第48話 騎士さん、ちょっと後悔する

「剣を振るときに眼を瞑るな。もう一度だ」


「じ、自分はもう、ダメです……。頭が、グラグラします…………」


 オーリックは剣を地面に突き立てながら、ばね仕掛けの人形のようにフラフラ歩いてしゃがみ込むと、その場で胃の中身をぶちまけた。水筒を持ったピナが慌てて駆け寄り、背中をさすってやっている。


「「……………………」」


 酸っぱい臭いが周囲を満たすが、ラウルとアクセルの顔には不快さとはほど遠い共感の色が浮かぶ。二人の足元にも、今朝食べたマフィンの成れの果てが赤土の地面に大きな染みを作っていた。


「隊長、これ以上はもう────……」


「言うな……。我らから願い出た訓練である。騎士たる者が今さら中止させてくれなどと、口が裂けても言えるものか」


 一夜明け、騎士たちは休憩の合間を見つけてクロスとの模擬戦を行っていた。本来の使命である警護も疎かにはできないため、レナルドとピナにも側で観戦してもらいながらの訓練だ。


 クロスは当初、怪我を負わせないよう無手での格闘戦を提案してくれたのだが、ラウルたちは彼の繰り出す初見の技に受け身すら取ることが叶わず、一方的に蹂躙される羽目になった。


 そうこうしているうちにクロスは段々と不機嫌になり、物足りないと言い始め、現在は丸腰の彼に騎士たちが順番に斬り掛かるという、狂気じみた取り組みが行われている。


「自分は訓練の時に隊長を鬼と思ったことがありましたが……。クロス先生は悪魔であります」


「お前たちはまだマシだろう……! 私は降参すら許されんのだぞ……!!」


 クロスはラウルには特に容赦がなく、気を失うまで戦うことを止めさせなかった。何度も頭を打っては失神し、何度も絞め落とされ、そのたびに水をかけられ無理矢理起こされては再戦を強制されるのだ。昨夜の宣言通り大怪我はしていないが、すでに精神はズタボロである。


「仕方ない、次はラウル殿だ」


 その声に思わずぎくりと肩が跳ねる。


 早くしろと言わんばかりの表情に、ラウルは渋々と槍を構えた。ガシャンと兜の面甲を下ろし、心臓の辺りを何度か叩いて気合を入れ直す。


「どうした。さっさと来られよ」


「…………」


 挑発の言葉を聞き流し、面甲の隙間スリットから油断なくクロスを見据えて、ジリジリと摺り足で槍に優位な間合いを測る。武器も持っていない棒立ちの相手に何を無様な、と言われそうな及び腰だが、この男を絶対に懐に入れてはならんと嫌というほど思い知らされているのだ。


「往くぞっ!!」


 自身を奮い立たせるように裂帛れっぱくの気勢を上げた途端、クロスの姿が視界から消える。


 ……! どこへ行った!?


 顔面を完全に覆う樽型兜フルフェイス・ヘルムは、防御力を得る代わりに視界を大きく犠牲にしている。彼はどれだけこちらが注視していても、毎回、煙のようにふっと死角へ消えてしまうのだ。


 膝の力を抜いて崩れ落ちるように移動する独特な歩法だが、一歩目が速すぎてまるで対応できない。


「ラウル! 後ろだっ!」


「ひ、左に移動しました!」


「下であります! 隊長、攻撃を!!」


「──────────ッ!」


 観戦者の声に従い辺りを見渡すが、影も形も見当たらず、ラウルは苦し紛れに体の周りで槍を無茶苦茶に振り回した。


 熱い吐息が兜に籠り、酷く鬱陶しく感じる。一旦面甲を上げようと槍を止めた瞬間、後頭部に衝撃が走った。


 また一撃。また一撃。


 ぐらりと景色が回転して平衡感覚がおかしくなる。


 殴られたと気が付くも、全身から力が抜け、少しずつ意識が薄れていく。


「──────あ」  


 自分の声が、他人の声のように聞える。  

 頭部を襲う衝撃を五発ほど数え…………あとは何も分らなくなった。


「ラウルっ!!」


 滅多打ちにされた忠臣に駆け寄り、レナルドは膝が汚れることも気にせず急いで兜を脱がせた。無防備なまま何発も肘鉄を浴びていたが、どうやら出血はないらしいとほっと胸を撫で下ろす。


「ただの暈倒うんとうだ。すぐに起きる」


 何でもないことのようにクロスは言うが、レナルドは人が失神する様を見ることすら初めてで、正直言って気が気ではなかった。彼の訓練は本気で殺す気なのか思うような場面も多々あり、心配するあまり座って観戦することもできず、しかし、自分には護衛たちを励ますことしかできない。


 治療のためと頭では理解しているものの、レナルドは何もしてやることができない自分にやり切れない歯痒さを感じ、ただただ涙目でラウルの頬を撫で続けた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「せ、先生。先ほどの投げ技はニホンの武術なのですか?」


 道を進みながら休憩中の模擬戦について語り合う。レナルドも積極的に会話に参加するようになり、一行の旅路は昨日とは打って変わって賑やかなものになっていた。


「鎧組討術と言って、お前たちのような大鎧を着た敵を倒すための武術だ。戦場で甲冑相手に斬り掛かれば、一人倒しただけで剣が使い物にならなくなるからな。本来は組み伏せたあとに鎧通しでとどめを刺す」


「隊長、騎士にもそういった技はありますか?」


「いや、騎士にとっては下馬して相手に掴み掛かること自体が無様と言われることもあってな。格闘術はあまり良しとはされておらんのだ。戦場では戦棍メイスなどの対甲冑を意識した打撃武器で対抗する場合が多い」


 ファラス王国の騎士には格闘術や飛び道具を避ける風潮があり、槍を使う者が大多数を占める。騎士というだけあって馬上戦闘を主眼にしているため、特に長柄の武器が好まれるのだ。


「武士にはそういった武器や武術に対する制約は、な、ないのですか?」


「我らは戦いにおいて役立つ手段は何でも取り入れるぞ。あらゆる武術の用法を把握し、それぞれの武器の利点を識る。それができないことこそが武士として嗜みが浅く、無様とされている。だからこそ、俺はこの国で過ごす生活が楽しい。見たこともない武器や武術、魔術などというものまであるからな」


「先生は魔術を使えないのですよね? それでも気になるものでありますか?」


「当然だ。魔術師は一騎討ちならば脅威には思わんが、戦場では猛威を振るうだろう。俺はまだ火の魔術師しか知らんからな。他の属性とも手合わせしてみたいものだ」


「魔術師は基本的に近接戦闘に弱いからな。近接戦闘をする者は魔術の格が低いからだと馬鹿にされたりもする。私も身体強化だけで戦っていたからか、魔術師としては紛い物だとよく揶揄やゆされたものだ」


「騎士は徒手空拳を恥とし、魔術師は近接戦闘を恥とするのか。そういった矜恃を否定する気はないが……。貴族の魔術に対する考え方といい、どうも、この国には固定観念を持った者が多いようだな。俺の仲間の魔術師も最初は接近戦が弱かったが、柔術や杖術を覚えてからは単独で豚鬼オークとも張り合うようになったぞ。初日に俺と一緒にいたパメラのことだ」


 ラウルは驚きに目をパチクリさせた。


「なんと……。あんな華奢なお嬢さんがか」


「豚鬼と接近戦で戦うのでありますか!? 魔術師が!?」


「ぼ、冒険者とは凄いのですね……」


 ラウルが異端視されていたように、魔術師は後衛職というのがこの国における一般的な認識だ。通常、攻撃までに時間を要し自身を巻込むような大技も近距離で撃てない彼らは、近づいてしまえば何もできない。


 剣や槍を得意とする者にとって、近接戦闘をこなす魔術師など、厄介極まりない存在である。


「それでは、己の"手段"を選り好みするアンギラの者は他国や他領に比べて弱いのでしょうか?」


「どうだろうな。俺はこの国に来て日が浅い上に、比べようにも他の街を知らん。だが、アンギラにはなんとか帝国とかいう外敵がいるのだろう? であれば、大丈夫なのではないか」


 その発言に、皆がきょとんとした顔つきになる。


「えっと……。外敵がいることが何か関係あるのですか?」


「民草にとっては外敵の存在など厄介事でしかないが、為政者としては悪い面ばかりではないのだ。敵が身近にいれば軍は油断や怠りなく鍛錬に励み、武家は処罰にも心を遣うようになるため政治も正しくなり家も整う。もし敵がいなければ軍は武力の嗜みを欠き、武家は上下ともに己を高く思って恥を恐れる心を失い、弱くなるものだ。故に、黒須家では常に近隣と敵対関係を持つようにしている」


「なるほど……。敵の存在が有ればこそ、常に身が引き締まるということであるか。差し迫る脅威がなければ、真面目に訓練に取り組む者は少なくなるかもしれんな」


「自分はアンギラで生まれ育ったので、敵がいない日常など想像もできないのであります」


「じ、自分もです。幼い頃は敵国に接していない内地の都市を羨ましく思ったこともありますが……」


「確かに、内地の方は軍よりも警邏隊や衛兵が幅を効かせていると聞きますね」


 王都近辺に至っては、領主貴族による圧政や軍の腐敗も蔓延していると耳にしたことがある。あれは平和に慣れすぎた弊害か、とレナルドが心のメモに記していると、御者席から大声が上がった。


「ご主人様! ナバルが見えました!」

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