第49話 お侍さん、変なのに出逢う

 小高い丘を登り終えると、眼が痛くなるほど鮮やかな紺碧こんぺきの色が広がっていた。遠浅の、どこまでも澄み渡った珊瑚礁さんごしょうの海だ。白々とした砂浜がそっと海に寄り添って横たわり、遥か弓なりに続いている。


「……アンギラの街並みも美しいが、ナバルも負けていないな」


 丘の上から見下ろす港町も、その絶景に引けを取らない幻想的な麗姿だ。傾斜地に建てられた家々は白壁と明るい青の瓦屋根で色彩が統一されており、潮風に揺れる洗濯物の彩りと相まって実によく海に映えている。一点の雲も留めぬ蒼穹の加減か、町全体が宝玉のように碧くツヤツヤと光って見えた。


 正に風光明媚。浮世絵になりそうなほど見事な風景だ。黒須はしばらくその場に立って、景色に見惚れた。


「僕もここから見る景色が大好きなんです。それに、この町は食べ物も美味しいんですよ」


「ナバルの魚介料理は絶品ですからな。不漁が続いているのは悲劇としか言いようがない」


 ラウルは本気で悲しそうな顔をしていた。海鮮料理が好物なのだろうか。


「隊長、自分は先触れに行って参ります!」


 ラウルの了解を得て、アクセルが門番の所へ先行する。


「そういえば、今回の訪問は代官殿に伝わっているのか?」


「もちろんです。緊急の訪問でしたので、冒険者に特急で手紙を届けてもらいました。ナバルの代官はマグナス・ボレロ男爵という方で、何でも、ご自身でも漁に出る海の男なのだとか」


 レナルドはナバルには何度か訪れているが、代官と逢うのはこれが初めてなのだそうだ。


「み、自らが船に乗られるのですか……。勇敢な代官様なのですね」


「そうだね。僕ならきっと魔物にやられる前に船酔いで動けなくなりそうだ」


 先触れのおかげでナバルの門は素通りも同然だった。審査に並ぶ人々を横目に門を潜り、周囲に眼を光らせながら通りを進む。


「さて、では宿を取りに参りましょう。この時期はどこも空いているはずです」


 その言葉に黒須は首を傾げた。


「貴公らは代官殿の屋敷に泊まるのではないのか? 宿は俺だけだと思っていたが」


 領主の関係者が逗留とうりゅうする場合、日本であればその地の代官には歓待の義務がある。来訪を知りつつ宿に泊まらせるなど、謀叛を疑われても文句は言えないほどの無礼。どれだけ小さな、どれだけ貧しい町であっても、精一杯にもてなすのが心粋というものだ。


「はは、先生。大きな街ならそうしますが、小さな町の代官邸には来客を泊められるような広さはありませんよ。ほら、あれが男爵の住む家です」


 レナルドが指差したのは周囲よりは大きいものの、"屋敷"と呼ぶか"家"と呼ぶかは微妙な建物だった。正直、大きさだけなら荒野の守人の拠点といい勝負だ。


 自分を除く五人程度なら十分に泊まれそうなものだが………… 

 いや、これもまた文化の違いか。


 その後、代官の屋敷よりもよほど立派な宿で部屋を取った。アクセルが門兵から町一番の宿と紹介を受けたらしく、広々とした室内に、窓からは海が一望できる贅沢な部屋だ。


「僕たちは会談に向けた準備がありますので、先生は明日の朝までご自由にお過ごしください。海沿いの通りに商店が集中していますよ」


 今回の護衛依頼には往復の道中だけではなく、会談中の身辺警護も含まれている。貴族の会談に傭兵などが陪席していいのかとサリアに尋ねたが、そもそも依頼書に秘密保持の条項が付与されているため、違約すれば傭兵ギルドから処罰されるのだそうだ。


「そうか。なら海を見ながら散策でもさせてもらうとしよう」


 勧められた海沿いの通りを目指し、一人、のんびりと道を歩く。


 海を見るのも久しぶりだ。頬を撫でる心地よい潮風と海の匂いに、見たこともない様式の建造物。行き交う人々は皆良く日に焼けており溌剌はつらつとして見える。アンギラとはまた違った異国情緒に、黒須の足取りは軽かった。


 通りを進むにつれ徐々に磯臭さが強まり、腹が微かにくぅーっと情けない音を発する。


 黒須家の領地は内陸であったため、食卓に上る魚はどれも干物や塩漬けばかり。商店に出回る鮮魚と言えばこいくらいのものだったが、高級魚であるが故に滅多に口に入ることはなく、兄上たちと近くの川で泥臭いふなを捕まえては焼いて食べていた。


 そんな青春時代を過ごしたからか、初めて港町の屋台で寿司を食った時には眼玉が飛び出すかと思うくらいに感動したものだ。以来、潮の匂いを嗅ぐとどうにも腹が減る体質になってしまった。


 しばらく進むと、小型の漁船がちらほらと停泊している港に出た。


 正面には雄大な大海原。沖に大きな島があるものの、それを除けば水平線が綺麗に見える。左右の通りには先ほどまで見なかった屋台や露天商の姿もあり、食欲を唆る香りが漂っていた。


 波止場には所狭しと釣り人が並び、大きな竿を旗印のように波打ち際に立ててじっと沖合いを睨んでいる。黒須に釣りの経験はないが、海国には釣りを武芸と同等に扱う武家もあるらしい。刀と同じように釣り竿にも執着し、中には"名竿めいかんは名刀より得難し"などと公言するほど熱中する武士もいるそうだ。


「店主、これは何の串焼きだ?」


「へいらっしゃい! こっちから太巻貝、深海海老、平蛸、大飛魚だ! どれも今朝獲ったばかりの旬物だよ!」


「旨そうだな。それぞれ一本ずつくれ」


「まいどっ!」


 ナバルでの飲食代は傭兵ギルドが持ってくれることになっているため、躊躇なく銀貨を手渡す。


 この国に来てからは知っている食材の方が少ないくらいの生活だったので、未知の食べ物にもすでに抵抗感はなくなっている。豚鬼オークなどという人型の生物まで食べてしまったのだ。今さら巨大な海老や毒々しい色の蛸など気にするまでもない。


 串焼きは塩を振って焼いただけのものだったが、やはり鮮度がいいのだろう。どれも旨い。特に深海海老は絶品だ。海老は大きいほど大味で不味くなると言うが、これは身が締まっていてプツンという心地よい歯ごたえに加え、噛むたびに甘みがある。以前食べた甘海老が霞むほどの味だった。


 満腹に気をよくしながら露店を冷やかして歩いていると、ふと冒険者ギルドの看板が眼に入った。ナバルのような小さな町にも支部があるのかと思い、暇つぶしに依頼でも見てみるかとフラリと立寄る。


 建物の中はいつも騒がしいアンギラとは違い、閑古鳥が鳴いていた。酒場の方では数人が飲み食いしているが、掲示板の前には誰もおらず閑散としている。

 というより、そもそも貼られている依頼書の数が酷く少ない。知っている単語を頼りに読み解けば、常設依頼の海産物の採取と船の荷の積み下ろしの手伝い、屋台の売り子の募集だけだ。


「お〜い、兄ちゃん」


 その呼び声に振り向くと、酒場で呑んでいる────男?が手招きしていた。


「…………………」


「んー? 何だよ、ジロジロ見て。オレの顔に何かついてっか?」


 ついている。顔と言わず全身に。


「……いや、初めて見る種族だったのでな。気分を害したのなら謝ろう」


「なーんだ、そういうことかよ。オレは蜥蜴人リザードマンのタイメン。Eランクだ。よろしくなー」


 親しげに声を掛けてきたのは、筋骨隆々の巨大な蜥蜴トカゲだった。

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