第75話 お侍さん、申し込む

「はぁ~っ、やっと着いた……。ダメだ。もう一歩も動けねー」


「四人も担いで走れば当然そうなる。自業自得だ」


 丘の上に辿り着いた途端、タイメンは負傷者を下ろして大の字に寝転んだ。汗こそ掻いていないものの、荒い息遣いで胸を上下させ、口の端からはダランと長い舌が垂れている。


「よぉ、お疲れさん」


 疲れ切ったいぬのようだなと思っていると、親しげに片手を挙げながら金柑頭がやってきた。例によって全身血濡れの有様だが、その表情にはまだまだ余裕が窺える。


「お前ら、初参加にしちゃイイ働きだったぜ。特に生き鎧二体討伐は助かった。報酬は期待しててくれや」


「オッサン、まさか……まだ戦えとか言わねーよな!?」


「おう、あんだけ数が減らせりゃ上等だ。時間も十分稼げたみてえだしな」


 横たわったまま不安そうに尋ねるタイメンに、ブランドンは顎をしゃくるようにして丘のふもとを指し示した。扇状に広がる平地には到着したばかりと思われる援軍が所狭しと整列し、今も追加の馬車列が果てしない長さで連なっている。


 暗闇の中にぽつぽつと続く馬車の燈火ともしびが、祭りに向かう提灯行列ちょうちんぎょうれつのようにも、丘の屈曲に沿って蛇行する多足類の行進のようにも見えた。


「あれが魔術師ギルドの連中か?」


 ゆったりとした着物……ろうぶ、と言っただろうか。隊列を組む者たちは皆、判で押したように同じ格好をしている。


 いや、服装だけでなく所持品も似ていた。長さや形状はそれぞれ違うが、手にしているのはほとんどが杖だ。


「だな。先頭にニヤケ面の闇森人ダークエルフがいるだろ? あれが魔術師ギルドのギルドマスター、"奇人"バルムンクだ。見た目は若けぇが、アンギラにいる支部長の中でも最古参の一人だぜ」


 後ろ手を組み、部隊に背を向けてこちらを見上げる男がいる。


 道中合羽のような洋套をまとい、長い両耳が水平に傾くほどの大量の耳飾り。栄養不足によるものか毛髪に光沢はなく、水気を感じられない褐色の肌からは不健康な印象を受ける。


 しかし、最も特徴的なのはその眼光だ。左眼は眼帯で塞がれているが、薄黒く隈どられた右眼は明らかに


 ただ漫然と見据えているのではない。獲物を見つけた鷹のように、視線から害意がはっきりと読み取れる。


「────……ちっ、地獄耳め。アイツは年に数回しか外出しねぇ引きこもりだが、街で出くわしてもなるだけ近づくんじゃねえぞ。魔物の研究に人生捧げてるド変態で、魔術師ギルドに関する悪評の大半はあの野郎が原因だからな」


「なんでそんな危ねーヤツがギルドマスターやってんだよ……」


 もあらん。


 口元には明け方の三日月のような嗤笑えみが浮かんでいるものの、瞳に宿る光は隠し切れない狂気をはらんでいた。というより、最初はなから隠す気もなさそうな様子。上辺うわべを取り繕わず、開き直っているのだ。


 "出る杭は打たれる"という言葉もあるように、人は異物を嫌い、排除しようとする生き物。常識や社会通念という名の枠組みで他者を縛り、三匹の猿にならえといる。


 眼をつむり、口をふさぎ、耳を押さえていればよいと。そうしていれば天下泰平、なべて世は事もなしと。


 安逸あんいつをむさぼり、保身ばかりを考える腰抜けがよく口にする妄言もうげんだ。


 そんな世間の風潮や同調圧力の中、ありのまま本性を剥き出しに生き、我儘勝手に振る舞うのは強者の証明あかし。つまるところ武家と同様、それを押し通して許されるだけの何かが、あの男にはあるのだろう。


「ほれ、お前らんトコのべっぴんもあそこにいるぜ」


「あ、ホントだ。……パメラちゃん、めちゃくちゃ楽しそうだけど状況分かってんのかな」


 隊列の最後尾。パメラは丘の方を指差して頭を振ったり、奇妙な手真似や身ぶりを織り交ぜたりして、何かしら一所懸命に話している。


 友人たちは真面目な顔で相槌を打っているように見えるが────時たま欠伸を嚙み殺していることから察するに、興奮した彼女が一人空回り、延々と演舌を振るっているのは想像に難くない。


 パメラは内弁慶うちべんけいというか、身内と判断した者に対してやたらと饒舌になる傾向がある。普段は聞き上手なバルトが構ってやっているが、放っておくと、壊れた絡操からくり人形のように際限なく喋り続けるのだ。


 あの年頃の娘であれば年相応なのかもしれないが、周囲を警戒しながら進むような場面でもその調子なので、しびれを切らしたマウリが怒り出すのがいつもの流れになっている。


「んじゃ、お前らは負傷者と一緒に引き上げてくれや。俺ァ最後まで残んなきゃなんねえからよ」


「……それは大丈夫なのか?」


 黒須はブランドンの背でぐったりと動かない人物に視線を向ける。眉間に皺を寄せたまま微動だにせず、眠っているというよりも、昏睡している状態に近い。


「枯渇状態で大技使っちまったから、朝までぐっすりだろうな。ま、ただの魔力切れだ。心配するほどじゃねえよ」


「そうか……」


 日頃からずっと不機嫌そうな顔をしていると思っていたが、苦しんでいるわけでも、腹を立てているわけでもなく、これがヘルマンの地顔なのか。


「ところでだ、ブランドン。話は変わるが、お前に果し合いを申し込みたい」


 ふと思いついた言葉を口にしたような、自然で、さりげなく、軽い言い方だった。しかし、それでも────────


「いいぜ。今、ここでやっか?」


 落ち着いた、感情を挟まない口調。まるでこの展開を予期していたかのように、ブランドンは眉一つ動かさず大剣の柄に手を伸ばした。


「お、おいっ!? なんだよいきなり! やめとけって!!」


 唐突な場の急転に、寝転んでいたタイメンが跳ね起きる。

 だがその声は、極限まで集中している二人の耳には届いていなかった。


「「………………………………」」


 絡む視線が空中戦を繰り広げ、"先手"の二字が全ての思量を支配してゆく。


 両者の呼吸は緩やかに同調し、次第に、奇妙な一体感が生まれた。今、同じことを考えているという、確信に満ちた一体感。


 ────この切り替えの迅速はやさ、やはり


 "笑裏蔵刀しょうりぞうとう"

 機先を制すために意識の間隙かんげきを突いたつもりだったが、毛ほどの動揺も与えられなかった。


 治にいて乱を忘れず、誰に対しても油断していない。見込み通り一級品の武芸者だ。


 汗が引いたはずの全身が再び熱くなるのを感じる。


 不敵な表情の下に透けて見える、燃え盛るような闘志の炎。きらめくようなものではなく、ひん曲げられた唇に違和感を抱くほどに、粘り気のある赤黒い炎だ。


 ブランドンの気魄きはくは、溶岩の溢れ出る火山の噴火を黒須に幻視させた。自尊心を傷つけられた憤りによるものか、はたまた、これこそこの男の本来の姿か。


「────って言いてえのはやまやまだが」


 互いの放つ殺気が触れ合う直前、ブランドンは剣の柄からパッと手を離して肩をすくめた。


「日を改めろ。強制依頼の最中だ。勝負なら、いつでもギルドで受けてやる」


 ………………心変わり、ではないな。


 どうやらただの威嚇おあそびだったらしいと承服し、黒須も臨戦態勢を解く。


「承知した。俺もお前とは万全の状態で戦いたい。後日、ギルドへ伺うとしよう」


 わずか数秒の睨み合いだったが、一点の曇りもなく、手に取るように理解した。ブランドンは自分と同類。だと。


 疲弊した身体で立ち合うにはあまりに惜しい。じらしてじらして、じらし抜いた挙句に、その反動から来る蜜のような歓喜を思いきり味わいたい衝動に駆られた。


 そして同時に、かすかな希望が胸に芽生える。絶望と幻滅で塗り潰されていた武者修行の旅路に、一筋の光明が差し込んだような気分だ。


 黒須の刀法、その正統後継者に課せられた鉄鎖禁戒てっさきんかい。このおとこの力量なら、あるいは────────


「ほ、ほらっ! もういいだろ! 疲れたしさっさと帰ろうぜ!!」


 両肩を掴まれ、背後から凄まじい力でグイグイと押される。一刻も早く両者を引き離さなければと、童子なりに慌てているらしい。


「そう急かずとも、もう戦うつもりはない。さすがに今日は草臥くたびれた。それに……先に味見をしておきたい相手もいるしな」


「ふぁっ!?」


 前触れもなく視線を向けられ、奇声と共に長い耳がふわりと揺れる。

 ユリウスは声をかけるかどうか迷っていたらしく、先ほどからずっと三人の周りを行ったり来たりしていたのだ。

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