第74話 お侍さん、撤退する

 皆が静かに見守る中、ユリウスはたたたと指揮官二人に走り寄り、密談でもするかのように何事かを耳打ちした。


「────────とのことです」


「そうか。報告ご苦労だった」


 相変わらずの仏頂面がねぎらいの言葉を口にする。その顔色からは感情が読み取れず、伝令の是非善悪は予想がつかない。もともと表情が欠落しているのだ。もしこの男には魂がないと言われても、特に驚きはしないと思う。


 ヘルマンとブランドンは顔を近づけて二言三言ふたことみこと言葉を交わすと、再び冒険者の方へ向き直った。


「諸君、朗報だ! まもなく魔術師部隊が現着し、総攻撃を開始する! 動ける者は遺体を担げ! 巻き込まれる前に撤退するぞ!!」


「自力で走れねえ奴はこっちに集まれ! いいか、一人も見捨てんなよ!!」


 有無を言わさぬ命令を受け、全体が一斉に慌ただしく動き始める。その様子はいち早く指示に従ったというよりも、何かに追われて焦っているように見えた。


「おい急げッ! 魔術師ギルドの変人ども、こっちがモタついてたらお構いなしにブッ放してくんぞ!」


「だから俺アイツら嫌いなんだよ!!」


「ウダウダ言ってねぇでそっち持てって! 早くしろ!」


 ……どうやら、本気で同士討ちをしかねない援軍のようだ。


 パメラが所属しているギルドだということは承知しているが、逆に、それ以外の情報は何も知らない。初めて魔道具屋を訪れたときに後日説明すると言われたものの、結局、護衛依頼ナバルの一件のせいで有耶無耶うやむやになってしまっていた。


 ラウルやレナルドも毛嫌いしているような口ぶりだったが、そんなにも血気盛んな集団なのだろうか。


「タイメン、なるべく生気がある者を選んで連れてこい。俺は遺体を一つ取ってくる」


「変な気ぃ回すんじゃねーよ。オレだって、死体くらい──────」


「撤退中大群に囲まれたらどうする。お前、遺体にもつを捨てて逃げられるか? 負傷兵なら自力で動ける分、まだ生き残る可能性が高いというだけだ」


「…………わ、分かったよ」


 タイメンは一瞬苦しそうに表情を歪めたが、反論することなくブランドンの元へ駆けていった。


 黒須も腰の物入れからたすきを取り出し、どれにするかと遺体を選ぶ。大半はパーティーの仲間が連れて行ったらしく、残っているのは十体程度だ。


「軽そうだな。これにするか」


 眼を付けたのは細身の獣人。喉を食い破られたのか、流れた血の筋が腹の辺りまで続いている。苦悶の色はない。薄く開いた唇からは赤く染まった犬歯がわずかに覗いて見えた。


 …………これが敵になると考えれば、たしかに厄介だな。


 全軍総出で最前線にぶつかるのではなく、わざわざランク別に部隊を分けたことを不思議に思っていたが、弱兵の戦死を避けるための戦略だとすれば頷ける。


 味方が減れば減るほど敵の数が増すとは、まるで将棋の持ち駒だ。ある意味、土壇場で友軍に寝返られる構図に近い。相手に取られるくらいなら、最初から"駒落ち"で戦う方がマシということだろう。


 いや……。それだけでは済まないか。


 つい先ほどまで共闘していた仲間があんな姿で向かってくるとなれば、士気の低下は避けられない。戦意を失った軍勢は二の足を踏み、必ずその場しのぎに終始する。


 たかだか二百に満たない部隊が敗滅し、数の暴力で圧し潰されるだけなら。波瀾があるとすればそのあとだ。


 仮にこの場の全員が亡者の群れに加わり、アンギラへ辿り着いたとする。籠城戦に備えている連中が精鋭の変わり果てた姿を眼にすれば、大混乱におちいるのは火を見るより明らか。


 バルトの言動を見ていれば分かる。強制的に徴兵された冒険者に、命を賭してまで街を護ろうという気概はない。絶望してなお戦ってくれと期待する方が酷な話だ。最悪の場合は敵前逃亡、脱走兵の続出で、戦闘にすら至らないまま街は落とされてしまうだろう。


「おーい! こっち集まれってよー!」


 魔物との合戦の奥深さに考えを巡らしていると、すぐ後ろから声を掛けられた。


「お前…………」


 振り返って見た予想外の姿に、思わず一瞬思考が停止する。


「んだよ! ケガ人なら文句ねーんだろ!?」


 タイメンは背に二人背負い、両脇に二人を抱えた状態だった。


 "大男 総身に知恵が 回りかね"

 脳味噌まで筋肉でできているのか、この阿呆は。


「コイツら気絶してっけど、みんな軽傷だぜ。どうせ助けるなら多い方がいいだろ?」


 "生き残る可能性が高い"と言ったのは、傷兵の身を案じたではない。それを運ぶ、という意味だ。


 しかし────


「……………そうだな」


 手伝いを褒めてもらいたい童子のような笑顔。邪心など欠片もなく、純粋さと単純さがありありと浮かんだその表情には、喉元まで出かかった文句を押し戻すだけの輝きがあった。


 あまりにも無邪気で、屈託くったくがなさすぎる。


 自分自身が捻じくれ、遠い昔にそのような心を失ってしまったからだろうか。不思議と反感は消え、奇妙な感情が芽生えた。


 自分の中にある、自分の知っている何とも繫がらない感情。これまで選択してきたものが一切蓄積されていない真新しい地平に、突然立ち上った感情。


 無垢むくだからこそ無下むげにできない、そんなこともあるらしい。


 ────お人好しも、ここまでくれば大したものだ。


 愚かで、滑稽で、憐れみを越えて愛らしさすらある。

 呆れたが、決してわらう気にはなれなかった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「五列縦隊だ! 死体を担いでる奴を中心にして、盾持ちが左右両側を守れ! 手ぶらの野郎は前に来い! 丘の上まで一気に駆け抜けるぞ!」


 ブランドンの号令が轟き、全体が足早に隊列を組む。やや膨らんだ先頭の後ろに一列になって隊が続く、矢印のような陣形。戦国八陣の一つにも数えられる"鋒矢ほうしの陣"だ。


「なあ、これって今から突撃する流れだよな?」


「だろうな」


「……無理臭くね?」


 背の高いタイメンでなくとも見えている。視界を埋め尽くすようにうごめく亡者の群れが。


「このまま敵陣に突っ込むつもりなら、半壊も覚悟の上だろう」


「マ、マジかよ……。もっと前の方並んどくんだった……」


 いくら数を減らしたとはいえ依然として敵勢は千に近く、黒須もこの状況をどう切り抜けるのか疑問だった。


 一点突破を図るにしても、徒歩かちでの速度などたかが知れている。鋒矢ほうしの陣は騎馬が狭い谷間を抜けるような場面で有効なのであって、横からの攻撃には滅法弱く、平地で使用されるような陣形ではない。


 かつて天下分け目の戦いで壮絶な退を敢行し、天下に名を馳せ鬼と呼ばれた猛将がいたが、あれは兵馬ともに極めて高い練度を誇っていたからこそ成せた偉業。要は、例外中の例外であるが故に不朽の金字塔して後世に語り継がれているのだ。


 無鉄砲に突っ込めば、途中で分断されるのは明々白々、自明の理。


 通常の軍略なら決死隊……殿しんがりに敵を食い止めさせ、本隊を逃がす。当然ながらおとりになった部隊は全滅するが、最終的な損害を抑えるためにはやむを得ない犠牲だと割り切るしかない。


 万策尽きた────というわけでもなさそうだが。


 隊列の先頭に立つ二人の姿を、黒須は値踏みするかのように観察する。土俵際に追い込まれ、もう後がない展開。まさに兵を率いる武将の本領、腕の見せ所である。


 …………さて、御手並み拝見といこう。


 怒声を張り上げて発破をかける金柑頭とは対照的に、ヘルマンは呼吸をしているのか疑わしいほどに静かだ。両手で戦棍メイスにしがみついて膝をつき、祈るような体勢のまま、顔を伏せてブツブツと何かを囁いている。


 神前で大誓願に臨む切支丹きりしたんによく似た、他者からの邪魔立てを許さない独特な空気。魔術を放つための集中に見えるが、それにしても、やけに永い。


 と、思っていた矢先。ヘルマンは不意に顔を上げ、何事もなかったかのように立ち上がった。


「ブランドン、私はこの一撃で魔力切れになるだろう。理由は不明だが、残っているのは雑魚ばかりだ。増援が到着し次第、作戦目標を遅滞戦闘から殲滅戦に切り替えろ。この草原で奴らを全滅させる。アンギラの城壁には近づかせるな」


「了解。また城門閉鎖なんてことになったら、お偉方から嫌味も言われちまいますしね」


 以心伝心、あるいは阿吽の呼吸と言うべきだろうか。二人の交わした眼配せは、言葉以上の内容を伝えあっているように思えた。


 上下関係や主従関係ではなく、まるで友人同士のような…………


「─────聖浄光芒セレスティアル・レイ


 ヘルマンがボソリと呟いた途端、戦棍の先が直視できないほどの光を放った。その光は球状に収縮し、打ち上げ花火のように夜空へ突き抜ける。


「…………誤射か? 何故敵でなく、空に向けて撃った?」


「嘘だろ、この状況でミスるとか────うわっ!!」


 上空に漂う光球を見上げながら訝しんでいると、前触れもなく球が弾け、天空から大地を貫く巨大な閃光が降り注いだ。


 雲の切れ間から陽光が柱を立てる情景に似ているが、その規模は比べ物にならない。暗闇の中、いきなり白い爆発が起きたようさえ感じた。


 光の柱はゆっくりと筆を引くように戦場を縦断し、丘まで一直線の道を描く。


「「「「「…………………………………」」」」」


 閃光を浴びた敵の軍勢がおぞましい悲鳴を上げ、蒸発するかのように崩れ去っていく。人知を超える超常を目撃した全員が、棒のように突っ立たまま、ただただ呆気にとられてその様子を眺めていた。


「なんだありゃ……」


「上級魔術って初めて見たけど、とんでもねぇな……。今ので軽く二百は死んだぞ」


「俺決めた。ウチのパーティーも魔術師募集するわ」


「アホか。内陣級インナークラスの魔術師はBランクパーティーなんか見向きもしねぇって」


 我に返った者たちが口々に感想を漏らし始める中、黒須は他人事のようにその言葉を聞き流していた。耳が受けつけない。


「…………………………」


 今の今まで、心のどこかで魔術師をあなどっていた。集団戦であれば脅威になるが、所詮しょせん大砲おおづつと同程度の存在だろうと。


 しかし、たった一撃でその考えは完全に覆された。パメラの行使する魔術とは明らかにケタが違う。


 発動までの準備時間に仕留めればいいと高を括っていたが、そうではない。準備時間に仕留め切れなければ、


 あの光線にどれだけの威力があるのかは分からない。ただ、規模と速度からして、回避ができるようなたぐいの攻撃ではないことは確かだ。


 "元Aランク"でこれほどということは──────……


 丘へ向かって疾走しつつ、黒須はまだ見ぬSランク冒険者の実力に思いを馳せた。

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