第47話 騎士さん、希望を見出す

「先生は十年も旅をされていたのですね! 僕はアンギラの外に出たことがないので、羨ましいですっ!」


 レナルドは馬車の窓から身を乗り出すようにして随行する護衛たちと話していた。誰に見られることもない荒野ではあるが、少々行儀の悪い格好である。


「"先生"は止してくれと言うに……」


 盗賊に襲われた休憩場を出発して以降、まず見習いたちがクロスのことを先生と呼び始めた。彼は心底嫌そうな顔で止めるように言っていたのだが、それを聞き付けたレナルドまでが真似をし始めてしまい、ついに処置なしと諦めたらしい。


 しかし、レナルド様のこんなお顔は初めて拝見するな…………


 その子供のようにはしゃぐ楽しげな様子に、ラウルは思わず相好を崩す。レナルドは泣き止んでから憑き物が落ちたように明るく振る舞うようになり、アンギラを発った時とはまるで別人だった。


 見ていて痛ましくなるいつもの作り笑いではなく、本物の笑顔。御者をしているピナも主の不作法を注意することもなくニコニコと嬉しそうな表情だ。


「武者修行の旅で最も苦戦したのはどのような戦いだったのですか?」


「じ、自分もそれには興味があります!」


「苦戦か。戦場では何度も死ぬような目に遭ったが……。道場破りで相手を怒らせて剣を持った門下生に囲まれた時か、それとも鎖鎌の達人に挑んで腰をえぐられた時か、いや、忍どもに寝所を強襲された時か──────」


「"シノビ"とは何でありますか?」


「暗殺者、と言えば分かるか? 奴らは気配を消すすべに秀でていてな。不覚にも、気が付いた時には十数人の凄腕に囲まれていた。剣に手を伸ばした途端脇腹に穴を空けられて、必死に意識を保ちながら戦ったものだ。腹から血が流れるにつれて手足の感覚が薄れてきてな。最後まで剣を握れていたのは幸運だった。いやはや、あれはなかなかの修羅場だったな」


「「………………」」


 まるで楽しかった思い出のように語るクロスに、アクセルとオーリックはドン引きである。


「戦い終わったあとも腹から血が抜けてくれなくてな……。思い出したくもないが、数日は馬糞を水に溶いて飲み、吐いてはまた飲むを繰り返して過ごした。あれだけはもう二度と御免こうむりたい」


「それは先生が"武士"だから狙われたのですか? 他の武家からの刺客などでしょうか」


 ファラス王国でも稀に貴族の暗殺事件は発生する。利害関係での衝突や、継承権を巡るお家騒動などだ。


「いや、違うだろうな。結局誰の差し金かは分からなかったが────俺には、心当たりが多すぎる。誰かの恨みを買ったか、それとも誰かの仇討ちか。いずれにせよ、何年も人を斬り続けたのだ。誰に命を狙われても文句は言えまい」


 同じ領主の三男だが、あまりにも大きく違う人生。クロスの壮絶な生き様を想像し、レナルドは『これまでに何人斬ったんですか』とは聞けなかった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「ラウル殿」


 野営の準備を終え、皆が食事の支度を始めた頃。クロスが声を掛けてきた。


其許そこもとの話で気になる点があったのだ。体が思うように動かず、判断力がにぶくなったと言っていたな?」


「うむ、魔術が使えていた頃は身体強化を抜きにしてもそれなりに戦えておったのだが……。自分でも何が原因なのかは分からんが、まるで戦い方を忘れてしまったような感覚である」


 各地の治療院を訪ね歩き、高名な神官や小達人アデプタス・マイナー級の魔術師にも診てもらったが、結局、誰にも治すことは叶わなかった。治癒の奇跡をかけてくれた魔術師に肉体的な損傷ではないため打つ手がないと診断され、酒に溺れて悔し涙で枕を濡らす夜を過ごしたものだ。


 自身を襲った不運を受け入れられず、当時は団員たちが近寄り難いほどに荒れていた。


「やはりそうか。俺はその症状に聞き覚えがある」


「なにっ!?」


 彼がまだ生家で暮らしていた頃、長兄殿が似たような症状に苦しんでいた時期があったらしい。その時もやはり医者に見せても原因は分からなかったが、ある出来事を境に突然完治したそうだ。


「兄上は戦から帰って来たら元通りになっていた。死に物狂いで戦っているうちに、気が付いたら元の調子に戻っていたらしい。死際を感じて身体が動きを思い出したようだと申しておられた」


「なるほどな……。確かに体がこうなって以降、危険な戦いからはなるべく遠ざかっていた。レナルド様にお仕えしてからも危うい場面はいくつもあったが、死を覚悟するほどの戦いはしておらんな。だが、戦か────……」


 北部で戦争の兆しがある現状は絶好の機会とも言えるが、守るべき主を置いて一人戦地に出向くことなど、騎士として許されることではない。


「そこで提案だが、俺と戦ってみないか? 其許にも騎士道が定まったのだ。いつまでもそのままという訳にはいくまい」


 クロスの顔はとても輝いて見えた。ラウルはやはり彼には戦闘狂の気質があるのではと疑いながら、その提案について頭をひねる。


 彼の腕前なら自分を死の淵まで追い込むことなど容易いだろう。しかし、ラウルとて長年を騎士団長として戦ってきた経験から、多少の怪我程度では動じない精神力を持ってしまっている。死を覚悟するほどの戦いとなれば、重傷を前提とした殺し合いになることは避けられない。


「体が治るのなら是非とも頼みたい所であるが、護衛任務中に大怪我は負えん────」


「案ずるな。大怪我をさせずとも


 目をギラつかせてニヤリと笑うクロスに気圧され、ラウルは若干仰け反った。


「やってみようよラウル! それで治るのなら僕は賛成だ!」


 主は名案だとばかりに笑顔で促してくれた。


「レナルド様がそう仰るのであれば……。クロス殿、頼めるだろうか」


「構わんぞ。俺も騎士の武芸には大いに興味がある」


 もう騎士団長の座などに未練はないが、今後も主の役に立つには、どうしてもあの頃の強さを取り戻したい。あらゆる手を尽くしても回復の兆しさえなかった体。しかし、自分の心を覆い尽くしていた暗雲を吹き払ってくれたこの男なら、あるいは────と、希望の光が僅かに灯る。


「あ、あの、先生! 自分にも訓練をお願いできませんでしょうか!」


「なっ!? ずるいぞ、オーリック! それなら自分もお願いします!」


 何故か見習いたちまで便乗し、翌日からクロスによる訓練とは名ばかりの悪夢のような蹂躙劇が幕を開けた。

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