて、店の主の目に留まったのだった。


「お聖人様、丁度良い時にお会いしました。」

店の主はどういう訳か大層喜んで私を下にも置かないような丁寧な扱いで店の中に入れ、使用人に後を言いつけると店の中を通って、奥に連れて行った。

そして店との仕切りの襖を閉めてしまった。

何か聞いて貰いたい話があるらしい。

妻女らしい中年の女が急いで茶を持って来て、また慌ただしく店の方へ戻って行った。

なかなか繁盛しているようだ。

私がゆっくり熱い茶を飲んでいると主が、

「お聖人様がこうして私の店の前にお立ちになったのはきっと御仏様がお遣わしになったに違いありません。

息子の事で相談に乗って頂きなさいという思し召しに違いありません。」

そう言って話し出したのには、

「私がこの仕事についた後、独り立ちして小さい店から初めて二十年余りも経ちます。運よくこの場所は以前、煮物屋と宿屋を兼ねていた婆さんが年を取って店を閉めるという事を聞いてすぐに交渉してここに古着屋を開いてからはもう十年近くも経ちます。

私共、夫婦は一生懸命働いて一人息子もそろそろ二十歳になります。

妻も私も健康で店もお陰様で繁盛しております。そろそろ息子に嫁をとろうとする近頃になって何故か息子が元気が無いのに気が付きました。

息子は親が言うのもなんですが、店の仕事も手伝ってまあ、良く出来た息子だと思います。きっと小さい頃から親が夜遅くまで何やかやと働いている姿を見て育ったからでございましょう。近所に同じ年頃の友達は何人かいるようですが、集まって賭け事をしたり悪い事をするような事はありません。

私共夫婦は息子に良い嫁を貰って孫でも出来たらのんびりしたいネと話し合っておりました。

それがまあささやかな夢です。その息子が急に物思いに沈んでこの頃では外に出る事も無くふさぎ込んでいるのです。

私は心配で心配で問いただしました。

すると息子に好きな女がいるのが解ったのです。それなら丁度良い、その娘を嫁に貰おう。どこの娘だと聞きましても相手の名前を言いません。私はどこかの悪い女に引っかかったのではないかと青くなって無理矢理口を割らせました。

すると、何と相手は遊郭の女郎だというじゃありませんか。

もうびっくりしてしまいました。あの大人しい息子がいつの間に郭遊びを覚えて通っていたのか全く気が付きませんでした。

いつも一緒につるんでいる四・五軒先の履物屋の息子が知っているに違いありません。

その友達をつかまえて聞いてみますと、その友達は何も知らないと申します。

一度、郭とはどういう所か二・三人で見物に行った事はあるけれど、ただ通りを見物しただけで帰って来たというのです。

勿論あそこで遊ぶにはお金が必要です。この私でさえ遊んだ事のないそういう所へ息子が行って泊まって来た気配も無いのです。

それなのに何故、息子は相手の女を好きになって悩んでいるのかさっぱり解りません。

日に日に食欲も無く弱って行く息子に、私は男同志で約束をしました。

その相手は何というのだ。相手が悪い女でなければ一緒になれる道だってある。詳しく話してみろと私は言いました。

私も一大決心だったんです。すると驚くじゃありませんか。

相手は何とあの名高い花魁の“薄雲太夫”だというじゃありませんか。

「お前、それは無理な話だヨ。ただの下っ端の妓を見受けするったってかなりまとまった金がかかるんだ。それが今一番評判の高い薄雲太夫なんて可哀想だがお前の手には届かないヨ。どんな美しい人か解らないが、その太夫の事は忘れて可愛い娘を嫁に迎えるのがお前の幸せだヨ。こういう憧れというものは一時の熱病のようなもので時が経てばいつか思い出になるものサ。

おとっつあんにだって若い頃があったんだ。お前の気持ちはよく解る。すぐには忘れられないだろうが、まず三度のご飯だけは食べておくれ。」と言いました。

私はその時は深刻に考えていなかったんです。

若い時のそんな美しい女に岡惚れするなんてよくある事です。むしろまるっきり手の届かない花魁であって良かった。じきに熱は冷めるだろうと考えたのです。

お聖人様、それがそうでは無かったのです。あれから息子は元気を取り戻すどころか今では本当の病人になってしまいました。

お聖人様、こんな話は誰にでも相談出来るものではありません。

私達の大事な一人息子の為には商売で蓄えたお金も全て吐き出しても構いません。何度頭を下げても通い続けて惚れた女と一緒にしてやりたいと思います。

でも相手があの薄雲太夫では到底無理な話です。知り合いの者に聞きましたが、あの花魁には大店の旦那衆や御隠居、偉いお侍やさるお大名達が目をつけて見受け話を持ち掛けているというじゃありませんか。

どんな美しい妓か知りません。私も拝んだ事はありません。息子がどこでその花魁を見たのか知れませんが、こんな古着屋の息子が手の届く相手じゃありません。

本人もそれが無理と解るだけに苦しんでいるのでしょう。でもこのままでは息子を亡くしてしまいそうで心配なのです。

お聖人様、どうか息子と会ってやって下さい。そして、どうにかして諦めさせて元気になるように話してやって下さい。」

父親はそう言いながら私に手を合わせた。

主に頼まれて奥の部屋に行ってみると、一人息子は力の抜けたように寝ていた。

私を見ると力無く幽かに笑ったが何も言わなかった。

人は誰かを好きになるとこんなにもなるものだろうか。

私は病人の枕元近くに座り、医者のように額に手を置いた。

息子はさからいもしないでされるままになっていた。

色の白い、美しい顔立ちの若者が今では頬もそげて哀れな様子だった。

私は集中して若者の心の中に入って行った。

遊郭とはどういう所か仲間四人で見物に行く若者のワクワクした心。

両側に並ぶ建物はどこも色鮮やかで美しく、またその格子の中に並ぶ遊女達も着飾って並んでいる。何もかもが初めて見る世界だ。

そのうち行列だと道がザワザワし出した。

花魁行列なのだ。

「薄雲太夫だ!」という声がして、皆が皆、行列を見ようと待っていると、ソロリ、ソロリとその行列は近づいて来た。

高下駄を履いて、大きく曲げを結い、べっ甲のかんざしを何本もさし、あでやかな衣装の素晴らしく美しい花魁が若衆の肩に手を置いて、一足一足ソロリソロリと近づいて来る。

どんなお顔だろう。息子のワクワクする気持ちが手にとるように解る。

人混みの中から「薄雲太夫だ!薄雲太夫!と声がかかる。

太夫は白い顔に赤い唇の美しい人だった。

夢中で見上げていると、その薄雲太夫がこっちを見た。その目は何とも言えぬ美しい目だった。

ほんの一瞬だったけれど目と目がかっちり合った。だけれども、その目は悲しそうな目だった。少しも幸せそうでは無かった。

何かを求めているような目に見えた。

そしてあっという間に行列は通り過ぎて行った。

行ってしまった後も、息子の目はその後ろ姿を追いかけていた。

今のは気のせいだろうか?自分の思い過ごしだろうか?

けれどあの人は確かに自分を見た。そして、その目はすがるように悲しそうに見えた。あれはただの思い過ごしだろうか。

何度も何度も気のせいかと思ったけれど、あの眼差しが目の奥にしっかりこびりついて消える事は無かった。

息子の心はその時の映像を繰り返し繰り返し思い出して、叶わぬ恋に苦しんでいるのであった。

私はその手に念を込めて、この息子にその遊女の悪しき様を思い浮かべさせようとしたがどういう訳か難しい。

それならその花魁を見受けしてこの古着屋の嫁にしたらどうであろうか。

きらびやかな衣装を地味で質素な島縞の普段着にし、髪も派手で大きなまげを小さくして、かんざし一つ無く化粧っ気の無いおかみさんのなりにして息子の記憶に映した。

どんなにあでやかに美しく着飾った女でも、飾りや化粧をすっかり取り去れば、ただの女に過ぎない。その姿を見れば、すっかりのぼせ上っている気持ちも醒めるかも知れない。それなら、この辺りの町娘と変わりないだろう。そう念を込めて息子の額に手を置いていたのであった。

若者は目を瞑って夢を見ているようであった。夢を見ながら笑っていた。

それはつましい夢だ。その辺で見慣れたつましい暮らしだ。

だが目を閉じた若者は微笑みながら目尻からツーと涙を流した。

そして目を開いた息子は私に向かって言った。

「お聖人様、私は楽しい夢を見る事が出来ました。あの方と一緒になれて、ここで一緒に働く夢を見ました。幸せな日々を味わう事が出来ました。

ですから。もう思い残す事はありません。」

そう悟った若者の顔はどんな美しい花魁にも負けぬだろうと思う美しい顔立ちをしている。私はその目に思わず心をつかれた。

「あなたの思いは解りました。しかし、死に急ぐ事はありません。」

そう言い置くと、私はすぐに隣の部屋で待っている父親の所に行き相談をした。

まず知り合いの貸衣装屋から大僧正の衣装を借りて貰い着た。

それから主の知り合いのつてを借りて、遊郭に案内させた。

勿論そこは初めての場所だったが、息子の心の中で見た事のある景色でもあった。

案の定、薄雲のいる遊郭では見受け先の事でどこにするのが自分達にとっても薄雲本人にとっても一番良いかで悩んでいる所であった。

そこに霊験あらたかな大僧正という触れ込みの私を連れて行ったので、早速喜んで迎え入れられた。

「おお、大僧正様、よくおいで下さいました。大変霊験あらたかでいらっしゃるお方だとお話を聞きました。どうか私共のこの先を占って下さい。」

と言われ、私はまず遊郭の主人の額に手を置いた。

特別強欲な性質ではないが、こういう商売柄、やはり高い値をつけてくれる所に見受けさせたい心は山々だった。

それでは薄雲の借財はどうかと見ると、早くから大評判の娘だったので借財はとうに返済されて、むしろ店に大きな利益をあげている事が解った。

次におかみの額にも手を当てたが、店に出す前から薄雲は美しい童だったので、それに気立ても良くおかみは特別大事にして我が子のように思っている事が解る。

次に薄雲の額に手を当てて見た。

こんな華やかで美しい娘なのにひんやりと冷たくて、私はその寒々しい心の中にスーッと入って行った。

念を集中すると小さい頃の事まで見えて来る。私は見えたままの事を言葉に出して言っていた。

「百石取りの武士の家に生まれて名はトク。上に兄が一人、トク七歳の時兄が十二歳。父親が思わぬ諍いに巻き込まれて切られて死ぬ。十二歳の兄が父を切った相手に仇討ちを仕掛け、逆に返り討ちに逢い死んだ。その仇討ちは許可のない行動だった為、家は閉門。

トクは母と二人そこを追い出されて頼る者の一人もいないまま隠れるように貧しい裏長屋に越した。続く不幸に母親は病に倒れた。収入のないまま少しずつ借金をしながら母を看病したが、トク十歳の時母が死んだ。母の死後、その借金のかたに、この遊郭に売られる。それからかむろそして店に出て、顔立ちの良さから早くに評判になったが、十五歳で早くも太夫になり、現在はこの郭で並ぶ者の無い評判の薄雲太夫になっている。」

私はその一部始終を声に出して言っていた。

主人もおかみも薄雲本人ですら驚いている。この事は他の者誰一人知らない事だったからだ。特に裏長屋に越して来る以前の事は石高や父親と兄が亡くなった事情等、本人以外知る者もなく、本人も悲しい事は誰にも話していない事だった。

私は更に話した。

「今。見受けの話は主なものが三件。

一件は呉服丸商の大旦那。

一件は材木問屋の隠居。

一件は前坂藩の家老。

他にもいくつか話はあったが、今はこの三件のいずれが良いか迷っている。」

そう言った。

これはこの夫婦の胸の内だけの事だったので、本当に驚いている。

薄雲は改めて三件の名をあげられて悲しそうな顔をした。

それを見て私は改めてはっきりと話し出した。

見受けされた後の薄雲が一番幸せになる所を今見てみたが、この中にはありません。どこも少しも明るく見えないのです。

その三件のどこに見受けされても、この娘は悲しく虚しく過ごすでしょう。この娘はそもそも贅沢を与えれば幸せになるという類の性質では無いのです。

多くの娘達の中には贅沢を第一に考える娘もおりましょう。ですが、貧しくても慎ましく生きて、その中に幸せを見い出す娘もいるのです。

ここの御夫婦は本人の幸せを踏みにじってまで儲けようとする質の人間では無いと私には見えています。特におかみはこの娘を我が子のようにも思い、この哀れな事情に深く同情をよせているのが解ります。どんなに財を築いても人は死ぬ時、全ての物を置いて行かねばなりません。悔いが残らないようよく話し合って下さい。そうすればおのずと道は見えて来るでしょう。」

そしてそこを立ち上がりながら、

「薄雲さん、あなたの事を想って忘れられずに悩み、死にそうな若者が一人います。もしも、もしもあなたが自由の身になる日が来たら、そこを訪ねて行ってやってみて下さい。俵町の古着屋、若草屋です。その若者を見舞うのも道の一つです。」

私はそれだけを言うと帰って来た。その後の事は知らない。

私にはそもそも誰かと誰かを一緒にさせようという気持ちは全く無い。

これらは全て宿命なのだから。

例えれば、古着屋の息子が友人達と一緒に郭見物に行った。

その時に花魁道中があり、その日の花魁道中がたまたま薄雲太夫だった事。

そして、太夫は多勢の人だかりの中からボーッと見上げる一人の若い男の目と目が合った。

あちこちから見受けの話があるのに少しもその気になれないで、むしろ悲し気であったのも、その悲し気な目が一人の若者の心を捉えて苦しめる事になった事も、それらほんの少しずつの事が、少しずつ周りの人の心を変え、丁度、その時、たまたま通りかかった私が息子の父親に頼まれて息子の心を見、挙句に薄雲の事情を見る事になる。

そして最後に一言、郭の主婦に助言した事が、その数日後に薄雲を自由の身にしたとしても不思議は無いだろう。

人には誰にも胸の奥底に善の心、慈悲の心があるのだから。

そして自由になったけれど元の身一つになった娘が、あの古着屋の店の前に立ち、

「大僧正様から言いつかって息子様のお見舞いに来ました。」と言うのはごく自然な流れだろう。その娘には元々頼るあては無いのだから、その後、息子が娘を見、たちまち元気を取り戻すのは簡単でお互いが想い合って一緒になる事が出来たとしたらそれは運命というものだろう。

私はたまたま偶然にあの店の前に立ち、乞われるままに中に入り話を聞き、ほんの少し

郭まで足を運んで何人かの人の額に手を当てて、その者達の心根やゆくたて等を少しばかり話して帰ったに過ぎないのだ。

その些細な事が哀れな若い男と哀れな若い女が望むように生きる助けになったのであれば、それがすなわち、御仏の望む所でもあり、私の望む所でもあるのだ。

人が救われて幸せになるのを見る事は、私の心もまた、救われる。

何事も良い方に導かれているようで嬉しいものだ。

さあ、また歩いて行こう。

もう近頃では懐の中から歩め歩めという声はしなくなったが、それでも師は確かにここにいて私の為す事を見ておられるに違いない。

私の向かう地はどんな所だろう。心なしか冷たい風が吹いて来る。だが、そんな事は構わない。前に進むだけだ。

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