第46話 騎士さん、お侍に説教される

 ピナのすすり泣く声だけが響く中、それまで神妙な面持ちで話を聞いていたクロスが口を開いた。


「レナルド殿。俺がこの依頼を引き受けたのは、貴公に興味があったからだ。俺も日本という国で領主の三男として生を受けた。同じ境遇の者として、この国の貴族を見極めたかったのだ」


 クロスはまず自らの来歴を明かした。レナルドたちは彼が外国人ということは知っていたが、まさか他国の貴族だとは夢にも思わず、驚愕に飛び上がりそうになった。


 彼はさらに自らが武士という身分であること。武者修行の旅の途中にこの国に迷い込んだことも話した。


「俺の国でも『戦えぬ者は武士として価値がない』と言われている。だが、その"戦い"とは戦闘だけを指す言葉ではない。政治、普請、文筆、勘定。それぞれの分野における戦いを意味する言葉だ。つまり武士としての価値とは、どのような手段であっても領地領民を護る能力があるか否かで決まる。平たく言えば適材適所、人にはそれぞれ違った活躍の場があるということだ」


 クロスはレナルドを見据える瞳に力を籠める。


「俺は貴公の話を聞いて、この国における貴族の価値というのも結局は同じなのでないかと感じた。国境を護る貴族ほど魔術の有無を気にすると言ったな? それは領地領民を護るための戦場で活躍できるかどうかに由来しているのだろう。無礼を承知で言えば、この国の貴族は"目的"と"手段"を取り違えているのではないか? 自国や自領を護るのために、魔術というが必要なのだろう? 目的を達するための手段は、決して魔術だけではないと俺は思うがな」


 レナルドはその言葉に心を揺さぶられた。


 幼い頃から役立たずと言われ続けてきた。彼の狭い人間関係の中でそれを否定してくれたのはピナとラウルだけだったが、レナルドは二人に励まされるたび、同情を感じて惨めな気持ちになるだけだった。


 しかし今、クロスは貴族の価値は魔術の有無ではないと言ってくれている。自分対して哀憐の情など持つはずのない男が、確かにそう言っているのだ。


「で、ですが……。魔術を抜きにしても、僕には得意なことなど何もありません。アンギラのためにできることなんて、何も────」


「そうなのか? では、領主殿には貴公のようにたった三人で危険な街道を進むことができるのか? 長兄殿はメイドや見習いのために命を懸けることができるのか? 次兄殿は責務を果たすために傭兵に土下座することができるのか? 今日逢ったばかりの俺でも、貴公にしかできないことはあると思うがな。存外、自分の能力とは他人からの方がよく分かるものだ。共に育ったピナ殿であれば、レナルド殿の長所を良く知っているのではないか?」


 クロスの問い掛けに、ピナは何度も頷いた。


「ご主人様のいい所なら、一晩でも語り尽くせないくらい存じ上げております」


「貴族の価値とは魔術の有無による絶対的なものではなく、それぞれの長所を活かした相対的なものだと俺は考える。要は、貴公なりの手段で目的を達するために生きればいいのだ」


 レナルドは涙を堪えきれなかった。


 他国の貴族が魔術の使えない自分にも活躍の場があると言ってくれた。自分にしかできないことがあると認めてくれた。彼の言葉には経験に裏打ちされたような重みがあり、レナルドの胸に深く突き刺さった。


 クロスはしばらくレナルドを見つめたあと、ラウルと見習いたちに目を向ける。


「ラウル殿。それにアクセル、オーリック」


 その呼び掛けに、三人は背筋を伸ばして居住まいを正す。


 彼が主に語った言葉は、貴族として大いに含蓄がんちくのある内容だった。並の貴族子弟の発言はではない。


 彼らはクロスが只者ではないと感じ始めていた。


「俺もお前たちと同じだ。物心ついた頃から武士として己に恥じぬ男になれと言われて生きてきた。その経験から言わせてもらえば、武士と騎士との違いとは、生き様の差にあるように思う。我ら武士は、己が護るべき誇りのために如何いかにして死ぬかを追求する生き物だ。諸行無常の生涯の果てに死ぬために。その日必ず死ぬために。今日という日を惜しまず生きる。『朝が来るたびに死を覚悟せよ』と毎朝言われて育ったものだ」


 自分の誇りのために死ぬ……?


 ラウルにはその言葉の意味がよく分からなかった。


 騎士にとっても誇りは大切なものだ。騎士見習いの頃から誰よりも気高く、他の者の模範たれと教わる。それは仕えるべき主に見合う騎士になるためだ。主のために死ぬ覚悟は持っている。だが、主のためなら自分の誇りなど二の次に過ぎない。


「我ら武士は自らの信念を"道"として考えるのだ。その道は人によって様々な進路があるが、行き着く先は皆同じ、必ず死に繋がっている。終着点に死があると知りつつも、己が信じ、己が選んだその道をただひたすらにまっすぐ走り、寄り道や曲がり道には絶対に進まない。道を遮る障害があれば命懸けで乗り越え、立ち塞がる者は撃滅する。その道を、我らは"武士道"と呼ぶ。死に向かって迷わずひた走ること、それこそが誇りある生き様だと考えているのだ」


 死を恐れないどころか、自ら死に向かって進むことが誇り…………


 確かにクロスの語る武士道とは、自分たちとは考え方が大きく違うようだ。死への恐怖を克服しようとする騎士と、死を受け入れることを誇りとする武士。その差は大きいとラウルは感じた。


「いつか必ず来る死ぬべき瞬間のために、その日その日を精一杯に生きる。今日死ぬことになっても迷うことがないように、全力で生きるのだ。武士たる者、布団の上で死ぬつもりなど毛頭ない。積み上げてきた心・技・体でもって、戦いの中で壮絶に死にたいのだ。己の武士道に適う死地で、陶酔しながら死にたいのだ。剣を持たぬ者からすれば理解し難い思想だとは思う。正気の沙汰ではないと言われることもある。だがな、ラウル殿。我らは周りの声や評価など、心の底からどうでもいいのだ。武士道とは己自身に課し、託し、願うもの。常に見据えるは己のみ。他人に何を言われようとも、自らの武士道に恥じぬ生き様が出来ているかどうか。武士の有りようとは、究極的にはその一点に尽きる」


 ラウルは絶句した。


 サリアはクロスのことを頑固で話が通じない人物と評していたが、それもそのはず。彼の中では自分の武士道以上に優先すべきものなど、本当に何もないのだ。

 他人に全く目を向けておらず、己の武士道だけを見据えている。それだけ確固とした信念を持っているからこそ、周囲の意見を重視しないのだ。


「ラウル殿。其許そこもとの誇りとは何だ?」


「それは……。レナルド様にお仕えすることである。騎士として、主のために生きることを誇りに思っている」


「そうか。では、それは誰かに言われて変えられるものか? 領主殿にもうレナルド殿には仕えなくてもいいと言われたら、其許はどうする?」


 ラウルは返答に詰まる。自分はレナルドをついの主と定めているが、辺境伯家に仕える騎士だ。閣下に命じられれば逆らうことは────


「答えられないか。では、問いを変えよう。領主殿がレナルド殿を殺そうとしたら、其許はそれを許容できるのか?」


「そんなことは絶対に許さん! この命ある限り、レナルド様を害する一切を私は許容しないッ!!」


 思わず大声を出してしまったが、ラウルはクロスが暖かい眼差しでこちらを見ていることに気が付いた。


「見事な口上、よくぞえた。家来とは主君を盲信する者にあらず。忠義は強制ではなく、自発的なものでなければ意味がない。己の誇りに値するものに対してのみ頭を垂れよ。要は、決めた方を貫けばいいだけだ」


「決めた方を…………」


「レナルド殿に仕えることを誇りとするならば、領主殿の意見に耳を貸す必要など一切ない。辺境伯家とレナルド殿を天秤に掛けていたのだろう?   武士道……いや、騎士にとっては騎士道と言うべきか。其許はまだ自分の騎士道をどちらに向けるべきか決めかねていたのだ。だが、どちらに向いて進むべきか、もう答えは出ているのではないか?」


 そうか。私は、迷っていたのか。

 レナルド様を主と呼びながら、どこかで辺境伯の顔色を気にしてしまっていたのか。終の主と言いながら、いまだ辺境伯家に仕えている気になっていたのか。


「騎士道を見定めさえすれば、あとはただ情熱を傾けて生きるのみ。何も恐れる必要はない。周囲に心乱されず、ただ一向ひたすらに我が道を往け」


 自分の半分ほどの年齢の男の言葉に、ラウルは溜め込んでいた溜飲が一気に下りたような清々しい気分になった。


「そうか────……。それで、よかったのか。そんなに、簡単なことだったのか」


 頭の中の霧が晴れたような、胸のつかえが取れたような気持ちだ。自分は何をいつまでも過去のことに固執していたのか。そんな後悔はもう、どうでもいい。これからの人生をレナルド様のためだけに、ただただ必死に生きればいいのだ。


 騎士として生きて五十余年、ラウルの騎士道が定まった瞬間だった。

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