第53話 お侍さん、大蜥蜴に呆れる

「なぁぁぁんでだよぉぉぉおおっ!!」


 アンギラへの帰路、一騎の騎馬が隊列を離れて明後日の方向へ爆走して行く。馬は尾とたてがみを長く風になびかせながら、蹄に火花を散らしてまっしぐらに狂奔した。


「タ、タイメン様!!」


「オーリック、もう放っておけ。あの阿呆には身体で覚えさせた方が早い」


 追い掛けようとした見習いを制止し、黒須は呆れ顔で豆粒ほどの大きさになりつつある馬の姿を見送った。



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「だからその馬は止めておけと言っただろう。訓練も受けておらん暴れ馬など、未熟者に御せるものか」


 ナバルを発つに当たり巨漢のタイメンを誰かと同乗させる訳にもいかず、彼はボレロ家の所有する馬から一頭を選ぶ必要があった。乗馬には不慣れだと言うので黒須も選別に立ち会っていたのだが、タイメンはこちらの助言に一切耳を貸さず、何故か白馬にこだわるという独自の感性で駄馬を選んでしまったのだ。


「アルチェちゃんを悪く言うんじゃねーよ! このは自分のお家に帰りたがってるだけだろ! 寂しがり屋さんなんだよ!」


「…………………」


 名前まで付けて溺愛しているが、白馬が立派な雄馬であることに気が付いていないのは本人だけだ。レナルドでさえ、その名を聞いた瞬間に馬の股ぐらを二度見していた。


「タイメン様……。無礼を承知で申し上げれば、それは騎馬として致命的な欠点であります」


ちげえって! 今はまだ恥ずかしがってるだけだ! オレが主人に相応しいって認められれば、絶対本気出してくれるはずなんだよ!」


 今日出逢ったばかりの馬相手に一体何を抜かしているのか、この蜥蜴は────……


 "馬は人を見る"などいう言葉があるが、そんなものは戯言たわごとだ。人が外見から馬の性格を読めないように、馬も外見から人の善し悪しなど判断してはいない。


 馬術とは、馬に乗り手の指示を的確に伝え、馬の心を正確に感じ取る意思疎通の術を指す。


 生き物である以上、自由気ままに行動しようとするのは自然の摂理。勝手をしようとする馬の挙動の出鼻を見抜き、手網捌きでこちらの意思を正しく理解させてやらねば、常歩なみあしすらもできはしない。一朝一夕で身に付けられるような技術ではなく、それ故、人も馬も日々訓練に励むのだ。


「だからよ、オレのこの愛がっ! 情熱が伝わりさえすりゃ、アルチェちゃんは誰にも負けねー超名馬に────」


 鬢出びんだししに似た毛櫛けぐしで、雄馬の鬣を不器用にきながら熱弁を振るう大蜥蜴おおとかげを、一行は可哀想なものを見るような眼で眺めていた。


「……この男、粗野に見えて案外箱入りなのか?」


「……先生、いくら貴族の息子でも乗馬くらいは習いますよ」


「……単に甘やかされて育ったのやもしれませんぞ。男爵はタイメン殿をいたく可愛がっておられるご様子でしたからな」


 頓珍漢とんちんかんな講釈に石ころのような無表情で相槌を打つ見習いを他所に、三人はコソコソと膝を突き合わせる。


 男爵はレナルドの見送りというお題目でナバルの門まで同行していたが、その眼は最初から最後まで息子に固定されていた。やれ忘れ物はないか、やれ身体には気を付けろと、会談中の覇気はどこへやら、心配の権化ごんげと成り果てていたのだ。


「僕からすれば、あのような関係は非常に羨ましいものがありますけどね」


「そうか……? 俺も父上を御尊敬申し上げているが……。あれを羨ましいとは思えんな」


 父は黒須の旅立ちの日に顔さえ見せなかった。それは決して自分を軽視しているのではなく、すでに教えることは教え、伝えることは伝えたという信頼の意思表示だ。


 もし父上が男爵のような真似をすれば、黒須家は当主の乱心騒ぎで大混乱に陥る羽目になるだろう。


「さて、前回の野営地までもうひと踏ん張りです。そろそろ出発────」


「隊長っ! 前方から何か来ます!!」


 ラウルが馬に手を掛け行軍再開を告げようとした矢先、アクセルの大声がそれを遮った。


 指差す方向に眼を細めると、荒野の果てにもうもうと土煙が上がっている。かなりの距離があるが……確かに、こちらを目指して移動して来ているようだ。


「何だあれは?」


「魔物の群れ、でしょうか?」


 遠目ではっきりと視認できないものの、黒い体毛と赤ら顔、天狗のような長い鼻があるのは分かる。それぞれは柴犬ほどの大きさだが、二十頭近くの数が固まって走っているために、まるで黒雲の波が押し寄せて来るように見えた。


「ありゃー狂猿ポウン・パウンだな。単体じゃFランクの雑魚だが、群れの規模によっちゃー最大でCランクにまでなる群生魔物だ。一度狙った獲物は死ぬまで追うっていう、面倒くせー習性のお猿さんだぜ」


「あ、あれはどう見ても我らに目を付けておりますね……」


 ナバルのギルドでも思ったが、意外とタイメンは博識である。パーティーに属さず活動していたという理由もあるのかもしれないが、どうやら、ただの世間知らずでもないらしい。


「隊長、いかがいたしましょうか?」


「……進行方向から向かって来る以上、撃退するしかあるまいな。レナルド様はピナを連れて馬車へお入りください」


「分かった。みんな、気を付けてね」


「アクセルとオーリックは馬車を死守せよ。なるべくそちらには近寄らせんようにするが、もし敵を相手にする場合は二人で連携して戦うように」


「「はっ!!」」


 ラウルは数秒眉根を寄せて考え込んだが、すぐにテキパキと指示を出し始めた。特訓の成果が僅かにでも出ているのか、もう長考とは呼べない判断の早さだ。


「タイメン殿は私と共に前衛を頼めるだろうか」


「おうッ、任せてくれよ! 接近戦は大好物だぜ!」


「クロス殿……。数を減らしてきてくれるか?」


 ラウルはこちらを向いてニヤリと笑った。意味ありげなその笑みに、求められている役割を察する。


「承知した。では、行ってくる」


 下馬した四人をその場に残し、黒須は群れへ向かって猛然と馬を駆けさせる。


 せっかく馬がいるのだ。相手の到着を待ってから歩射でチマチマと数を削るより、突進騎射で仕留めた方が手っ取り早い。


 猿どももこちらの存在を認識したのか、より一層勢いを速めた。互いに糸で引き合うように、ぐんぐん距離が縮まってゆく。


 "追物射おものい"

 自身の得意とする二丈六mの射程に敵が入ったのを確認し、前方に向けて連射する。矢は乾いた鋭い響きを立てて空気を裂き、獲物に命中するたび畳を叩くような音が鳴った。三頭が糸を切られた操り人形のようにぐにゃりと倒れ、後続を何頭か巻き込む。


 "横射よこうち"

 下肢で馬を操り、群れの真横を通過しながら矢を放つ。完全にすれ違うまでに二頭が事切れる。


 "馬静止射ばせいししゃ"

 馬を停めてあぶみに立ち、さらに三頭を立て続けに射殺す。


 "押捩おしもじり"

 群れの矛先がこちらに向いたため、馬を反転させて走らせ、振り返りながら後方を射る。


「よし」


 群れが馬車に向かうものと黒須を追うものに分断された。それぞれ六頭ほどの数だ。あちらは任せてしまっても大丈夫だろう。


「…………こどもの頃を思い出すな」


 蜘蛛の子を散らすように逃げ回る猿どもの姿に、若き日の懐かしい記憶が想起される。


 馬上弓術の稽古は騎射三物きしゃみつものと呼ばれ、笠懸かさがけ流鏑馬やぶさめ犬追物いぬおうものの三種に別れる。いずれも実戦を想定した訓練であるが、黒須は特に、犬追物が好きだった。


 個の武勇を尊ぶ武士の鍛錬は個人技に時を費やすことが多い中、犬追物では動く的を連携して追う訓練のため、兄上たちとも協力しながら犬を追い回すのだ。


 的犬を殺してしまわぬよう刃のない神頭矢じんどうや犬射蟇目いぬいひきめを使用するが、当然ただかするだけでは有効射とは看做みなされない。検見けみ喚次よばわりから『お見事!』の声が上がるたびに膝小僧を叩きながら笑顔で喜び合い、外せば年相応に空を仰いで唇を噛んだものだ。


 あの時の兄上たちの楽しげな声は、今もはっきりと耳の奥に残っている。


 兄弟仲良く遊ぶことなど許されぬ身の上であったため、世間のしがらみを忘れてただただ熱中することのできるあの稽古は、黒須にとって貴重で、大切な時間だった。


 懐かしき思い出を牛のように反芻はんすうしつつ、縦横無尽に翻弄しながら次々と敵を片付ける。相手の脚は騎馬の速度に全く及ばず、殲滅に大した苦労は必要なかった。


 調子に乗って少々馬車から離れすぎたため、矢の回収は後回しにして急ぎ来た道を戻る。


 苦戦してるようなら加勢に入るつもりでいたのだが────……


「だはははははッ!!!!」


 そこには、群れの中心で鬼神の如く大暴れしているタイメンの姿があった。


 剛力に物を言わせて殴り飛ばし、頭を鷲掴みにしては握り潰している。猿どもも必死になって爪や牙で応戦しているが、強固な鱗は易々とその攻撃を無効化しているようだ。


「これで仕舞いだオラァ!」


 最後の一頭の腕を掴み取り、遠投でもするかのように頭から地面に叩きつける。哀れ、猿は内部から弾けたようにバラバラになった。


 術理の匂いは微塵も感じない野獣のような格闘術だが、思わず眼を見張るほどの凄まじい迫力だ。


 ラウルと見習いたちもそれぞれ一頭を相手に奮戦しているが、この様子なら助太刀は必要あるまい。


「お前……。その得物は飾りなのか?」


 タイメンは目算でおよそ四貫十五kgはありそうな巨大な戦斧を背負っている。常人には振ることすら叶わないだろう代物だ。


「こりゃ大物用の武器だっての! 海の魔物はデッケー奴ばっかだかんな。こんな相手なら殴った方がはえーよ!」


「……………………」


 得意満面で力こぶを作って見せる姿に何となく腹が立ち、言いそびれていたことを伝えることにした。


「ところで、愛馬がどこかへ逃げて行ったぞ」


「アルチェちゃぁぁぁぁぁん!!!!」


 黒須はドタドタと情けない姿で走り去る大蜥蜴を横目に、他の面々の無事を確認しに向かう。


「ラウル殿、大事ないか?」


「…………………」


「ラウル殿?」


「……ん? おぉ、すまぬ。こちらは問題ない」


 何やらてのひらを開いたり閉じたりしながら茫然としていたが──やはり、実戦はまだ早かったか?


 難しい顔で黙り込んでいるラウルの心中を案じつつ、黒須は見習いたちの待つ馬車へと足を向けた。




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 いつも拙作をお読み頂きありがとうございます。

 更新が遅れてしまい申し訳ございません。


 犬追物などというエゲつない訓練を書いたばかりでアレなのですが……。実は、昨日より子犬と生活を共にすることになり、少々慌ただしくしております。


 小説など生まれて初めて書くド素人につき、拙作にはあらすじや書き溜めもなく、日夜思いつくままに乱文を記しております。そのため、もしかすると今後も更新が遅れる場合があるやもしれません。悪しからず、ご容赦頂けると幸いです。


 今後とも『お侍さんは異世界でもあんまり変わらない』をよろしくお願いいたします。

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