第58話 お侍さん、街を散策する

「こちらが報酬の金貨十五枚、それと経費分の金貨二枚と銀貨八枚でございます。お確かめくださいませ」


 アンギラに帰宅した翌日、黒須は依頼の達成報告のために傭兵ギルドを訪れていた。


 戦時中とあってか、随分と人が少ない。いつも喧しく声を掛けてくる連中の姿も見当たらず、建物内は墓場のように静まり返っている。


「本当に言い値で構わんのか?」


 眉根を寄せ、疑いの眼差しを新顔らしき受付の男へ向ける。


 ナバルでの飲食代はギルド持ちという約束であったものの、使った金額を証明する手段などあるはずもない。どうするのかと思えば、なんと、こちらが申告した通りの金がそのまま差し出されたのだ。


 傭兵ギルドにはいい印象を持っていないこともあって、上手くでき過ぎている、何か裏がありそうだと妙に勘繰ってしまう。


「え、ええ。ギルドマスターからそうするよう指示を頂いておりますので、ご心配なく。お疲れ様でございました」


 受付の男はそう言って慇懃いんぎんに頭を下げた。


「……そうか。なら、遠慮なく受け取ろう」


 瞳の奥には僅かな怯えが映って見えたが、害意は感じなかった。財布として使っている皮袋に受け取った硬貨を仕舞い込み、ギルドをあとにする。


「いやー、やっぱし都会のギルドはデッケーな! 依頼の数も半端ねーしよ!!」


「あれでも北のゴタゴタせいで少ない方らしいのう。ほれ、次は買い出しに行くぞ」


 アンギラの街を散策したいと言ったタイメンと、迷宮ダンジョンに潜るための買い物があったバルトも一緒に来ていた。あれこれ街のことを質問するタイメンに物知りなバルトは相性がいい。


「買い物は水薬ポーションだったな。魔道具屋か?」


「いや、水薬の専門店じゃ。前に行った時はちょうど治癒の水薬だけ売り切れでの。今日はあるとええんじゃが」


 フランツたちが別行動で防水テントを探しに行っているため、こちらの買い物は水薬だけだ。特に急ぐ必要もないので、タイメンの観光も兼ねて寄り道しながら街をぶらつく。


「はー……。あの城にレナルド様が住んでんのか。辺境伯って金持ちなんだなー」


 街の中央、雲一つない青空を突き刺すようにそびえ立つ尖塔を見上げて、タイメンが感嘆の吐息をらす。見る者を圧するが如きその威容、初めて眼にすれば驚くのも無理はないだろう。


 黒須も街に来た当初、この城と戦になった場合どうやって攻め落とすかと、そんなことばかり考えていた。内部に乱波透波らっぱすっぱを忍ばせておけば城壁は突破できようが、街中に逆虎落さかもがりや乱杭を敷かれてしまえば、城に到達するのは至難のわざだ。文字の練習と称して日夜書き付けている愛用の冊子には、これまでに思い付いた攻略法がびっしりとつづられている。


「アンギラは王国でも有数の規模を誇る巨大領地じゃからの。領内に迷宮を三つも抱えとるのはここだけじゃ」


「はぇー……。それって、スゲーのか?」


「……お前さん、一応は辺境伯家の寄子よりこじゃろ。そんなことも知らんのか」


「親父みてーなこと言うなよなー。寄子っつったって、辺境伯に会ったのなんか大型船が完成した時にやった進水式の宴会パーティーくらいだぜ? ガキの頃で直接話したこともねーしよ」


 バルトは大口を開けて呆れたような表情になったが、黒須は特に驚かなかった。武家に仕える奉公人も似たようなものだからだ。


 同心どもは有事となれば武家の指揮下に入るが、平時において主従関係にある訳ではない。帯刀を許されるような上級奉公人は例外として、遊里の妓夫ぎふ、髪結、板前、大工衆など、入れ替わりの激しい浮動的な町方奉公人に至っては、寄親の顔すら知らぬ者も多いはずである。


「おい、あそこの広場に屋台があるぞ。そろそろ昼飯にしよう」


 屋台で定番の豚鬼肉の串焼きと葡萄酒を買い、空いている長椅子ベンチに腰を下ろす。


「やっぱ屋台はどこも肉ばっかなんだなー。ナバルで獲れた魚もアンギラに売ってるはずなのによ」


「魚は輸送中に腐ってしまうからの。ほとんどは干物にされて食料品店に並んでおるぞ。たまに海水ごと活かしたまま運ばれてくる物もあるにはあるが、儂ら庶民には手が出し辛い高級品じゃな」


 以前トトの店で魚の干物を見掛けたが、確かに、ナバルの五倍以上の値が付いていたと記憶している。噂に聞く時間停止の魔法袋があれば話は別なのだろうが、魔物のうろつく荒野を馬車で二日の道程だ。高値が付くのも仕方なかろう。


「ナバルの串焼き屋は旨かったな。また訪れる機会があれば食いたいものだ」


「羨ましいのぅ。昨日の料理も美味かったが、新鮮な魚介なんぞ久しく口にしとらんわい」


「いつかみんなで遊びに来いよ! オレが案内してやっから!」


 賑やかな食事を終え、散策を再開する。この辺りまで来ると黒須にとっても初見の場所だ。


「バルト、あの店は? 用心棒がいるぜ」


 タイメンが指差した店は外観こそ他と変わりないものの、入口に槍を持った大男が二人、周囲を威圧するようにして立っている。武器を手にしたままこちらを睥睨したのが癇に障り、殺気を込めて睨み返すとサッと眼を逸らされた。


「ありゃあアベール商会の奴隷店じゃな。辺境伯家の御用商人が運営しとる大店おおだなじゃ」


「へ〜あれが奴隷店か、初めて見たぜ。クロスのいたニホンにも奴隷店ってあったか?」


 昨夜のうちにタイメンには自分の生い立ちを話している。彼は黒須が領主の息子だと知っても取り立てて騒ぐことはなかったが、むしろ日本の実態に興味津々な様子で、あれこれと質問攻め合って難儀した。


「俺の国では表向き人身売買は禁じられている。大戦おおいくさのあとは裏町で奴隷市が開かれることはあったが……。こんなに堂々と往来に店を構えてはいなかった」


「ファラス王国は奴隷の売買を禁じておらんから、別に後暗い商売ではないぞ。まぁ、一般人が買えるのは金で身を堕とした"借金奴隷"だけじゃがな」


 バルトが言うには、罪を犯した者や敵国の捕虜などからなる"犯罪奴隷"という身分もあるらしい。危険な奴隷なので平民への販売は禁じられており、主に領主や各地の貴族が買い取って、力仕事や汚れ仕事に従事させているそうだ。


「オレんちは貴族だから犯罪奴隷でも買えるんだけどよ、一番安い盗手小人ケンダーの奴隷でも金貨十数枚はするらしいぜ。親父が積荷の運搬用に買おうとして諦めてたわ」


「人の値段として考えれば、高いのか安いのかよく分からんな」


「高位の冒険者が荷運びポーターとして買うこともあるらしいが、いずれにせよ、儂らにゃ縁遠い店よ」


 そんなことを話していると、ふと、通りの向かいにある建物が気になった。


「あそこの大きな店は何だ? 看板もないが」


「ありゃ店ではなくルクストラ教の教会じゃ。その左側が孤児院、右側が治療院じゃな」


「…………孤児の暮らす向かいで奴隷を売っているのか。悪趣味な」


「えっらい年季の入った教会だなー。ルクストラ教は清貧が信条なんだっけか?」


 その建物は周りと比べて明らかにボロボロだった。ひび割れが目立つ黒くすすけた外壁には触手のようなツタがびっしりと絡みつき、なんとも不気味な雰囲気を醸し出している。


「儂は火神ジギルヴァルトの信徒じゃからの。調和神の教えはよく知らんが……。フランツがやたらと金に細かい所を考えると、当たらずとも遠からずではないか?」


 言われてみれば────……


 廃墟を借りて修復したり、盾が壊れただけで酷く落ち込んだり、安い品を街中探し回ったり。フランツは少々ケチ臭い所がある。


 本人の性分かと思っていたが、あれは信仰にあつい故の行動だったのか。


「ナバルは海神テオの信者が多いから、そもそも教会自体がねーんだよな。海に祈ったり、酒を撒いたりするだけだぜ」


「………………」


 黒須はあまり信仰心を持っていないため、黙って話を聞いていた。


 黒須家は母がとても信心深かったが、男性陣は形程度にしか付き合っていなかったのだ。ある時、次兄が母に『よくもまあ見たこともない存在にそこまで熱心に祈れるものですね』と言うと、母は大泣きしながら激怒し、父が止めに入るまで次兄を折檻せっかんしたこともあった。そのあまりの怒りっぷりに、猛者どもの覇気を物ともしない黒須と長兄が唖然と見ていることしかできなかったほどだ。


 懐かしい思い出に浸っていると、唐突に聞き覚えのある大声が通りに響いた。


「あーっ! クロスじゃないかー!!」


 教会の前から凄まじい速度で駆けてきたのは─────以前ギルドで手合わせをした、豹獣人パンテーラのネネットだった。

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