第70話 お侍さん、槍をゲットする

「────おい、もう少し急げ。我らの獲物がいなくなる」


「こ、これでも全力疾走だっつーの!!」


 隣をドタバタと走る大蜥蜴に聞こえない程度の舌打ちを一つ、黒須は前方へ視線を戻した。


 二…四…六……全部で八体か。


 戦列を組んで前進する敵の数を数えつつ、ふーっと細く長い息を吐く。しかし、腹の奥から出てきた吐息は熱く、剣を握る手はカタカタと小刻みに震え、身体全体がどうしようもなく火照ほてっている。


 いかんな……。悪い兆候だ。


 十分な休息をとっていない身体はすぐに疲れて熱を持つものだが、それにしても、無性に血が騒ぐ。猛火に炙られるように感情がたかぶり、どこか冷静さを欠いているような気がする。


 寝不足、疲労、もしくは先日の負傷の影響か。あるいは、新たな強敵の登場による興奮か。


 Bランク、つまり単体であの鷲獅子グリフォンよりも手強い相手だ。それがこれだけの数とくれば、武士としてたぎらざるをえない状況である。昨日あれだけ失血してなお血の気の多い身体に自分でも呆れるが、いずれにせよ、戦場においてこの精神状態は危険だ。


 以前紛れ込んだ合戦でも強敵との斬り合いに熱中しすぎ、気が付くと味方は全滅、一人ぽつんと敵陣のど真ん中にいたことがある。あの時は咄嗟に馬を奪って難を逃れたが、背後から鉄砲隊の斉射を受けて肝を冷やした。せっかく刈り獲った首級しるしも逃走中に全て落としてしまい、しばらくは腹が立って眠れなかったほどだ。


「……………」


 眼を閉じ、冷たい空気を肺に送り込み、そこにある曖昧な暗闇の中でゆっくりときょうを唱えて気を鎮める。眉間と鼻先からまっすぐに棒が伸びるのを想像し、それらが交わる点に全神経を集中させるのが雑念を払う瞑想のコツだ。


 武者震いが止まり、心臓の鼓動が聞こえなくなった辺りで瞼を開き、周囲の状況に視線を巡らす。


 こういった突発的な会敵の際、気にすべきは敵よりも味方の動き。混乱した頭では指揮官の命令を十分に理解できず、ともすれば利敵行為となり得る行動を取る者が出ることがあるからだ。


「うおぉぉおぉおっ!!!!」


「行け行け行けッ! ぶっ潰せ!!」


「仇討ちだ! 絶対逃がすなァ!!」


 しかし、その心配は杞憂きゆうだったようだ。


 "切歯扼腕せっししゃくわん"

 戦友ともがらられて激墳しているのだろう。冒険者たちの眼光はギラギラとした仇視に染まり、敵愾心を隠すこともなく濁流のような勢いで相手に向かって一心不乱に殺到していた。


「ヤツの攻撃は防御不可だ! 受けずに躱せ!! 行くぞッ!!」


 先頭を駆けるブランドンは短く指示を飛ばすと、敵へ向かって大きく跳躍。そのまま兜に大剣を振り下ろした。


 空気を断ち切るような鋭い金属音が響き────黒須の眼が驚愕に見開かれる。なんと、ブランドンの剣は兜の中ほど、頭頂部つむじから鼻の辺りまで食い込んでいたのだ。


 ………まさか、実戦で"兜割り"をやってのけるとは。


 黒須家の剣術は初伝、中伝、奥伝、皆伝、秘伝の五つの伝位に分かれており、中伝許しの免許要件として兜割りの成功が義務付けられている。しかしながら、豪傑犇めく黒須家門下でさえ鉄兜をあそこまで割れる者は滅多におらず、完全両断にまで至ったのは黒須三兄弟を含む数名のみだ。


 そもそも、兜割りや斬鉄とはあくまでも試技。実戦で使用する類の技ではない。どんな名刀でも鋼を斬れば刃こぼれを起こす、はずなのだが────


「ちくしょう! やっぱ硬ってぇな!!」


 敵から距離を取ったブランドンの剣は、刃こぼれどころか曲がってすらいなかった。


 ……この依頼が済んだら、あの剣の出処でどころを問いたださねばなるまいな。


 そんな感想を抱いているうちに、最前線にたどり着く。ブランドンが相手にしている生き鎧は僅かによろめいたものの、依然しっかりと両の脚で立っていた。


 大きく斬り裂かれた兜の隙間から見えるのは、タイメンが言った通りの。多少動きはぎこちなくなったようだが、出血もなく、意気軒昂といった様子である。


「あれも不死なのか?」


「いや、アイツの場合は負傷ダメージを与え続けりゃ死ぬらしいぜ。どの程度で倒れんのかまでは知らねーけど」


 なるほどなと相槌を打ち、さっそく各々の獲物を値踏みする。周囲を囲む冒険者どもは武器を掲げて口やかましく野次を飛ばしているものの、いずれも二の足を踏んでいるため、まだまだ敵は選り取り見取りだ。


「オレこいつな!」


「なら俺はこっちをもらおう」


 それぞれが見定めた相手に向かい合う。敵が密集しているので、図らずも隣り合った相手を選択する形となった。


「………………」


 七尺二m近い上背うわぜいの大鎧。近くで見るとそれなりに迫力がある。まずは様子見と相手の間合いに一歩踏み込んでみたところ、微かに腕がピクリと動き────次の瞬間には槍先が眼前に飛んできた。


 黒須の顔から一寸三cmと離れぬ空間を白刃が掠め通る。髪の一部が斬り落とされ、はらりと宙へ舞った。


 さらに刹那の引き戻し。背後から足首を狙った一閃を片足を上げることで回避する。


 なるほど……。面白い槍術だ。


 槍自体は大した速さではなく、刺突の速度に関してもラウルには遠く及ばないだろう。しかし、予備動作が極端に少ないため、実際よりも随分速く感じる。軽く身体を揺するように動いた途端、踏み込みもなく槍先が飛んでくるのだ。


 俗に言う"無拍子"。通常、勢いのある動作を取るには全身の筋肉が稼働するため、反動をつけたり、踏ん張ったり、腰を回したりと、身体中のあちこちにが発生する。素人が相手に殴りかかる時に腕を振りかぶる、あれだ。


 それでは敵にこちらの思惑が筒抜けになってしまうため、熟練の武芸者は構えの中で予備動作をある程度省略し、隠す努力をするのだが、それをさらに追求すると筋力ではなく自重を使って加速するという発想に至る。


 地面を踏みしめず、膝の力を抜き、四肢の均衡をあえて崩すことによって、完全に弛緩した状態から爆発的な初速を生み出すのだ。


 熱い湯のみに触れた際、咄嗟に腕を引くかのような一瞬の加速。決して自然と身に着けられる武技ではない。


 ……魔物が修行でもしているのだろうか。


 さらに、引き戻しの速度が異様に速い。槍の極意は"突き三分、引き七分"とうたう流派もあるが、一度突いて戻す時に鎌首のような突起でこちらを引き倒すことを狙っている。技巧を感じさせる、見事な二段攻撃だ。


 魔物など所詮は狗畜生いぬちくしょうと高を括っていたが、探せばいるものだな……。死合うに足るような強敵も。


 好奇心がもぞりと動き、吊り上がりそうになる口元を手で押さえる。


 知らないことは知りたい。そう思う。するほどそう思う。旅の初めに抱いていた、あの遮二無二な探求心がよみがえったようだ────


 黒須が恍惚の表情で生き鎧を眺めていると、隣から短い悲鳴が発せられた。


「いッッてーな……! こんにゃろ!!」


 槍の横薙ぎをモロに食らったらしく、タイメンは脇腹を押さえて片膝をつく。


「…………そのうろこ、打撃には弱いのか」


「いや、違げーって! なんかヘンだコイツの攻撃! めちゃくちゃ痛てえ!!」


「防御不可だって言っただろうが!! ちったぁ人の話を聞きやがれ馬鹿ども!!」


 敵と激しく斬り合いながら、ブランドンはこちらを見もせずに怒号を張り上げた。


「………………」


 攻撃を受けてやるつもりはなかったが、ここまで騒がれると逆に興味が湧く。さっそく自ら相手に近づき、突き出された槍先を逆手で握った幅広剣の鞘で受けてみた。


 獣が角を打ち付けるような重い衝突音が響く。


 鞘の一部が粉々になってはじけ飛び、てのひらから伝わった震動は腕から肘、肩へ届いて炸裂した。身体の芯、骨や臓腑を直接揺さぶられるようなじんわりと深い衝撃。どこか覚えのある鈍痛だ。


 琉球からきたという武芸者の当破あてはを腹に食らった時や、古流剣術の合撃がっしを拳に当てられた時にも似たような感覚を味わった。


 たしか大陸の────発勁はっけい、などと呼ばれている技だったか?


 主に徒手格闘や杖術で多様される技法である。剣術でも一部の流派が鍔迫り合いからの派生技として使うこともあるが、何にせよ、高等技術であることに違いはない。


 出鱈目デタラメな耐久力に加え、無拍子、発勁まで使いこなす。Bランクに分類されるのも頷けるというものだ。


 黒須は一人心中で納得し、敵に向かって疾駆した。


 大振りの振り下ろしを半身で躱し、間合いの内側へ侵入する。槍先の斧が地面に激突、爆発したかのように土煙が舞った。


 右手で剣の柄を掴み、相手の眼前でくるりと半転。鞘先を鳩尾みぞおちへ叩き込む。


 鐘を突いたような感触。僅かに反響音も聞こえた。胴体も空洞ではあるようだが、この手応えは────……


 一般的に、雑兵が着る足軽胴は機動性を失わないよう三厘一mmほどの厚みで造られることが多く、重量は二貫七.五kgに満たない。大将が着る大鎧でも鉄砲対策のため厚さ二分五mm、重さは五貫十八kgといった所だ。


 恐らくだがこの生き鎧、厚さ二寸六cm、重さは六十貫二百kgを軽く超えている。


 人が着ることを想定していない馬鹿げた造りだ。斬撃が効かないと言っていたが、これでは打撃であっても大した効果は見込めないだろう。


 ただし……攻撃は激烈だが、防御はおろそか。重厚な鎧を着ているという自負から来る怠慢だろうか。反応がやけににぶい。


 これならば、りよういくらでもある。


「タイメン、縄を寄越せ」


「つ、連れて帰んじゃねーぞ!?」


「分かっている。これはフランツたちにはまだ早い」


 受け取った縄を両手でピンと張り、すり足気味に相手へにじり寄る。


 すでに見切った刺突を余裕をもって躱し、突き出された左手首にくるりと縄を一周。引かれた腕に合わせて素早く背後を奪う。


 背面から首に縄を巻き付け、振り返ろうとする相手の動きを利用して左腕を確保。同時に膝裏を蹴ってひざまずかせる。


 低くなった背中へ体当たりしてうつぶせに転がし、右足首にも縄を一周、背中を膝で踏みつけるようにしてギリリと縄を締め上げた。


 捕縄術ほじょうじゅつ早縄はやなわ。まだ右腕と左脚は自由だが、背面で交互の手足を縛られればもう立ち上がることはできない。鷲獅子と違い、人の形をしている分こちらの方がよほど単純だ。


 ガシャガシャと音を立てて暴れる生き鎧を押さえつけ、引きちぎられないよう念入りに縛り上げる。のことも考え、ぐるぐると幾重にも縄を重ねた。


 過剰なくらい相手を縛り終えたところで、何となく中身が気になり、兜を外してみようと手を掛ける。


「…………取れんな」


 ラウルたちは手軽に着脱していたが、この兜は胴体と一体化しているらしく、いくら引っ張っても外れなかった。つまらん。


「すっげー早業はやわざ……。でも、そっからどーすんだよ? タコ殴りにすんのか?」


「こうする」


 黒須は腰の物入れから刀の手入れをするための油と着火の魔道具を取り出すと、躊躇うことなく油を掛けて火を放った。


 腰布に引火した炎はシュルシュルと音を立て、さらに勢いづいていく。縄が燃え落ちることを懸念して簀巻きにしたが、この調子ならどうにか持ってくれそうだ。


「えげつねぇー……」


 悲鳴も上げずに燃え盛る生き鎧に、タイメンは哀れむような眼差しを送った。


「敵に情けなど掛けるな。貸してやるからさっさと仕留めろ。油は無駄に使うなよ」


 黒須が持っている油は丁子油ちょうじあぶらといい、菜種油や椿油と違って高級品だ。どの油でも錆止めにはなるが、丁子特有の強い香りが気に入っている。


 茫然としている大蜥蜴に道具を投げ渡し、黒須はいそいそと戦利品の槍を拾い上げた。



 ﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏


 いつも拙作をお読み頂き誠にありがとうございます。


 すでに近況ノートではお知らせしましたが、この度、第7回カクヨムWeb小説コンテストにおいて、拙作、『お侍さんは異世界でもあんまり変わらない』が異世界ファンタジー部門【特別賞】および【ComicWalker漫画賞】をいただきました!!


 全ては拙作を応援していただいた読者の皆さまのお陰です。

 本当に、本当にありがとうございました…!!


 まだまだ初心者のため至らない点も多いかとは存じますが、皆さまのご期待に添えますよう、お力添えを頂きながらより一層活動に精進して参りますので、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。


 P.S.

 予想外の事態に色々とテンパってしまい、投稿を止めてしまって大変申し訳ございませんでした…。

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