第62話 お侍さん、治療される

「別々の魔物のようだな」


 上半身は鷲、下半身は獅子。胴から真っ二つに両断された鷲獅子グリフォンを眺めてボソリと感想を漏らしつつ、黒須は周囲の確認を始めた。


 酷い疲労で身体が二つに折れそうだが、まだマウリを攫った大鷲グロウイーグレットを仕留めていない。奴には仲間を害したツケを支払わせなければならない上に、阿久良王わきざしを持っていかれている。


 休息も治療も、全ては敵をたおしてからだ。


 広間にある横穴を一つ一つ丁寧に調べていく。全身からはいまだ鮮血がボタボタと滴り落ち、黒須の歩いたあとには血潮が刷毛で線を描いたように地面に長く続いていた。


 これまでの旅路で失血も随分と経験している。末端の触感が失せ、身体が震え、眼が霞み始めると、次第に身体が"物"に変わってゆくような感覚が訪れるのだ。少しばかり寒気は感じているものの、手足に力が入るうちはまだ問題ない。


 しかし、洞窟に入る前に聞こえていた物音はすでになく、見上げれば青空に繋がる大穴が空いている。この場を探して見つからなければ、最悪、外へ逃げ出されたことも視野に入れておかねばならないだろう。


 粗方の横穴を調べ終え、残すは鷲獅子が飛び降りて来た場所だけだ。軋む手足に顔を顰めつつ、岩肌を登って中を確認する。


「…………共生していたのではなかったのか」


 そこには、後脚に脇差の刺さった大鷲がバラバラに引き裂かれて息絶えていた。


 似たような魔物だったのでてっきり同じ巣穴で暮らしていたのかと思ったが、大鷲の頭はスッパリと綺麗に切断されており、至る所に羽毛が散って胴体にはついばまれたような痕跡が見える。


「……ん?」


 刀を返してもらおうと大鷲の死骸に近づくと─────


 穴ぐらの中に大量の剣や槍、荷物入れなどが散乱していることに気が付いた。暗がりに眼を凝らせば、奥の方まで箪笥たんすをひっくり返したような雑然とした有様だ。古い物から新しい物まで、かなりの数の装備が転がっている。


 人骨が一つも見当たらないため、からすが光り物を集めるのと似た習性かとも考えたが……。そういえば、迷宮の中では死体が消えると誰かから訊いたような覚えがある。


 自分一人では到底運べる量ではなく、魔法袋と鑑定の片眼鏡があった方がいいだろうと考え、一旦外へ出て仲間たちと合流することにした。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「クロス! 無事だった────!?」


 暗い洞窟から外に出ると、入口にはすでに全員が集合していた。野火の煙が真直に上がっていることから察するに、フランツが狼煙のろしを焚いて合図を送ったのだろう。


「マウリ、怪我はないか?」


「いや、俺は平気だけど……それよかお前だっ! 全身血まみれじゃねぇか!!」


「ぎゃああぁぁああ!! クロスさんがぁぁぁぁ!!!!」


「おっ、お前!! 大丈夫なのかよ!?」


 ふらりと登場した黒須を見て一行は大騒ぎになった。本人は平然としているものの、手足がズタズタに引き裂かれて今も鮮血が滴っている。


水薬ポーションじゃ!! 頭からぶっかけろ! ほれ、クロス! これを飲め!」


 バルトが魔法袋からありったけの治癒の水薬を取り出し、皆が手分けして黒須に振り掛け始める。


 油……とまでは言わないが、やや粘り気のある液体だ。植物を煮詰めたような独特の臭気に、思わず眉根に皺が寄る。


「皆落ち着け。出血は多いが浅い傷ばかりだ。致命傷は一つも受けていない」


「何でお前はそんな落ち着ついてられんだよ!? い、痛くねーのか!?」


「痛いことは痛いが……。慣れているからな」


「クロス、装備を外して服を脱ぐんだ! 水薬は傷ついてすぐに使わないと効果が薄くなる!」


 フランツに言われた通り、革鎧や荷物入れを外して着物を脱ぐ。パメラがいるため下は履いたままだ。


「「「……………………」」」


「どうした?」


 上裸になった途端、仲間たちは突如として息を呑み、水を打ったように静まり返ってしまった。何か妙な物でもついているのかと自らの上体に視線を向けてみるが、これといって特に変わった点はない。


「クロスさん……それって…………」


「お前さん……。そりゃあ全部、これまでの戦いで負った傷か?」


 黒須の身体は一部の隙もなく鍛えられ上げた肉体だが、最早まともな部分を探す方が難しいほどに傷痕だらけだった。


 刃傷、刺傷、火傷、擦過傷、裂挫傷、挫滅傷……。刀剣によって負った傷が皮膚全体を埋めつくし、赤黒く変色した蚯蚓脹みみずばれが痛々しく痕を残している。放射線状に拡がる火傷が肉を盛り上げ、傷の上に傷が重なり合い、まるで出来の悪い地図のような様相を呈していた。


「あぁ、これか。武者修行の旅に出たばかりの頃は傷の手当てもまともにできなかったからな。その辺の小僧に駄賃をやって縫わせていた。武士として恥ずかしい限りだが、未熟だった頃の名残だ」


「お前、そんな体で冒険者やってんのかよ……。人間族ってそんなに頑丈だったっけ……?」


「……普通の人間には無理だよ。肉体的にも精神的にも、これだけ傷ついたら動けなくなる」


「いや、人族とか関係ねえだろ。こんな状態でまともに生活できる種族なんかいねえって」


「戦闘の直後で細かい傷が目立つだけだ。酒を呑んでも浮いてくる。見た目ほど大したことはない」


 "黄金こがねと侍は朽ちても朽ちぬ"

 不覚傷は決して誇れるようなものではないが、この程度の傷痕は武士であれば珍しくもない。湯屋に行けばもっとおぞましい、眼を覆いたくなるような身体をしている者もザラにいる。


「と、とにかくケガを治しましょう!」


 水薬に濡れた傷は即座に出血が止まり、ほとんど治りかけと言っても過言ではないほどに薄くなった。痛みも完全に引き、若干痒みは残っているが動く分には全く支障ない。


「この水薬というのは凄いな……。わざわざ何度も店に通うのも頷ける」


 黒須も武士の嗜みとして金創医術や戦陣医術には多少の心得があるが、それは傷口の縫合や鉄砲の弾抜き程度の技術だ。調薬に関する知識は持ち合わせてないものの、これが異常な性能であることくらいは訊かなくても分かる。


 一瓶につき銀貨三枚ほどの値だったと記憶しているが、この効能なら安すぎる金額だ。


「傷は塞がるが失った血液まで戻ったわけじゃあないからの。今日一日は安静にしとくんじゃぞ」


「とりあえず体を拭いて着替えなよ。タイメン、桶に水を出してくれる?」


「任せとけ! クロスの好きな熱湯にしてやんよ!」


 手拭いで身体についた血を落とし、魔法袋に入れて持って来ていた服に着替えてようやく一息吐いた所で───マウリがガバッと頭を下げた。


「みんな、悪かった!! 俺がしくじったせいで迷惑掛けちまった……」


「こっちこそすまんかったの。ありゃあ儂が守ってやるべき場面じゃった。盾役として不甲斐ないわい」


「あれは仕方なかったよ。それに、魔物から目を離した俺たち全員の責任だ」


「そうですよ! 私が捕まっててもおかしくありませんでした!」


「とにかくマウリンが無事でよかったぜ! 大鷲に食われちまったかと思ったわ」


 恐縮しきった様子のマウリを皆が口々に励ます。


「クロスもすまねぇ……。俺のためにそんな傷だらけになっちまって」


「謝るな、マウリ。こんな怪我ものは時があれば癒える。お前の命に比べれば安いものだ。それに、なにも悪いことばかりではないぞ」


「どういうことだよ?」


 微笑を浮かべる黒須に対して、マウリは不思議そうに小首を傾げた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「うぉおお! スゲー!! お宝の山だ!」


「攫われた冒険者たちの持ち物か……。魔道具も混ざっていそうじゃの」


「門番の宝箱より豪華かもしれませんね!」


「バルト! 鑑定の片眼鏡で見てみろよ!」


 手に手に拾った道具を持ってはしゃぐ仲間たちを、フランツが笑いながらたしなめる。


「いや、装備と素材を回収して早めに野営の準備をしよう。今日はみんな疲れてるからね。そのあとでゆっくり鑑定すればいいよ」


 まだ日は高いが、必要な物を回収して崖の近くで野営の準備に取り掛かる。


「しかし、クロスをここまで切り刻むとは……。鷲獅子グリフォン巨人トロル鬼熊マーダーベアと同格のはずじゃろう?」


「あの見えない斬撃は厄介だったぞ。それに、飛び道具も通じなかった。洞窟の中だからよかったが、上空からあれをやられたら手の出しようがない」


 火砲のたぐい……鉄砲か石火矢、棒火矢でもあれば暴風を無視して撃ち落とせるだろうが、この国ではどうやら砲術は流行っていない。水薬などという高度な薬術がある以上、火薬たまぐすり自体が存在しないとは考え難いため、今後のために一丁手に入れておきたい所である。


「他の魔物と比べて、攻撃力が弱くて対策が簡単だからCランクになってるみたいだよ。魔物大全に風属性の魔術師なら完封も可能って書いてあったと思う」


「そーいや、お前の鎧も貫通はされてなかったよな」


「確かに、攻撃力という点では他に劣るか」


 革鎧に傷はついているが、どれもナイフで撫でた程度の浅いものだ。このくらいなら補修も必要ないだろう。


「テントの準備終わりましたよー!」


 設営を完了し、いよいよ回収した品物を調べることになった。




 ﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏


 いつも拙作をお読みいただき誠にありがとうございます。


 更新が大変遅くなり申し訳ございません。数日前に体調が急変し、現在入院生活を送っております……。


 完全にコロナを甘く見ておりました。ただのしつこい風邪程度の認識でしたが、深夜突然呼吸が上手く出来なくなり、救急搬送されて現在に至ります。子供の頃に肺炎で入院したことがありますが、それとは全く別種の苦しみでございました。


 お医者様はじめ、医療スタッフの皆様のおかげで体調は安定しましたが、未だに全力疾走した時のように肺がチクチクと痛みます。この機会に禁煙を始めようかなどと前向きに考えておりますが、やはり恐い病気なんだと再認識いたしました。


 しばらくは更新が不定期になりますが、何卒ご容赦いただければ幸いです。

 皆様も感染対策には十分お気をつけくださいませ。

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