第61話 お侍さん、追い掛ける

 油断した────!


 黒須は背後から大鷲が飛んで来ていることには気が付いていたが、マウリが回避行動を取るのを見て、躱し切れると高を括ってしまったのだ。


 自分が間近に付いていながら、鳥風情に足元をすくわれた。その耐え難い屈辱と自責の念が身体を包み込み、握り締めた拳が小刻みに震える。


「くそっ!!」


「ちょっ……!? 連れて行かれちまったぞ!!」


「う、撃ち落としますっ!」


「よせパメラ! マウリに当たる!!」


「追うぞッ!! あの傷じゃあ遠くへは飛べんはずじゃ!!」


 倒した魔物の死骸を放置して五人は疾走する。大鷲は怪我を負った上に荷物をぶら下げているため、幸いにもフラフラと空を這うように飛んでおり、見失うほどの速度ではない。


 しかし──────


「はっ……はっ……はぁ……!」


「パメラ、まだ走れるか?」


「よゆー……ですよ……っ!」


 四半刻三十分も走った頃、パメラの息が切れ始めた。


「くっそ……! オレも、キツい……っ!」


 続けてタイメンも遅れ始めたが、それもそのはずだ。黒須、フランツ、バルトの三人は訓練の一環として、重しを付けた状態で毎朝拠点近くの丘の上まで走り込みを続けている。


 フランツとバルトは最初こそ這う這うの体だったが、今では余裕を持って往復できるまでに成長していた。パメラやタイメンが彼らの体力についてこられる訳がない。


「フランツ、このままではマウリを見失う。二手に別れた方がいい」


「そうだね……。バルト、二人を頼める?」


「仕方あるまい。フランツ、クロス、必ずマウリを助けてやってくれ。儂は二人を連れて遅れて向かう。場所が分かるよう合図を頼むぞい」


「……ご、ごめん……なさい……! マウリをお願いしますっ!」


「悪い……頼むっ! 絶対……あとから追いつく……!」


「任せろ」


「必ず助けるから、心配せずにゆっくり来てくれ」


 三人をその場に残し、黒須とフランツは速度を上げた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「あの崖に降りたね」


 岩肌を剥き出しにした見上げるほど大きな丘陵。大鷲はその中腹にある洞窟の中へと姿を消した。


「様子を見てくる。少しここで待っていてくれ」


 黒須は突き出た岩を掴んですいすいと器用に絶壁を登り、洞窟の中をそっと覗き込む。


 二階建ての家がすっぽりと入りそうな広い空間。鳥の糞で各所に斑模様が描かれており、風が通っているのか、奥からは強烈な悪臭が漂ってくる。人が焼ける時のような生臭い臭いだ。


「…………………」


 勾配はない────が、横穴が多い。

 かなり深い洞窟のようだ。


 水滴の垂れるポタリポタリという音が反響して気配が探り辛く、そこら中に残された足跡は数が多すぎてどれが目的の相手なのか特定できそうにない。


 追跡には時間を食いそうだと、思わず舌打ちが出る。


 腰の荷物入れから縄を取り出し、近くの岩に括り付けて崖下へ投げ落とす。眼下のフランツに登って来るように合図を出して合流した。


「奥から微かに物音が聞こえるが、どうやら複数だ。奴らの巣穴かもしれん」


「早く助けないと……。慎重に、でも、極力急いで移動しよう」


 身体を屈めて気配を消し、薄暗い洞窟の中を忍び足で静かに進む。胸の悪くなるような異臭に顔を顰めながらも、二人は油断なく周囲を探り、横穴を一つ一つ丁寧に確認していった。ところどころに空気穴のようなひび割れがあるため、真っ暗と言うほどではないが、奥に進むにつれてだんだんと視界が悪くなる。


松明たいまつを作るか?」


「いや、明かりで魔物に気付かれるよ。今は交戦してるような時間もないし、このまま進もう」


 横穴を探りながら進むことしばらく。


 広間のようなだだっ広い空間に出た。一部天井が吹き抜けているため、見上げれば小さな青空が拝める。そこかしこに枯れ木と落ち葉を組み合わせた巨大な鳥の巣が作られており、卵らしき物は幾つか見えるが、生き物の気配は感じない。


「…………いたぞ。あそこだ」


 その中の一つにマウリは転がされていた。


 急いで駆け寄り、フランツが抱き起こして脈を確認する。大きな傷はなさそうだが、気絶しているのか、ピクリとも動かない。


「息はあるな?」


「大丈夫、気を失ってるだけだ。あぁ……よかった……!」


 二人して顔を見合わせ、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間────


「キュォオオォオ────ッッ!!!!」


 広間の上部にある横穴から、大鷲とは似ても似つかない魔物が姿を現した。


「────鷲獅子グリフォン!?」


 その魔物は大鷲よりもさらに二回りは大きく、鷲の上半身に獅子の下半身という奇天烈な外見をしていた。横穴から音もなくふわりと飛び降りると、猛禽類特有の気難しい老人のような瞳で敵意の篭った眼差しを向けてくる。衝動的に襲い掛かって来ない所を見るに、どうやら知能も高そうだ。


「フランツ、俺が相手をする。お前はマウリを連れて崖下で待っていろ」


「……………ッ!」


 ギリリ、と奥歯を噛み締める音が聞こえた。


「……分かった。クロス、鷲獅子はCランクの魔物で風の魔術を使うと聞いたことがある。目に見えない斬撃に注意してくれ」


 フランツはサッとマウリを抱えると、出口へ向かって駆け出した。


 ──────いい判断だ。


 苦悶に顔を歪めながらも、彼は余計な問答はしなかった。その様子に、黒須は何故だか無性に誇らしくなる。


 フランツは人生を泳ぐのが下手だ。

 ズルもできないし嘘も吐けない。

 ただ、上に立ったらやる漢だ。


 仲間を置いて行かざるを得ない状況に後ろめたさや悔しさを感じたが、まずはマウリを安全な場所へ逃がすべきだと優先順位を考え、勇気を持って決断したのだろう。ようは、自分を信頼してこの場を任せたのだ。


 心が満たされ、黒須は敵前にも関わらず嬉しそうに顔をほころばせる。


 彼らと出逢って、もう、ひと月ばかりが経っただろうか。何かが少しずつ深くなっている気がする。何がと聞かれても困るが、言葉にしたら浅くなってしまうようなものが、自分たちの間で深くなっていく。血の繋がり以外では感じたことのない感覚だ。


 強敵を前にした際の昂ぶりとは違う、胸が膨れるような充実感が全身を満たす。黒須は腰に突き出た二本の柄をちらりと見て、最近あまり使っていなかった愛刀を選択した。


「さて……。るか? 鳥」


「クォオオォォオン!!!!」


 まるで望む所だと返答するような鳴き声。鷲獅子は獲物が逃げたことに腹を立てたのか、その場で威嚇するように翼を広げてバッサバッサと羽ばたき始めた。


 油を引いたように濡れた黒い羽根がはらはらと宙に舞う。一際大きく翼を振ったかと思えば───抜け落ちた羽根が一斉にこちらへ向かって殺到した。


「ただの羽根ではなさそうだ」


 数は多いが、躱し切れないほどではない。大半を避けつつ、試しに刀で数枚を叩き落とす。


 刃から伝わってくる感触は金属と大差なく、やはり避けて正解だったと考えていると───唐突に左の上腕から鮮血が噴き出した。


「なるほど……。こういうことか」


 羽根には一枚も当たっていない。つまり、これがフランツの言っていた不可視の斬撃なのだろう。


 昔どこかで聞いたことのある妖怪"鎌鼬かまいたち"のようなものか、と傷口を一瞥いちべつしながら冷静に思考する。出血は多いものの、骨まで達するような深手ではなく、動くに支障はない。


 軌道が見えないという点では鉄砲に似た攻撃だが……。目視できる羽根と混ぜ込んで飛んで来る分、こちらの方が厄介だな。


 ナイフを抜いて投げつけてみるが、翼を一振りしただけで逸らされた。どうやら飛び道具も役に立たんらしい。


「クォオオォォ────ッッ!!!!」


 鷲獅子が羽ばたくたびに暴風が巻き起こり、黒須の全身を切り裂いていく。流石に革鎧を貫通することはなかったが、庇っている顔以外の箇所からはダラダラと血が流れる。


「距離を取っていても刻まれるだけか」


 どのみち切り裂かれるのならと、負傷を覚悟で相手に向かって突撃する。


 振り下ろされる前脚を躱して首元へ一閃───まるで鎧を斬ったような手応え。全力を出せば斬れそうではあるが、愛刀の損傷が心配だ。


「獅子の身体の方ならどうだ?」


 側面に回り込み、尻尾の付け根に刀を叩き込む。


「ギュァアアアアッッ!!」


 鮮血が散り、あしのような獅子の尾がボトリと落ちた。


「胴体が弱点か」


 追撃しようと刀を振り上げる。が、鷲獅子は翼を打ち下ろすようにして地面に叩き付けた。


「─────ッ!」


 先ほどまでの斬撃と違い、空気の塊をぶつけられたような衝撃に大きく吹き飛ばされる。上手く受身を取ったため怪我はないが、せっかく詰めた距離を離されてしまった。


 ただ、今の一撃で気が付いたことがある。


「その風、自分の後ろには飛ばせないのか?」


 風の塊は尻尾側には発生していなかった。で、あるならば────……


 黒須は鷲獅子の周囲を回るようにして走り出す。相手も胴体を狙われていることに気が付いたらしく、背後を取られないよう必死に食らいついてくる。


 こうなれば持久戦だ。呼吸法を二重息吹ふたえいぶきに切り替え、ただひたすらに脚を動かす。


 容赦なく降り注ぐ暴風の嵐は最早こちらを狙っておらず、四方八方、あちこちの岩壁を無茶苦茶に傷付け始めた。身体を裂かれる痛みには耐えられるが、巻き上げられた風塵で眼を開けているのも辛く、息を吸うたびに口の中がざらざらする。


 しかし、もう周辺の地形は把握した。眼を瞑っていても、爆風の発生源は手に取るように感じることができる。


 しばし鬼子事おにごっこのようなやり取りが続いたが───不意に、鷲獅子が苦しげな呻き声を上げて羽ばたきを緩めた。


 体力か、気力か、それとも魔力か。

 奴の中で何が尽きたのかは知らないが────……


「……これまでに戦った魔物の中では一番愉しかった。さらばだ」


 黒須は突き出た岩に脚を掛けて大きく跳び上がると、空中で前転するように勢いをつけて刀を振り下ろした。

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