第65話 冒険者さん、仲間を見送る

 アンギラの尖塔が視界に入る頃。すっかり陽は落ち、辺りは宵闇に包まれていた。城壁の上に灯された松明の明かりが水平に横たわる星河のように並び、忙しなく動き回る門兵たちの姿をぼんやりと映し出している。


「旦那がた! 正門が開放されてるみてぇなんで、このままギルドに向かいますぜ!」


 御者の声に首を伸ばしてみると、城門が両開きに大きく開かれ、行進する馬車列は少しも速度を落とすことなく街の中へ続々と進んでいた。門を潜りながら周囲へ視線を巡らしてみるが、兵士たちは城壁の上からこちらを熱意もなく目で追っているだけだ。


「何やってんだ門兵アイツら? 仕事しろよ」


「審査もなしに門を完全開放するとは。随分と不用心なことじゃの」


「今なら犯罪者も入りたい放題ですね……。治安が悪くならないか心配です」


 緊急事態のための処置だとは思うが、これまでに一度も聞いたことのない非常識な対応だ。もし盗賊などが街に入り込めば、状況が更に悪化すると誰にでも想像ができそうなものだが…………。


 ご領主様の不在が少なからず影響しているのかもしれないと、漠然とした不安が胸に広がる。


「夜半にしてもやけに静かだな。住民どもはどこへ消えた?」


「地下の避難所だと思うよ。こういう事態に備えて街中に地下通路への入口があるんだ」


「私たちの拠点の近くにはありませんけど、ヤナさんのお店の横とかギルドの訓練場にある小さな階段が入口になってるんですよ」


 大量発生スタンピードが頻発するアンギラの地下には、水路を兼ねた通路が蟻の巣のように張り巡らされており、各所に長期間の滞在を想定した大型避難所が設置されている。流民である冒険者は利用することができないものの、地下通路に発生する大鼠スクィークの駆除は新人冒険者にとって定番の依頼になっているため、フランツたちも嫌になるくらいその構造は熟知していた。


「戒厳令が布告されとるようじゃの」


「この時間帯に鍛治人よっぱらいが一人もいねえってことは、そういうことなんだろうな」


「辺境伯がいねーなら……指揮執ってんのは長男のジェイド様か? 留守番の時にツイてねーよなー」


 無人の大通りを駆け抜けてギルドの前まで辿り着くと、建物の前は大勢の冒険者たちで埋め尽くされていた。どうやら外に臨時の窓口を作って対応しているらしく、みな大人しく列に並んで順番を待っている。


「強制依頼の参加報告はこちらです! 部隊ごとに状況説明をいたしますので、まずは受付をお願いします!」


 聞き慣れた声に目を向けると、ギルドの二階の窓からディアナが身を乗り出すようにして指示を飛ばしていた。流石に何度も強制依頼を経験している熟練の受付嬢だけあって、その表情は冷静そのもの。堂々たる大音声だいおんじょうには風格すら感じられる。


 普段と変わらず頼もしい彼女の姿を見るだけで、フランツは何故だか少しだけ冷静になれたような気さえした。


「よし、じゃあ俺たちも並ぼうか」


 御者に礼を言って馬車を降り、ガチガチに固まってしまった筋肉を解しつつ列の最後尾に並ぶ。周囲の冒険者たちは無事に領都へ到着できたことにほっとしたのか、場違いにも和やかな様子で談笑していた。


「"不死者"が溢れたのは何年ぶりだ?」


「四年前の夏が最後だな。ほら、伝染病対策かなんかでしばらく西門が封鎖されてた時期があったろ」


「……あぁ、思い出した。あの辺、秋頃までヒデー臭いだったよな。依頼で通りがかったあとメシ食えなかったもん」


「そんだけ久々なら今回は大群かもしれねぇな……。嫌になるぜ」


 そんな会話に聞き耳を立てながら、フランツも当時のことを思い出していた。


 あの時はまだFランクで、城壁の上に弩砲バリスタの矢を補充する任務に就いていたが、高所から見えるおぞましい光景に足が震えて止まらなかったものだ。そして、魔物の群れへ果敢に突撃する冒険者たちに尊敬の念を抱くと同時に、いつかは俺もと焦がれるような夢を見た。


 しかし、現実とは非情なもので、僅かにも自分が出来た貢献と言えば、戦後処理の依頼で酷い嘔吐感に襲われながら死骸の清掃をしたくらいだ。


「フランツ? 私たちの番ですよ」


「……あぁ、ごめん」


 腐臭漂う凄惨な記憶に眉をひそめていると、いつの間にか順番が回って来ていたらしく、冒険者証を取り出して受付に提出する。


「Eランクの荒野の守人ですね。……パメラ様は魔術師隊へ、マウリ様は伝令隊へ、その他の皆様は前衛隊への参加をお願いいたします」


 受付担当は自分たちの評価書と思われる書類を手早く確認し、それぞれの行き先を立て続けに言い渡した。さっさと行けと言わんばかりの早口に、一行は急き立てられるようにしてその場をあとにする。


「弓士隊じゃねえのかよ、俺。伝令は走りっぱなしだからキツいんだよなぁ……」


「いいじゃねーか。せっかく手に入れたブーツもあんだからよー」


不死者アンデッドにゃ矢はあまり効果がないからの。仕方あるまいよ」


 自分たちの後ろに並んでいた西岸の要塞も受付を終えたようだ。馬車の中では不安げに顔を蒼ざめさせていた彼らの顔にも、ここに来てようやく安堵の色が浮かんでいる。


「バルトさんが言われていた通り、僕ら全員後方に配属でした」


「よかったですね! なら、私たちは魔術師隊に合流しましょうか」


「俺も行ってくるわ」


「パメラ、マウリ、無茶だけはしないようにね。終わったら拠点で集合しよう。気を付けて」


 二人を見送り、フランツたちも集合場所へと足を向ける。前衛は最も人数が多いため、探さなくても人だかりを見れば一目でそこが本隊だと分かった。


「もう何人か揃ったら出発すんぞ! お前ら気合い入れとけよ!!」


「「「うおおぉぉ────っ!!!!」」」


 馬車の荷台に立って部隊に発破を掛けているのは"強撃"のブランドンだ。彼の代名詞である魔剣を頭上で振り回し、居並ぶ冒険者たちを鼓膜も破れんばかりの砲声で激励しているが………。剃り上げた頭部と元来の強面が相まって、正直、盗賊のお頭にしか見えない。


「あの金柑頭ハゲが足軽大将か?」


「"足軽"が何かは知らないけど、この部隊はブランドンさんが率いるみたいだね」


 前衛隊は百名一部隊として行動することが多く、その中で最も高いランクの者が指揮を執るのが慣例となっている。元Aランクの彼が指揮官ということは、この場にいる現役冒険者の中ではBランクが最高位なのだろう。


「強そうなオッサンだなー。アレなら結構当たりなんじゃねーの?」


「指揮官としちゃあ大当たりじゃな。あやつなら冒険者それぞれのランクや個性にも精通しとるからの。無理な命令は下さんじゃろう」


 噂に聞くところによると、血の気の多い者が指揮官になった場合には、低位冒険者を巻き込んで敵群へ特攻を仕掛けるような馬鹿げた指示を出すこともあるらしい。

 当然そんな自殺行為に従う義理はないのだが、指揮官に命令違反や敵前逃亡とギルドへ報告されれば処罰の対象となってしまうため、所属部隊を誰が率いるのかは冒険者にとって死活問題と言える。


 しばらくその場で待機していると規定の人数が集まったらしく、斥候と思われる獣人族の男が状況説明を始めた。


「昨日未明、西から不死者アンデッドの群れが押し寄せて来るのを複数の冒険者が目撃しました。現時点で確認できている構成は、死人ゾンビ骨人スケルトン屍人グール、その他の混成。数およそ二千、ギルドマスター率いる先発隊が交戦中ですが、遅くとも数時間以内に城壁へ到達する見込みです」


 告げられた内容に、鳥が一斉に飛立つようなざわめきが起こる。


屍人グールもいんのかよ。じゃあ────……」


吸血鬼ヴァンパイアがいやがるな。銀武器と聖水が必要になるぞ」


 二千体……大量発生の群れとしては中規模に相当する数ではあるものの、死人や骨人はFランクの雑魚だ。屍人もEランクとはいえ、さほど強力な魔物ではない。


 ただし、奴らには必ず宿と呼ばれる存在がいる。


 "吸血鬼ヴァンパイア"

 個体によってDランクからSランクまで脅威度に大きな振れ幅がある、非常に危険な魔物だ。他の生物を吸血することによって眷属化し、自身の血族領域コロニーを拡大させるという極めて厄介な習性を持っている。さらに上位個体は銀武器を使用しない通常攻撃を完全に無効化する上、人類には未知の魔術を行使することもあるそうだ。


「各教会、寺院の協力で聖水はある程度確保していますが、銀武器は数に限りがあるためBランク以上の冒険者に支給させていただきます。ですので────」


「自前で銀武器を持ってるヤツは名乗り出ろ! 俺と最前線で暴れるぞ!」


 ちらほらと手が挙がり、十数人が前に出る。フランツたちも迷宮で手に入れたばかりの魔銀製のナイフを持ってはいるが、これはあくまで解体用の道具であって武器とは呼べない代物のため、挙手することはしなかった。


「いいか! 俺らの仕事は敵が西の城壁に到着するまでに可能な限り数を減らすことだ! また清掃依頼に駆り出されたくなきゃ、全滅させるつもりで戦え!」


 その言葉に、大勢の冒険者たちから苦しそうな唸り声が洩れる。どうやらあの時の情景を古傷として抱えているのは、自分だけではなかったらしい。


「それでは今から各自の任務をお伝えしますので、それぞれの馬車へ分乗してください」


 皆が落ち着くタイミングを見計らっていたのか、斥候の男が書類を片手に部隊内での役割を割り振り始めた。補給、救護、前線、最前線と、ランクに応じて任務を与えているようだ。


「よぉ」


 今か今かと緊張しながら自分たちの番を待っていると、どういうわけかブランドンが意味ありげな顔で近寄って来た。


「ブランドンさん。どうしたんですか?」


「フランツ、聞いたぜ。Cランクの鬼熊を仕留めたんだってな? お前らにも今回は前線で働いてもらうぞ」


「────っ!」


 覚悟はしていたつもりだったが………思わずゴクリと生唾を飲む。


 自分も今やEランク、一端いっぱしの冒険者なのだ。街の危機に怖じける訳にはいかないと、フランツは自らを奮い立たせるようにぎゅっと拳を握り締めた。


「分かりました。やっぱり人手が足りていないんですか?」


「ああ、領軍は出払っちまってるからな。魔術師ギルドが協力してくれちゃいるが、前衛はいつもよりしんどいぜ」


「なんと、魔術師ギルドの学者連中がか? 珍しいこともあるもんじゃの」


「アイツらって年中引きこもってるイメージだよなー」


 魔術師ギルドの領分はもっぱら研究・開発だ。魔術や魔道具、魔物など、ありとあらゆる未知を調べ、論文を書き発表する。


 研究対象が魔物の場合は現場に出ることもあるとは聞くが、戦闘に加わるような姿はなかなか想像し難い。会員であるパメラの前では言えないが、総じて気位が高く、虚栄心や名誉心の入り交じった病的傾向を持つ個性的な者が多い印象のギルドである。


「それと、コイツ借りてもいいか? 最前線で戦える奴が一人でも多く欲しい。銀武器も渡すからよ」


 ブランドンは興味深げに八頭立ての大型馬車を観察している男を顎で示した。


「……クロス?」


「構わんぞ。迷宮探索は尻切れとんぼに終わったからな。物足りんと思っていたところだ」


 気負うことも、張り切ることも、ましてや怯える様子も全くない。彼は馬車から目線を逸らすことさえせず、淡々として応えた。


「えぇ〜何でコイツだけなんだよ。オレも行きてーなー」


「…………新顔か? 増える分にゃ構わねえが、そりゃリーダーの判断次第だろ」


「フランツ〜」


 タイメンは子供が玩具をねだるような仕草でにじり寄ると、意識してか否か、こちらの手首に尻尾を巻き付けギリギリと締め上げ始めた。悩む時間はなさそうだ。


「クロスのそばから離れないって約束するなら行ってもいいよ」


 彼ら二人は敵を見ると突撃するタイプなので心配ではあるが、ブランドンが一緒なら任せてしまっても大丈夫だろう。


「するするっ!! 絶対離れねー!」


 大はしゃぎするタイメンを余所に、フランツとバルトは二人を会話に加わらせないような小声でブランドンへ耳打ちする。


「ブランドンさん、クロスは昨日大怪我を負ったばかりです。水薬で治療はしていますけど、ムチャしないように見張っててくださいね」


「それと、あの蜥蜴人はボレロ男爵家の長男じゃからの。万が一があればお前さんの首が吹っ飛ぶぞ」


「…………なんか、お前らのパーティーって変な奴が集まるよな。分かった。目ぇ離さねえように近くに置いとくわ」


 ブランドンは誘ったことを少し後悔するように額に手をあてて重い息を吐くと、小躍りしている大蜥蜴と勝手に馬車に乗り込もうとしていた狂戦士を引き連れ去っていった。

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