第67話 お侍さん、怒られる

「オオォォオォッッ!!!」


 ブランドンは跛足はそくを感じさせない速度で敵に肉迫すると、獣の遠吠えのような雄叫びを上げて長大な剣を叩き込んだ。


 たった一振り。

 それだけで五体もの敵がバラバラになって吹き飛ばされる。


「……………」


 斧を木の幹に打ち付けるが如き大振りの一刀───躱すことは容易なれど、受ければ武器具足ごと粉砕されるに違いない。野太刀のだちとは騎乗戦闘のために在る刀剣と思い込んでいたが、剛力無双の武者が振るえばくも凄まじい威力になるのか。


 黒須は戦場を疾走しながら大人しくブランドンの動向を見守っていた。


 通常の戦であれば他者に先頭を譲ることなどしないが、客分の分際で一番槍のほまれを奪うほど無粋な真似をするつもりはない。また、手柄にならない魔物の首級くびよりも、この国における軍学や戦法の方に関心があった。


「ブランドンさんに続けっ!!」


「「「おおぉぉおぉ────ッッ!!!!」」」


 歓声がとどろき、同勢の空気が渦を巻くように上昇していく。


「スゲーなあのオッサン!!」


「さっすが"強撃"だぜ!!」


「元Aランクはダテじゃねえなっ!」


 冒険者どもは千両役者を観る童子のように興奮し、舌なめずりでもせんばかりに勢いを増した。


 新人講習の時にも思ったが……やはりあの金柑頭、ただ者ではないな。


 味方の士気を上げるには、先陣を切る将の存在が必要不可欠。逆に言えば、先頭を走らぬ者に誰も続くことはない。猛将が眼の前にいるだけで、その背を見る者は自分まで強くなったような気分になるものだ。


 個人戦だけでなく集団戦にも造詣が深く、気性の荒い冒険者どもの羨望を集め、剣客としても極上の部類に入る。ネネットとの立ち合いの際は見逃したが、この依頼が済んだなら是非とも一度手合わせを願い出てみなければなるまい。


「道ができたぞ!! 全員突っ込め!!」


 剛剣によって拓かれた活路へ我先にと味方が殺到する集団の中央辺りを駆けながら、黒須はふと思い出したように横を向いた。


「タイメン、俺は代官殿にお前を生かして帰すと誓約している。絶対に俺から離れるなよ」


「言われなくてもわーってるって。フランツとも約束したしなー」


 タイメンは乞食を断るようにプラプラと手を振って、面倒臭そうな口ぶりで答えた。


 ……戦場は初めてと言っていたはずだが、随分と肝の座っている蜥蜴だ。


 一直線に走ることしばらく、先発隊の姿を視界に捉える。丘の上から見ていた時よりも周囲を囲う敵の群れはその数を増しているようだ。


「おい」


「了解っす」


 ブランドンが並走していた男に声を掛けると、男はふところから何かを取り出して口にくわえた。


 ピィー!という、能管のうかんに似た高音が戦場に響く。数瞬の間を空け、敵の壁の向こう側からも同じ音色が返ってきた。


 なるほど……合図か。


 好奇心がもぞりと動く。日本の合戦でも陣笛による合図はよく使われるが、動物の角を用いた角笛や法螺貝を加工した陣貝など、大型で取り回しの悪い物がほとんどだ。あれだけ小型で大きな音を出せる笛は寡聞にして知らず、魔法袋やマウリのブーツといい、やはりこの国には便利な道具が溢れている。


 旅の最中には感じたこともなかったが、無性に手に入れたいと思わせられる、これが物欲というものか。


「俺を中心に左右に展開しろ!! 先発隊の連中と挟み撃ちにすんぞ!!」


 号令に従い、縦一列に進行していた味方が横陣を組み武器を構える。ようやく戦闘かと、黒須も幅広剣ブロードソードを抜いて眼前を蠢く敵に集中した。


「………………」


 以前、僧兵と死合うために訪れた寺で"女体九相図にょたいくそうず"なる絵を見たことがある。僧侶が煩悩を断ち切る修行に使う死屍観想図の一つで、女人が死んでから灰になるまでの経過を描いた絵画だ。


 それにのっとれば、屍人グール壊相えそう死人ゾンビ膿爛相のうらんそう骨人スケルトン骨相こつそうに相当する。


 吸血鬼ヴァンパイアとやらは見当たらないようだが、九相図に準じるのならば青瘀相しょうおそう噉相たんそうあたりの姿をしているのだろうか。


「……あれ? お前、銀武器使わねーのかよ?」


「とりあえずはな。虎の子は温存してこそ価値がある」


 不死者によく効くという意味を理解した訳ではないが、どのみち、数回振れば折れてしまうような頼りない剣だ。使い所は敵を見極めてからにした方がいいと判断した。


「行くぞッッ!!!!」


 ブランドンの掛け声に合わせ、冒険者と亡者の軍勢が衝突する。


 黒須の相手は暗い洞穴のような眼でこちらを睨みつけている骨人スケルトンだ。筋肉も腱も全くなく、下手糞が操る糸繰いとくり人形のようなギクシャクした動きの完全なる骸骨。錆だらけの短剣を頭上に掲げ、威嚇でもしているつもりなのか、カタカタと顎を打ち鳴らしている。


 急所も何もあったものではないため、とりあえず物は試しにと胸骨の辺りへ一太刀。


 パキン、パキンと、鋭く澄んだ音を残して骨人の上体は呆気なく砕け散った。水気がなく、枯れ木を手折るような乾いた手応え。案山子かかしでも斬り倒しているような気分である。


 お次は白濁した眼球をあらぬ方向に向けた────恐らく、獣人と思われる男。


 土色の革鎧は健在だが頭部の損傷が激しく、頭髪と共に獣耳は腐り落ちてしまっている。股の間から覗く鼠のような毛の抜けた尻尾だけが、元々の種族を判別できる唯一の部位だ。


「……あァ……ヴぁアー……」


 何かを言おうと口を動かしているように見えるが、掠れた声は不鮮明で、ほとんど意味を成していない。


「ぐろず……やべ……はぎぞう……」


「口で息をしろ」


 隣で戦っていたタイメンが両手で鼻を押さえながら泣き言を漏らす。相手を思い切り殴りつけたらしく、色々なモノを全身に浴びて悲惨な姿になってしまっていた。


 しかし、その気持ちも分からんでもない。


 死人ゾンビはみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭いのだ。死臭など嗅ぎ慣れているはずの黒須ですら、頭痛を覚えるほどの凄まじい臭気である。


 馬車に同乗していた者たちが揃って面布めんぷのような物で顔を覆っていたが、あれはこの臭いを誤魔化すための対策だったのか。


 腰の荷物入れから手拭いを取り出し、手早く鼻と口を隠す。侠客どもが好んで使う"鉄火"という頭巾の巻き方だ。


「これを使え。多少なりともマシになる」


「……あでぃがどぅ……」


 予備の手拭いを渡し、改めて敵に向かい合う。


 ここに来るまでに激しい天日に照りつけられたせいか、変色した皮膚の所々が紫がかった肉を剥き出しにし、それでいて水晶のようなよく分からない体液を至る所からたらたらと垂らしている。


 さて、話によれば斬っても死なないとのことだったが…………


 こちらを掴もうと無用心に突き出された腕を斬り落としてみる。が、相手はまるで気にした様子がなく、相も変わらず呻き声を上げてのそのそと近寄って来た。出血はしているものの、どうやら本当に意識もなければ痛みも感じていないらしい。


 で、あるならば────


 喉仏の辺りがこぶのように腫れ上がった太い首へ剣を一閃。生物である以上、頭を失えばそれまでだ。


 刃先が首の皮膚に突き刺さり、肉に食い込み、頸動脈を切り、骨を割るのが感触として伝わってくる。手応えは普通の人間を斬るのと何ら変わらない。


 剣速が速すぎたのか、棒立ちの胴体を残して頭部だけがゴロリと地面に転がって────……!?


「………どういうことだ」


 驚愕に眼を見開く。なんと、頭を失った胴体はそのまま平然と歩を進めたのだ。


 よく見れば、転がった頭部も、先に斬った髑髏しゃれこうべさえも、恨めしそうにまだガチガチと歯を鳴らしている。


「これは────」


 足下に落ちていた死人の腕を拾い上げる。露出した遺体の肌は半刻ほどで冷え切るものだが、気味の悪い虫のように指を動かすその腕には微かに温もりを感じた。


 皮膚はやや硬いものの筋肉は強直しておらず、腐敗の状態からしても死後数週間は経っているように思える。いや、単に身体を動かしたことで熱を持っているのかもしれない。


「そっ、そんなもん素手で触んじゃねーよ! 変な病気になったらどーすんだ!」


 切断面を念入りに観察していると、タイメンに腕をはたき落とされてしまった。どのような理屈で動いているのか興味があるのだが…………。


 いずれにせよ、斬っても死なないとはこういう意味か。


 首もなく歩き回る男を、黒須は憐憫れんびんを含んだ眼差しで見詰める。死してなお戦う兵と聞き、あわよくば自分もなどと胸を躍らせていたが、これはそんな面白おかしいものではないな。


 死なないというより、死ねないのだ。


 望まぬままに魔物と成り果て、自我もなく、ただただ人を襲うだけの哀れな生き物。散り際を美学とする武士の思想とは根本的に相容れない存在である。


 死屍に鞭打つとは正にこのこと。こちらを見据える胡乱げな眼が、行き場のない無念さを、やり切れない怨念を顕しているように思えた。


 となれば、さっさと極楽浄土へ送ってやるのが武士の情けか。


 黒須は無言のまま左手で銀剣を抜き、御魂安かれと願いつつ振り下ろした。


「ちょ……っ! 終わったんならコッチ手伝ってくれよ!! この数の屍人グールは流石にキツいって!!」


 語尾の高ぶった慌て声に振り返ると、タイメンが四つ脚で動く敵の群れに囲まれていた。必死の面持ちで拳をブンブンと振り回しているが、蛙のように低く跳ね回る相手には掠りもしていない。


「あの時の猿と大して変わらんだろう。落ち着いて一匹ずつ潰せ」


 屍人は所々肌が破れているものの、他と比べれば損傷も少なく、言った風情だ。


 白眼がなくなるほど真っ赤に充血した眼球、狼のように長い犬歯。即身仏の如く皺枯れているが、いまだ人の面影を残している。


「バッカ、お前! どこがだよ!? 狂猿ポウン・パウンより断然強えーっての! 助けてー!」


「………………」


 わざわざ志願して戦地に出向いておいて、物見遊山でもしに来たのか、この阿呆は。


 今にも泣き出しそうな情けない表情で助けを求める大蜥蜴に、一つ大きなため息を吐く。


「包囲を崩す。俺の後ろについて走れ」


「お、おうっ!」


 言うが早いか、黒須は両手に持った剣を振りかざして集団へ斬り込む。左右に太刀を握るのは奇妙な感覚だが、肝心の銀武器がいつ折れるかも知れないなまくらである以上、この構えが最善だ。


 右で斬り、左で仕留める。


 襤褸ぼろを纏った屍人どもは乱入してきた黒須を見るや、警戒するように距離を取った。死人や骨人と違い、獣程度には知性があるらしい。


「お、おい! 逃げんのかよ!?」


「いいから走れ」


 背後から聞こえるバタバタというタイメンの足音を意識しつつ、集団を牽引するように駆け回る。こちらの後を追う屍人の群れが数珠繋ぎに連なるのを見計らい、黒須は唐突に足を止めた。


「……釣れたぞ。振り返って先頭を殺れ」


「────っ! そーゆーことか! おっしゃあっ!!」


 "八方分身"

 多勢を同時に相手取る場合、たとえ敵の数が千だろうが万だろうが、こちらに斬り掛かれる人数は多くて一度に八人まで。周囲八方を取り囲まれたとしても、敵の包囲を斬り抜けさえすれば残りは全て一方向から向かって来る。さすれば後は純粋な腕比べ。こちらへ追い付く脚の速い者から順に斬ればいい。


 八方の敵を斬り払うためには八人を一遍いっぺんではなく、一人一方八遍に分けて戦うべし。


「要するに、常に一対一の形勢になるように立ち回る。遮蔽物のない戦場での基本的な兵法だ。覚えておけ」


「なるほどな! タイマンならこんなヤツら屁でもねーよ!!」


 二人横並びになって向かって来る屍人を斃してゆく。身体能力は生前の人物に由来しているらしく、速力も腕力もまちまちだ。


 獣人はそれなりに手強いが、鍛治人や小人は取るに足らない────……?


「おい。今、腕が生えたぞ」


「そりゃそーだ。他と違って屍人は再生すんだよ。無限じゃないらしいけどなー」


 当たり前だとでも言わんばかりの口ぶり。


 反射的に銀剣を振って仕留めてしまったが……。切断した小人の腕が竹の子のようにニョキニョキと生えてくるのを目撃し、黒須は唖然とした。死人や骨人と違い、これこそ正に想い描いていた不死である。


 海の彼方にあるとされる常世の国には、非時香菓ときじくのかぐのこのみという不老不死の霊薬が存在すると聞く。古来より数多の支配者が欲した霊薬、まさか、この国に在るのか?


 いな、もし霊薬がなかったとしてもだ。この屍人だけでも相当に利用価値は高い。


 例えば据物すえもの斬りや御様御用おためしごよう。試し斬りの相手としては最適だ。


 刀の切れ味を試すには処刑された罪人の死体を使用するが、当然死体の数よりも刀の数の方が多いため、通常は斬った死体を何度も縫い直して使う。この屍人が一匹いるだけでそんな手間は一切不要となる。


 それに、いくら斬っても再生するなら実戦稽古の相手にもってこいだ。


 百聞は一見に如かず

 百見は一考に如かず

 百考は一行に如かず

 百行は一果に如かず


 型の素振りを百回繰り返すより、実際の敵を相手に一度戦う方が遥かに有意義と言える。獣人の屍人であれば、フランツたちにとってはちょうどいい稽古相手になるだろう。


「…………一匹捕まえて拠点に連れ帰るか」


「オメーまさか屍人のこと言ってんじゃねーだろうな!? 絶対ダメだ!! バルトに怒られるぞ!!」


「裏の物置小屋に隠せば…………」


「ふざけんなボケ!! あそこにはアルチェちゃんの寝床が─────」


「そこの馬鹿二人!!!! 遊んでねぇで戦えっ!!!!」


 大混戦の戦場に、ブランドンの雷のような怒号が木霊した。

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