第59話 お侍さん、調べてもらう
「ネネット、何故こんな所にいる? ……おい、離れろ」
駆けて来た勢いそのまま。ネネットは黒須の腹に頭突きをするようにして抱きつくと、髪の毛を擦り付けるようにグリグリ頭を動かした。
もし腰の刀に指一本でも触れれば膝蹴りをくれてやるつもりだったが────……流石に武芸者としての一線は
何がそんなに嬉しいのか。宙に吊るされているに、きゃあきゃあと小鳥のような楽しげな声を上げている。
「ここはアタシの実家だからなー! バルトもいるのか! 何してるんだー?」
ネネットは孤児院へ入ろうとしていた。
つまり、そういうことなのだろう。
「久しいの、ネネット。買い物ついでにこやつに街を案内しておったんじゃ。ナバルから来たばかりでな」
バルトが隣を顎でしゃくって示したので、黒須はタイメンにネネットを手渡した。巨体の大蜥蜴は親指と人差し指で彼女を摘み、顔の前に持ち上げてしげしげと観察する。
「冒険者でいいんだよな? Eランクのタイメンだ! よろしくなー!」
「Bランクのネネットだ! よろしくぅー!」
「Bランク!? 高位冒険者じゃねーか! スゲーな嬢ちゃん!!」
「そうだぞー! アタシはすごいんだっ!! クロスには負けちゃったけどなー!」
初対面にも拘わらず、二人はわいわいと楽しそうに話している。
タイメンはどんな相手でも物怖じせずに仲良くなれる、人好きする性格だ。その明け透けな部分を黒須は彼の長所だと捉えていた。
「よぉーし!! お前らアタシの実家に招待してやるぞー! ついて来ーい!」
ネネットはそう言うと、こちらの同意を待つこともなく教会の大きな扉を開き、ズカズカと中へ入って行ってしまった。
「……なぁ、オレら異教徒だけど入って大丈夫なのかな。怒られねーか?」
「火神の寺院なら問答無用で袋叩きじゃな。調和神は平和と安寧を司る神じゃから問題ないとは思うが……」
「ネネットがいれば何とかなるだろう」
空家を狙う
背の高い建物なので複数階かと思いきや、予想に反して吹き抜けの大広間。奥には祭壇と美しい女の石像があり、そこへ向かうようにして多くの長椅子が並べられている。
高い窓から射し入る陽の光が色とりどりの
「あの石像……。もしや、硬貨に彫られているものと同じか?」
「よく気付いたの。ルクストラ教はファラス王国の国教なんじゃ。それもあって、この国には調和神の信徒が多い」
「つっても聖国みてーに強制されてるワケじゃねーけどな。宗教なんざ、種族によって様々だからよ」
三人がボソボソ話していると、高い天井へ一直線に届かんばかりの大きな声が広間に響く。
「シスター! ただいま! 友達を連れて来たんだー!!」
「ネネット!? お静かになさい! 儀式の最中ですよっ!」
「「「…………………」」」
教会の入口からも見えていたが、祭壇の下で獣人の男が跪き、その頭にシスターと呼ばれた黒衣の女が手を翳している。不信心者の自分でさえ、何らかの儀式と理解して声を落としていたのだが…………。
ネネットは叱られてしょんぼりとしながら、長椅子の一つに腰を下ろした。黒須たち三人も隣に並んで座る。
「あれは何をしている?」
「"祝福の儀"と呼ばれる魔術適性を調べる儀式じゃな。ルクストラ教の祭事を見るのは初めてじゃが、火神の典礼も似たような形式じゃわい」
────レナルドが言っていた儀式か。
「へー、海神のはこんな堅っ苦しい感じじゃねーけどな。どっちかってーと祭りに近けーし」
「子供が受ける儀式ではなかったのか?」
レナルドから五歳の頃に適性を調べたと聞いていたため、宮参りのようなものを想像していた。しかし、真剣な面持ちで跪いている男はどう見ても四十近い中年である。
「む……? そんな風習はないはずじゃが」
「いや、貴族ならお披露目も兼ねてっから、その年五歳になるガキが集まって一斉に受ける決まりらしいぜ。ナバルじゃ身分関係なしにやってっけどなー」
「そういうことか。知らんかったわい」
「祝福の儀なんてご大層な名前だけどよー。結局あんなん、光属性の
タイメンの口振りはまるで、貴族の慣例なんぞ下らんと言わんばかりの言い草だった。レナルドは大貴族ほど魔術の有無を重視すると言っていたが、やはり彼のように思想に染まっていない者もいるようだ。
さもありなんと考えていると、ようやく儀式が終わりを迎える。
「残念ながら調和神の祝福はございませんでした。しかし、女神ルクストラはいつでも貴方を見守っていらっしゃいますよ」
「そうですか……。ありがとうございました」
男はがっくりと肩を落とし、落ち込んだ様子で帰って行った。
「さて、おかえりなさいネネット。そちらの方々がお友達かしら?
五十を少し過ぎたくらいの年齢だろうか。面長の優しげな顔立ちで、真直ぐに伸びた
こちらも揃って名を名乗り、挨拶を返す。
「皆さま、ネネットに無理やり連れてこられたのではないですか? この子ったら、小さな頃から気に入った人を教会に引っ張って来るクセがあるものでして────」
オルガによると、ネネットは赤ん坊の頃から孤児院で育てられたそうだ。道理でいつもの元気はどこへやら、膝に抱えられて大人しく頭を撫でられている。
この国では困窮による捨て子は珍しくないらしく、アンギラのような大きな街でも度々起こることなのだとか。日本においても寺に吾子を捨てる者はあとを絶たないため、その点はどこの国でも似たような事情なのだろう。
さて、それはそうと…………
「オルガ殿、頼みがあるのだが」
世間話の途中で、思い出したように黒須は会話を遮った。
「どうされましたか? 私にできることならなんなりと」
「俺にも、祝福の儀というのをやってもらえんだろうか?」
この国の神々がどういった
己の眼で見た物しか決して信じず、宗教を真面目に考えたことさえ一度もない。神からすれば、そんな相手に天罰を下すことはあっても、祝福を与えてやる義理など微塵もないだろう。
しかし、せっかく眼の前に強くなれる機会が転がっているのだ。一縷の望みだとしても、みすみす見逃す手はない。
「クロスよ、お前さん全く魔術を使えんじゃろう? 適性がある見込みは薄いぞ」
「分かっているが、先ほどの男もそれを知った上で儀式を受けたのだろう? 俺も可能性が少しでもあるなら、やってみたい」
世界は自分のためにある訳ではなく、不運も幸運も、詰まるところは
「私は構いませんよ。ただ、その前に……。あの────」
「あの盆に代金を入れるんだぞ!! 銅貨五枚だー!」
口ごもるオルガの言葉を途中で奪い、ネネットは広間の端にある白い陶器を指差した。
「ネ、ネネット! 代金ではありませんと何度も言っているでしょう! ご寄付と言いなさいっ!」
指定より少し多めの額を盆に入れ、剣を三本ともバルトに預ける。何となく、神前での帯刀は不敬であるような気がしたのだ。
「それでは、こちらに跪いて目を瞑ってください。私が声を掛けるまでは決して瞼を開かないように」
「承知した」
膝をつき、眼を瞑る。宗教儀式であるならば、誰かに跪くのも抵抗はない。
頭の上に手が翳される気配があると同時に、身体中をまさぐられるような嫌な感覚が訪れた。
「………? ………っ!?」
──────何だ?
眼を閉じているので判然としないが、何やら、驚きや焦りの感情が伝わって来る。不思議に思いつつも無言でじっとしていると、先ほど聞いたオルガのものとは別人のような声が耳元で聞こえた。
『この世界を精一杯楽しんでね!』
「シスター!? 大丈夫かー!?」
ネネットの焦るような声に思わず眼を開くと、オルガがぐらりと倒れかかっていた。咄嗟に抱きとめる。
「…………魔力欠乏症じゃな。二人連続は厳しかったかの?」
「んなアホな。精察の奇跡が使えるってことは
皆でオルガの身を案じていると、彼女はしばらくして弱々しく口を開いた。
「クロスさん、申し訳ございません……。奇跡は確かに発動したのですが……。通常分かるはずの適性が全く読めませんでした。こんなことは初めてです……」
オルガは立ち上がれないほどに疲弊していたため、その場をネネットに任せて三人はお暇することにした。
教会を出る直前、黒須は祭壇を振り返る。
「……………?」
強い視線を感じたような気がしたのだが────気のせいか。
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